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昨日、午後2時から哲学クラブ「テオリア」に出向いたららでしたが、待っていたのは「比較思想研究会」のほうでした。ららはプロテスタントの日曜学校に通う信徒をいったん中止し、思うところあって浄土真宗に帰依しました。
阿弥陀如来の請願のありがたさに、いてくださることの存在の滋養に、暮れなずむお念仏を唱えるたびかならず笑いがこみあげてしまうといったところでした。
しかし、思想ならよかったのです。お墓を浄土真宗のお寺さんにするというのでしょうか。ららは。
法然、親鸞両氏の教えに歎息するとともに、数多くの仏様の仏性にこんなにも人民をおもってくださる神がおられることに、何故か判らねど、日本人だからか、神仏習合であることもふまえ、拝む、あるいはお祈りすることの心安らかなることに感知いたしました。
この研究会にはお坊さんの学校に行かれた方や、禅に通じる方、キリスト教徒のかたなど、おおくおられます。
「比較」という言葉がつくことからも、会の気質がみえてくることかとおもわれます。
面従腹反などざらです。
会長はとてもいいひとで、ららが元旦に年賀状が届くようばんたんで向かったのに、お返事がきませんでした。
表面的には、仲がよいほうなのですが、腹の中まではわからないのでしょう。
ところで、「テオリア」では「西田哲学」に取り組んでいますが、こちらのほうでは、「ミリンダ王の問い」を読んでいます。解説付きのなにかいいテキストがありましたらご一報くださいね。
もし、暇な時間の多い成人の方などで、思想・宗教に関心がありましたら、文京まであそびにきてください。
表面的にはやさしいかんじのおじいさんたちがやさしくしてくれます。
ららもいい年ですけど、まだヤングの方にはいります。
この安心感は捨てがたいものがあります。
新築した建物の写真も幾枚かご紹介しますね。
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比較思想研究会
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ららの所属する比較思想研究会のメンバーさんたちです。
左が会長さんです。
右の方はいつも会以外でもよくお会いするなじみのかたです。会長さんとは、哲学ゼミとドイツ語学習会でも御一緒しています。
面白いでしょ?
ららの通っている学校のインパクト。
ちなみにららは数学や理科を専攻しているので、専門の哲学はサークルで造詣を深めています。
倍の努力といったらそうですけど、楽しいです。
会長がイドラについて解説をくわえているところ。
この概念。ららが高校生だったころは全然意味わかりませんでした。
でも今はわかりますよ。
なんといってもららもいいおとし。
わからなけれはせ恥ずかしいというものです。
おなじく、講義中の会長。
熱心ですね。でもいつも途中ではなしがわきみちにずれます。
きっと御自分のなかでもっとうまくせつめいできたならとか、様々なことをお考えの上そうなるのでしょう。
戯論と言う言葉も会長からさずかりました。
ちなみに元立教ポ―イさんですが、系列としては、またポテンシャルとしては慶応大学だと自負されています。
さすがに頭もよいし、品性もおありです。
すごいでしょ?。
比較思想のメンバーのかたがた。
その日のディスカッションを終えて帰路に着くころ集まっていただき、写真を撮らせていただきました。
手前左の女性はかなりくわしいかたです。空ちゃんについても造詣深いです。
ちなみに空ちゃんとは、原始仏教の中論と言う書物に出てくる言葉。今比較思想研究会でとりあげているテーマです。
トートロジーといってしまったらそれまでなんですけど、微妙に東西で異なった意味合いがあるのでしょうね。
でも翻訳可能なのですから、きっとそれがただしいんでしょう。
中論の原典からは、菩提心と言う御心もおそわりました。
本来のあるべく姿に戻ろうとする、回帰とでもいったらよいのか、それをキリスト教ではみこころ、あるいは御ことばともうしますが、そういった意味合いの大切なキーワードです。
比較思想研究会にとどまらず、ららの学校の学生さんは年長者がおおいので、わりとたのしいです。
頂戴するものも多いですし。
らら、同い年集団はどちらかというと苦手です。
だから、この学校とはなじみやすいのです。
小学校脳とでもいったらよいのか、完璧たて構造をしています。ららのお脳。
いまさら、同年代とまじわれといわれても、らら困っちゃいます。
ちなみに、昨日と今日は吉祥寺の東急インで紙芝居の研修がありました。
性格には今日もあるんですけど、まだアップは先になることと思います。井の頭公園を撮影してまいりましたので、楽しみに待っていてください。
紅葉がきれいでした。
学校と地元のサークル。二足のわらじですが、微妙に風味が異なります。
でもちゃんと適応しているので安心してください。
さいきん65円の調ビックアイスにはまっていまして・・・・・・・・
昨日も食べちゃいました。今日も。
来月は忘年会シーズン。茗峰会で会があります。
あとドイツ語学習会でもフランス料理店で集まりがあるんですけど、ららにはちょっぴり敷居が高いのだ。
それで、欠席にまるしたらら。
でも恵比寿のドゥ・ロアンヌは逃げません。
当たり前ですけど、表記よくはなかったですね。
やはり、ランチとはいってもコースでしょうか。わたくし、お金の都合がつけばゆきたかった親睦会です。
でもららはぺけ。
それでよいのです。ほめてさしあげます。わたくしのことを。
ららは苦学生なのだ。
悠々自適でふところのあったかい年配のかたとは格がちがうのだ。
しかし、末は君の方が上だとまで先生は言ってくださいました。その言葉を灯台守として、寄る辺ない身の上のららですが、一歩一歩絶えず前進してまいりたいと考えております。
指針となるのがららにとっての学校ですから、ほんとに廉価でたりしめるうちの学校のようなカルチャーが存在してくださってありがたい限りです。
何事も気の持ちようですからね。
ちなみに、文京区にあります。いまは浮間舟渡に身をやつしてはいますが。仮校舎もよいものです。
らら宅から近いですから。徒歩で通えます。
恵比寿って埼京線でゆけますけど、らら宅から結構時間かかります。
でもよいところだとときいています。
シロガネーゼっていうんですか?
有名ですよね。基本です。
もぉそろそろ、ドイツ語も発表を避けてばかりはいられないんですけど、らら、辞書ひかないで直読直解出翻訳するので、不思議な訳となるのです。
比較思想のほうでは、毎回盛り上がります。
今度お茶したいです。女性はただだったらよいな。
そんなことないでしょうけど。でも希望くらいあります。
さて、ながくなってまいりましたが、ららのしいれたフランス料理店まで御披露してしまいました。
よいところときいています。
もうかるとよいですね。
でも通の方向きかも知れません。よくわかりませんけど。
テオリアではららの過去も暴露しました。過去といっても、もと不登校児だったという位ですけど。
でもららにとっては宝物のような神様から頂戴した想像的休暇であったのです。学校に通わねばならなくて随分とたくさんのものを失いました。奪われたと言った方が正しいかもしれません。
でも結果として今のららがあるのですから、良しとしましょう。らら、自足のこころでいっぱいです。充分人生をエンジョイしています。
これはとても大切なことだと考えています。楽しむことほど重要なテーゼがあるでしょうか?
さて、ここらできりあげましょうね。
写真にでてるでしょ。年を重ねた柔和さとでもいったらよいなにかが。にじみでるものですね。
顔にそれまでの人生のありかたというか構えといったらよいなにかが。
けっして、うわべだけではわからないのです。
ひとはソの内奥がお顔にあらわる。それを相というそうです。不幸の相とかいいますよね。ららもひととき、不幸の相につかれていたころがありましたが、今では変わった人を寄せ付けないくらい、根あか人種となりました。
ありがとう。大学校さん。にほんの学制でただひとつぴったりだったといえば、大学校くらいです。
かわっていますね。ららって。
でわ。
次回のアップをおたのしみにね。 |
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