新ららちゃんの窓

幻の山芋歌を探し続けて20年 てんとうむしのかわいらしさを見つけました

旭川物語

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旭川物語ー6−

ようこの家は母子家庭だ。だから、ようこのこころは花弱いにつきたし、自信といえるようなものももっていなかった。むろん、大学をめざしているのだから、青雲のこころざしはある。
だが、まずいと思う。
日本の教育はどこか欠陥があるように思う。それが、何によるものなのかわからねど、ようこは勉強することによって、自己自身がつくられていくどころか、逆に自分は男なのか、それとも女なのかとか、同性である女のひとであってもようことは違うんだかいった、じぶんの性の不安定さがたちのぼり、現象としての女性像にじぶんをあたはめてみたりもした。
しかし、それは異世代からみたら華美であるとか、あるいは、地味であるとか、また、露出狂であるとか、とにかく
さんざんな酷評でもってむかえられて、よくよくかんがえてみるとその言葉の大半が母のことばであったのだ。
母の見え方とようこの見え方がときとして対立をよび、ようこは随分と訴えかけねばならない羽目となった。
「おかあさん、へんてこりんな認知をわたしに吹きこまないでちょうだい。わたしの邪魔をしないでちょうだい。」
そう、くりかえしかたったにもかかわらず、ようこのわかってちょうだいはほぼ毎日のように繰り返されることとなった。
それは、十八のようこにとって地ごくであるといえた。
ようこにまだ解釈はできない。
好きなように生きればよかっただけである。しかし、みみのよいようこは、わかって、わかってを連呼しつづけた。
それは一種の啓蒙主義であるともいえた。
ようこが百科全書派となってゆくには、こうした経緯があったのだ。
限界をようこは知りたいと思った。
限界効能だ。限界効用ではない。
しかし、ようこには、概論、あるいはより強固に概説といった教科書がなかった。
あの、戦争の時代、産声をあげた、新書の精神に傾倒していたようこであったので、高等教育を受けれぬまま
知的な精神の古渇をみた同砲のくやしさが、ようこにそのころ早朝、ラジオで放送されていた通信教育の高等学校講座へとむかわせた。
朝、四時にはじまる。その講座で、ようこは社会科のようこ自身の基底部となった基礎を知った。
無文字の耳学問だ。
何といっても、わりと頭の良いようこであったので、それはようこにとっては落ちてたといっていいかもしれない。
学歴のはばをきかす、現代社会において女性ははたしてどんなかたちで、生きていったらよいのか。
くりかえすが、ようこの家は母子家庭だ。
けっして、お金に余っているとは言えない、
だから、働かなければならない。
そのためには、精神の力がいる。
生きていけるだけの自信を得なければならない。
ようこのこころはかよわかったから、また、母一人子一人であったから、社会というものがどんなものであるのか
見当もつかない。
だから、のこされた道と言ったら勉強をつむことだけだ。
そのためには、また、そのための精神のあり方が必要だった。
ようこは男とならねば。
そうかんがえた。
通信教育のラジオ講座ではこんなことをかたっていた。
「私たちのうけている教育には、今、いったいどんな問題があるでしょうか。ノーベル賞を獲得した高名な作家はこんなことを言われています。
ここまでいっらた作家の名が思い浮かぶのではないかと思いますが、彼は日本と西洋の懸け橋となるべく
奔走されました。古典の研究からはじめられ、日本的美と、日本女性の悲しみについて、おおくの書きものをのこされました。その道にしか、わたしたち通信教育をうけている青年にはないように思われます。」
世相は、高等大学生徒たちの学生への変態の過程が、拡大解釈されほぼおおくの学徒たちが、身の丈を忘れ果てフロイト博士のいうシャドウに動かされていたと言っていいかもしれない。
そのシャドウがなにかといったら、「性」であったとしかようこには理解できなかった。
自己の性は、自己にとって未知である。
求道を選択するのであったら、話は別であろうが、社会へとはばたき資本家のもと労働せねばならない身のおおくの学徒にとって、そのことは打って散る。
観念をもつことを、冷めた言い方で「機能主義」というとようこはいわいから聞いた。
そう言った意味で、ようこはドイツの観念論を探求する必要があった。
そして、機能主義を身につけ、本質を見抜きロマン主義へと帰還せねばならなかった。
それをさして、哲学という。
知を愛する。とはそういう意味である気がする。
ロマン主義こそ、ようこの母体であった。ふるさとであった。
この、あたたかい血の通った生命のかおりのする浪漫こそ、母の生まれ育った時代の教えであって、
遺伝のちからがどこまでも時代をようこにも、またいわいにも、風景とさせていった。
ふたりは、心中しようとちかった。
玉川上水でいのちつきよう。
いや、ここは旭川であるのだから、あさひかわで服薬して死ぬのだ。
これはある種のアンチテイゼである。
経験にとぼしい若いふたりであるから、テイぜはよわよわしい。
だが、アンチテイゼははげしかった。
なにも死ぬことはない。
市井でいきていったらよい。
スーパーで買い物をしないひとはこの世のどこにもいない。
この庶民的な日常への埋没こそ、光景だ。
ふたりは、そっと秘密のちかいをたてた。「けっこん」のことばのちからをかりて。
ふたりは、新自由クラブともいえる、人生の愛好者となろうと、そのよ、結ばれた。
ようこが十九歳となる直前であった。
入試の日はちかい。
ふたりだけのせかいにいながらも、けっこんしたみであるから、精神力がついた。
狂気がきえていった。
母のもとをさって、いわいとふたり暮らしてゆこうと、ようこはかんがえ、離れをでだ。
ながいあいだくらしてきた、この家とさよならするのだ。
愛惜のねんに、こころがふさがれた。
ちいさかったころのおもいでがおしよせた。たくさんの夢をいだいた青春時代だった。ようこの青春だった。
青年という言語の力を借りて、今、ようこといわいは大海に沈没しかけつつあるいっそうの舟に再び乗ろうとしているのだ。
すべての風景がふたごのパスカルとポルックスのように、夜ソラに飛び上がって行った。
いわいの大学卒業の日もちかい。
それまでの、辛坊だ。
ようこは、悟った。
それこそが、ロマン哲学という生きた思想のエイトスなのだとしんじている。
ただ、真っ白な雪がまわたのごとくふりしきった。
雪国の冬はトンネルのさきに、海がみえるのだという。
どんな海かは知らないが、きっと見たことのない景色であることと思う。
信頼を、ふたりは互いに知った気がした。そのひとみにうつるすべてが、うつくしくただまっしろだった。
けがれない、しろいしろいこころ。
愛情をきざんでゆく。
楔形文字。
インダス文明のかぜを、ちょうちょがふたりに贈ってくれたのだ。

旭川物語ー5−

ようこは大学を今年、受験しなかったが、ずいぶんとくやしい思いをした。
友はみな、付属短大にすすんだ。ようこはその道に進む手立てもあったが、そうはしなかった。
もとより、自分からすすんで自宅浪人を選択したのだ。
それは、変わったことであったかもしれない。すくなくとも、ようこの見知った高校の友はみな、変わった選択をしたものだと、笑ったものだった。
くやしいといえば、くやしかったが、ようこは自分は男なのだ。男の人と同じように四年制大学にすすみ、同じように就職する。ただ、それだけの、ちいさな希望が打ち砕かれてしまったことが、なによりもようこをくるしめた。
この時代、まだ、女の実で浪人をするという行為は物珍しかった。
異常であるともいえた。
すくなくとも、まだようこは十八歳だ。それゆえ、十八歳の世界観がただひろくあり、ようこだけの内部がふかかった。また、まだ、狭い世界しかしらなかったのだから、何のために親であるとか、教師であるとか、いたのかといえば、それは陽子に生きてゆくための知恵を授けることのみであったのではないだろうかとも思う。
すくなくとも、ようこの人生の幕開けである高校卒業を喜ばしいこころで祝えるようなあかるい気分ともいえるこころの推移をようこが、自身のちからで見出さねばならなかったのは、それはいうまでもなく、ようこが苦境にいたからであったといえるのだ。
もとより、ようこは青春をストレートに送りたいとおもっていた。
私の名前は森田陽子だ。友が、こころをわかちあえることのかなう友のひとりもいないことが、とてもようこにとっては哀しいことであった。
あるいは、こころなどというのは、幻想であって、あるのはただ機械的に外界をながめているだけの、当時のようこにとって、廃人ともとれるこころの衰退に思えた。
こころあるかぎり、ひとはきずつくものだ。
きずついたら、やりかえさねばならない。
倍のくるしみをあじあわせなければならない。
場合によっては、殺さなければならない。
何故なら、ようこの青春は純粋ななにかであって、その青春の宝物はだれにもうばえないからである。
もし、ひとを傷つけて、よろこぶのであれば、それはようこにとってはちがっている。
たださなければならない。
ようこは、教育をたかいものとは決してとらえていなかった。無文字社会というのも厳然としてある。
これらの社会は下等であろうか。
野生の思考は、共感しえる叡智だ。おおくの友が、良い人であってほしいと願いつつも、意地の悪いひとにおもえてならなかった。
私はかわっているだろうか。あまんじて、この変わっているという命名を受けなければならなかったかもしれない。
しかし、ようこはちがうとおもった。まちがっているのは、一体どちらであろうか。
いま、受験勉強をなげだし、逃避することはたやすいことかもしれない。しかしながら、もっとたいせつなことがあるのだ。
頼ることは簡単なことではなかった。ようこは拡大しようとしていたのだから。
おとなへとちかずくのだと信じていたのだから。
よりおおきくなっていくことが、おとなへとむかっていくことでなくてなんであろうか。
また、ただひとりの友人である、いわいが、酒を飲んだ夜、ようこにこんなはなしをした。
「おさけを飲みすぎちゃったよ。ぼくはさるなんだ。」
「あら、さるはかわいいわ。やまなしになりなさいよ。宮沢賢治さんのやまなしよ。」
「わらってもいいのかな。」
いわいはそう言うと、ようこのほほに手をやった。
あたたかい感触に、一瞬ようこは躊躇した。これは、わたしのうけつけられないなにかあたたかなものだ。
いま、勉強をかさねているようこにとって、その仕事はつらいことであった。なぜ、つらかったのかというと、
ようこがそこそこできりあげられなかったということ。知らないことがいっぱいで、まずは、暗記しなければならない。そのためには、時間がひつようだ。
短時間で、つめこんだ教育という知識のため、自分自身の要求さえ忘れ果ててしまっている生徒の何とおおいことか。どうしたいのか。なにをかんがえているのか。あるいは、まわりのみんなはどうなのであろうかとか、
たくさんの艱難のために、こころの自由をもとめたひとりがようこだった。
自由といっても、ぴんとこないかもしれないが、それは、放逸な行動にはしるだけのことではなかった。
ようこの考える自由とは、自分自身というるこころの内奥をけっして、踏みにじられたくはないという、
義憤ともいえることばを拝借するのであれば、正義感だった。
公正感覚ともいえるかもしれない。
かの有名なユーゴーは「あぁ無常」という書物のなかで、「普遍人」という思想を展開している。
踏みにじられたくないというこころがあるから、ほかのひとたちにもそのこころがあるのだと思った。
もし、ようこが弱い人間を苦しめたりしたのなら、それはひととして落ちているということになるのではないだろうか。
ひとは、だから、おおきなこころをもってひとのあやまちをゆるさなければならないときがある。
ようこは、いわいとそんなことを話して、夜、九時をまわるころいわいの家をでた。
夜空十に星がちりばめられている。
ほしのこころは大衆のこころである。
ようこは、自分のために生きようとおもった。女性の心身の向上であるとか、人道的配慮であるとかいうことよりも
まずは、じぶんだけのしあわせを見つけて、そのしあわせを大切に守って行こう。
いまはわかいけれども、いずれ、いわいとともにようこもとしを重ねてゆく。
そんなとき、あわてないように、悔いのない毎日をただひたすらおくらねば。
むろん、ようこの人生はもう曲がってしまった。
生まれついた時代が、ようこのこころと対置のようでどこか似通っていたのは、ようこが、「どかべん」というアニメーションを見ていたからではなかったかと思う。
「ぼくの球をうけられるのは、山田太郎君だけだ。」
その投手の言い放ったことばがようこの心の片隅にいつまでも色褪せないままだ。
とれないボールがあるものか。
サリーちゃんは、自分の魔法がきえてしまうのを承知で、学校の火事を消しとめようとした。
ポールは、つれさらわれたに―なを救うため、たったひとりで絶望のたたかいをつづけた。
みな、ようこのこころを涵養してくれた。
勉強することよりも、もっと大事ななにか高いものである気がした。
それゆえ、逃げるように、ようこは高校を卒業していったのだから。
しかしながら、わずかではあったが、ようこには能力ともいえる知性がある。だから、高等教育をうけねば、
こころの出口をうしなってしまうことは目に見えている。
言葉からだ。まずは、小学校の国語からやりなおさねばいけない。
ようこはこころを知らなければならないのだ。それはあたたかなものであって、ようこはずっとそうしていたかった。
からだは、刻一刻と成長して行っている。でも、今しなければならないのは、高校の勉強であって、大学教育でもなければ、異性について知ることでもない。
ようこは、ずいぶんと、はしった。
もじどうり、近隣の湖畔を毎朝ジョギングした。からだが求めていたとしか言いようがない。
なにより、くじけてしまったようこにとって、向かってゆく心、闘争心ともいえる覇気が、よみがえりつつあった。
それは、女らしいことではなかったかもしれない。
またしてもねそのことが、ようこのこころを苦しめた。
やさしいこころのまま、かしこくなるにはどうしたらよいものかと思案しもした。
ようこは自分が女なのだということを気づき始めた。
大衆小説「レ・ミゼラブル」は、髪の毛、そして、自分の歯まで売って、娘こぜっとを養育しようとした母のところで、ようこは泣きじゃくった。
若い身であるのだから、そのぶんあるいはよけいに哀しいことであったと思うのだ。
パンひときれを盗んだために、十六年の投獄を強いられたジャンパルジャン。
あまりにも、理不尽であったと思うのだ。
たたかうのが、正当ではないか。
こころがあるのだから。
このことも、マドレーヌ市長のこころを踏みつけにした悪が、かれを苦しめることとなった。
一体、原理とは、なぜ、ひとのこころをろぼっととするのか。
いわいは、生物学を学んでいたから、納得した。
しかし、ようこは変化のなかにいながらも、世相がうつりゆくのを目の当たりとした。
はたして、いわいは陽子を理解できるだろうか。それはわんらないが、すくなくとも、いわいは雪のふる街を
ともにようこと歩いていた時、っとこう語ったのだ。
「ようこ、おさるさんの性器をみたことあるかい。」
「なにいっているの。」
「ぼくは、兄貴がまだ四つのようこにライターであぶった男性器を触らせたのを知っていたんだ。」
「しらないわ。」
「わすれていたんだよ。」
「なにいってるの。」
「兄貴は、学生時代、夢にやぶれたんだ。」
「それで、私にそんなことをしたの?」
「おもいだしたかい。」
「おぼえてたわ。」
ようこは、それが、フロイト博士のいうトラウマということを知った。
罪と罰が、もはやなにもわからなくなっていた。しかしながら、わずかに、美しいものがまだ二人にだけの世界の中で咲き誇っていた。
それは、大輪のひまわりだった。
どんなときも、あこがれをわすれないのだ。
ようこといわいは、プラトニックであったが、じき、深い仲となる日がやってくると思う。
たよれるちいさなひろいこころをもててようこは幸せだと思った。
しゃにむに、たたかうことをやめて、恋をつかみとろう。
恋愛において、そのためのちからがいることは、ひとつのじんせいの一部であったとしても、勝っているというあかしとはならないだろうか。
ようこは、これまでの闘争の日びをおもうにつけ、実存という主体が、かけていたという致命的な性格の損傷に、
いわいの兄へのくやしさは、なぜかおきなかった。
同情のこころがあった。
理不尽が、おおきいこととして人々にとらえられていたのであるから、あわれなのだ。
暮らしをみつめて生きてゆこう。
なにひとつ、かわっていない、ひとのこころのいとなみに、みみを傾けてゆこう。
それによって、ようこのこころが、いわいへの愛へと向かってゆくのだから、わたしはこの幸せでよいのだ。
不安が、消えはつた。

旭川物語ー3−

さいわい、冴子はアルバイトを気軽に行える時代にうまれおつた。働くことが、「悪」ではなかった。
むしろ、誇れることであったから、自宅浪人の身の冴子もやさしいこころで社会参加し、勤労の喜びを感ずることがかなう運びとなったのだった。
冴子の就職先は、近所の酒屋であった。店頭に「レジ係募集」と張り紙があった。交渉すると、店のおじさんは
冴子の少女期を思い出したのか、
「冴子ちゃん、おおきくなったねぇ」
そう言って笑った。
履歴書などいらぬ。すぐに働くがよい。浪人はよくない。とくに女の子にはなにかとつらい風も吹く。
冴子は緊張しつつ、つと、店の二男坊で北海道大学に通っているいわいを思い出した。
いわいは冴子より三つ年上であった。
この年頃の三つ差はおおきい。ましてや、いわいは男だ。自己同一性など、とうに身につけてしまっていたに違いない。この、拡散した自己自身ともいえないなにかぼんやりと眺めている冴子のまなざしは、いわいから見ると
危険な目であった。
いわいは二階から下りてくると、冴子を見てはっとした。
何故なら、冴子はとうにおとなのなりをして、まぶしいさかりであったからである。
冴子は半分はノイローゼであるかのような、痛みのわからぬ麻痺した精神の風邪をわずらいつつも、いわいを見てなみだがこぼれおつた。何て懐かしいのだろう。この北大に通ういわいという少年は、もうすっかり大学生ではないか。身なりもこなしかたも、大学生らしい風采ではないか。
それにひきかえ、冴子はどうだ。
高校時代の洋服を着ている上に、予備校にも通っておらない。
この変化をとらえるには、確立された知覚が必要であった。だが、今の冴子にはにぶりきった頭脳と反射の
反復すらかなわない身の上でわないか。
冴子はいわいに一転して悪意を抱いた。いじめてやろうかと思ったのだった。一体、どうやっていじめてやろうというのかといえば、じつのところ冴子にもよくはわからなかった。
しかし、それが屈折した冴子の恋こころなのだと気付くまでもなく、二人は就職一日目のおやつの時間、
茶の間のわきの縁側に座って、花梨等をたべながら手をとりあった。
いつしか、冴子にはいわいがみっつ年上なのだということを忘れさせる柚鳥がうまれいでて、
手を引いた。
いわいはそっと、冴子のこころにくちづけをした。
なにといっても、浪人の女の子に手を出すのであるから、このことは大切に暖めてゆかなければならぬ。
冴子ちゃんは十九歳の娘なのだから。
いもうとのように、
いとしんでゆかねば。
ぼくは強くならなければ。
いわいはそうこころにメメント・モリしたのであった。
 

旭川物語ー3−

じき、秋が到来する。
冴子はなかば浮かんだ体ともうひとつの暗がりにそっとひそんだ、溶鋳こそ、冴子に精神のかたちをあたえてくれる―シャドウ―影なのだと感づいた。
北国の秋は短い。足早にとおりすぎ、うつくしい光景を香歳に留めてゆく。
色も鮮やかに染まった紅葉し山々や、高地に鞭を這うようにのびたかずらの赤いハート型の葉をみるにつけ、
こころおだやかとなった。
客観といえばよいのだろうか。
心身を動かすことにより、このふさがれた世界は終わりつぐように思わるる。からだでかんずる。五感の閉じた
内部の暗黒に、ベールを通して眺めていたかのよな内部と外部の変質があったのだった。
冴子は町のはずれにある医院をたずねた。
小生は大学浪人生であります。小生には自分が受験ノイローゼではないかと思われるのです。
医者は笑うと、健康診断表を見せてください。と言った。
それから、小枝子は身長、体重、レントゲンなどを手早くすませた。
身長が、二センチ伸びていた。ちなみに、冴子の右上の奥に生えたばかりの親知らずは、Englishではウィスダムティースというのだそうだ。
英知といった意味だが、冴子は気に入っていた。未開人の詩的叡智といった言葉を、構造主義の本で知っていた冴子は、野蛮な肉塊の現実が、新心理として認知、あるいは迎合されるのであろうかといった、矛盾した思いにとらわれもした。
全てがながれてゆこうとしていた。
時は昭和48年である。
遠い外国では、争いがおこっていた。古渇燃料をめぐるオイルショックが各国でおこり、為替レートも推移した。
搾乳場で雌牛が乳をしぼられながら、並んだすがたがこころにきざまれた。
医院からの帰り、道傍に牛舎があったのだ。
太陽の当たるおいしい牧草のあるところで放牧したら、どんなにおいしい牛乳ができるだろうかと考えた。
冴子は栄養不良と診断された。牛耳が音をたてた。
歩くことで、健康を取り戻せる予感のした冴子は、毎日4時間お散歩した。足裏のつぼを刺激することで、知ったり覚えたりすることが正常となるのであれば、良いのだから。
円環という言葉が、十八の冴子には感知できた。
ニイチェ哲学のかなめとなる、生への渇望であった。しかしながら、力の行使に対し、冴子は過敏に嫌悪感をしめしたのだ。冴子の母は、戦前派である。
そのため、使い古された差別的発言をごくたまにすることがあった。
冴子にはそれが理解できなかった。偉大な博士、アインシュタインが相対性理論を発表して久しかったが、
冴子は、新課程で育ったためか、勘のようなものが発達していた。
その勘が、万有引力やオウムの法則など、力学の基礎となる実証見聞を深めてゆく過程で、すこしづつ、
科学という哲学に内抱されつつも、外延していった科学知識の獲得へとはやらせた。
冴子の身体も、秋を感じはじめていた。
せつなさが、心身をちいさくさせた。
恋を、冴子は覚え始めようとしていたのであった。
 

旭川物語ー2−

冴子は女であるので、女の道を走ることしかかなわぬ。
冴子は薫陶されはじめていたのだ。それは美しいメロスであった。ギリシアの美神のごとし父の声が遠くきこゆるきがした。
冴子、女神の天秤だ。アメリカ合衆国の誇りでるあの自由の女神こそ君に贈るプレゼントだよ。
冴子の父は、法学校で学んだ。そしてその後、簡易裁判所の裁判官となった。
だが、冴子の父の思い出は、彼女が三歳の頃より、ふつりと閉ざされる。
離婚が成立したのだ。
父がけして弱音をはかない性分であったことのみ、冴子はおぼろげに記憶している。家はけして大きいとは言えなかったが、いつも花瓶には花が飾られていたし、庭には白樺とはくれんの花木があった。紫色をした紫陽花や、ききょうの花、春には咲き誇る藤だなの花々、南天にびわの木も植えられていたことを、冴子は感謝につくせない。
これらのちいさな自然が、冴子に情感のようななにか大切なものを与えてくれた。冴子は浪人生だったかもしれないが、感動するこころをあたえてくれた。
なにより、冴子が図書館に頻繁に通うようになった夏過ぎて、まずもって瞳に飛び込んできたのは、もぉ、とうに諦めていたはずだった絵画への情熱であった。Renoirの浴女を見たときの感動は言葉では言い尽くせない。
シュルレアリズムが冴子のこころであったから、それは、無知なるまなざしの歓喜であった。
あるがままの身体がこの絵画にはあったのだ。こころまで、感鉱した。涙がほほをつたった。
この世界にこんなにもうつくしいものがあるだろうかと思った。
この絵が、人の手によって生み出されたのだと思うと、深く深くしずかなるこころは星となり、輝いた。
一瞬であったかもしれぬが、人々のこころにふれたよな気もした。
ちいさな冴子の言葉に耳をかたむけてくれる人などいわしない。みな、自分のことで手いっぱいである。
冴子とてそうであった。まずは、勉強をしなければ、来年に桜を咲かせることはかなわない。
だが、愛情をまだ知らなかった彼女にとって、あの故郷の旭川の雪景色こそ、家庭であるといえたのだった。
一体、誰の言葉であったろうか。
家庭の愛を知っている人は、あの浴女の如きやさしく穏やかなおおらかさをもって、はだかとなれるのであろうか。水辺でなく異性の前であったとしても、愛と密接に向かい合える性を表現できるのであろうか。
冴子にとって、異性は不思議な存在であった。
父の面影をたよりに、冴子は学び続けた。
これは、自分の問題であって、母や学校との間の問題ではない。
だから、母に世間体であるとか、口紅をひくのを禁じられたりする干渉は冴子の自我にまで侵入し、冴子のこころをゆら動かすのだということを、冴子がつたないなりに口にだそうとすると、冴子は声が突然と出なくなるという
心因性の発作に見舞われた。
何度言っても、母は無理解である。もとより、異質の文化、ないし内的世界観を持ち始めた冴子にとって、
影を踏むことは若さという誇り高さが許さなかった。
うつくしい気がした。なにとなく、ばらの香りがからだからただよった。
この若い肢体と顔立ちが、移り去って行ってしまう事が、時を生き始めた冴子にとって、自分だけの人生を歩き始めた冴子にとって、両価値という印象に添え物をした。
冴子はどうせわたしは女なのだもの。
そう思った。
どうせ、片親の子なのだもの。
そうも思った。
夏、彼女は予備校の夏期講習を受けた。多くの男性のなかに、女の人もちらと見えた。
多浪は精神を歪ませるに値するだろうか。見まわしてみると、たくさんの年召した男性がいる。
きっと、つらいのだろうな。
冴子は思った。
冴子とて、来年の入試を控えておるのであるから、つらい身の上だろう。けれど、男であることは、当たり前のように浪人可能であるとともに、重責がのしかかる。
冴子は新聞奨学生となって、浪人を乗り切ろうと思ったことが高校生の時分あった。
母を親と認められぬ。
だから、そのことは、当然のように女としての性を、あるいは成熟を否定することとむすびついてしまうのだった。
冴子はまず、内観からはじめた。
自分をつかもうとした。
それは格闘であった。精神の向上であった。時が、静止したまま、すこしも動かなかった。
力動山の活躍は、偉大であった。
冴子はぷらっと町を歩いた。角の電機屋で、白黒テレビが放映されているのを、
何とはなしに、冴子は見つめた。真夏の午後であった。
明るい陽射しが、窓ガラスに光りてった。
冬が恋しかった。早く二十歳となりたい。成人と認められたい。再来年の成人式には、冴子はきっと晴れ着は着ないだろうと思った。
三つ年長のいとこはスーツを着用していった。むろん、女の人である。
晴れ着よりも、安価であるからだと知ったのは、まだずっとあとのことだ。冴子は偉いと思った。
同郷の花やいだ振袖の色とりどりのなか、就職の道を選んだいとこはグレイの点となっていたが、顔立ちは自信に満ちあふれていた。
祝辞の電報を十一通受け取ったときく。
旭川はその日、雨だった。
降り注ぐ雨音が、脳裏に残って消えない。

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