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おはようございます。
ららです。
ほんとに、ずいぶんとごぶさたしていますね。
最後のアップから一体どれだけの月日がたったでしょう。
ららのとしかさもふえました。
実際、写真にはかさがでますが、まだ鏡のほうはそれほどでもないので安心しているというのが本音です。
でもそれは、「まだみれる」というくらいのもので、おんなとしての商品価値とはまたずれたもののみかたでしょう。
つまり、いいかんじでも、としはとしなので、かんじかた、みかたが本人なりに代わってきて、それほどというか、ぜんぜんでも「もぉ、わたしはおおばんなのだ」という、くらいきもちでいっぱいになり、このまま小説書きとしても半人前、
歌手としてもまだ、作曲家としてもまだまだ、というどちらとらずの半端な感じでいることに限界を感じるのです。
顔や身体がましならまだすくわれるのではないかとはおもいます。
でも、実際、年とともに如実に焦燥感が加わってくるのはしかたのないことでしょう。
欲を捨てて、ただ生きることに費やせばいいのではないか。
わたしはがりがり亡者なのではないか。
もっと恵まれない境遇にあっても、健全に生きている人はたくさんいるのではないか。
などといった、かんがえごとが脳裏をかすめます。
でも、どう自分自身を諭しても、どうしても死ぬまでにやりたいことをしたいという、ほかの人にはわからない「欲」があるのです。
これはわがままではないとおもいます。
むしろ、人間としてとうぜんのおもいであるとかんじます。
こんなブログで(失礼)いろいろと書いているららはおろかでしょう。
でも、人とくらべてもしかたがないとはおもっても、同じ年頃の同性が、結婚や出産をしているなか、そのなにひとつとしてできていないららはわれながら気の毒なのです。
「あなたは御自分をあわれむのですか?」
といわれるかもしれません。
じぶんがじぶんをこばかにしはじめたとき、本当の意味でじぶんの人生は終わるのです。
じぶんをおとすのも、また向上させるのも、じぶんによるのです。
じぶんがしっかりとしていれば、結婚しないでも生きていけるのかと聞かれれば、ららは「NO」とコメントします。
ららは愛なしでは生きていけない生き物なのです。
人は愛を知って、本当の人生が始まるのです。
ららもそうで、人と人が出合い恋をして結婚するという生のいとなみに、恋い焦がれるものなのです。
なにより、普通に生きているという満足感を得られることは、人と同じ生き方をして安泰館を得ている同輩にあまりより目ではなかった若いころとは違い、心から尊い価値あることだと思うのです。
人並であるということは、尊いのです。
足並みをそろえるということは、個人の美質を落とすことではないのです。
なぜなら、ららは一人では生きていけない寂しい存在であるからです。
孤独を知っている人間にはわかることがある。
それが、ひととともにいることのよろこびなのです。
にんげんは、隣人に声をかけるべきです。
そして、その緩い結合の中に、いきるよろこびをみつけるべきです。
たくさんかきましたが、これっぽっちだったきもします。
おはずかしながらかえってきました。
ほんとうにららです。
ほかにもブログをもっていて、そちらをメインにしていたのですが、またふたたびもどってきました。
これからしばらく、このブログに居座りますね。
どうぞ、またいらしてください。
さいごまでよんでくださり、ありがとうこざいました。
ららのことをよろしくおねがいします。
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おはよう🎵
元気なんだね
2016/8/27(土) 午前 11:13
おはよう🎵
元気なんだね
2016/8/27(土) 午前 11:13
おはようございます。また同時に、ひさしぶりにお会いしてこうして語り合う場を持てたことを感謝します。
みしゃわさんも元気なのですね。
どうぞ、これからもこのブログをごひいきにお願いいたします。
温かい励ましのみ言葉たまわり、ありがとうぞんじます。
二回もコメントをくださりましたこと、かさねてお礼申し上げます。
またいらしてくださいね。
2016/8/29(月) 午前 11:50 [ rarachan ]