新ららちゃんの窓

幻の山芋歌を探し続けて20年 てんとうむしのかわいらしさを見つけました

テニスについて

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テニスの向上

ららはテニス仲間がいません。
そこで、コートを借りてもなかなかおもうような練習はできません。
やはり、玉だしやゲームを通してテニス愛好家として向上がみられるのではないかとおもっています。
しかし、現在、テニス教本などで、仕入れた技能をひとり練習機でこなすということしかかなわないのです。
このことは困難ですが、ブログなどをみますと、みなひとりきりの人生をおくられている。
何のためという事もなく、ひたすらスポーツを好むものである。という精神と身体の結びあったなかから覚えていくという、いわば、「庭球道」に達し、こうして人生をくりかえし、最後の自分自身を花でいっぱいにしよう・・・という素朴な向上心が生じてきたように思います。
最近、テニスウェアを入手する機会があり、ウェアを着用して早朝など練習してますと、これまで、社会人となってからふとおもいテニスをはじめとした運動にまがりなりにも10年以上おこなってきた、そのことが今のららをつくっている、そう思い胸が熱くなります。
どんな貧しさにも屈しなかった。
工夫をして、精神力をつけた。
衣食たらずとも、礼節をこのんだ。
そのことが、ただ、「向上」であって、ひくいもの、あるいは退化ではなかった。
そのことが、自分ながら誇りたい。自分がかわいくてしかたがない。
そんなよろこびをららにくれました。
スポーツを通して、精神的だけではなく、体力もつき、よりアクティブに生きるようになった。
有史以前のららが、はたして、「肉体の力強さ」を知っていたのか。
否、ららはもやしのように、ただ貧弱だっただけです。
健康な心身を得た。
このことが、今、おおきなよろこびとなっています。
ららにとって、なにかにいっしょうけんめいとなっていないことは、何かから逃げている精神状態であって、常に
強くなっていこうとがんばってきたことが、今のららをつくっている。
たましいも貧弱だった。
肉体も死んでいた。
その記憶がまだ残っていて、本能的に、あるいは制度として、つまりそういうものとして、ららの信念となっているのです。
がんばりとおしてきたということが裏付けとなっている「信念」です。
だから、文化系お化けや、かるちゃー信仰のかたたちが、浮薄にみえてしまうという、ららの限界がどうしてもあって、真剣に生きたい、もっと燃えて生きたいというあきらめのなかからも、まだ残っているららの本能に、ららは人間の崇高さをどうしてもかんじてしまうのです。
 

ららのテニス事情

ららはじき本格的にテニスに取り組んでから十年となります。
年をいってからはじめましたので、何度も機会にめぐまれず中断する運びともなりました。
つまり、クラブ活動や青年教育を主眼に置いたテニスクラブなどに所属せず、独自に、また時には地元などのスポーツクラブ併設のテニス塾や市のテニス連盟主催のテニス教室にかよったりして少しでも上手になりたいと願っても,すごいほどの自己啓発がないと成人のテニス技術向上は無理だと知ったわけです。
とりわけ、夏のなごりの頃、せみ時雨のなか畑地の前の道路でテニス練習機でテニスに取り組んでいた時、いつもいつも朝から夕刻まで野良仕事に従事されていた裏の地主さんの老体をおしての姿になんど教えられるもののあったかを思い出すたび、あれもテニスをしていたからこそ巡り合えた人生のたからものなのだと感動を覚えます。
市民体育館のテニス開放日にも毎週通って、顔見知りの方もでき教えをちょうだいすることもかないました。
ららにはテニスのなん十年もかけて蓄積するテニスの素朴な素養が欠けていたので、ほんとうにありがたかったなと思います。
スピンも練習に練習をかさねてもできなかったものが、年を経たら自然と体勢からできていました。きっと体でおぼえたのでしょう。
先日もひさかたぶりにテニスに興じ、さわやかな気持ちとなりました。
体を動かした爽快さです。
試合と違って勝敗が無いかわりに、鼓舞する強い意志がないと孤独な練習にはおいてけぼりをくいます。
いわば、自分自身の精神とのたたかいです。試合の方がシビアでしょうが、ららの念頭にはいつもキング夫人のお姿があったのです。遅くテニスをはじめられてなおあのような賞歴をのこされた女性。
キング夫人のおもかげがひとときのららにとってなによりの奮起の原動力となりました。
ただ、体を動かすことは気持ちがいいので、あまり苦とならず、かえって机の勉強の方が困難であったなというのがほんとうです。
もぉひとり練習機はきわめたなというのが実際のところ。
いうなれば、ポテンシャルです。
試合だとテニスは相手の実力いかんでたとうばららの実力の発揮具合いが左右されるという事がどうしようもなくあります。
でも、練習機は決してそうではありません。
あとは試合経験を積む。
それだけが残された課題です。
なんとしても、試合に勝って、トーナメントをすすんでゆくという試練に耐える精神力がほしいらら。
ただ、日を追えばいいという気がしないでもありませんが、勝ちにのるには勝負勘がひつようでしょうし、そうしたことも場数をふまねば得られないものでしょう。
かといって、負けることを美化するわけではなくとも負けてもうつくしいものはうつくしいと思えます。
一方が勝てばかならず試合相手は負けているのです。
どれほどの努力を重ねても時の運というものがあります。
「さだめ」ともとれる時の経過のある境涯にたったとき、得たものがあったのか、それともなかったのかいかんによるのです。
ららは負けても平気です。
なぜなら、一生懸命戦ったのなら悔いの残るはずもありません。
実力を出し切れなかったことのくやしさがただのこるだけだなとおもいます。
勝つことは爽快かもしれませんが、負けを知らないといつまでも子どものままでいるに等しいきがします。
なぜなら、負けることから得るもののいかにおおいかをららがなによりも知っているからです。
テニスを通じて知ったのはそうしたことです。
日々のたゆまない練習と、試合の厳しさと、精神の克己です。
順境であれば、だれもがきっと満足でしょう。
でも、不遇であっても、たとえ負けたとしても、くじけてしまったとしても、得たもののおおかった人生をおくれたのなら「わが人生に悔いなし」と胸を誇れるとららはしんじているのです。
 
 
 
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市民開放日のテニス

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昨日の水曜日は市民体育館の一般開放日でした。
ほぼ゛毎日何かしらの運動のアリ―ナ解放をしていますが、水曜日は午前が軟式テニス、午後が硬式テニス
です。
ららもひさかたぶりにテニスがしたいと使用料の140円とスポーツドリンクを握りしめ、さっそくいってまいりました。
テニスラケットは体育館さん備え付けの品をおかりしました。
軟式テニスは「初心者」ですといいましたところ、親切にしてくださってとてもありがたかったです。
しかし、午後の硬式ともなると、見知りの方が多かったため「初心者です」は通用しません。
レディポジション、スクリットジャンプ、サイドステップ、は自然とでてくる初心者はいないでしょう。
いるかもしれませんけど。
硬式はダブルスで試合を運んでゆくのですが、今回、恥ずかしながらやっとポイントの数え方を把握しました。
ラブ、フィフティー、サーティー、フォーティー、ゲーム。
同点の場合二点先取でゲーム。
一点でアドバンテージ。
あと、同点はジュース。
ほら!!!!!!!!!!!!!!!!!!
すごいでしょ?
ららは何回かいい返球、と得点につながるショット、そして得点ゲットをしました。
ミスもしましたが、ひさしぶりに試合をして、勘がもどりつつあったころに二時間の規定時刻がやってきて、
お掃除の時間となりました。
といっても、まだ試合続行中ですので、モップで周りだけ掃除してきて ! といわれしたらら。
おわったところ、「コ―ト内はいいよ」と声をかけられましたので、「モップはどこにしまえばよろしいのでしょうか?」
などと、とんちんかんな返答をしてしまったらら。
そうです。
コート内は周辺をららが掃除したので、交代して別の方がモップをかけるという意味で「コート内はいいよ」といわれたのであって、掃除をしないでもよい区間ではなかったのです。
この楽しいことが頭をよぎり、帰りの自転車にのってからも、笑顔の絶えなかったらら。
いつもより、距離が短く感ぜられました。
吹く風は秋の気配。
スポーツと遊行日和のシーズンが近づきつつあります。
ららのテニス日記でした。
 
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これまで10年もの長くも短い間、ららを支えてきてくれたテニス。
市営のテニスコート場は芝に変わり、利用可能ではありますが、テニス友だちのいないららは、いつもこれまで30台はつぶしてきたひとり練習機でただストロークそのほかの反復練習をすることだけが、かろうじてテニスららをつないでいてくれました。
夜中に公園へいって、素振りを1000回したり、腕立てに、反復横とび、縄跳びもしました。
かなりいい線まで行って、一時は軟式に転向してまでも、テニスコートを使用したプレイをしたいがため、ただそれだけだった時期もありました。
おもえば、長い旅路でした。
黄色いテニスボールがららがラケットを上むきに返球する癖がとうしても抜けず、ロブ気味に帰ってしまって、電線にひっかかってしまったことも数回ではありません。
「エースをねらえ」の漫画を熟読して、すこしでもテニスについて知ろうともしました。
「エースをねらえ」のビデオを揃えて、バックに返球するときの岡ひろみの野性味あふれるフォームのすばらしさとうまさに感動したりもしました。
順目には逆目、逆目には順目と、お経のように唱えて、玉さばきの練習をするため、市の体育館のテニス開放日にあそびにいったこともありました。
テニスクラブにはいったことも3度ありました。
何処に行っても、まだ若輩のららは先輩に先導していただけて、楽でした。
教えていただけて、さいわいでした。
テニスに関する小話にも通じました。
さのおかげも手伝って。
もちろん、松岡修造さんの「セカンドドリーム・もうひとつのセンターコート」は全文書きとり並に熱中して、感動の涙を何度も流しました。
なんてすばらしいんだ。強い精神なんだ。最後まで諦めていないあのガッツはどうだ。
ひとつの青春のくぎりとして、体力の問題があると思います。
松岡修造選手も例外ではなかったみたいです。
でも。伊達公子選手なんて、ダブルスで見事に復帰されましたし、持久力と経験がものをいう部分では、充分、気力にあふれた選手と渡り合ってゆけるのだなと言う事も知った気がします。
結局はテニスに関するセンスとか才能とかいうのが決め手となってくるのでしょうが、その才能も血のにじむような努力なしにはきっと花開かなかったことと思うのです。
ららは、ひとりテニスをこれからもつづけてゆきます。
ちょっと運動不足かなと思った時、からだを動かしたいと思った時、夕焼けが見たくなった時、
これからもきっと、ららは写真のアスファルト道路の上で、ひとりテニスに興じることと思うのです。
なぜなら、楽しいからであり、テニスを楽しもうとする思いでは、誰に負けるつもりもないからです。
あらゆる苦しみや、葛藤を経た後、ららはただテニスを楽しむがためだけに行うのだと悟ったのです。
勝敗よりも、一度でも、目の覚めるような球を送れたことのほうがららにはこころにのこるし、こころがうつくしくなるきがするのです。
 
ららは今日がお給料日。
ここずっとながいあいだ、随分と金銭的にくるしかった。
そのため、お金が入ってルンルンのらら。
さっそく、朝一で近所のショッピングセンターに出向く。
向かったところは、スポーツグッズ売り場。テニスの練習機具がもぉ摩耗して使い物にならなくなっていたのだ。
ところで、ららは軟式から硬式にまたもどってきました。
デカラケットもスポーティと思えるように変化し、ちいさな紅葉の手と、背の低さをもってしても、今日、購入してきた硬式テニス一人練習機の使用後の感想としては、ちょっちやだけど、しかたないからデカラケで我慢するか。
あの握るところのみじかめの軟式ではやりのひとまたではなくて、ふたまたで力学的に打球の威力を周辺にちらし、フレームの素材の好みで、震撼により手が疲れるのをふせぐららにはここまでしかわからなかった構造のまったくない、アルミのですけど、デザインが勝っているので購入したマイラケットは、ちゃんばらにもってこいのアベベ選手並の楽しさのある器具でした。
ちなみに、一人練習機はナイロン素材の伸縮するひもで、自然なラリーを感覚的にですが楽しめます。
もちろん、コートの上でするにこしたことはないのですが、そこは暮らしの知恵。
お金はないなりに、低コストですこしでも、向上できるようがんばりたいところ。
年齢的に、けっこういっているのですが、かなり若いころ、ハードなスポーツ経験があまりなかったせいか、からだがまだ未完成のわりとヤングです。
もっと、足腰を敏捷にしなければとか、ステップを軽快にしなければとか、頭で考えてプレイしなきゃとか、
とにかく、注文はたくさんありますが、とりあえず随分と久方ぶりに、テニス、しかも硬式をしたららです。
たのしかった。
爽やかな気候のなか、半そでのテニスウェアで、舗装したばかりでアスファルトの目の細かいあまり人通りのない通りを使用させていただいて、小一時間ほどテニスに興じました。
途中、のどが渇いたので、ポカリスェットを自販機で買って、飲み干しました。
最初のうちは、めちゃくちゃでした。
呼吸の仕方はすっかりころりとをすり果てていました。
今、この世には呼吸の仕方というのがあるのだという事を思い出したところです。
とりあえず、クロスとストレートにフォーメーションをとって、ローポレイのようなのや、不思議なジャンプをしないスマッシュ風とか、角度は自然とついていました。
ラケットを無意識のうちにいじっていました。
でも、グリップは一種類で変えませんでした。
変えようと考えたんですけど、ポールが返球されてくるので、とりあえず無難に返していこうと、イースタン一本にしました。
ずっと言っているんですけど、セミもためしてみたいのに、なかなかそのセミをする機会に恵まれないらら。
足さばきの愚鈍さは、サイドステップを数分こなしたところ、クリアされました。
らら、ダンスをもしているので、ステップはかたまっていません。
なんとなく、リズミカルに足をさばいて、ときにはジャンプをして回転し、からだの方向を変えたりしていました。
むろん、自然とからだが覚えていたようです。
サーブは、いまだにスピンができないらら。
ダブルスをするチャンスに遭遇した時などは、はねつきのようなサーブでいまだにすましています。
これは、ららとしても恥ずかしいところなので、重点的に取り組みたいところです。
あと、ひねりとか、難易度が高いのは、すっかりとしませんでした。
というより、忘れていました。
その存在を。
さっそく、今日これから「エースをねらえ」のアニメーションをみて、オープニングの藤堂選手の上体をよく見て、
研究したいと思います。
じき、ららもテニス十年選手です。
始めたのが遅かったので、最初の頃は、不慣れで恥ずかしい思いもしました。
でも、それまでは知らなかった、コートの整備の仕方とか、様々なタイプのテニス選手に触れることもかなって、
それなりに得るものもかなりありました。
らら、いちど、シングルスの試合にでてみたい。
じょうずなひととあたるといいな。
と、ねがってしまいます。
とりあえず、ラリーは続きそうな予感がしますから。
負けるにしても、からだをおもいきり使って楽しく負けた方が爽やかな気がします。
 
とにかく、実にたのしかった練習でした。
これからも折に触れて取り組んでゆこうと考えています。
らら、バック、スピンかけることをまだしりません。
そのうえ、目がわるいです。
でも、ガットを改良していただいて、どんなスピンも力次第で、ストレートに返せるようなのができたら、たのしいですね。
スピンと言っても種種様々なのですね。
強弱。回転の具合。向き。速さ。
目のいい人は、すぐにぴたりと感度のいい返球をするのでしょうね。
でも、へたっぴでも、ポイントを取れるのであれば、勝因はあるのですから、最初から試合を捨ててかからず
よしっ!!勉強するぞっ!!
まなばせていただこう。精神だけでも、吸収しよう。
、すくなくとも、何かを得て、経験を積もう。
積んだ経験が山ともなれば、生きてきた財産ですものね。
ボランティアでもよいのです。
死んだ経験はきっとないに等しいのです。
すばらしく、きもちがいいらら。
酸素を吸って、二酸化炭素をだして、からだを動かし、適度に発汗し、電解質を補給し、さらにこころもほぐして
ハッスルしてテニスをしたのですから、今日の午前中はとても楽しい、かつ、とても貴重な初春のさわやかさをはこんでくれたのです。
 
ながくなりましたが、ららの住んでいる地区にあるテニスコーと場が芝になって生まれ変わりました。
これまでしばらくのあいだ、工事をしていたのですが、ようやく終了のきざしです。
ぜひ、どなたかをさそって、コートを利用したいところです。
でも、しばらくのあいだは相当、予約が混むでしょうね。
 
でわ。
 

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