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写真のとおり、素敵な挿絵の寓話、「リトル・ターン」をご紹介いたしますね。
五木寛之先生というと、名作「かもめのジョナサン」の翻訳で有名ですが、この「リトルターン」はその姉妹編といったかんじです。
こあじさしのことを英語でリトルターンというそうです。
文字どうり、ちいさなターンです。
生きて、暮らしていると、たくさんの歧点に遭遇することと思います。
そんなとき、この本と、続巻のリトル・ターン2を読むとなにか奥深いところにサジェスチョンが隠されていることに発見かあり、繰り返し感じてきたようでもあり、また、このような小さな鳥ですら、一人ぼっちを寂しく感じ
飛べなくなってしまったことをかなしむのです。
リトルターンはどうなるのでしょう。
氏は解説部でこのように話されておいでです。
「思うに、20世紀は高く飛ぼうとする時代だった。今は逆に飛べなくなって茫然としている鳥たちの時代だ。
そう言う時に、この物語が登場するという事が面白い。
これは必ずしも多くのふつうの人に読まれる本ではないのではないか。
飛べないことで悩んでいる人。
急に飛べなくなって困惑している友に、この一冊をそっと手渡したい。」
このお話の主人公は、どんなふうにその危機を乗り越えて、再起したのか。
そこが、このお話の謎めいた主題だそうです。
当初、側面だったためか、難しかった「リトル・ターン」のテーマ。
でも、理解しようと努めれば、わからないことなどないのだということを、この物語は語っているように思われます。
生きるということは、智慧を鳥におしえてくれること。
完成にむかって、鳥もあゆんでゆく。
これまではみつめてこなかった、みえなかった世界を知り、おおくのことを感じ、以前よりも大人となってまたかえってくる。
それは、永遠に不幸であっては決してならない、故郷のあたたかさのなかにこそ、根を張るものだと思います。
リトルターンは、友と再会できると信じている。
会いたいきもちがあるから、会えるのです。
それは、神様からの恵みのすべてかもしれません。
子供時代を抜け殻としないためにも、ふるさとはしあわせなものでなければならないのです。
しかし、偉大な鳥は、自分がうけたしうちを決してよそに繰り返したりはせず、
殉じてあるがままにいき、高く今を越えていこうとするのです。
そして、それが、20世紀であったといいます。
だとしたら、21世紀があらゆる生き方を許容するのであれば、ヒエラルキーは崩れ去り、生きてゆくために
積極的な人生への意味づけが必要となってくるように思えます。
自分の人生の値打ちをはかるのは自分自身でしかありえないのです。
ある種、孤独な道のりですが、自律の精神と、祝福されることをこころから喜ぶことのできるたぐいまれな性分こそ、これからの生きてゆく上でのとりえといったら、とりえであるようなきがします。
しかし、自己暗示だけは避けたい気がします。
適度にからだを動かすことが、心身の調和をうみもし、常日頃のこころがけが積み重なって玉となるきがいたします。
ひとの評価はあとからついてくるものなのだといいきかせて、今この時を悔いのないよういきる。
このことによって、すくわれるこころもあるのだとかんじました。
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読書便り
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ららは今、小説書きに夢中です。
ちなみに仮題「雪の音の聴こえる日まで」です。
富山県、金沢から程ない七尾の児童預かり所が
おもだった舞台です。
書き始めて三日ですが、大学の―トに25ページほどになりました。
一週間で、中編のこの作品は一応出来上がる見通しです。
最初は大学の―ト2刷の前後篇で構成するつもりだったんですけど、
横着なので、一冊にまとめることとしました。
テクニック不足というか、かさを増すのがへたっぴなので、どうしても、中編が限度となってしまいます。
でも、字体のおおきさとか、マルこどに行変えするとかすれば
結構、厚みのあるちゃんとした小説に仕上がることと思います。
といっても、アマチュアなので、発表の場あってこそ。
あらすじはあかせませんが、中学三年生、受験生の男の子が主人公です。
家庭環境が少し複雑といえば、おませなところがあるのも想像できるかと思います。
別段、はやければいいというわけでもない気もいたしますが
そこは、主人公の魅力にかかっていますので、感情移入できるかというよりも、こんな中学生もいるんだよ、
こんな風なことを考えて、迷っている中学生がいるんだよ、
というようなことが、読者に伝われば、
それで十分なのです。
ららとしては、ブログにスキャンして載せたいのですけど、
ここは我慢のしどころ。
未発表の作品に限るというところがほとんどですから、
じっとこらえて、ブログには載せないで、隠しておくのです。
時期が来たら、応募するために清書しなければいけませんが、
ぞうさないことでしょう。
それとも、ノートのコピーを渡すだけでも許されるのでしょうか。
そんな身分でもない気がいたしますが
希望的観測で作品を仕上げてゆきたいと考えています。
ららも、すでに年をとって長いです。
プロフィールのところには二十代とありますが、さばをよんでいます。
実のところ、結構いっています。
でも、写真はノーメイクで、未修正です。
ららはおしとやかなほうです。
それに、趣味が女らしいです。
これは間違いなく事実です。
誰も言ってくれないので書きました。
今回は、ららが今小説書きに没頭していて、まだ諦めていないという示威表明をいたしました。
ぜひ、ららの健闘をいのってくださいね。
ららは聖書にでてくる「むらさきのふくのそで」という表記が好きです。
ららにとって、そうであったように、きっとたくさんのひとがおいしいといってくれる小説を書きあげて
すこしでも、悲しかったむかしのことを生かしてゆきたい。
おそでにふれることさえできたなら、と
おんなはおもうのです。
尊いと感じました。きっとうつくしいものに飢えていたのでしょう。
そんなわけで、ららの読書だよりを終えたいと思います。
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図書館に一番乗りして、10時になるのを待っていました。
その間に、携帯デジカメで幾枚か写真をとりました。
今日は天気もよくて、はなみずきの花木もとてもきれいです。
こころにのこったうつくしい光景でした。
さわやかな風のふきぬける、5月はじき。
まだ肌寒く、朝は上着が必要ですが、動いている間にあたたかくなってきました。
開館時間までまだ一時間はたっぷりあります。
なにしてようか・・・・・・・・・・・・・・・・・
写真撮影していましょうね。
今日借りる予定のご本。
石門心学の本
林羅山先生の本
民具の本
風姿花伝
養生訓
おはやしのCD
長唄
獅子舞
和楽器のすべて
本当にいいお天気。
いい気持。
らら、上着をぬいで、セーター一枚になりました。
木の幹も生命をたたえて、水の通る音までしてきそうです。
そっと手を当てると、ひんやりとした肌触りの木肌がいまにも内に込めた生命力を発現するような気がして、
こころがほっとためいきをつきました。
ただ、冬のほっ・・・・・ではなく、夏近い頃のあつい熱のこもったためいきでした。
新緑の木々を見上げて
幼葉のにおい。
時計を見ると、もうすぐ会館時刻。
さて、写真撮影はやめて、自動ドア前に続いた列にならぶとするか。
今日は日曜日のためか、ひとが多い。
みな、この図書館で勉強して時を過ごし、
息抜きに、付属の博物館に寄ってみたりする。
入館し、返却し、本棚に行く。
予定の本を入手して、カウンターへ向かい貸出しを受ける。
はやく家に帰って、心学の本をよみたい。
CDも聴きたい。
とにかく、一日のはじまりとして申し分ない、きもちのよい陽光に当たって、今晩はよく眠れそうだななどと思う。
明日の鼓扇会での活動のために、放送大学の「舞台芸術への招待」を読んでおいてしまおう。
いや、明日の午前中に読んで、午後の会に備えようかなとも思う。
とにかく、自転車を急がすらら。
あっという間に自宅に到着。
見上げると、らら宅の白い花みずきが満開でした。
とってもきれい。
無事、帰宅。
さて・・・・・・勉強開始といきましょう。
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