ららはクラシックの楽器では、トランペットとフルートとギターとピアノを演奏します。
どれもへぼですけど、へたはへたなりに聴けるもののあるという気持ちを持っています。
実は、ららは歌謡曲の作詞・作曲をするのですけど、最近、図書館で借りてまいりました、NHKの名曲アルバム
の終巻で、実に感じのよいお曲をきいてから、すっかりクラシックのかわいい感じのする作曲者がまだ若かりし日につくったのかとおもわれる、あるいは、青春の情熱や挫折感などを曲調としたクラシックに釘付けです。
そこで、ららはインプロバイスでピアノの弾き語りや弾くことを楽しむものなのですけど、そのかんじで十分ほどの
オーケストラの翻案を録音してみました。
あとは主題をきめて、バリエーションで一曲しあげればよいだけです。
音階というのは不思議なもので、ことにインプロバイスに取り組んでいますと、予想しなかった展開に曲が変わってゆくことがあり、それはそれでまとまります。
ただ、録音をききかえすと、「ここは次にこの音にいったほうが、こう音が広がっていっていいかんじとなるなぁ」と
反省することがままならずあります、というか、それが普通だと思います。
白鍵なら鍵盤のとなりにはかならず近い音がありますから、必然、メロというか、音は続きます。
部分的には不満足でも、全体としてまとまっていて、スコアにしたとききちんと整理されれば、御の字だと最近はおもいます。この年になると、限界も知れますし、スタンダートといっても歴史に名を残した名曲と比べること自体大いなる誤りのような気がいたします。
わらべうたや、童謡などでも、立派なお曲です。
そう考えると、難易に疑問すらいだいてしまいます。
かといって、こう難位にむかってグレードアップして行くさだめです。
でも、やさしいものに親和度のある作曲家さんも多かったことと思います。
結果、花開いた形としてしか、認知されませんけど、過程というか中身はバラエティといってしまうとなんとなく嫌な感じがするんですけど、色々なのだと感じます。
好まれる曲が、でも大概大家にとって代表曲と言って過言ではないかとも思います。
埋もれてしまった名曲もいれて。
話をららの素朴な楽曲つくりにもどしますね。
ららはしばらくはポップスも艶歌もつくらないと決めたのです。
クラシック風でゆきます。
大変な苦労を強いる業ですが、より順位の高い見地で音楽全体を見てゆくには、勉強がいるのです。
すくなくとも、ららにはそんな感じがするのです。
さまざまなこころにぶつかることと思いますが、逃げてはいられません。
こと芸術。
喜怒哀楽はつきものです。
こころの疲弊があったら、ららの水売りをすると元気になるという器質でもってのりこえようと思います。
とにかく、たくさん精選されたお曲をきくことが、耳の、ひいてはこころ、精神、音楽的素養の涵養に最も適しているように思われます。音楽理論にもとづいて、楽譜を見てゆくことも勉強だと思います。
かんじんなのは、楽譜を実際に書いてみることです。
表記の仕方も個性的です。
ベートーベンにはベートーベンの特徴があります。
インプロバイスのお能をなんとかしたいとおもいつつ、惜しむこころがあります。
といっても、なくなりはしないでしょう。かたちを変えて別の次元に進展してゆくだけのことでしょう。
ただ、愛着があります。
長い間、慣れ親しんだ安易な奏法です。しかたありません。
ひっきょう、十歳でクラシックピアノを捨て、ポピュラー、エレクトン奏法、そしてインストル、クラシック鑑賞、ポップス、そして末語に作曲という発現をもって終幕したららの若い時代でした。
ながくなってしまいました。
ここで筆を折りたいと思います。
写真をつけます。
何事も、精進だとおもうと、楽な方の道にゆくことが何故ららにとってはだめになる道となるのか、今持ってわからないでいます。
とにかく、青春時代。
涙を恥じなかったという点に置いて、こころやすらぐ自信につながっています。