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経過報告、とても長いので簡略版を。
1月に仕事中、激しい目眩で倒れて救急搬送。
各種の検査を受けるが異常が無く、原因不明の一過性の目眩と耳鼻科にて診断される。
2月
その後、軽い過呼吸が起きたので、念のために心療内科を受診。
ストレス性の目眩の可能性が高いと診断され、二月末まで休む。
医師からは、倒れた時の状況を考えて、3ヶ月は配達業務への復帰はしないようにとも診断される。
3月
仕事に復帰するも、部長に配達以外は仕事が無いと言われる。
話し合いの中で、内勤が可能な事業所があるとの事で異動する。
異動するも、復帰翌週からの配達復帰を強要される。
産業医、主治医とも、一定期間のリハビリ勤務が必要と診断するが、医師の診断を無視して、強引に本人合意での配達復帰を強要されて病状が悪化。
4月より再び自宅での療養生活となる。
なお、団交における労組への説明と、私個人に対する説明も異なり、現在は通院による自宅療養を行いながら、労組に復職に関しての交渉を委任中。
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経緯報告
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経過報告の続きです、
3月5日、家内の実家に帰省中、携帯に本社総務より連絡が入る。
7日(月)は、本社のほうに出勤して欲しい旨を伝えられる。
7日に本社へ出勤すると、総務部長と総務担当者の2名と面談。
10日に産業医の予約が取れたので受診するようにと言われ、それまでは内勤の仕事を作る事が難しいので休んでくれるとありがたいと。主治医の診断は「3ヶ月の内勤が望ましいだが、あくまでも望ましいであり判断するのは、こちら側だ。」とも言われる。また「体調によっては、1ヶ月とか1ヵ月半で配達にも戻ってもらう。」と。
医師から普段の生活での運転は、神経質になり過ぎると逆に良くないので、極力普段通りにする事を言われたいたので、その指示に従ったが、職場の同僚に理解を得られないで辛い旨を話すと、「普段運転ができて、配達の運転が出来ないなんて、おかしいと思うのは当たり前だと。」一喝される。
何を言っても無駄だと思い、有休で休む事を承諾して帰宅。
10日に産業医の診断を受ける、保健士の方も同席。
「肉体的には問題ないが、倒れた状況もあり、メンタル面かみて現状での配達復帰は難しいと判断する。」との事だった。運転に関しての生協の労務管理について話すと「そこは生協の労務管理の問題なんだよね。」と。
翌、11日の朝、夕方に本社に来るように連絡が来る。
産業医の診断から肉体的な問題ではなく、メンタル面の問題あるとの話がされ、配達が出来るようになるまで休むか、人員不足になっている事業所への異動を行うかの選択を告げられる。
人員不足の事業所では、倉庫の作業などの業務があり、そこで1ヶ月か1ヶ月半の内勤の後、配達業務に復帰して欲しいとの提示だった。
考える時間が欲しいと伝え、帰宅。
帰宅後に家内と相談、気分転換に出掛ける事を勧められて、好きな船に乗りに行く。
震災時は船上に、降りると船は沖に退避。そのまま降りた港の近くの避難所で一夜を過ごす。
翌日に何とか帰宅、家内や労組の仲間と相談し、異動を受け入れる事を決める。
14日
震災の影響もあり、最寄りの事業所に必要なら出勤すると、本社に連絡。状況が把握できていないので、必要なら連絡を入れるとの事。
夕方再度連絡を入れ、異動を受諾する旨を伝える。
15日
本社へ来るように連絡が来る、夕方に本社へ。
復帰に際しての確認が行われる、1ヶ月後に配達復帰で話が進められる、内心は納得できないが状況も考えて承諾。前の事業所のデスクやロッカーの片付けもしたいのと、週末18日(金)主治医の診察予約があるので、翌週の21日(月)からの復帰にして欲しいと話し、承諾を得る。
すると突然「来週は倉庫を中心とした業務で、来週からは徐々に配達にも復帰してもらう。」と、答えに詰まっていると合意事項にされていた。
帰宅後に労組メンバーに連絡、翌週は内勤が確保されているので出勤したほうが良いとの事。その後に関しては早急に生協に協議を申し入れるとの事を確認。
これからどうなるのか、不安は大きくなるばかりの状況が。
18日
主治医の診察日、「このまま休んでも、復帰しても、不安は変わらないから、ともかく復帰しましょう。」との診断が出る。
21日
前日から不安に潰されそうな状況を我慢して出勤、事業所によりやり方が違う中で、また震災の影響で普段とは違う雰囲気の中で、ともかく与えられた仕事を行った。長期で休んだ後の身体には、肉体労働は辛かった。
夕方、あと少しと思った時に、本社の総務担当と、新しい事業所の責任者2名の3人を相手に、今後の話し合いが行われる。初日で疲れているのに・・・。
話し合いの席上、翌週からの配達復帰が本人との合意事項として扱われていた。労組から協議の申し入れが行っている事を確認すると、協議の申し入れが来ている事は認めた上で、それでも本人合意として配達復帰を迫ってくる総務と事業所の責任者の1人。
唯一の救いは、事業所の責任者の1人が私の状況も理解してくれ、中立の立場を崩さずに対応してくれた事だった。
もう1人の責任者は「早々に配達に復帰できないのなら、事業所への受け入れの前提が違うから、うちの事業所ではいらない。」とまで言われた。
あくまで労組の協議でと態度を固辞し続けて約2時間、ともかく疲れた。
23日
夜、団体交渉。疲労が激しく、労組のメンバーに委ねる。
団交後に委員長より連絡あり、今後の事も話し合いたいので土曜日に会う事になる。
26日
何とか復帰の1週間を前日に終え、この日は労組メンバー3人との話し合い。
生協側は、本人が合意事項を覆したという態度を変えなかったとの。ただ翌週に関しては内勤を継続させる事を確認したとの事だった。職種変更も含めた対応が出来ないかを、次回の交渉で求める事を確認。
28日
復帰2週目の出勤、配達に行けない状況の自分を見る目が怖い。
シフト表には、自分が配達に復帰するように組まれていたのを変更したのが分かる。より辛くなる。
週末の1日は診察の日で休みを取っているので、4日間を何とか乗り切ろうと自分に言い聞かせる。
30日に、次回の団交が行われるとの連絡が入る。
30日
深夜に連絡が、本人合意の件に関しては譲る事なく・・・。
ただ、今回の復帰プランが失敗であった事は認め、新たなプランを医師に診断に沿って行う旨の提案はあったとの事。仕切り直しのためにも、再度休む方法もあるのではないかとの案が労使双方から出たとの事。
職種変更は将来的にはあるかも知れないが、現状では考えていないとの事。
1日
主治医との診断日、経過を話すと医師からも休む事を勧められる。
4月4日から5月3日まで自宅療養が必要との診断書が書かれ、また自宅での療養生活が始まった。
以上が、前回の経過整理後の出来事です。
ちなみに、産業医にも確認しましたが、「リハビリを兼ねた軽作業からの復帰が望ましい。」との診断で、翌週から配達復帰が可能と言う診断はしていないと言う事でした。
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自分の頭の整理と、初めて訪問頂いた方の為に、現状を簡単に整理しようかと。
昨年9月上旬、
家内が「もう大丈夫みたいだから、診察は年内で終了だね。」と心療内科の先生から言われたと、笑顔で話す。
とてもホッとする。出会ってから10年あまり、郷の病院から続いていた通院が終わる目途がついた。
この2年余りは、状態の報告だけの診察が二カ月に一度程度あっただけ。当然、服薬もなかった。
同、9月下旬
夕方、これから帰る旨のメールを入れる。すると「調子が悪くて、仕事も散々だった」との返信が。
何が起きているのかも分からず、帰宅すると明らかに様子がおかしい。
担当医の先生は別の病院(同系列の)も兼務しているので、週の後半まで診察は受けられない。本人も別の先生は嫌だと。とりあえず落ち着かせ、夕食の支度を行う。
家内は病院に連絡、3日後の診察予約が取れてホッとした様子。
診察日、休みが取れず、診察は家内1人で。
帰宅後、「薬が処方された」と落ち込んだ様子で。
10月初旬〜
ある夜、入浴から中々出てこないので気になり声をかけると、結婚後はする事の無かったリストカット(自傷行為)をしてしまったと。
表情が違う、ともかく落ち着かせて消毒等の処置を行い、直属の上司に連絡を入れて翌日は出勤できないかもしれない旨の事情を話し、翌日は仕事を休んで様子を見る。
家内の職場の人たちは病気に理解があり、その日受け持つ担当を代わってくれたりして、家内に負担が少ない様に配慮をしてくれる。そんな配慮がありがたく、家内の仕事の出来はともかくとして、出勤の日は日中見ていてくれる人がいるので、自分も安心して仕事に行ける。
自傷行為はその後も数回行った、帰宅の連絡を入れると「切った」みたいな返事が来る事もある。
叱れば逆効果の可能性も高く、ともかく処置をさせて落ち着かせる。家事は殆んど出来ない状態が続く。
急に涙を流したり、一日寝ていたり、異常に食べたり・・・。
薬の種類は増える、私も家内の状態によって定時での帰宅や、通院への付き添いなどで急な休暇や残業が出来ない日が増える。
感情の波が大きい日が続く、表情が別人の様に見える時も。
出会った頃に家内にいた数人の人格状態(俗に言う多重人格)を思い出す、ただ刺激をすると逆効果の場合もあるので、心配だがこの事に触れる事は出来ない。綱渡りのような毎日が続く。
薬が効いてきたのか、徐々に落ち着いた日も少しずつ増えて来る。
12月下旬
口頭では伝えてあったが、急に休んだり、残業が出来ない状態が頻繁に発生するため、家内の状態の証明の意味も含めて任意ではあったが、家内の診断書を主治医に書いてもらい、私の職場の上司に提出する。
病名は「躁うつ病」だった。
本年、1月初旬
帰宅後に夕食を作るが、家内は殆んど食べられない。熱を測ると37度台後半、ともかく寝かせる。
リンゴをすりおろしてガーゼで絞ったジュースを作り飲ませる。
夜10時過ぎ、家内の唸るような声が気になり再度検温、39度台に。
ネットで夜間救急病院を調べて連れて行く、インフルエンザと判明。処置が早かったのか、翌日には熱が下がる。ただ関節の痛みや倦怠感は一週間程度残った様子。
翌週の1月中旬の金曜日
配達業務中の13時半ごろに、荷台にておろす荷の準備をしていると、突然右の耳奥に違和感を感じる。次の瞬間立っていられなくなる。ともかく腰を降ろして様子を見るが回復の様子はない。
何とか運転席に行き職場に電話、救援要請を行う。
目を開けると右にグルグルと回って見える状態で目が開けられない、血の気が引いて行く、脂汗が出て来る、吐き気も襲ってくる。約一時間後に同僚が到着、救急車を呼んでもらい救急搬送される。
CT検査の結果、脳の可能性は低く耳からではないかとの事。ただCTは出血には強いが、梗塞には弱い面もあるので今後の状態でMRIの必要があるかも知れないとの診断。
点滴により、目眩と吐き気も収まり、念のために処方された目眩の薬を受け取り、病院に駆け付けた上司と共に帰宅する。
翌日に救急で紹介された耳鼻科を受診、検査の予約を入れる。
過去に2度、突発性難聴で通院していた事もあり、最近は両耳の閉塞感や耳鳴りが断続的に続いていた。
医者からは運転に問題ないと言われていたので車で行くが、流れる景色に対しての感覚に違和感が。
翌々日の月曜日、気になっていた仕事があったので出勤し同僚に経緯を話し、検査で原因が分かるまでは配達を避ける旨の事情を話す。
気になっていた仕事を終わらせるが、パソコンのキーボードを打つのに何か感覚がおかしい、念のために午後から帰宅する。上司と相談し、この週は休む事にする。
翌週の月曜日に目眩の検査を受けるが、担当医のシフトの関係で結果が分かるのは金曜日。
同僚に申しわけなく思い翌日から出勤するも、上司とも相談し検査の結果が出るまでは配達には出ないほうが良いだろうとの判断になる。
夜、実家の父から電話が。脳の病で長く療養していた2歳違いの従兄弟が亡くなったとの事、弔電を打つ。
木曜日の朝、ある同僚から突然に「自分の仕事に対して責任感が無い、他のメンバーに配達を頼んでおいて配慮が無い。」と怒られる。仕事内容に関しては、上司の指示で行っていたのに。
ショックもあったのか軽い目まいを感じ、昼にて帰宅。
翌日に検査の結果を聞くが、一過性の目眩で問題ないとの事。ただ年齢等の事もあり、脳ドックの意味も込めてMRIを受ける事にし予約。
本来なら、目眩が一過性で脳にも問題がない診断が出てホッとする筈なのに、急な不安感と軽い過呼吸が起きる。仕事に対する不安感は大きくなるばかりで、労組のメンバーに相談すると、無理して出勤しないで専門医の診断を受けたほうが良いとのアドバイスを受ける。
上司に連絡を入れ、休む旨の承諾を得る。
家内が通院している病院が評判も良く、家内の病気も分かっているので予約を入れる。
ただ、新患の予約が取れたのは10日後だった。
診断の結果はストレスによる事だろうと言う事で、2月末までの休養を要すと言う診断をうけ自宅での休養に入る。
休養により回復し3月1日より復帰するも、「3ヶ月は内勤からの復帰が望ましい」という医師の指示がネックとなり、再び自宅での待機の様な休暇を指示される。
ちなみに家内は薬が効いてきたためもあるのか、安定した日も多くなってきています。今年に入ってからは自傷行為も殆んど無くなりました。別人格については同じ医師が担当している事もあり、私の診察の時に聞いたところ、「一度統合した人格がまた別れると言う心配は無いでしょう」と言われてホッと一安心です。
ただ「万が一、残った人格がまだ奥底に隠れている事もあるので、刺激しなかった事は正しい判断でしたね。」とも言われました。
長々との再記述、読んでいただいた方には申しわけないです。
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