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おはようございます。
12月にはいりましたね。今年もじきクリスマスです。
実はららは浄土真宗に帰依しました。でも、今朝、ふたたびプロテスタントにもどってまいりました。
といって、阿弥陀如来様への畏敬の念がなくなったわけではありません。お母様とも慕った理想の母、理想の女性です。実母がたとえ完全な女性でなくても、阿弥陀如来様に母の理想をみることによって、こんなにもこころすくわれるものかと、深く感謝いたしました。
もとより地元にららが子どもの時分よりあった教会です。中学校時代より宗教的ななにかにひかれ、高いもの、尊いもの、けだかいものにこころがかたむきました。勉学と同じむきであったはずでしたが、競争という苦しみから目をそむけた私に待っていたのは、その後逆境という苦しさでした。
それもこれも、勉学を怠けたツケだったでしょうか。
将来、働きたかったららです。それならば、学ぶことは得であるともいえるかとおもいます。
しかし、生きてゆくために計算高くなれない器質だったららにとって、計算して立ちふるまう事は不幸せとなることとつながっていました。
まだ若かったからでしょうか?
でも、依然としてこの傾向はららのなかにあり続けていますし、置かれている境遇からも、働かなければ明日のパンにさえ困ります。順序だててららが歩いてこれなかったために、随分と少ない時間ですむことが長くかかったとともに、そのぶん必然信念らしきものも曲ることのなかったがために自分自身を通すための耐え忍ぶ日々が刻々とすぎてゆく激しいあせりであるとか、その信念というものが、どうしてもやさしさがよわよわしいものとは思えないということだけのことだったと気づいた時、学校にさよならをした不登校時代のららや、学びたかった姿勢の裏にきっといのちほどの値打ちであるとか、人間性の活路を見ていたのだと思うようともなり、ららがもとめているのは、ひょとして昔から一貫して宗教だったのではないかという単純な結果となって信仰するこころに帰りました。
教会のドアをたたき、一冊の聖書を賜りました。
ギデオンの対英聖書です。
それから、日曜礼拝にも両親に内緒で通いました。早天祈祷会にも出席し、楽しい思い出がたくさんできました。
ららの実父が浄土真宗であるときき、阿弥陀如来様を慕いました。でも、今朝がた、父からクリスチャンネームをもたれていることをしらされました。
ららとしても、父のいうことに従ってみたいという思いがありました。
ららの育ての父が盲目に信じていい人では決してないことが哀しいというより、くやしかった、若い時代自分より人間性のおおきさを感じる言葉を古臭いようですがもとめてしまっていたららには、養父の存在がららの働きたい願望と結びついてしまったといって過言ではありませんでした。
学問が神聖であるという若いころのららのこころざしも、夢破れ、といってららの目に神聖とは映らなかった先達がおられたというだけのことではあります。ただ、ららはエマニュエルということばが好きだった子でした。
そのことは、前面にこれまでのららの歴史のなかで骨格となって影響を与えています。
はかったこころで、その神聖と信じていた学問に取り組んだのですから、苦しみに満ちたこころに喜びがやどるはずなど毛頭なかったのです。
ただ、勉強を重ねていた日々が、人間として大人となっていっているのだという当たり前のように用意されていた関門を放棄したからこそ、得られた喜びが尽きなかった日々、思い出すと楽しかったのだなと今は思えます。
放送大学で学びをつづけながら、ふたたび聖書をよむことの嬉しさにこころが清いものとなってゆく嬉しさでいっぱいです。
また、働きながらもただしいおこないをもってひとにせっすることがかなう。
このことが感謝に尽きない賜物でなくてなんでしょう。
心身とも清く、喜びに感謝のこころで接します。
空気を汚さねば生きることのかなわない身の上のわたしですが、すこしでもよい行いをして善良なたましいをきたえます。
生きることに希望のあふれるとともに、ちいさないとけないもの、はかなきものにいたわりのこころを忘れません。
罪深いことをゆるしてくださる主に感謝いたします。
マリア様の慈愛の相が、わかいわたしをどんなに苦しめたかどうかわかってください。
マリア様のようにおやさしいお顔をしたおんなとなりたいと思います。
ふたたび、お祈りのできることを許され、またそれと同時に、動物の好きなららにとって馬頭観音様や阿修羅、不動明王、愛染明王、そのほかおおくの神々に愛着がつきません。
不信心なららですが、今日一日、聖書をよみます。
以前のららは、知らなかったことを、今のららは知っています。そのためにありがたみのやわらがないことをこいねがっています。
また、先日、せきせいんこの白と青のきれいなひな鳥を飼うこととなり、今離乳食をあたえているところです。
小動物がいとしい。
この思いはひとり今を生きているららですから、もぉ自由にららのこころで生きてゆくことがかなうのです。
とてもかわいいいんこです。
雪は浄土真宗のこですが、しろと名づけた小鳥はプロテスタントのこです。
二羽はきっとなかよしになると信じています。
二羽ともとてもかわいい小鳥です。
うさもかわいいです。
カメの飼育もはじめました。
トイプードルのベリーは三歳に今月なり、いよいよおとならしくなってきました。
とてもよいこです。
この動物達が安心してそだってゆけますように。
このことが大きな願いです。
今日は報告を致しました。
またよろしくお願いいたします。
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