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随分とひさかたぶりの筆記となる。
この間、ぼくはシベリア鉄道をつかって、長い旅をしてきたのだ。
ユーラシア大陸を立てに横断し、ヨーロッパに入国するころには、ぼくのこころは暮れ出していた。
自分は、朝陽のなかで、生まれ出でたと思っていたぼくにとって、
この旅路は背中を知る旅でもあったし、
むろん、夕陽があたたかいのだと確信するに充分な、根拠をあたえてくれもした。
この根拠という点で、この旅以前のぼくは決してやぶさかであったとはいえず、
かなりの点に当たって満身創痍であった。
日本において、ぼくガ見ていた景色は、欺瞞にみちていて、こころが見えてはいなかった。
しかしながら、今こうして、生きて自然と愛にいきることができる。
愛が全てであった若い日々を終え、壮年期にはいろうかとしているぼくであるので、
確実に意志を表明できるし、また、かたわらに、恋を置いてともに歩くこともかなったのだ。
これまでの思索の束をすべて捨ててしまったのは一体何故であっただろうか。
それらは広告の裏にかかれた紙片であって、ぼくにとっては値打ちがあった。
でも、旅の途中でふとかんがえたという思い出にすぎなかったのかもしれないと、
一瞬ぼくは思ったからこそ、燃やしてしまったのだろう。
ぼくは、イングランドという島に立ち寄って、遠い昔グレートブリテンと教わった畏敬の念をこの地に抱いた。
また、船に乗り、アフリカ大陸に降り立った時には、地中海のさわやかな気候に一瞬夏への憧憬を再燃させもした。
むしろ、日本において、つゆを時雨に替えもするそのハイテクが、クーラーもなく
暑い最中、うちわで風を送っていたまぼろしの海抜を自覚することもなく、
怠惰におくっていた、悔恨の念につかれた。
異国にいたのであるので、随分と歴史書をくくった。
その土地の言葉にも触れた。
しぜんとできあがってきた、ぼくの構えのようななにかが、いつか、ぼくの宝物となる日がやってくるだろうか。
宝島という小説を愛読しながら、スチーブンソンというのは、また随分とえらいことをしたなと
かんがみた。
車窓からアルプスの山並みが見えた。
じき、ぼくはぼくだけの宝の島をこころのなかに築きあげることがかなうだろうか。
このアルプスは、あこがれの地であった。
とりわけ、帰路につく途上であるので、みやげはおそらくひとり息子への旅話に落ちるだろうかと思う。
なにしろ、すずの兵隊にこころが宿ったのも、
片足のバレリーナの献身と永い困難の道があったからであったのだから。
息子にしいるのは酷かとは思うが、やはり、ただひとつのあこがれだけ残った蝉のぬけがらを
青春ー恋のリフレインーとうたったravelのような鳥のつばさにたとえて、
勲章をむねにつけたい。
いずれ、帰郷するとはおもうが、くれぐれも、からだに気をつけて。
日本にいる晶彦へ
お父さんより。
君には悪いが、ぼくは当分のあいだ、旅となれあうつもりだ。
君にもいつかわかる日がやってくるのではないかと思う。
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