今年はじめての投稿です。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
オカリナの詩さんがタイスの瞑想曲をプロの伴奏に合わせられたそうですが、偶然、ボクもこの曲に取り組んでいます。
この曲はどの部分をフォルテで、どの部分をピアノで演奏するか、
また一般にオカリナ演奏とはどのような特徴を持ったものであるか、
の両方をご存知の方には、ボクの演奏はかなり歌っていることがお分かりいただけるかと思います。
こういう歌う演奏を嫌う向きが現在のオカリナ界勢力にはかなり存在されています。
昨年最後の大沢聡先生のレッスンではこの曲を持っていきました。
まず8小節吹いたところで
先生 :はいOK、ストップ。この曲はどんな曲か知っていますか?
(タイスは美貌の娼婦。ある修道士に熱心に説教され、罪深い生き方を改めようかと迷い悩んでいるシーンの曲です。たまたま調べていて良かった。)
先生 :そう、「迷い」を音楽的に表しているのが、たとえばこの5連符です。割り切れない、そういう風に5つの音を演奏しなければならないのに、いなおさんは3つと2つに割り切ってしまっています。(と言って手本を示される)
いなお:(何回やってもできない)
先生 :はい、練習しておいて下さい。続きから
(止まり止まりながら沢山の指摘と指導。たとえば)
先生 :(演奏が続く中で)ここはexpressif、1音1音にもっとヴィブラートをかけて(と言いながらヴァイオリンのヴィブラートの仕草)
などなど。
ひとつわかりました。
大沢先生の音楽とは、一般的なクラシックやジャズの音楽。一般的というのは、特殊ではなく、世界を広く扱うということ。
その中には人生の悩みや苦しみを歌ったものも数多くあります。
従来のオカリナ音楽では、人の苦しみを表現するようなものがほとんど無かったのだと思います。美しい情景や穏やかな心だけを歌ってきたのに違いありません。そういう人がいてもいいと思います。
そういう世界から見れば、悩みや苦しみを表現する音楽など美しくはないのでしょう。
大沢先生の演奏は、オカリナ界の人たちから「うるさい」「音が汚い」「耳につく、鼻につく」などと非難されることが少なくありません。
ボク自身はロックも聞きます、R&Bも歌います。他人から「うるさい」と言われることのある音楽も楽しみます。
そしてボクらは、自分たちのものとは違う音楽の存在も認め、非難したりはしません。
今年も、表面的な綺麗さだけを求めるのではなく、時には人生の苦しみをも歌い、自分自身の心を震わせて他人の心に伝わるような音楽を目指して行きます。