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震える大地、彷徨編

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被災巡礼の旅

このところいろいろと忙しく、久しぶりの更新になりました。

ちと遅れましたが、あれから1年が経ったんですね。

思えば遠い昔の事であるような気もするし、ついこの間だった様な気もします。

街はすっかり震災の傷跡が癒えたような装いですが、時折傷跡を目の当たりにしにゾッとする事があります。

言葉では言い尽くせないいろんな思いはありますが、ワンコ達とともかく無事に過ごしている現状は幸せなことととして受け止めるべきなのでしょうね。



1年を経た11日、ボクなりの区切りとして、被災巡礼の旅(すこし大げさ、しかも日帰りです、笑)に出る事にしました。


まずは、多くの犠牲者を出してしまったボクの旧職場へ行ってみます。

ここは、ボクが現在住んでいるS市の南隣にあるM市になります。

瓦礫や土砂はすっかり片づけられていますが、津波でズタズタにされた建物が亡霊のように佇んでいます。

しとしとと降る小雨は、涙雨のようでもありました。


イメージ 1

旧職場の建物と玄関があった場所に置かれた献花台。


献花台に花を手向け手を合わせます。

津波の犠牲になった沢山の関係者の顔が走馬灯のように浮かんできます。

あの頃は、あまりにもいろんな事があり過ぎて、犠牲になった人を悼む気持ちを持つ余裕さえなかった気がします。

今になっていろんな思いがどっと心に流れ込んできます、、、ため息。


亡くなった方のご遺族とおぼしき人達がちらほらと見えては手を合わせて行きます。

そんな中、懐かしい人の顔が。

かつての上司G長です。

まだ職場に残り、残務処理に追われいろいろと苦労しているようで、体調も良くないらしいです。

さっさと職場を離れてしまったボクは、少し後ろめたい気持ちも、、、。

どうやらこの晩、脚本家の倉本聰氏が主宰するキャンドルナイトというイベントがここで行われるようで、倉本氏の姿もありました。

G長は、このイベントの関係者との打ち合わせなんかもあったようです。

相変わらずな感じのG長ではありましたが、なにか昔の戦友に出会ったような気分です。

ひとしきりお互いの近況や昔話をし、この地を離れます。



次に向かったのは、ボクの住んでいる市の沿岸部です。

ここは、津波の被害をダイレクトに受けてしまった地区です。

一瞬にして壊滅してしまったこの地区ですが、現在は店舗や営業を再開しているところも少しではありますがあるようです。

それでも人が住んでいるのはほんの一部、多くの場所は更地になっていますが、未だに廃墟がそのままになっているところも、、、。


イメージ 2

この建物は津波にあった日のまんまの姿です。いつ誰がどうするのやら、、、。


マスコミなんかでも良く言われていますが、復興を遅らせている原因の一つに瓦礫処理の問題があります。

正直福島の瓦礫に何しては諦めているところはありますが(実際福島県は、瓦礫処理の協力を他県に要請はしていないようです)、なんで宮城や岩手の瓦礫まで拒否されるのか。

普通に出る生ごみと同じ程度の放射線量しかないと発表されているというのに、、、。

ただこの問題は、拒否している側だけに否があるとは思えません。

結局は、政府や行政が安全だと言う言葉を、多くの人が信用していないということです。

ここまで、嘘とごまかしばかりでやってきた現政府のツケがまわってきていところも大きいのでしょう。

岩手や宮城は風評被害と言いきれますが、福島に関しては果たしてどうなる事やら、明日が見えない状況ではあります。


イメージ 3

廃墟の傍には付き物のように瓦礫の山が。いつになったらと言うか、果たしてこの風景がなくなる日が来るのかどうか。


海水浴場に足を向けてみました。

花を置いて行ったり手を合わせている人の姿もあちこちに見えます。

お天気の休日などは、よく缶ビールと文庫本を持って日向ぼっこに来たものです。

人気のないシーズンオフに、ほろ酔いながらぼんやりと波を眺めているのが好きでした。

まさかあの癒しの波が、ある日突然獰猛な野獣と化して街を襲うとは、想像もできませんでした。

そんな姿を微塵も見せずうたたかに寄せて返す波を見ながら、人の力の無力さを改めて感じます。


イメージ 4

大好きだった海岸です。はぎ取られた歩道は見えるにしろ、波はいつもと変わらず穏やかです。



次は、ボクが地震が起きた時にいた仙台の街に行ってみます。

仙台の雀荘で麻雀をしている最中にあの地震に遭遇しました。

明かりの消えた仙台の街を彷徨った事、避難所で眠れぬ夜を過ごした事、ワンコ達のため歩いて帰る決意をした事、いろんな思いが詰まった街でもあります。


まずは、一夜を過ごした避難所の小学校。

あの夜、不安な気持ちを寄せ合いながら語り合った避難所の人たち。

共に過ごしたのはほんの短い時間でしたが、とっても濃密な時間だったような気がします。

みんな無事に過ごしているでしょうか。


イメージ 5

手前にある建物が避難所として過ごした体育館です。当然ですが、いまではあの頃の面影をはどこにもない普通の小学校です。


小学校から震災にあった雀荘まで歩いてみました。

賑わう街は、被災の面影を微塵も感じさせません。

東北の玄関と呼ばれるこの街は、感傷に浸っている余裕もない程めまぐるしく動いているようです。

途中で、地元の自衛隊がPRのキャンペーンをしていました。


イメージ 6

親切にいろいろと説明してくれた自衛官のお兄さん、カメラ目線が少しコワイです(笑)


税金の無駄使いとかいろいろと言われる事の多い自衛隊ですが、被災地にとっては本当に心強い存在として活躍してくれました。

実は、ボクが震災の時活動していたM市では、原発の2回目の爆発があった時、一時的ではありますが自衛隊の姿が街から消えました。

まあ、M市を見捨てたという訳ではないのでしょうが、前線の本部を隣の市まで後退させため自衛隊の車両が少なくなり、地元の人にはそう見えたようです。

その時は本当に心細い想かったというか。

1両日後にはまた戻ってきたのですが、その時は何か救われたような気がしたものです。

今回は自衛隊の人達の献身的な活動には感謝してもし足りない気持ちです。



さて、そんなこんなでボクが震災にあった雀荘に到着です。

ここまで来たついでに、ちょっとだけ麻雀をしてゆく事に。

思えば、麻雀牌を握るのも震災以来1年ぶりです。

卓が空くのを待っている間、店員さんと震災の日の想い出話しで盛り上がります。

いよいよ卓が空き、勢い込んで卓に着きますが、結果は半荘2回ほどして、いいところなく2回ともビリ、、、(沈)

ちょっとホロ苦い追悼麻雀になってしまいました(笑)



震災から1年、やっとここまでなのか、まだまだここまでなのかわかりませんが、被災地の多くの人達はそれなりに元気にやっています。

ただ、まだまだ支援を必要としている地域や人達がいるのも事実です。

ボク達も被災地と言うくくりにあぐらをかくことなく、更に困難な目にあっている人達にどういう事ができるのか真剣に考えて行かなければなりません。

単なる支援ではなく、共生であり自助出来る様になる事、おそらく同じ被災地であって出来る事はあるはずです。

ちょっといいカッコしいで締めてしまった今回の巡礼の旅でした。
震れる大地、第2章に突入する前に、現在の我が町の状況などをご報告します。

被災当初から、市内中心部は比較的早くライフラインが復活したのと、原発の30キロ圏内に入っていなかったため、混乱も少なかったようです。

物資が滞ってしまった時期もありましたが、現在はほとんどの店舗が通常通りに動いており、1カ月半前の状況がウソのように街は被災前の姿を取り戻しつつあります。

ただし、市内中心部という限定付きではありますが、、、。

震災の影をしのばせる風景といえば、所々にみられる道路のひび割れや陥没と、屋根瓦が落ちたため屋根にブルーシートが張られた家々(我が家もそうです)ぐらいです。

道路に関しては日々修復の工事が行われており、そう遠くない時期に解消されるものと思われます。

屋根瓦については、瓦の生産が間に合わず納品のめどがたたないと言う事で、これからの梅雨や台風シーズンの雨漏りが心配です。

あとは、普段は見る機会がほとんどない自衛隊の車両が頻繁に街中を行き来しているという事でしょうか。

避難所への物資の輸送や、津波の被害があった地区の整備や支援を行っているようです。




で、その津波の被害があった地区の話になります。

中心部は穏やかに日常を取り戻しつつありますが、それとは裏腹に、津波の被害が有った市内沿岸部は、被災の傷跡も生々しく復旧のめどがたたない惨状になっています。

沿岸部は少し前までは立ち入り禁止の所が多かったのですが、つい先日行ってみると普通に入って行けたので、そこら辺の状況を、、、。


イメージ 1

普通に家の玄関先に船が突き刺さっているなんて風景も、、、。


沿岸部には漁港があり、港周辺のいたるところに津波に打ち上げられた漁船が転がっています。

シュールな光景ではあります。

津波が来るとわかった時、沖の方が安全ということで船を守るため命がけで沖へ出て行った船もけこうあり、その多くが実際に助かったと聞いています。


イメージ 2

津波のため水没してしまった家なのでしょうか、それとも津波に運ばれてここまで持ってこられたか。


イメージ 3

無残にも波に削りとられた建物。左の建物は海の見えるレストランとして親しまれていたところでしたが、、、。


イメージ 4

巨大コンビナートもこんな事に、、、右に見えるのは体育館です。


イメージ 5

シーズンオフによく缶ビールと文庫本を持って日向ぼっこに来た海水浴場もこの有様です。悲しくなってきます。



イメージ 6

ここら一帯は家が密集していて、路地が狭くドライバー泣かせの地区でした。なんでこんな事に、、、。



写真を編集しながら、途中で止めたくなりました。

やり場のない悲しみ、それだけです。

一人で多くの人が無事であって欲しい、そう願うばかりです。



津波は残酷に明暗を分けます。

先ほどの沖へ出た船の話もそうですが、道路1本へだてて酷い状況になってしまう地区と何事もなかったかのように無事だった地区に分かれてしまいます。

ほんの数10センチの高低が明暗を分けてしまうようです。

改めて今回の震災で犠牲になった多くの方に、心からの冥福をお祈りします。

それとともに、ほんのわずかな運をもらって生き残ったボク達は、犠牲になった人達の分まで強く生きて行かなければならないとも思いました。



次回からは、時計の針を再び震災時まで戻して、ボクの職場のある隣の町お話しになります。

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3月12日pm2:30、、、亘理町


仙台から福島県の我が家へ向け歩き続けるオブでした。

仙台市から名取市、岩沼市を通り亘理郡までたどり着きました。

そしてこの亘理郡を抜けると、いよいよ我が福島県に突入です。

行程的にはちょうど半分あたりまで来たことになります。

仙台市から離れるにつれ街並みも少しずつ田舎の風景になってきますが、地震による建物の崩壊もそれにつれ多くなってきます。

老朽化した家屋が多いせいでしょうか。

築20年のオンボロ我が家とワンコ達の事が心配になります。



この辺からは国道を通ります。

やや海岸に近いのですが、山側のルートを通るとだいぶ迂回しなければならず、着くのが何時になるかわかりません。

それに、アップダウンの多い道にもなるので、体力ももたなそうです。

津波の危険はあっても、最短距離を行くことにしました。

そしてそこで目を覆うような光景が、、、。

住宅や田んぼが有ったはずのところが津波で押し流され湖のようになり、大量の瓦礫の中に家の屋根や船が無残に転がったりしています。


イメージ 1

後日水が引いた後で撮ったものですが、こんな風景が至る所に、、、。



国道に入ると車の数もめっきり減ってきます。

タクシーも稀に見かけますが、空車は無く相乗りしていいるのでしょうか満員状態の車が多いようです。



そんな時、1台のタクシーが向かい側から来るのが見えました。

しかも空車ランプが点いているように見えます。

まさに天の助け。

けっこうなスピードも出ていたのですが、もうここは何としても止めなければなりません。

必死の思いでタクシーを止めます。

運転手さんに行く先を告げると、はじめはちょっと難色を示します。

仙台のタクシーで、この次の町までお客さんを乗せた帰りだったようです。

タクシー業界にはいわゆる縄張りのようなものがあり、ここは仙台のタクシーが営業をしてはいけない地区だったそうです。

それに、この先どういう状況になっているかわからないということもあったようです。

そうは言っても、このチャンスを逃す訳にはいきません。

なんとか拝み倒し、とりあえず行ける所まででいいからと言う事で乗せてもらえる事になりました。

それでも、仙台から歩いてここまで来た事を話すとだいぶ同情してくれたようです。

目的地まで乗せて行ってくれそうな感触です、、、シメシメ。




道路も至る所に亀裂が入っており、津波に削り取られたところもあって、あちこちで通行止めになっています。

その度に山側に迂回するのですが、迂回した先も道路が陥没していて通行止めになり更に迂回することになったり、、、。

‘これ、オレ帰れんのかなー’

なにせ仙台のタクシーなので、運転手さんもだいぶ不安な様子。

それでも、降りてくれとも言われずに結局ボクの車がおいてある駅まで送ってもらえました。

運転手さんにお礼を言い、ボクの車に乗り込みます。

走り出すと、違和感が。

なんとタイヤがパンクしているみたいです。

それでもだましだましなんとか家までたどり着きます。




3月12日pm3:30、、、、我が家

家に到着。

屋根瓦はだいぶ落ちていましたが、築20年のオンボロ我が家はなんとか崩落は免れていたようです。

いつもなら車を停めてある場所には屋根から落ちた瓦が多量に散乱しています。

もし、家にいたら車はきっと瓦でボコボコになっていたでしょう。

不幸中の幸いです。

そして、玄関をあけるのももどかしく家に入ると、中からワンコ達の吠える声が、、、。

いろんなものが倒れ足の踏み場もないほど散らかった家の中でしたが、ゲージの中は無事だったようです。

ボクの姿を見て、ゲージの中で、でんぐり返しをせんばかりに大騒ぎするワンコ達。

ゲージを開けると、ちぎれるほどに尻尾を振ってボク飛びついてきます。

ここにたどり着くまでの苦労がいっぺんに吹き飛んだ気分です。

思わず目頭が熱くなります。



イメージ 2

無事だったワンコ達。


後で姉に聞いた話では、多分ボクが仙台から帰ってこれないかもしれないと言う事で、姪が来てワンコ達に朝ごはんをあげていたらしいのです。

良くできた姪です。




震災からほぼ1日、「震れる大地」第1章、仙台からの脱出行のお話しは終りになります。

それは、これから起こるいろんな困難そして混乱の始まりでもあったのです。

まさに始まりの終わりであり、ここからは舞台を職場に移し新たな困難が始まることになります。

そして「震れる大地」も第2章、被災地編へ突入します。

ただ、ちょっとボクにとって生々しい話も多いため、第2章はこのブログ初のファン限定にさせていただきます。

尚、これからファン登録させる方は、必ずゲストブックで一言自己紹介をお願いします。

無断登録の場合は登録削除させていただく場合があります。

これからは他の書庫の記事と並行して更新していくつもりなので、この記事の更新ペースは遅くなると思いますが、長話にお付き合い頂ければ幸いです。
am8:30、、、仙台駅

震災の翌日、意を決して仙台から福島県の自宅まで歩いて帰る決意をしたオブでした。

ただ、仙台市内は若干バスが動いているようで、とりあえずバスで行ける所まで行ってみる事に。

それでも電車一駅程度の距離は稼げたようです。



夜の間は気付きませんでしたが、昼間改めて歩いて見ると道路の至る所に亀裂が、、、。

ガラスが割れたり看板が落ちたりしているビルも結構あったようです。

イメージ 1

看板を支える鉄柱が飴のように折れ曲がってました。道路もあちこちにひび割れが。


この日は、昨日とはうって変わった好天。

今度は逆に、その日差しに少しずつ体力が奪われてゆきます。

昨日買っておいた食料はほとんど底をつき、ビスケットが少し残っているだけ。

そして何より困ったのは水でした。

昨日何故ドラッグストアーでもっと水や食料を余分に買って置かなかったのか。

買い占めまでする必要はなくとも、こんな事態も想定しておくべきでした。

ただ、何の情報もなかった昨日の夕方の時点では、そこまで被害が大きいとは思ってもおらず、仙台市内を出れば影響もそれ程では無いのではとお気楽な事を考えていたのです。

平時に慣れ切った頭では、そこまでの危機管理は無理だったみたいです、、、ガクッ。

空腹とのどの渇きに耐えながらともかく歩くしかありません。



am11:00、、、名取市


海岸に近い所は依然津波の危険があるようなので、少しでも海から離れた旧国道を行きます。

仙台のとなり名取市あたりでバス停のベンチに座っている女の人が、、、、。

このあたりはバスが走ってないらしい事を教えると、その人も仙台からここまで歩いて来て、ここで力尽きベンチに座り込んでいたとのこと。

家はここの隣の岩沼市だそうでした。

同じように歩いて帰るらざるをえない人も随分多かったのでしょう。

お互い健闘を祈りつつ別れます。



もう少し行くと、タクシーの営業所を発見。

車置き場には、びっしりとタクシーが並んでいます。

がらんとした営業所に入ると、タレントの三宅祐司にそっくりなおじさんが暇そうにしています。


オブ ‘タクシーお願いできますか’

三宅 ‘今のところちょっと無理かもね’

オブ ‘何時ぐらいになったら動くとかありますか。待ってますけど’

三宅 ‘見ての通りタクシーは売る程あるんだけどねー、運転手が誰も来ないのよ。連絡も取れないし’

オブ ‘、、、、、アウチ’


なる程、やたらタクシーがある訳です。

運転手さん達も、それぞれの自宅が大変な事になっている人が多く、仕事どころではないようです。



容赦なく照りつける太陽、空腹、渇きに加え昨晩全く寝ていないのもあり、もうフラフラです。

まだ行程的には5分の1程度、果たして本当に自宅までたどりつけるのか、、、。

そんな時、コンビニに行列を発見。

実はここまでコンビニの行列は何度か目にしていたのですが、コンビニの公衆電話に並んでいる人達だったり、面白いのは開く予定もないコンビニにに並んでいる人達もいました。

誰か並んでいると、つい並びたくなってしまうようです。

日本人は並ぶのが好きな民族なのでしょうか(笑)

しかし、今度のは店に出入りしている人も見えます、本物らしいです。

入り口で人数制限をしているようで、買い物をし終って出た人数だけ中に入れるようです。

外から店の中を覗いてみると、だいぶ品物も少なくなっているようです。

それでも待つ事しばし、なんとか店に入れます。

食べ物らしい食べ物はほとんどありませんでしたが、スナック菓子類とペットボトルを数本ゲット。

しかもボクが店を出るときにはお客さんの入店を終了しており、まさにギリギリセーフ。



ちょうどいい塩梅の日陰をみつけ、なり振りかまわず座り込んで昼食&休憩です。

冷たいお茶を一機飲み。

待ちに待った水分を得て、体の細胞1個1個が生気を取り戻してゆくカンジです。

スナック菓子の袋を開け、ささやかながらのランチタイムです。

空を見上げると、大災害があったなんて信じられないような抜けるような青空。

津波でどうなっているかわからない職場のみんなの事、お腹を空かせているはずのワンコ達の事等が浮かんでは消えます。

何が何でも這ってでも帰らなければなりません。

しばしの休息で人心地を取り戻したオブは、再びワンコ達の待つわが街へ向け歩きだしたのでした。

(つづく)

イメージ 2

ミカン、モモ、絶対帰るから待ってろよー。




ここからは第2部、競馬のお話です


今日は皐月賞です。

今年はそれほど抜けた中心がおらず混戦と言われています。

そして、今回の最大のポイントは、震災の影響で中山競馬場が使えず、府中競馬場で開催されると言うことです。

例年なら最終週の中山コースと言う事でタフなスタミナが必要とされますが、今回の開幕週の府中では真逆のスピード能力が問われます。

そして実際に府中コースで実績のある馬を中心にしたほうがよさそうです。

◎ナカヤマナイト

好意に着けながら早い上がりも使える脚質は明らかに府中向き。

実際に府中コースは3回走って重賞勝ちを含み2勝し2着1回の好成績。

血統がやや重い気はしますが、中心はこれでいいでしょう。

相手は、もう1頭の府中重賞ウイナーでありサダムパティックと、後の重賞ウイナーを輩出したハイレベルのレースだったホープフルSを制したペシャザール。

この3頭の三連単ボックスを本線にします。

その他では、好時計の若葉Sの1,2着馬、ダノンミノルとカフナも押さえておきたいです。

そして府中2000は外枠が不利。

しかも今回は前が止まりずらい開幕週の馬場です。

2桁枠順で先行力がない馬はまとめて無視でいいかも。


もうひとつの重賞アンタレスSは京都1800の鬼ダイナオレンジの巻き返しに賭けます。


それでは皆様、よい馬券を。

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前回はお花見ネタのため1回休みでしたが、被災談の続き行ってみます。



3月12日 朝、、、、避難所

体育館の床に体を横たえるも、寒さと不安で眠れない夜を過ごしたオブでした。

外もまだ暗い午前5時ごろ、突然避難所の戸が開き数人の人達がなにかを運びこんできました。

見るとナント係員がストーブを運んで来たのです、全部で5台程。

小学校にあったストーブらしいです。

これで助かったー、ってか、

‘あるんなら、最初から持ってこんかー’


毛布を持ってきていない人達は、各ストーブを中心に車座になり暖をとります。

話すともなくそれぞれの状況などを話し始めます。

マンションの10何階に住んでいて恐くて避難所に来た人、関東から仙台に来て足止めを食ってしまった人、家の壁にひびが入ってしまい避難してきた人など皆いろんな経緯をたどってここに来たらしいです。

ラジオのニュースで聞いたボクの地区の被害状況の話をすると、皆真剣に心配してくれます。

一晩とは言え、避難所で身を寄せ合って共にひどい夜を過ごした同士、戦友のような不思議な連帯感が生まれていました。

お互いの被災談義などに花を咲かせていると、夜も白々と明けてきました。

そう、どんな酷い夜でもいつか朝は来るのだな、そんな言い古された言葉を改めて感慨深く感じさせられてしまったオブでした。

そのうち、係員より炊き出しの準備が出来たので校庭に並んで欲しいとのアナウンスが入ります。

イメージ 1

    他の地区のものですが、炊き出しの風景です。


人生初の炊き出し体験です。

正直かなり質素で、混ぜご飯にお漬物が付いた程度のものでしたが、朝ごはんを受け取った時のジンとくる感じは何とも言えないものでした。

人は劣悪な環境に居ると、知らずに英気を失ってゆくものらしいです。

炊き出しのご飯のほのかな温もりは、どうやらそんなボクをだいぶ勇気づけてくれたみたいです。

避難所の皆は、交通も物資も滞っている状態でもあり、下手に動くよりしばらくここに居た方がいいのではと言ってくれますが、家にはお腹をすかせてボクを待っているワンコ達がいます。

ここで何泊も過ごす訳にはいきません。

励ましてくれる避難所の皆の言葉を背に受け、駅へ向け歩きだしたオブでした。




3月12日 am7:30、、、、仙台駅


携帯電話より公衆電話の方がつながり易いと言う人もいたので、駅へ行くまで裏路地を通り公衆電話を探します。

大通りの公衆電話はどこも長蛇の列です。

公衆電話を見つけては何度かトライしてみますが、やはり一向につながりません。

そうこうしているうちに駅へ到着です。

電車は相変わらず動いていないようです。

バスターミナへ行ってみると、何台かのバスが稼働している様子。

窓口の人に聞いてみると、市内程度は運航しているようですが、津波の影響と、この頃まだ大きな余震が頻発していていつまた津波が来るかもしれないとう状況でもあったため、国道より先は不通になっているらしいです。

やはりタクシーか。

しかし、タクシー乗り場は延々と続く行列が、、、。

ざっと200人程度は並んでいます。

その割にはタクシーの姿はほとんどありません。

先頭に並んでいる人に、タクシーがどれぐらい来るのか聞いてみると、1時間にせいぜい1〜2台とのこと。


イメージ 2

1時間に1〜2台しかこないタクシーを待つ200人ほどの人達、悲しい笑話のようです。



ほぼ全ての交通手段は使えなさそうです。

思わず文字通り天を仰ぎます。

見上げた先には、冗談のように雲一つない青空が広がります。

その青空をゆっくりと切り裂くように飛んでゆく自衛隊のヘリコプター。

ひとつ深呼吸をした後、決心はつきました。

‘歩いて帰る、ワンコ達の待つ我が家へ歩いて帰ろう’

なーに、たかだか50キロか60キロ。

日テレの「愛は地球を救う」では、毎年軟弱な芸能人が100キロもマラソンしてるんじゃないの。

自動車のない大昔みんな歩いて旅してたんだし、50キロや60キロなんてことないよ。

そう自分に言い聞かせ、途切れることなしに続いている救急車や消防車とおぼしきサイレンの音を背に、我が家へ向け歩き始めたオブでした。

(つづく)

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