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ららは決してお金持ちではありません。
どちらかというと貧乏です。
なぜかというと、定期的に収入のはいる職についていないからです。
ららの職業は芸術家です。
作曲をしたり、歌を歌ったり、小説を書いたりしています。
そのほとんどはたのしみのものであって、直接的に売り物となるものではありません。
売るにはルートが必要です。
ちまっとしていても、たのしいのであれば、それで充分でしょう。
なにもしないより、ボランティアであっても、なんらかの活動をしていれば、記憶に残るでしょうし、また、充実感もそれなりのものがあるとおもいます。
ただ、それとはきづかず、自然と年を経るにつれ、経歴というか、もっと簡単にできるものがふえていくという、喜びが増します。
自分はこれができるぞっ!!!!!!
と、誇れるとまではいかなくとも、なにかしらできればとても嬉しいものがあるとおもいます。
たとえば、人形劇ですとか、紙芝居ですとか、自分で作曲した曲を楽器に合わせて歌ったりなどです。
全般的に、芸能関係のものがおおいようです。
すると、やはり、ららは地味でもすこしづつ、できる範囲で、こころを保持しつつ、芸能を深めていくという姿勢に好感をもち、また自分のちからがすこしでも増すよう、あるいは保てるよう精進するというようなのが、とても安心できるポジションであるようなのです。
たとえば、お金にならなくても、経歴は経歴です。
ですから、日々、思い、考え、なにかしらをしていることすべてが、芸にむすびついているようなきがしてならないのです。
暮らしていく中で、きづいたら、過去ができていた。
気づいた時には、立派なあしあとがあった。
そんななにげない気づきと、希望のない毎日にあっても、「よかった」をさがして生きてゆけば、いつかきっとしあわせをつかめる。
そうしんじています。
「よかったさがし」とは、愛少女「ポリアンナ物語」という小説とアニメーションにでてくる主人公ポリアンナがみんなにひろめるあそびです。
暮らしの中によろこびを見つけて生きていこうという発想のあそびです。
ららはこの遊びの提唱に賛同する者です。
ポリアンナの力量はすごいとおもうのです。
なぜなら、みんなをずっとずっとしあわせにしてしまうのですから・・・・
なんて人生は憂鬱なのかしら・・・・
ほんとうにいやな世の中だわ・・・・
そう嘆いていたおとながみんな変わっていくのです。
ポリアンナの良かった探しは、お医者さんも感心して、とりいれたくらいなのです。
患者さんが元気になってしまうからです。
病は気から。
といいますが、気の持ちようで、世界は変わってくるような気がします。
とすれば、ららももしかしたら既にひとかどの芸術家として、認知されている!!!!!!
そう思えるとも言えるような気がします。
ららもいいお年。
いまさらあせっつたところで、じたばたしたところでしかたありません。
かといって、悠長にかまえすぎて、好機を逃すということのないよう、用心することは怠らないようにし、同時に
ポリアンナの教えてくれた「よかったさがし」を実践して、たのしい暮らしを贈っていきたい。
日々をこやしに、花一輪を咲かせたい。
たったひとりの観衆でも、応援があればうれしいのです。
この思いは月並みなようですが、生きていく上でかかせないことのようなきがいたします。
売れても、売れなくても、人生という時間だけは平等にあたえられている。
かんじんなのは、なにかを得られるかという事なのです。
そんなおもいがつのって、元気が回復しました。
ららは説教臭くなるきらいがあります。
年をとった証拠でしょうか。
それでは、ひさかたぶりのよかったさがしを実践してみて、やっぱり元気になったららを御報告して、このブログを終えたいと思います。
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良かった探し
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ららの今日の予定。
午前 学校の勉強−来月に試験を控えている。−
午後 ふうちゃんの紙芝居図書館ボランティア
午後の図書館での公演では、「おとうふさんとそらまめさん」を演じます。
かわいいむかし話というジャンルなのですけど、ららとしても気に行っています。
どの紙芝居を読むかは、決して自由ではなく、先生と相談の上でです。ららは最初、小川未明さんの作品なんて好きだったんですけど、ちょっぴりシリアスなんですね。この方の作品って。
それで、ららのインパクトと似あった作品ということで、まず一番最初に抜擢されたのが、「おとうふさんとそらまめさん」だったわけです。
ららの希望としては、民話とか、むかし話で、古風なかんじでした。
でも、結果として、ららの人生と言ったら少しオーバーですけど、ららの暮らしにすこしばかり影響をあたうるほど
の何かを投げかけてくれたのが、この作品でした。
そして次が「やさしいおうまさん」でした。この紙芝居については書庫「紙芝居サークルについて」をクリックしていただけると詳しく載っています。
とってもよい作品です。演じていて泣いてしまうほど感動します。
そして、23日のカフェスギタでの公演では、「恥ずかしがり屋のかんたくん。」を渡されました。
これから23日に向けて、練習会が2,3回ありますけど、それまでに自己練習をしてなんとかものとしたいもの。
この作品では母の役もあって、とっても嬉しいらら。
らら、自分で産むのはやなのですが、子供は欲しいのです。
困ったことに。
でも仕方ないでしょう。こればっかりは。
ようやく三作品をこなしたらら。あとひそかに練習を重ねているのに「雪女」があります。
原作すばらしいです。言葉選びが慎重で、とても読みやすい。なめらかといったらよいのか、一瞬この脚本を書いた方、天才ではないかと思ってしまったくらいのできです。ららにほめてもらったってなんともおもわれないでしょうけど。
同じ「雪女」でも、脚本書きさんによって、種種様々なのです。版が異なればなおさらです。
脚色というのですね。それをもって。
有名なお話ですね。そのため、脚色もやりがいがあるかと思います。
らら、実は65種類の声をだせます。声優になりたいと思った時期もありました。
でも、やっぱりららは音楽の道。でも、もしお誘いがあったら声優もやってみたいな。なんて、大言壮語ならら。
でも、わりと簡単にことって運ぶものですよね。
おぜんだてといったら言葉悪いですけど、普通、してくださるものだとも知りました。
全て、自力だなんて、昔日のらら、すごかったと思います。
孤軍奮闘っていうんですか。それでしたね。まさしく。
ちなみに、らら、いま学生の身分ももっています。保険として学校にもはいっときました。趣味でもあります。
学ぶこと。
明日は日曜日で、礼拝があります。行こうかどうかまよっています。
結局、自宅礼拝という形となるかな・・・・・
やっぱり行こう。
うん。決めたっ!!!
クリスマスも間近にせまりましたからね。神聖なこころとなりたいところです。
ちなみに、図書館での公演、公民館祭り、市のたなばたまつり、カフェでの公演、そのほかすべてボランティアです。いまのところはまだ、定期収入のない団体です。
いっそのこと児童劇団にしてしまって、紙芝居もやるなんてどぉ?
なんて、言いだす人はいないまでも、こころのうちで思っている人はいることでしょう。
会長の榎本さんのつながりで、市の小学校で放課後教室の指導員バイトもしています。だいぶなれてきました。
らら、ダンスと音楽と絵と体育に通じているので、結構やっていて楽しいです。小学生って、なんにでも興味をしめしますものね。
あと、学校では数学と理科をメインにして、あと、文学も含めた芸術科目を履修しています。
哲学もごくたまにとりますが、昔は哲学が主食でした。
哲学はサークル活動で間に合わせて、あとことたらなかった数理は単位科目として頑張っているといった現状です。
ちなみに小学校の指導員ももっかのところボランティアです。
でも来年度からはもしかしたら、薄給がつくかもしれません。そうしたら取っても嬉しいらら。
ボランティア帰りに日高屋さんでビールと餃子を飲食するということも二度ほどしました。
わりと生きていくって楽しいですね。
昨日は、構造主義について「テオリア」で造詣を深めたところ。
ドイツ語もだいぶなれてきました。
これから、聖書を読んで、空が明けて行くのを見ていたいと思います。
宵っ張りのらら。
なにか、若山牧水さんみたいですね。
昨日は構造主義のアンチヒューに意義申し立てていうつもりはないにせよ、ロマン主義をもちだしたらら。
ドイツで始まったムーブメントですが、イギリスやフランスにおいてより高められました。
今で言う「携帯電話」のような意味合いでしょうね。つまり、文学上ではいちはやく産業革命のおこった英国や、
構造主義のおひざもとフランスで、のした。
それもこれも、ロマン主義が根なし草の冷たい技巧的なにせものとあまりにも対置だからでしょうね。
ららは自然が大好きで、山登り会「茗峰会」にもはいっています。
こんど、コハクチョウを見に、埼玉県深谷市までゆきます。
荒川の飛来地に、今年もシベリアからコハクチョウがわたってきたのです。たいへんうつくしい、また涙のこぼれるほど喜びに満ちた出来事だったことと思います。とくに、地元のコハクチョウに携わっている方々にとって。
「今年もやってきてくれたね。餌付けできなくてごめんよ。またあそびにきておくれ。」
そんなつぶやきがきこえてきそうです。
鳥インフルエンザの影響のため、絵付が去年度より中止となったのです。
興味のある方は、深谷市のホームページをみてみてくださいね。
日帰り山行はどこにきまったんでしょう。
わくわくしているらら。
でもその前に試験があるので、勉強しなくては。いい加減、取り組まないとにっちもさっちもゆきません。
なんといっても相手は大学数学です。
ざっとららのプロフィールを紹介しました。
もしららに御感心がおありでしたら、お気に入りに入れてあげてくださいね。
ららも嬉しく存じます。
今日の良かったを、またひとつ増やしてゆけますように。
お祈りしつつ。
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おはようございます。今日も無事スタートをきりました。
ららの本日のスケジュールはこうです。
午前 ドイツ語学習会
午後 テオリア
場所はいつもの浮間舟渡校舎です。話は変わりますが、じきクリスマスですね。師走の冬空の下、人々はお仕事に勉強に子育てにと忙しい。足早に過ぎてゆく時と時間のぜいたくさに目を見張ります。
なぜなら、景色がすばらしくうつくしいからです。
これはららのこころが今、しずかに燃え立っているからではない気がいたします。
秋から冬への移行がすばらしく情緒的で、こころあふるるものだったからでわないでしょうか。
紅葉もうつくしく、街をあるくと、とりどりの装いをした老若男女が平和を享受し、暮らしを楽しんでいる。
クリスマスの気配もそこはかとなく感ぜられ、イルミネーションも点灯し、空気も凍てついている。
肌寒く、さすようでもあるのに、どこか、なめらかでうつくしい空気の粒子です。
これを「冬」、とりわけ「初冬」というのですね。なんの先入観もなく、今この時のまなざしを持って、みつめることのかなうことに、感謝のこころつきません。
今、聖書は「ローマ人への手紙」をよんでいるところです。
艱難はやがて練られた品性へと変化してゆく。
この心の移りゆくことは、さからいようのない事実です。いつまでも病にふせっているひとはいないでしょう。ひとはいつか、病もいえ、健康となってゆく。そのときこそ、瞳に映るなべてのものが、再生している。そんなきがしてくる。こころが変わっている。たしかに、変化していることに感知する。
なんどきも、おなじ状態でいることはないこととおもいます。
しかしながら、人は変化を止めようとする感さえみられるのはなぜかと旗と思いめぐらします。
御霊のたまものとは、過渡形態にも「型」をもたせた「ヘレニズム」と本来の「シオニズム」のしずかな抵抗である
イエス・キリストのみことば「みぎのほほをうたれたらひだりのほほをさしむけなさい」、この言葉に尽きるように思われます。
ローマ人への手紙は、挫折した方が読まれると聞くチャブタ―です。
摂理といってしまえばそれまでですが、宗教感覚とでもいったものは日本人にはなじみ深いものではないので
ここでは触れません。
究極の所、これはカトリックかもしれませんが、マリアの処女受胎に集約されているのです。
マリアという乙女が、美しいからだのままこどもをやどしたいとのぞんだからこそ、かなったのです。
このおとめの切望が聞こえる耳をいつなんどきでも持っていたいと思います。
まさしく、御霊のたまものです。
今日のよかったは、マリアの福音がゴットであったことに気付けたことにある気がいたします。
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今日ではないんですけど。
正確には。
昨日、あるところに行ってきたんです。
そこで早天祈祷会というのがあって、ららも参加したんです。
役員さんが朝七時ごろ来られて
かわいい子犬のわんこを連れてきたんです。
秋田犬だそうです。
まだ赤ちゃんなので(四か月)
なんでも食べちゃうと言われてました。
なんとっ!!!
ららが早朝一番乗りして真っ先に見つけたにぃにぃゼミの亡骸を
ペロリと食べちゃった。
ららは
「蝉さん。一夏の命を燃やして生きられましたね。お祈りいたしましょう。」
そうひとときは思ったほど
シンボリックな
蝉のなきがらだったのにです。
まるでカニを甲羅ごと食べるがごとく「パリッパリッ・・・・」
っと
おいしそうに満足げにしていた「竜馬」という名前の秋田犬の子犬。
ららは今思い出しても思わずほほえんじゃいます。
かわいくて。
かわゆい。(^u^)
(^u^)
(^u^)
昨日の良かったでした。
さて、今日はどうかというと、やけに一日が長い。かつ暑い。
部屋でおとなしく聖書を読んでいると
問題の創世記第十四、五章に目が止まりました。
関係ないですけど
「借り暮らしのアリエッティ」って大ヒットですね。
だらだらとすごしているららでした。
(^u^)
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ららは世界名作劇場「愛少女ポリアンナ物語」というアニメーションが大好きです。
ポリアンナのお父さんは牧師さんなんです。
そしてやまいで亡くなる直前までパレ―おばさまのおねぇさんの忘れ形見、一人娘のポリアンナに
「ポリアンナ、良かったを見つけるんだ。どんなときでもよかったをさがすんだ。
それが、きっと御前をしあわせにしてくれる。よかったが御前をしあわせでいっぱいにしてくれる。」
そう言い続けるのです。
ポリアンナはこの世にひとりぼっちとなり、おばさまであるパレ―の家にやっかいとなることになるのです。
当初、固く心を閉ざしていたパレ―でしたが、
ポリアンナの良かった探しに根負けして、すこしづつ姪にこころをひらいてゆきます。
ポリアンナはついにはベルリングスフィールス中の人たちに「よかったさがし」を
おすそわけし、
どんなに固威張りなひとでもなかよしとなってしまうのです。
骨董と奇怪な彫刻にかこまれた屋敷で一人孤独に暮らしていたペンデルトンのおじさまや
やさしいお医者様のチルトン先生、
ロンドンのカリウおばさまや
宿なしのジミー。
足の不自由なジェイビスに
デラ、ナンシ―など、
取り囲む人たちみんなが、こころやさしくかわってゆきます。
中盤、車の事故で歩けなくなってしまうポリアンナが「よかった」をさがせなくなってしまい、
孤独にうちひしがれた時には、
ベルディングスフィールス中のひとたちがパレ―の屋敷に集まってきて
くちぐちにポリアンナを見舞うのです。
ららは毎回このシーンで泣いてしまいます。
なんて尊いこころを持たれているのだろう。このポリアンナを見舞った方々は。
そして
ポリアンナという女の子は。
ららは毎回この書庫でその日一日の「よかった」を書いてゆきます。
だからときどき遊びにいらしてららの良かった探しが上手くいっているかどうか
テストしにきてくださいね。
これからどうぞよろしくおつきあいお願い到します。
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