新ららちゃんの窓

幻の山芋歌を探し続けて20年 てんとうむしのかわいらしさを見つけました

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こんばんわ。
ごぶさたしています。
ららです。
今、こうしてブログに帰ってきたららですが、ここのところはテレビばかり見ていました。
最近のテレビはたのしいですよね。
らら的に、親しみを感じ、ことにBSをつけてずっと見ていると、たのしい番組がつぎからつぎへと放送しているので、
気づくとずっと見ているのです。
子供が、幼稚園に入りました。
次の子供がおなかのなかにいます。
今、稚魚くらいなので、ふーちゃんのお絵かきの絵を見て、
「私のベイビーは今、こんなかんじかな、およいでいるのかな。羊水のなかを元気に。しかも、夜になると、不活性になる神経が分泌されるので、私のベイビーは元気がなくなることに不服を言う。」
などと、想像して、とても待てない。
早く生まれてきてちょうだい。
来年になるころにあなたは生まれてくるらしいけど、そんな長い年月、とても待てないのよ。
今すぐに、生まれてきてちょうだい。

そんなことを呻吟し、のたうちまわり、気づくと、不安から、はやくうんでしまおう・・・・・・。と、りきんでいきばることをし、うめない、まだうみおとせない。。。。。。
と、気づき、その、自然の力の前に、「北の国から94」の「おれはなみだがでる。ごろうが、いのちをつなぐために
最善のことをした。そのことを、おまえたちはできるか!!!!!」
というセリフが脳裏に浮かび、
生きていくことの大変さをかみしめる毎日です。
私個人の、まったく私的な、トータルな暮らしの手帳に、公約ということばがみつかりません。
私は、ららという人間であると同時に、飼い犬との暮らし、お菓子作り、園芸、写真。
これらとなかがよく、不和をおこすのはまったく主体的公人ではなく、科挙制による月の麗人という宇宙人と、
「E・T」をしないといけないのか。。。。
スティーブンスピルバーグ監督の「ジョーズ」をはじめとした作品が、ニューヨーク市立大学の映画学科から生じたとかんがえると、監督は感性的ともいえるカリスマ性をもちつつも、確固として、人間の気位の高さがあり、
映画を通して、その人間性があらわれたのだとおもいました。
ららも、主婦として、「まっくろねりの」を卒業し、それなりの安泰と落ち着きを得、一社会人として、おなじことをみなとおなじようにする。。。。。ことがこんなにもうれしいのです。
人並みになり、人の親になり、しあわせをつかみました。
また、同時に、ノーブルさが湧き出てきたのです。
この、同じ服をきたことにより、まさしく、犬への愛情が深まり、情愛において、「べりーとぴゅんにそっくりな犬
をきょうよくよくみました。とてもかわいいです。おおきないぬでうらやましいです。」といった、いい犬への愛情がますますつのり、ますますかわいがり、溺愛し、肉親への強いこがれのおもいがこみあげ、はげしいよくわからないきもちになります。
じぶんとそっくりでいて、ちがうのは、こどもだとおもいます。


わたしは、こどもを愛し、そだて、ともにせいちょうをしていくながで、人生をまい進し、おかもとかのこ、みぃの
芸術は爆発だ。なにわぶしの与謝野晶子。このあいだ、BSで宇野千代の写真を見た。英気を頂戴した。
そんなきもちで、夏をむかえます。



ここのところ、寒い日が続き、秋の日よりともにていました。
オフコースさんの「さよなら」「きみがうそをついた」などが、ぴったりです。
青春が、通り過ぎ、あしもとにせつこがいます。
もぉ幼稚園生だというのに、あかまんまです。
この、狂い咲きの萩は、子供と一緒に咲くことで、命脈をたもつのです。
どうぞ、あと数年でとしおんなとなるこのみのうえのららというおんなを、
おんなのかくブログを
たのしみにきてくださり、さいごまでよんでくださってありがとうですの。
うっすらぱー
ぺるっこらぶりんくるくるりんくる

この世界に意味のあるようでない呪文の世界があることに魔法少女のだいご味をみました。

それでわ。
魔法の妖精ペルシャ
おはようございます。
ららです。
ほんとに、ずいぶんとごぶさたしていますね。
最後のアップから一体どれだけの月日がたったでしょう。
ららのとしかさもふえました。
実際、写真にはかさがでますが、まだ鏡のほうはそれほどでもないので安心しているというのが本音です。
でもそれは、「まだみれる」というくらいのもので、おんなとしての商品価値とはまたずれたもののみかたでしょう。
つまり、いいかんじでも、としはとしなので、かんじかた、みかたが本人なりに代わってきて、それほどというか、ぜんぜんでも「もぉ、わたしはおおばんなのだ」という、くらいきもちでいっぱいになり、このまま小説書きとしても半人前、
歌手としてもまだ、作曲家としてもまだまだ、というどちらとらずの半端な感じでいることに限界を感じるのです。
顔や身体がましならまだすくわれるのではないかとはおもいます。
でも、実際、年とともに如実に焦燥感が加わってくるのはしかたのないことでしょう。
欲を捨てて、ただ生きることに費やせばいいのではないか。
わたしはがりがり亡者なのではないか。
もっと恵まれない境遇にあっても、健全に生きている人はたくさんいるのではないか。
などといった、かんがえごとが脳裏をかすめます。
でも、どう自分自身を諭しても、どうしても死ぬまでにやりたいことをしたいという、ほかの人にはわからない「欲」があるのです。
これはわがままではないとおもいます。
むしろ、人間としてとうぜんのおもいであるとかんじます。
こんなブログで(失礼)いろいろと書いているららはおろかでしょう。
でも、人とくらべてもしかたがないとはおもっても、同じ年頃の同性が、結婚や出産をしているなか、そのなにひとつとしてできていないららはわれながら気の毒なのです。
「あなたは御自分をあわれむのですか?」
といわれるかもしれません。
じぶんがじぶんをこばかにしはじめたとき、本当の意味でじぶんの人生は終わるのです。
じぶんをおとすのも、また向上させるのも、じぶんによるのです。
じぶんがしっかりとしていれば、結婚しないでも生きていけるのかと聞かれれば、ららは「NO」とコメントします。
ららは愛なしでは生きていけない生き物なのです。
人は愛を知って、本当の人生が始まるのです。
ららもそうで、人と人が出合い恋をして結婚するという生のいとなみに、恋い焦がれるものなのです。
なにより、普通に生きているという満足感を得られることは、人と同じ生き方をして安泰館を得ている同輩にあまりより目ではなかった若いころとは違い、心から尊い価値あることだと思うのです。
人並であるということは、尊いのです。
足並みをそろえるということは、個人の美質を落とすことではないのです。
なぜなら、ららは一人では生きていけない寂しい存在であるからです。
孤独を知っている人間にはわかることがある。
それが、ひととともにいることのよろこびなのです。
にんげんは、隣人に声をかけるべきです。
そして、その緩い結合の中に、いきるよろこびをみつけるべきです。

たくさんかきましたが、これっぽっちだったきもします。
おはずかしながらかえってきました。
ほんとうにららです。
ほかにもブログをもっていて、そちらをメインにしていたのですが、またふたたびもどってきました。
これからしばらく、このブログに居座りますね。
どうぞ、またいらしてください。
さいごまでよんでくださり、ありがとうこざいました。
ららのことをよろしくおねがいします。

前の通り

イメージ 1
 
 
らら宅の前の通りを撮影しました。
歩道にユーカリの仲間の木が植えてあります。
冬には赤い実をつけて、その実をめあてにひよどりたちが渡ってきます。
毎年のたのしみです。
秋の気色ばみがしますので、気がせいて冬の話題をもってきてしまいました。
夏のなかに秋がいるのがわかります。
季節が動いていっているのがわかるようです。
今年は高尾山に行こうか。行くまいか、迷っているところです。
去年の秋の高尾山登山以来、山登りはしていません。
品川の水族館にも行ってみたい気がします。
とにかく、遊行日和の季節に一度、外出らしい外出をしたいのですよね。
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
通り沿いの前庭に植えてあるはなみずきの木が紅葉しています。
うっすらと赤く変色しています。
今年の春に剪定したのですが、来年の春、花が咲いてくれるかどうか、まだわかりません。
ブログを作成しているまに、日が昇りきったようです。
朝がやってきました。
 
今日も一日、元気にがんばるぞっと!!
 
こんばんわ。
たった今まで、ずっと勉強していました。
体系だった勉強によって単位数の換算などが楽になり、後期の科目申請も決定しました。
卒業のめどもつきました。
来学期は、スペイン語、フランス語、英語の三カ国の言語を学んでみたいと思っています。
ちゃんと教科書以外の教材もこなして、しっかりと吸収したいな!!
あと、スクーリングは多めにとります。
多目といっても、五科目ほどです。
もう少し、がんばって、増やすことになるかもしれません。
多摩、埼玉、文京、足立、千葉の関東一帯の学習センターに顔を出すこととなりそうです。
試験科目数は実質、四科目。
たいへんといえば、たいへんでしょうけど、らくちんといえばらくちんです。
とにかく、勉強すればかえってきます。
それなりのものでも、「やった甲斐」があるというものです。
試験に合格して、単位を取得する以外にも勉強のかたちはあるとおもいます。
つまり、試験のお帽子以外ののかたち、たとえば、レポートとか、ゼミとか、独自の学習とかです。
そういう付加が加わって、にんげんとなっていくのだとおもいます。
そうかんがえると、無駄な経験はひとつとしてないようなきがしてきます。
どんな経験であっても、それはきっといつかなんらかのかたちとなって花開くきっかけとなる。
つらいめにあったおかげで、闘志のみなぎる情熱を知ったとかです。
なかでもとりわけ、恋愛はいいなとおもいます。
ひとりより、ふたりのほうがいいです。
ときには、ひとりもいいけど、やっぱり、ふたりでいられるというのはいいですよね。
自分の達成できなかったかたわれの夢を、異性の恋人にたくすという生きゆく知恵も指南たまわりました。
なんでもひとりでこなすことはある意味、達成感を感受できると同時に孤独です。
このつりあいというか、バランスを吟味したいと思っています。
 
夜がふけてまいりました。
丑三つ時。
星がとても美しいです。
いつか、あまのがわを裸眼でみてみたい。
そのひがきっとやってくるとしんじています。
 
 
イメージ 1
 
おおみや市民ホール
「あみさげの少女」

今日のおもい

イメージ 1
 
 
今日、駅前に出向く機会がありました。
ここしばらくのあいだ、駅前商店街をメインに機祭りが開かれていたようです。
ららも回覧板のちらしで知ってはいたのですが、毎年のことだったので、さすがに慣れ親しみすぎ、足を運ぶこともありませんでした。
でも、行ってよかったです。
ちらりと見ただけでしたが、地域の伝統が継承され、存続しているすがたに励まされます。
ららの住んでいる市のシンボルツリーは「けやき」。
けやきの木の植えられた駅前ロータリーに大物の七夕飾りが毎年かざられます。
今年は「竹取物語」。
来年は何でしょうか。
楽しみになりました。
 
イメージ 2
 
 
さて、連日の猛暑。
ららは扇風機でしのいでいます。
もちろん、クーラーもつけますけどね。
 
 
さてさて、こんなことがありました。
特別なお店にしか置いていない「うづら」のえさを「ひよこ」のえさで代用しようとしたのですが、うづらの「のの」が食べてくれません。
暑さゆえの食欲不振もくわわってか、水をくちばしでついとえさ入れに入れてまぜてしまいます。
そこで、きゃべつのみじんぎりを今朝、あげました。
消化酵素がでると同時に、うづらの好物でもあります。
この作戦。
吉とでるか!!!
食べてくれるといいのですが。
 
イメージ 3
 
かわいいひまわりが咲いていました。
いつもおひさまのほうを向いているひまわり。
けなげなひまわり。
めげずにがんばっているすがた。
きっと、かみさまがみていますよ!!!

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