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今日は、麻雀の話など。 ボクは大の麻雀好きなのですが、最近ちょっと遠ざかっています。 麻雀は他の遊びと違って、集中力を長い時間持続させる事が必要です。 そこら辺が歳とともにちょっときつくなってきたというか億劫になってきたというか。 それでもたまには牌を握りたくてうずうずしてしまうことがあり、先日久しぶりに雀荘へ行って来ました。 読者の方には麻雀あまりしない人も多いかと思いますので、簡単に雀荘のシステムなど、、、。 麻雀は4人でやるゲームで、1ゲーム30〜40分程度かかります。 雀荘ではお客さんが4人そろったところでゲームが始まるわけですが、場合によってはお客さんが2人や3人の時も店員さんが入りゲームが始まる事も有ります。 その場合、1ゲーム終わった時点で待っているお客さんがいれば、次のゲームから店員さんと交代してゲームに入ることになります。 また、ゲームが終わったところで、お客さんが帰る場合は、待っているお客さんか居なければ店員さんが入ってゲーム開始となります。 仲間内で家でやる麻雀は、一人欠けるとゲームが成立しなくなるため、止めたいときに止める訳にいかず、延々と続いてしまったり、もう少しやりたくても止めるという人がいると止めなくてはなりません。 その点雀荘は、好きな時にぶらっと店に行って始められるし、好きな時にやめて帰って来れるわけです。
さて、今回は約半年ぶりの雀荘遠征です。 店員さんが1人入っている卓がゲーム終わり間際だったようで、約5分程の待ち時間で入ることができました。 席に着き「よろしくお願いしま〜す」かなんか言いながら、今日戦う面子をチラ見します。 この始まる前のドキドキ感が何ともいえません。 (ここから、専門用語出まくりですので、よくわからない方は雰囲気だけお察しください、笑) ボクは西家です。 対面の起親はやたら太った中年風のおじさん、太っちょと呼びます。 南家はなかなかのイケメン、服装もおしゃれです、色男と呼びます。 北家は眼鏡をかけた神経質そうなお兄さんです、メガネと呼びます。 開局早々起親の太っちょが、1フーロしあっさり1000オールを引きあがります。 ボクは配牌は整っていて赤もありましたが、手が進まず起親に出し抜かれた感じです。 続く1本場、中盤にかさにかかった親からリーチの声。 太った腹を揺らしながら力強く牌をつもってゆきます。 こりゃツモるかと思いきや、意を決したように色男から追っかけリーチがかかります。 結局色男が親に12000放銃で決着。 これはいかん、このまま親を走らせると終わってしまいそうです。 2本場、ボクに風の西が対子、序盤に1鳴きです。 ここは、親を止めに行くのみ、ノミ手ながら3フーロしテンパイ。 しかし、肝心の当り牌がなかなか出ません。 そうこうしている内に、親も手が進んでいるようで、脂っこいところが次々出てきます。 限りなく寒い展開になってきました。 軽はずみに前へ出たことを少し後悔します。ここで親に振り込めば最悪の展開になってしまいます。 するとラッキーにも親の太っちょから当り牌がこぼれます。 「あいたー」と大げさに太っちょ。 こちらの手が安いので、多分大きい手が入っていたか、何かミスをしたかどちらかでしょう。 今思えば結局この局が、勝負の明暗でした。 続く東2局、イーペイコウにドラと赤を絡めて、8000点の闇テン。 なんと、トップ目の太っちょから出あがり。 迎えた親は、面白いように牌が集まり3連荘。 南場で色男を飛ばし、5万点越えのトップ。 きっと東2局で太っちょに振り込んでいれば、その後はボクが地獄を見ていたことでしょう。 太っちょのミスに救われたのか、いずれにしろ紙一重のところでした。 ここら辺が、勝負の綾の面白いところです。 次の半荘はメガネがトップで、ボクは何とか2着に食い下がり。 その後も、最初の勢いの貯金でなんとか形にし、半荘7回打って、1着3回、2着1回、3着2回、4着1回という結果でまとめる事が出来ました。 ブランク明けの緒戦としてはまずまずの結果でした。 でもやはり、回数的にはこの辺が限界のようです。 最後の方は、もうグダグダになりかかってました。 20代のころ、平気でテツマンして次の日は競馬場へ入り浸っていたあの体力を望むのはもう無理のようです。 とりあえず久しぶりの麻雀を堪能し、戦果も上々でいい気分で家路につきましたとさ(笑)
今日の競馬は時間がないので買い目だけ。 オールカマー ◎トウショウシロコ ○マンハッタンスカイ ▲ドリームジャーニー 三連複フォーメイション13−6、9−1、2、3、6、9、15 三連単ボックス 6、9、13 神戸新聞杯 ◎トライアンフマーチ 馬連2、4、5、8、13、14へ それでは皆様良い馬券を、、、。
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夕日に向かって博て
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みなさんこんにちは。 今回の「夕日に向かって博て」は、競馬場が今よりずっと胡散臭く、危ない雰囲気が漂っていた頃のお話です。 特定の誰の話と言う訳ではありませんが、その昔競馬場に巣食っていた、多くのイタい人達のオマージュとして書いてみました。 今の競馬は健全なレジャー産業としての地位を確立していて、競馬場には若い女の子なんかでも普通に遊びに行ける感じになっています。 ところがボクが競馬に通っていた昭和の終わり頃は、競馬場は鉄火場然としたたたずまいを残しており、若い女の子なんかが連れだって行ける雰囲気ではありませんでした。 女の人といえば、うらぶれたオバサンか、いかにもお水系オーラを発散している女の人がたまにいる程度で、それはもう怪しい人が普通に徘徊しているような場所でした。 特に川崎競馬場なんぞは、雨が降ると、現場が中止になった労務関係の人たちが大挙して押しかけ、本当にデンジャラスな空気が充満しておりました。 で、競馬場と言えば付きものは、予想屋さんです。 最近の競馬ファンの皆さんにはあんまり馴染みがないかもしれませんので、少し説明しておきましょう。 一口に予想屋さんといっていも、いろいろなバリエーションがありまして、いわゆる競馬場公認の予想屋さんから、インチキの出目本売りやゆすりたかりの類まで様々です。 以前このコーナーに登場頂いたヒゲオヤジさんなんぞは、騙されて1冊5万もするようなインチキ出目本を買わされ、「これは凄い本だぞ、これさえあれば馬券なんかいくらでも当たる」と散々自慢してました。 もちろんそんなもので当たる訳もなく、いつしかヒゲオヤジもその本の話をしなくなり、皆も気の毒でその話には触れないように気を使ったものです。 なんて優しい人達でしょう(笑) そういった詐欺まがいの者とは別に、競馬場公認の予想屋さんという人達がおりました。 競馬場や場外馬券場に露天を出して、1レースの予想を100円ぐらいで売って生業としておりました。 ボクはその手の予想を買う趣味はなかったのですが、その口上がまた面白い。 ガマの油売りでもありませんが、日本の露天商の伝統文化を継承したと言っていいような絶妙な語り口。 レース展開の予想から、血統の話、騎手の駆け引きや裏話のたぐいまで、ホントに面白おかしく語ります。 その口上を聞くのが楽しくて競馬場へ行っていた時期すらありました。 ボクのひいきの予想屋さんの露店は、迫真の口上が売りで常に人だかり。ひとつ前のレースが当たったりすると次のレースの予想が飛ぶように売れたものでした。 ところがスランプだったのでしょうか、ある日を境に予想が見事なほどに当たらなくなりました。 彼の予想はことごとく裏目で、稀に当たったりするとガチガチの本命馬券だったりして、そんな状況がしばらく続きました。 口上ではもちろん実際の買い目はいいませんが、サービスでこの人気馬だけは絶対いらないなんてことも言ったりするのですが、そんな時に限っていらないといった馬が圧勝したり。 すると、それまでの人だかりは櫛のはが抜けるようにいなくなり、しまいには明らかにサクラとおぼしき人が2,3人不自然に合いの手を入れながら聞いているだけになってしましました。 それまでの絶妙の口上も、いつしかキレがなくなり、人が落ち目になるというのはこういう事かと、ちょっと人生の機微を目の当たりにしてしまったオブ青年だったのでした。 そして時代は平成に移り、1頭の名馬が競馬場の風景を変えてしまう事になるのです。 そうオグリキャップです。 オグリキャップは、常に自分の走るレースをドラマにしてしまうといったような稀有な才能(運命?)をもった馬でした。 それまで競馬のケの字も知らなかった人達まで、オグリキャップについてアツく語るようになりました。 時を同じくして、若手騎手たちの台頭がありました 武豊を始めとして、松永、藤田、岸、岡(故人)、四位など綺羅星のように、二十歳ちょっとぐらいの若手騎手たちが活躍しました。 今で言うイケメンたちです。 それまで、10年乗って1人前と言われた騎手の世界でしたが、競馬学校を出てすぐのアンちゃんが普通に重賞を勝つようになりました。 競馬場にはオグリキャップや武豊等の若手騎手を応援するファンが詰めかけ、いわゆる競馬オヤジや胡散臭い人達は、次第に競馬場の隅に追いやられるようになりました。 もう久しく東京を離れているのでよくわかりませんが、ボクの好きだった予想屋さんも、もうなくなってしまったでしょうか。 あのいかがわしくもエネルギッシュな世界は、屈託のないレジャーランドになってしまいました。 もちろん今の健全なクラブ競馬とやらを否定する気は微塵もありません。 でも、なにかあの頃の鉄火場然とした競馬場やその周辺に巣食っていた人達を、ふと懐かしく思ってしまうオブの独り言でした。
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「夕日に向かって博て」第2弾です。 前回お話ししたように、ボクは学生の頃、パチンコ屋さんでバイトをしていたことがありました。 その頃のパチンコ屋さんは、ホントに儲かっていたようです。 ボクがバイトを始めた数年前、パチンコ業界にある革命的な出来事がありました。 いわゆるフィーバー台の登場です。 それまでのパチンコというのは、ハネものと呼ばれ、バリエーションはいろいろありましたが、基本的には球がチューリップと呼ばれる穴に入ると玉が沢山出るというスタイルでした。 それが、1980年あたりでしょうか、パチンコ台にスロットマシンのような数字の回転盤がつけられ、7が3つ揃うと爆発的に玉が出るというフィーバー台というのが現れたのです。 それがハネものでちまちま長い時間をかけてやっていたものが、一発勝負で大量の出玉が期待できるギャンブル性のか高いものに変身し、多くの人が熱狂しお金をつぎ込んでいったのです。 パチンコ業界は空前の大ブームを迎えました。 こつこつとお金をためて年金暮らしをしていた老人が貯金を全部つぎ込んでしまったとか、7が3つ揃った時、ショックで心臓発作を起こし救急車で運ばれたとか、社会問題としていろいろなところで報じられたものでした。 ボクがバイトを始めた頃は、その熱狂的な状況からは幾分落ち着いてきた頃ではありましたが、まだまだ盛況な状態は続いていました。 バイトをしながらフロアーで見ていても、ホントにこの人どっからお金持ってくるのかいなと思うほどお金を使っている人たちも少なくありませんでした。 当然店は大儲けです。 ボクたちがバイトをしていると、社長さんが夕方の決まった時間にアタッシュケースを持って事務所に現れます。 ある日、ボクが偶然事務所に入って見てしまったのは、そのアタッシュケースに金庫から札束をざくっざくっと入れている社長の姿でした。
それだけ、皆さんお金をすっていたと言う事でしょう。 正直、こういう状況を見ていると、パチンコをしようと言う気が失せます。 それまで、多少なりともパチンコもたしなんでいたボクですが、この頃から今に至るまでどうしてもパチンコだけはする気になれません。 前置きが長くなりましたが、今回はその社長さんの話です。 この社長さんの親と言うのが会社をいくつも経営していて、稀に店にも現れるのですが、社員の人たちの過剰な緊張感からも、いわゆるヤバイ系の人なのだろうなというのはうかがえました。 で、息子の社長さんは、いわゆるボンボン育ちの鷹揚さみたいなものがある人で、何かと言うと、「オレは、今まで片手に余るほどの会社を倒産させてきたんだ」と良くわからない自慢をする人でした。 パチンコ屋さんと言うこともあり、従業員は前に紹介したヒゲオヤジはじめギャンブル好きな人が多く、週末になると競馬談義に花がさいたりします。 社長さん自身はあまりギャンブルはしなかったようなのですが、ある日ボクたちが楽しそうに競馬の話をするのを聞いていて、、、。 社長「今日はなんか大きいレースあるのか」 オブ「はい、今日は日本ダービーです」 社長「オレもひとつ買ってみるか、ちょっと事務所来て」 事務所へついていくと、分厚い財布から1万円を出して、こちらに放ってよこします。 社長「一番つくとこね」 オブ「はあ、、、、?」 社長「だから、一番つくとこだよ」
一応近くの場外馬券場で、なんかのぞろ目を買った記憶が有ります、まだ枠連の時代です。 当然そんなの来るわけありません。 レースが終わり夕方社長が現れた時、ハズレ馬券を渡そうとすると、すっかり忘れていたようで、ハズレだったと話しても、「あっそう」かなんか言いながら興味もなさそうで馬券を確認しようともしません。 その後も大きなレースがあると、社長は1万円で一番つくとこ馬券を従業員に頼むようになりました。 大きなレースがある日は、みんな社長前でわざと競馬の話をし、社長の「あっ、ちょっと事務所に来て」の言葉を待つようになりました。 馬券を頼まれた人は、馬券を買わずにそのお金をお小遣いにしてしまったのは、言うまでもありません。 結局当たったことなど1度もありませんでした。 まさにロクデナシの集まりです、もちろんボクを含めてですが、、、。 そんな社長ですが、その後回転すしやを始めては潰し、バブルに便乗しようとして不動産会社を始めたとたんにバブルがはじけ、その会社も危うくなったという風の噂を聞いたりしました。 いまも元気で気前よく会社を傾かせ続けているのでしょうか。
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新しい書庫をつくってみました。 その名も「夕日に向かって博て」(イタイ人々改題) ボクは若いころ、競馬始めいろいろな賭けごとをしてきました。 その周辺には、壊れ気味のホントにいろんなイタい人達が沢山いました。 ここで、そのあたりの人目をはばかるような人達を紹介し、その頃の競馬始めギャンブル一般の事情なども語ってしてしまおうと言う企画です。 まず1発目は、ボクが競馬を始めるきっかけになった或るおっさんのハナシです。 ボクは、学生の頃パチンコ屋さんでバイトをしていた事がありました。 そのパチンコ屋さんの従業員で、無類のギャンブル好きのおっさんがいました。ここではヒゲオヤジと呼ぶ事にしましょう。 当時、ゲーム賭博というのが社会問題になるほどはやっていました。 見た目はゲームセンターなのですが、ゲームで勝てばポイントがクレジットされ、後で換金できるというもので、まあ、ゲーセン風カジノみたいなところでした。 もちろん非合法です。そのしばらく後に一斉に取り締まりを受け、いまでは姿をみるとこはありません。 バブルに咲いたアダ花の一つでしょうか。 そのヒゲオヤジ、お給料をもらった日の夕方にゲーム賭博のお店に入り、次の日は仕事が休みで、ほとんどまる一日24時間打ち続け、翌日の夕方そのお店から出てきた時には、お給料袋に小銭しか残っていなかったというツワモノです。 ギャンブルは好きでも博才はほぼ無いといっていいおっさんでした。 そのころ競馬界では、ミスターシービーという馬が一世を風靡していました。 シンザン以来20年ぶりに3冠を制覇するという偉業をなしとげ、怪物と呼ばれ、まさに我が世の春を謳歌しておりました。 そしてそのレースぶりは、道中は最後方からポツンとついて行き、三コーナーあたりからまくりあげ、直線では並ぶ間もなくまとめて全馬ごぼう抜きというド派手なパフォーマンス。 はらはらドキドキのレース展開にみんな酔いしれていました。 でそのヒゲオヤジは、大のミスターシービーのファン、というよりもう信者といっていいほどでした。 その頃のボクは、まだ馬券を買ってはいませんでした。 ヒゲオヤジがあんまり「今日はいくら負けた」というよな話ばかりするので、なんとなく競馬は儲からないという意識が根付いてしまい、敬遠していた時期でした。 それでも、ヒゲオヤジの影響で、大きなレースはほとんどテレビでチェックし、するとはなしにミスターシービーを応援するようにもなっていました。 ところが、ミスターシービーの一歳下に、これまた凄い馬が現れたのです。 シンボリルドルフというお馬さんです。 ミスターシービーに続き、2年連続で3冠制覇を成し遂げてしまったのです。 好位から抜け出す見ていて危なげないレースぶりが持ち味で、ミスターシービーとは真逆の優等生を絵に描いたようなキャラ。 主戦の岡部騎手をして「あんまり強すぎて可愛げがないんだよなー」といわしめた、まさにパーフェクトな才能を感じさせる馬でした。 ミスターシービーは天才、シンボリルドルフはエリートと呼ばれたものでした。 もちろんヒゲオヤジはシンボリルドルフは大嫌い。 ヒゲオヤジは、風采のあがらない自分の境遇からエリート然としたシンボリルドルフには嫌悪感があったようで、一方の破天荒なミスターシービーには、そんな自分をどこか別の世界へ連れて行ってくれる救世主の姿を重ね合わせていたかのようでもありました。 そしてその両雄がはじめて激突したのが、海外の強豪馬を招いて行われるジャパンカップ。 当時ジャパンカップを勝った日本馬はいなく、現在よりもずっと敷居のたかいレースとして位置づけられていた頃です。 下馬評では、シンボリルドルフの方が強いかも知れないが、ジャパンカップを勝てるのは規格外の破壊力をもつミスターシービーではないか、というような事がよく言われていました。 そして結果は、伏兵の日本馬カツラギエースが勝ち、シンボリルドルフは3着に惜敗、ミスターシービーは見せ場もなく10着に敗退していました。 ヒゲオヤジのしょげようは、見ていて気の毒な程でした。 その年の暮、有馬記念で両雄が再度激突することになりました。 ヒゲオヤジは言います。 あんな海外馬と一緒に走るジャパンカップなんていうレースはノーカウントだと、まともなレースならミスターシービーが負けるはずがないと。 そして迎えた有馬記念。 頭に血が上っているヒゲオヤジは、もうびっくりするぐらいの金額を、ミスターシービー賭けていました。 全部は見せてくれませんでしたが、チラッと観ただけでもユニット馬券には10万単位の金額が刻まれていました。 ヒゲオヤジ、バイト仲間数名とともに、新宿の場外馬券場で固唾をのんでレースを見守ります。 そして結果は、、、。 シンボリルドルフの完勝、ミスターシービーは3着に敗れていました。 場外馬券場の人ごみの中に、呆然と立ち尽くすヒゲオヤジ。 ボクはその時、大の大人が、公衆の面前で人目もはばからず号泣するのを初めて見ました。 後でヒゲオヤジは、大金を失ったことより、ミスターシービーが完膚無きまでにねじ伏せられたのが悔しかったのだ、とのたまっておりました。 どうしようもないロクデナシです(笑) その後この両雄は天皇賞でもう一度対戦しますが、やはりミスターシービーはシンボリルドルフには勝てませんでした。 そしてボクも、競馬の織りなすいろいろなドラマのとりこになり、いつしか馬券も買うようになっていました。 ただ、身の丈に合わないような勝負をすることはありませんでした。 長く競馬をしていると、そんな誘惑にとりつかれるとこも無くもありませんが、そんな時は決まって、ヒゲオヤジの号泣している姿が思い出され、思いとどまることができたのです。 その後もヒゲオヤジはギャンブルを続け、そして負け続けました。 一時は危ない筋のお金を焦げ付かせたようで、顔中青タンだらけにしてボクのアパートに転がり込んできて、しばしかくまっていたこともありました。 そのあと音信不通になってしまいましたが、果たして今でも達者にしてるのやら、、、。
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