|
(昨日2011年1月19日の記事の続きです)
家庭崩壊、不登校・ひきこもり・自傷行為・・・
震災の年の夏、はるかさんが亡くなった場所に一輪の大きな「ひまわり」が咲きました。それは、生前に彼女が可愛がっていた隣の家のオウムの餌だった「ひまわり」の種から咲いた花でした。その後、、その場所にたくさんの「ひまわり」が咲きました。地域の人達は、その花の種を集め、それを「はるかのひまわり」と名付けて毎年、絶えることなく植え続けています。
「はるかのひまわり」は、お姉さんにたくさんの出会いを作ってくれました。
同じ震災を経験した人達の中で、自然と肩の力が抜け、お姉さんも当たり前に泣くことができるようになりました。みんな、抱えきれないくらいの悲しみを抱えながら、少しでも明るく生きようとしている。自分ひとりだけが悲しくてつらいんじゃない。そう思えるようになったということです。 お姉さんは「1.17希望の灯り」というボランティアグループで、震災を通じて命の大切さを伝えていく活動をされています。「目に見える神戸の街は元気を取り戻したように見えるけど『まだまだ心に悲しみを抱えている人達がいる』ということを忘れないで」
震災を語ることはお姉さんにとって、妹の死をしっかり受け止め、お姉さん自身が前を向いて生きて行くために大切な事なのだそうです。失った人は戻ってこないけど 「ちゃんと一生懸命生きたよ」 そう伝える事ができるのは残された者にしかできないのだから・・・ 小学生の時以来会っていないけど、もう大人になっているはずだった妹「はるか」さんに「たくさんの出会いをありがとう」と言いたいということです。 ------------------------------------------------------------------
このはるかさん・いつかさんのお母さん、加藤満子さんが昨日、はるかさん17回忌の翌日、天国へ召されました。
天災の被災遺族というものは加害者のような他者を責めるということができず、「自分があゝしていればよかった」というような自責の念が大きく大変に苦しいものだそうです。
天国で、はるかさんと安らかなときを過ごしてほしいと思います。
絵本を紹介します あの日をわすれない はるかのひまわり (PHPにこにこえほん)
東遊園地の「阪神淡路大震災1.17のつどい」で募金したらくれたひまわりの種は、このはるかのひまわりでした。
|
ない
[ リスト | 詳細 ]
|
15年の節目にあたった昨年は日曜日だったので、早朝の東遊園地で家族で献灯・黙祷することができました。ボクらは普段大阪で暮らしていますが、本籍は神戸市長田区に残してある、そんな家族です。地震を知らない小学生の娘と献灯しているところがNHKの昼のニュースで放映され驚きました。語り継いで行く姿として映ったのでしょう。
今年は平日なので一人で午後5:46の黙祷に行くことにしました。 あの日も今年と同じく週明けでした。被災当事者ならば、このことを覚えている人が多いと思います。 ゆったりとした休日の時間の流れから、慌しい平日が始まろうとしている、そんな時でした。そのとき、自分は何をしていたか、何をしようとしていた日だったのか、被災者は忘れられないのです。 暗かった。街中の電気が消えて、暗かった。夜明け前だったのですね。 寒かったはずだけど、すぐには感じられませんでした。全部夢だと思いました。現実なのに受け入れられなかったのです。 そんなボケたヤツは自分で生きられない、死んでいてもおかしくなかったと思います。なのに何をどうまちがったのか、ボクは生かされました。 翌日以降、被災地へ向かう人は皆、何かしら荷物を背負って歩いていました。冬が終わり、春になってもそうでした。 大阪駅では、東へ向かう人と西の被災地へ向かう人とでは、まるで先進国と昔の途上国ほど服装に差がありました。逆東西格差です。 今年、ボクは灰色の服を着、荷物を背負って東遊園地へ歩くことにしました。 会場に入る前、市役所の1階でトイレを借りました。市役所の建物の中にわざわざ「市民トイレ」という看板が出してあります。じゃあこの市役所、トイレ以外は「市民市役所」じゃないのか?きっと「役人市役所」なのだ。 ともあれ、あのころトイレで苦労したことを思い、感謝して使わせてもらいました。 会場に入り、献灯→記帳→献花→募金→黙祷 をさせてもらいました。行為の一つひとつに胸が震える思いでした。 竹灯篭に入れる杯状のろうそくと、それに火をつける長いろうそくとを、テントでもらい、「1995 1.17」の「5」のところに献灯しました。 別のテントで記帳をすると、茎が1cmだけついた白菊の花を1輪くれました。それを2000年にできた慰霊と復興のモニュメントの池に献花するのです。それからモニュメントの地下に入り、祈りをささげました。 (写真:慰霊と復興のモニュメント地下から見上げる献花の水面)
記帳と献花は神戸市の行事なのですが、竹灯篭はNPOなどの実行委員会によるセレモニーで、経費に見合う収入が必要です。別のテントで募金をするとリーフレットとひまわりの種をくれました。
45分になると会場に時報が流れます。「黙祷」の号令、今朝は無かったようですが、夕方にはありました。この声の主、去年から新しい声になっています。前の実行委員長 梶明氏は2009年に亡くなったのです。黙祷の時間がずいぶん短かったんじゃないかな。今の委員長は、まだ慣れておられないのかな。 出口へ向かう途中、当時を再現した炊き出しが準備されていました。(写真) 別のテントでコーヒーをもらうと、スターバックスでした。暖かく、甘く、おいしかった。沁み渡りました。 水が無いので洗い物ができなかったあのころ、ちゃんとした店でも露店のような使い捨ての器に入ったラーメンや丼しか出せず、それでも湯気の出ているものがいただけることはお金を払ってもありがたいと感じた、そんなことが思い出されました。 |




