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「こどもの頃より少しイケてるわたし」
いまアルバムを見ると、そんなでもないとわかるけど、小学のころのわたしは
自分は(イケてない)と思っていた。
他人が怖いという気持ちが先にあるから、話せない、笑えない、からだがすくむ。
やさしい気持ちはたくさんあるのに・・・口にできない。
しかも、そんなのは(やさしさじゃない。弱いだけだ)と自覚してた。
ちこっと小突くと、すぐに倒れる、すぐに泣き出す・・・そんな少女だった。
愛読書は百科事典と美術大鑑。熱心に読んでいたのにあまり記憶にない。
これには今でも苦笑する。
そんな「風前のともしび少女」に、おばが話しをしてくれた。
作家のものか、自作か、若くして亡くなったおばだから、真相はわからない。
「★その子はとても生きるのが苦手な少女でした」・・・というはじまりで
わたしはもうその話が大好きになっていた。
目を見開いて、なんども強くうなずきながら聴くわたしに、おばも調子づいて
ひとり芝居でもしているように雄弁だった。
泣き寝入った少女は、ふと、やさしく握ってくれる暖かい手に
思わずピクッとふるえた。でも、夢なら覚めてほしくなかったので
目は開けないことにした。
朝になっても、その慰めに満ちたあたたかさの感覚がリアルで、誰の手か
気になった。でも、家族に問いただせるほど、会話の経験は少なかった。
久しぶりに家族で遊園地に出かけたとき、楽しい気分に背中を押されて
少女は姉たちと、そして両親と、手をつないでみた。でも、あのあたたかさの
感覚は、誰とも違っていた。
その結果に少女は動揺した。でも、次の手がかりを探してみようという前向きな
気持ちが生まれてきて、少女は驚きながらも、
(家族でなければ「学校の人」かな)と想像した。
体育の時間や運動会のダンスのときに、できるかぎり手をつないでみたけれど、
その誰とも違っていた。
その後も何かあるたびにその手は現れ、少女のさびしい気持ちをあたためてくれ
た。
少女は、それはきっと「ボーイフレンドだ」と思った。
中学生になって、高校生になって大学生になったけれど、その手は「恋人」のもの ではなかった。
そのころ、少女は、もうこどものころの「生きるのが苦手少女」ではなくなっていた。
婚約者の手がその手ではないとわかったときも、少しも失望しなかった。
そして、こどもが生まれた。そんなある日のことだった。
あのやさしい癒しの手が、再び現れた。母親になった彼女の指を、あたたかく
握っている。
そうだ。この感触だ。この手があったから、わたしは慰められた、強くなれたんだ。
夢なら覚めないで!と願いつつ、彼女はそっと目を開いた。
ひとつづつ、うす目を開けて、こわごわそっと自分の手を見た。
そして、あっと小さく声を上げて、その神秘さに思わず片手で口を押さえた。
手は、指は、あのやさしさに包まれ、しっかりと握られていたのだった。
わが子に、赤ちゃんに・・・。
おばの話が終わったのに、わたしは固まっていた。
それはまさしく、わたしの夢、現実だったのだから。
そして、高校生なのに、育児日記を書き始めたのだった。
未来から励まし続けてくれる、神秘のやさしさに、シャンとして会いたくて。
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