新ららちゃんの窓

幻の山芋歌を探し続けて20年 てんとうむしのかわいらしさを見つけました

若き日の風に吹かれて

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「おとなとなっても、子供の頃のことをよく覚えている人もいるのよ。」
フォスター先生は言った。ぼくは最近、チルカ先生の恋人で英文学の先生のフォスター女史の取り巻きのひとりとなっているんだ。フォスター先生はとにかく美人だ。うつくしいことこの上ない。そのうえ、あたまもいいんだからね、これでもてないっていうのはさぎではないかとおもうの。
ちなみに性格もこのうえなくいい。どういいかというと、それとなくいうんだよね。たとえば、今日は放課後、先生を呼びとめて講堂ではなすことになったんだ。
ぼくが
「先生、ぼくは大人になって行くのが嫌です。ずっと子供のままがいい。先生ののぞむような、やさしいこのままでしたい。」
そうなげかけたら、先生は、わらった。
「ピッコロ、あなた、ずいぶんと大人となったのね。自分の昔をふりかえれるようになったなんて。昔と違う自分がにょっきりかおをだしている証拠よ。大概の人はそれと気づかず、通過してしまうものなのよ。あなたはえらいわ。
大変な問題と真剣に取り組もうとしているんだもの。」
そう笑顔で言った先生はやっぱりぼくの大好きな先生だった。
ぼくはそしてはたとおもった。
先生は主情からそういったのでわないかもしれないけど、浪漫主義の真骨頂はこころの昂揚にあるから、つまり、いきているという実感のようななにかだから、きっと先生は昔、僕と6おなじ様な事を考えていたンではないかと思ったの。つまり、それだけ、こころが゛たくさん動いていて、たくさん使っていたんだって。
「先生、ぼく、ビルデとはまた違う思いを先生にいだきはじめています。」
「まぁ。こまっしゃくれた男の子だこと。」
うふふふふっ。
そうほほえんだ先生はすこし子供っぽかった。でも、わりとぼくのチルカ先生の影響で、もちろん、流行の浪漫主義的な物言いになれていたらしい。
やっぱり、チルカ先生とできあがっているっていうのはうそじゃなかったんだ。
ぼくは最近、おとなへとからだが動いているのが分かる。すこしづつ。でも、それははたからはよくわからないかもしれない。今は、冬だから。季節は冬かもしれないけど、ぼくのこころは冬ではなく夏なのだ。
青春を愛せるのだ。こころのつよいおとことなるのだ。ぼくは。
でも、だから、ちいさなころまこどもごころをわすれたくなかった。山積みの毎日の課題をこなすだけではなく、ツと自分や自分のこれまでや、周囲について気を回したかった。
かんがえたかった。ぼくはかんがえることによって、無秩序たろうとしていたんだ。
無秩序を嘆くよりは、不正を犯したいと過激な物言いをしたフォン・ゲーテも、ほんとは調和を重んずる平和主義者だ。年取ったものは、規則を欲する。なぜなら、すべての法律は男の人によってつくせれたものであり、女性と若い男は例外をのぞむ。われわれが道徳的なものをやめねばにらぬとき、われわれは力をうしなってしまう。
そんなことばかりぼくはかんがえていたんだよ、ぼくはゲーテに傾注している。惑溺しているといっていいかもしれない。
ぼくのなかで、いろいろななにかがたたかっていた。それはごちゃっとした、一慣性のないもので、そんなとき、何より主情感が、たっとばれることとなるんだ。
主情、主情、主情。!!!!
なんてすばらしいんだ。
「ピッコロ、わたしもまたそうだったのよ。でも、私はおとなになってしまった。もう小さな少女ではないわ。」
「先生はまだ若いよ。」
「あら、おませなこといって。」
「ぼくはもおおとなです。」
「そうね。はたからみるともぉ立派に青年ね。」
ぼくはタッとかけだした。講堂の鐘が鳴りだした。午後5時をつげる就業の鐘だ。
ぼくのこの日記は半分はつくりごとです。おとうさん。フォスター先生は、ぼくにやさしくしてくれるけど、チルカ先生の奥さんになるひとなんだ。
結婚しても、かわらずにいてほしい。いつか、子供をもつひがやってきてもさ。
ぼくはビルデとせっぷんした。もう。自分は十五歳の青年なのだという自意識がつよくあったよ。
もお、おとなと同じくらい、いや、それ以上にたくさんのことができる。色々なことができる。そんなこころでいっぱいだったから、ビルデに接吻したんだ。おとなへの第一歩のような気がした。なぜかね、
色々あって、今こうしてふたりでいるのだとおもうと、あらゆることがなつかしかった。失敗したこと。うまくいったこと。困難だったこと。そして、ぼくが学んだ、難しいことに向かってゆくという覇気のようななにかをビルデに移したかった。この、ぼくの大切なテイゼをビルデにも分かってほしかった。
「ねぇ。君。あのさ、美術に向かうこころを忘れちゃやだよ。」
「でも、私ははやく結婚したいわ。」
そうてっきり、ビルデはさ、言うと思ったんだよね、幸せってたいせつなこころのひとつ、いや全てだもの。
接吻がようするに、幸せと結びつくって、なんかいいよね、ビルデもそうじゃないかなって思ったの。
でも、ぼくは学んだ。街のたとえば、クラスの友逹などの絵のモデルになってる女の子とは、ちがうんだなって。
ビルデは同じ女の子でも、すこしだけ、ほかの女の子とはちがうんだ。
どうちがうって、なにかこころざしって言うか、もっと大切ななにかのために、毎日がんばっている。
その姿は真摯に学ばねばならないなにかえがたいかちあるもののようなきもする。
だから、ぼくは好きになったのかな。自分でも気付かないうちに。
「君、ぼくが一人前になるまでまっていてよ。ぼくよりはやくおとなにならないで。」
そういうと、ビルデはわっと泣き出した。しくしくと。
ちょうど、森に雨が降りだしたんだ。冬の雨だ。夏のそれとは違って、どこかつめたくて凍てついている。
こころが透明となって行くようだ。きもちいい。ぼくのこころをひやしてくれる。つめたく。からだのしんまで。
そしたらさ、ビルデはくしゃみをさかんにして、寒い寒いというんだよ。
わかんないな。女の子って。
ビルデは夏生まれだから、ぼくより半年ほど年上なんだ。でも、このあいだ、ぼくはやっと同じ年になって、
求婚できるまでになった。はずかしいなんてこころ、どこかにいっていたよ。成績のいいこって、内面をそとにだすのが、あんまり得意ではないってチルカ先生がいってた。
「ピッコロ、そう言う意味で、レスターブルックの態度はそれは立派だったよ。」
ぼくは、いまならわかるんだ。どういう意味かってね、
レスターはビルデにほの字だ。でも、ぼくは絶対にやらない。ビルデはぼくのものだ。
ぼくは雨のやみだした木陰で、ふと枯葉ののこった枝の先端に雨粒のしたたるのを見た。
うつくしいとおもった。レスターのこころとにている。ぼくは彼といい友達になろう。そう思った。
何といっても、ぶつかっていったんだ。はだかんぼうのこころでね、マリーというこのあいだの少女に。それは
とても、困難なことだったとおもうんだ。ふさいだこころのうちに、さまざまなことをかかえて、レスターは学問にはげんでいたのだもの。おなじくらい、孤独とむきあって、同じくらい、恋に身を焦がしたんだ。
ぼくは、レスターはぼくよりも大人だと思った。ぼくよりも難しいことを知っていると思った。
もっと、本を読もう。詩をかこう。絵にも取り組もう。ビルデのこころをわかろうとつとめよう。
あぁ、ぼくは。
そして、ぼくはピッコロを吹いた。やや高音のいいねいろだったよ。何といっても、こころのとびらをぼくはこんこんとノックし始めたのだもの。
いてくれてありがとう。ビルデ。
ぼくにこのこころの行き場をくれてあれがとう。
菜園のトマトとナスの残骸が、ぼくに悲しみを贈った。月がみえた。澄み切った冬空の夕刻はちかづいている。
お父さん。今年初めての雪がロンドンにふりました。秋も終わり、ぼくたちはクリスマスに向かって、忙しくときを過ごしています。ぼくの入寮している部屋の小窓から、雪の舞いおつるのをぼくは黙って見ていました。
ガラスが割れているのです。ですから、寮長にたのんで、新しい窓を入れてもらえば、ぼくと、同室の友のふたりはまきストーブにこうしてあたりながら、故郷の話に熱中することもなかったでしょう。
ぼくは十五歳となりました。ぼくが冬生まれであることを、お忘れではないでしょうね、そう思って、今、お父さんの話を切り出したところです。
「フレンド、君、ぼくのお父さんがどんなに優秀な靴職人だったか知らないだろう。街で一番、腕の立つ、かなり性格のいいおとうさんだったよ。実のところさ。」
するとフレンドは二つ年上で、お兄さんお兄さんしているいいところを発揮して、こう言った。
「いやぁ。ピッコロ。君には実際のトコ、負けたよ。何といっても、君の絵は職人気質ってのがでてるからね、このでるって、感じは実は簡単なようで難しいんだ。ぼくにもブィンセント・バン・ゴッホの絵画の良さを見抜くくらいの
こころの目はあるつもりだ。君、だいすきだろ。」
「あぁ、フレンド。君。目が高いね、わりと流行に疎いとばかり思っていたらさ、何といってもここは王立芸術学院だからね。アカデミイをたっとぶがらだもの。」
するとフレンドはからからと笑いだした。
「おもっしろーいやつ。印象派はパリが本場かもしれないけどね、英国のごとき誉れ高い故国もいちはやくめにとめてね、絵ハンターがやっきになってる。この学院のあの南国の絵が、ゴーギャンの作だって知ってたかい。」
「ふぅーん。エッカーマンは大好きだよ。野蛮であるという事は、優れたものを認めないという事ではないのかって言葉、ぼくの右手にいつも持っている。」
「あーーーーっ。寒いっ!!!寮長に頼んで、はやく窓を入れてもらおう。」
「うん。でも見てよ。カンツバキがさいてる。雪を割ってさ。きれいだね、ぼくスケッチすることにするよ。」
そう言って、ぼくはスケッチフックと鉛筆をとって、さっそく窓辺へ行った。冷えたけど、夏の暑さにもだえるよりもいいと思うの。サッサッとエンピッを動かした。日本か。ぼくはツと思った。ウタマロ、ホクサイなんてぼくも知ってる。瞬間を描いているけど、どこかに動きがある。そのためアールヌーボーとたとえられたりするのかな。
とくに、風のような目に見えないなにかを描いているホクサイの一枚はぼくもトレイスした。シナと似
たお国なのかな。極東のはずれにある島国だっていうでわないか。ゴーギャンだって?
わりとぼくはルノアールなんて好むけどな。ピアノをひいている少女の絵なんて、いいと思うんだ。
同時代の美術家がこんなにも大きいなんて、なんか不思議な感じ。
何といっても、アカデミックはまだ印象派をおおてふるって受諾してはいないのではないかしら。
時が必要なのだなとぼくはおもうんだ。今をとらえるにはさ。いまは渦中に居るのでまだよくは見えない。でも、
もうすこしたったら、きっと今をつかめるような気がするんだ。
雪のなかあんなにも懸命にカンツバキは咲いているね。
まっしろな細かな雪つぶてに花びらの朱色がふるえている。がくは原種らしく、簡素だ。ぼくも、こんな花となりたい。どこか、孤独でありながら、憂いがあふるる。うつくしい花。カンツバキ。
シナが産地だってきいたけど、日本に帰化した植物の代表なんだってさ。そのむかし、植物ハンターが貴重な
草花を東洋から持ち帰って、ここ、ブリテンにも移植したってきく。
文化って、パースペクティブが理解するにはいるんだな。ヘレニズムなんだ。ぼくのいわんとするのは。
つまり、対位法といっていいかもしれない。ちょっと違うかな。バロックやロココやロマネスクにも、オリエントは
顔をだす。調和っていいことば。いいかんじで、いろいろな界種が混交しているんだもの。
それが、歴史の上で、ひとつのものとして静止している。
ひとつの概念にもってあげられているんだ。それでいいんだ。いまがつかめず、自分が怠惰となってしまってもいいんだ。人生と真面目に取り組もうとしたらぼくのこころはいつか枯渇してしまうと思うよ。
ただ、こころのままに。
ただ、ひたすら手をうごかして。
雪の中のカンツバキ。きれいな花よ。うつくし花よ。
雨粒の氷き白雪に、首かたぶきて、おちてゆく。
みぐるしくもない。その残骸に。ぼくはそっとくちびるをあつ。
つめたき真白な雪に、ふられてふられて
やがて
あとかたなく
きえゆきて。
情熱の赤き痕跡残しもせず
 
 
アカデミーだって?ぼくはそんなのどうでもいいぞ。よいものはよいんだ。ぼくにとって、価値があるんだ。
事大主義万歳。野郎事大ぶぁんざーーーーーい。!!!!
わりとビルデはおませな方だと思うんだ。ぼくって、人こころ音痴かもしれないけど、はためからはそうみえるかも。どう見てもさ、ビルデの見かけは結構いい線いっている。
いい線いっているとどうしておませとなるのかぼくもわからない。でも、それはひとのこころの法則のようなもので、変わらない気もする。
ひとつの説として、・この表現は弁論の授業で習ったんだけどね・形態学というのがオリエントにはあって、似たかたちをしたもの、たとえばクルミをたべることは脳みそにいいんだって。この説、つまり、高麗ニンジンは小人とにているから、心身調和に良いとかね。そういうはなしできょうの教室はもちきりだったんだ。
ビルデと口付け以上の関係をのぞんでいるぼくも、他者にとってはそのひとつの講話をしている他者にしかすぎない。そのことがさ、ぼくは、宇宙にまで、果てしなく飛んで行ってしまった思考の波のなかに居る宇宙論者のひとりとして存在を神に許されたよで、ありがたかった。
いてもいいんだなってことがわかってきて。
ぼく、この世に居てもいいんだ。許されてる存在なんだって思ってね。
はなしはとぶけど、ぼくのピッコロという名前は笛からもらったんだってさ。
よこぶえなんだけどね、割と高い音が出るんだ。ぼくの手製のピッコロは木製なんだけど、いい音色。ぼくとしては気に入っている。
ぼくの生きている時代は、今はじまったわけではない。今よりも前の時代を経て、形作られてきたんだ。
それは、シェイプというよりは、フォームに近いかなとも思う。ハウスよりは語感的にホームかな。つまり、あたたかい。このあたたかいというのは、大変な価値が僕にとってはある。何故かというと、死にゆく者として、生まれいづる者はあるからなんだ。
この摂理は生理学という窓からものぞけるって先生がいってた。チルカ先生のことだけどね。わりと、ぼくは古風なんだよね。
古臭いとおもうけど、ビルデは楽しそうに聞いてくれる。今日も教室の片隅でひとりっきりだったビルデに声をいつものようにかけると、「まぁ。ピッコロ、ありがたいわ。いつもこえかけてくださって。べつに頼んでもないのにね。」
と、こうきた。
そこで、ぼくはこう言った。
「ビルデ、君は人の輪の中にはいるのが苦手みたいだな。」
そしたらさ、ビルデがわぁーーーっと泣き叫んだんだよね。つまり、ぼくとしては、悪意のある物言いをしたことに感づいて怒っちゃったんだ。わるいことしたな。
つまり、ものわかりなんだよね。シェイクスピアがわかるならさ、たいていのことはわかるんじゃないかと思うよ。
文学の時間に、マクベスを黙読したんだけど、ぼくは我慢できなくなってさ、つい朗読しちゃったんだ。
それはさ、かの高名なくだり。―−−見かけじゃないよ、ホレイショ、人って中身だよ――――――
むろん、イモだとはわれながら思う。けどさ、さめの肉ってふうな風体のビルデを見てるとさ、つい言っちゃうんだよね。いじわるなことを。これは一種の感冒だとおもう。だから、うつる。そこで、ビルデも負けずといじわるな子となった。
こういうわけで、ビルデはマクベスさながら復讐鬼となって、ぼくを恨んでいる、大嫌いだ、憎んでいる、腹が立つ、とか、とにかく罵詈雑言を投げかけたんだ。
ぼくは一瞬たじろいだ。
ひとこころおんちといったチルカ先生の顔がよぎった。そこで、ぼくは嘔吐したんだ。
まずいものを、おいしいとぼくはおもいこまされてきたよ、ビルデ。だから、全て吐き出す。はいてしまったからもう胃の中には何もない。もうぼくは、味覚障害だ。なにがおいしいならまだしも、なにが良いのかすらわからないんだよ。あぁあぁ、ぼくは全体むじゅんしている。存在が深淵なものだったぼくのこれまでは、ガールフレンドのきみがガルフだと感づいた日から斜陽となってしまった。全体むじゅんか。楽しい表現だ。わりと「系」という概念は
好きなんだよ。ぼくはね。ハルヘンスピエラー。みみをふさぐべし。
孤独は増殖するからね。
ビルデは孤独を好む。ひとり愛好家なんだ。なぜかというと、目がとてもきれいだからね、すみわたってる。
チャーム・ポイントだな。
きれいな顔のなかでも、きわだってる。きらきらとひかっている。
「私、ロンドンのまちを迷子になろうとして一生懸命だったけど、ついになれなかった過去を持つのよ。」
わりと鳥さんなみの方向感覚の持ち主みたいだな。でも、おんなってのがわざわいしてる。この先の消息がきになる。のらいぬとならねばよいが。
つまり、野犬はあなどれない。のらいぬは自由をこのむ。自由のためなら、死すらいとわないほどなんだ。
街で、たむろしてるからね、自由労働につくおとなのひとたちがさ。
ぼくは目にするたび、いいなとも思う。学校はもういいかなとも思う。つまり、退学だ。
でも、ちゃんと卒業しよう。できるなら良い成績で。
ビルデより。
ちようど、就寝の時間がやってきました。ぼくはいうまでもないけどさ、本当にこころからの孤独を知っている。
だから、ビルデに悪いこと言っちゃったなとも、思う。
地平線が、見えない。この町はずれの森の中にいては。大陸のほうではもっとうっそうとした森がひろがっているときいています。もっと、大陸をゆくと、平地がずっとずっとひろがっているっていいます。
森林思考のぼくとしては、ジプシーのビルデがときどき教えてくれるさすらいの暮らしにこころひかれるものがあります。ぼくは、森から出て、一本の木の子となろうとおもっています。
窓からこだちに枯葉のゆれるのがみえます。
夜も更けてゆきます。
 
 

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ぼくとしては、生まれついたこの時代を好んでる。わりと、いい時代だと思う。
といっても、ぼくはブリテンにいるから、大陸の風は海を介してつたわってくる。いまもって、舟は大切な交通手段なんだ。
自然もかわってきた。ただしくいうと、つつあるってかんじ。鳥はその器官によって教えられる。
ぼくはその教えに賛同するんだ。でも、それだと親和力ばかりそだって、動性が欠くこととなるかなとも思う。
ぼくは、科学主義のこの時代、アンチテイゼの浪漫主義にどっぷりとつかって、この年まで生きてきたんだ。
だから、自然と勉強をなまけてしまうと、なにかがくるってきてしまうとかんじる。
とくに、文学と物理と芸術と哲学はぼくにとって、切っても切り離せない。ビルデはどうかというと、ビルデはぼくよりも成績が良いのだ。とくに、ラテン語なんてとびぬけてる。
でも、ぼくはこのパラノイアの器質をわりに面白いとさえ思う。ビルデはさ、おんなの人だからぼくとは異なったものの見方を時としてする。それが、ぼくを苦しめる。ぼくを底抜けにする。
ぼくとしても、こころがこわれるというのを知っている。ビルデも知っている。
何故かというと、家を出るまでにいろいろとあったからなんだ。こころの旅路がね。
人間は器官を訓練し、支配する。
個性というのがあるんだ。こころとからだには中枢神経というのの発育が欠かせないんだって。
「手よ、動きなさい。」といって、手が動いてくれるのは、この反復練習のたまものなんだって。
ぼくはここで、植物の変態の説明を試みようとしているのではない。
なにか、あたらしいものにはわからないときがある。
ときをへて、はじめてその意味に感づくんだよ。
たとえば、ぼくが子どもの時、おかあさんに
「この炭酸水、お骨をとかしちゃうんでしょ。」
というところをまちがえて
「この石炭」
といってしまったのは、今も思い出すたびおかしいとすら思うけど、意味があった。
ダブルト―クっていうんだって。この間、英文学の修辞学で習ったんだ。
なにげなく言ったことの意味に跡となって気づくこと。それがゲーテの植物の変態に関する論文でぼくのしいれたこと。と同時に、ぼくのねつぞうしたこと。
つまり、かんがえたこと。
たっとい。時間を考えることに充てるなんて英国らしいと思うよ。実際のとこ。
この、分数というかんがえかた。百合根みたいなのかな。
半分、きょうきじみているよなかんじ。
ぼくは、ビルデと一緒で、だからかなともおもうの。互いに互いをもとめてしまったというのが。もし、ビルデがいなかったら、ぼくはくるっていたとすら思うんだ。ビルデがやさしくて、聡明で、異国的だからぼくを補完してくれたんだ。いまのとこ、ぼくはまだ未完だけどね。1793年の憤激さる人々という戯曲は未完に終わったんだって。
もちろん、ゲーテの作品だよ。
反省として、古典的なものは健康である。浪漫的なものは病的である。という格言をビルデと話したんだ。
むちろん、「的」がつくけどね、
シェイクスピアなんて、古典だけど病的ともいえるのはなんでだろう。不思議。
ぼくの鋳がたとなってくれたビルデ。ぼくたちはチルカ先生という理解者がいなかったら、きっと、にげていたとおもうんだ。なにからかわからないけどね。
きっと、おとなとはちがったもののみかたをぼくたちがしてしまったからだとおもうんだ。
あぁ、あこがれをしるもののみ、わがなやみをしらめ。
この偉大なる金言こそ、ゲーテとぼくの親和力となってくれるものだ。外国語を知らないものは、自国語についても知らないというのは、もっかぼくの信念となりつつある。
気楽に書いているつもりだけど、けっこう泣いたんだ。これまでに何度となくね。でもぼくは男の子だから、
負けない。
ビルデを背負って行くんだから。エッカーマンとの対話集もペイジがすくなくなってきました。
話すというのは、すばらしいです。
この発出が、中枢となってソクラテスは高名となったのですから。
つまり、弟子たちによって、かれのデッサンは描かれたのです。
今日の日記には熱がこもりました。
 
1903年10月8日ー秋ー
 

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