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「パパのおしごと」

  エリカはその日のうちに「舌打ち」をマスターした。それも、

 小さな左手を腰にあて、人さし指を立てて。わたしの見せた表情まで

 マネしてる。もう、パーフェクト!

 こどもって、親に似るっていうけど、こういうことね。

 表情や言葉づかい、感情の処理のしかたまでマネしてる!

 夫婦げんかのとき、皿、投げるのやめよう。

 そんな(おひとり様反省会)をしていると、娘がやってきた。

 鼻の上にシワを作って。

 これは夫のくせ。何か高額なものをおねだりするときの、表情。

 娘は質問したいだけだからゆるせちゃうけど。

 ほんと、ここまで観察してるの? わたしに近づく前からシワを作り、

 よく見えるようにして歩いてくる。

 「ハ〜イ。マイ・リトル・ハニー。何を知りたいの?」

 「あのね、ママ。ゆきは、うみにとけるでしょ? おぞんは?」

 「やっぱり海にとけるの。アワのようにね」

 今、娘の頭の中では、何億という細胞が、新しいニューロン・

 ネットワークを、フル稼動で作っているのだろう。

 正しい答え、自分だけの真実を導き出すために。

 こどもは3歳までに学び覚えたことを動かして、思考の回路を作ると

 きいた。

 「おぞんはくうきなのに、うみにとけるの?」

 「そうよ、とけるの。ほら、お風呂で、お・・・」

 わたしって、下品。純粋なわが子の質問に、それはないよね。

 「おふろで、お?」

 「違う、違う。海よ、海のお話よ。お…さかなさんたちは、

 水にとけた空気を食べて、大きくなるの!」

 うまくごまかした・・・とほっとしたときだった。エリカがもっと近づいて

 照れ隠しにひと口飲もうとしたティーカップにさわってきた。

 小さな両手で、わたしの手をつつむように。

 こういうときの小さなこどもの目は、まっすぐすぎて怖い。

 「ははは! そうなの? わかったよ、ママ。アワだね」

 エリカはくるっと背を向けて、金魚のほうにかけ出した。

 そして、思い出したようにきいてきた。

 「パパって、おしごと、きらいなの?」

 「どうして、そう思ったの?」

 「あめのひや、かぜのつよいひは、いつもおうちだよ」

 「あら、そういうこと。・・・それはパパが海獣医(かいじゅうい)、

 海獣のお医者さんだからよ」

 「かいじゅうの、おいしゃさん!? 

 パパって、かいじゅうのおともだちがいるの!」

 しまった! それでなくても一日中めらめらと燃えている娘の好奇心に

 油を注いでしまった。

 でも、娘よ。いかに賢いあんたでも、100%、その想像は違ってる。

 ママにはわかる。怪獣に囲まれて幸せそうな夫の姿が・・・。

 なんて訂正しようか考えたていると、エリカはもう金魚のとこ。指を

 水の中に入れていた。そばの、ぬれたタオルでしっかりふいたあとで。

 「ふふふ。ママって、ほんと、おちゃめさん。おふろで、おなら、だって。

 だいじょうぶよ。クーニャンのみずには、そんなのないからね」

 純粋な娘には下品だって思って、飲み込んだのに、最悪。

 じゃあ、あの子、さっき、わたしの心を、読んだの!?


「海の赤ちゃん」


  それは、エリカに揺り動かされて目覚めた朝だった。

  「あのね、あのね・・・」

  興奮してる。「きょうの新発見、その1」なのね。

  シーツを少しめくると、遠慮しながらもぐりこんできた。

  左手でひたいにかかるサラサラヘアーをかきあげてあげる。

  「わたしの天使さん・・・何が見つかったのかな?」

  「あのね、うみが、いっぱいあかちゃん、うんでる!」

  いかん。頭の中で、はだかの赤ちゃんが、空を泳いでる。

  まだ、目が覚めてない? それとも、こどもをすごく愛してる母親って、

  みんなこうなの?

  ふざけて、わざと面白くしてる様子はない。わたしの好奇心が

  チャージ120%。

  二階、なのね。きっと目が覚めて、部屋のカーテンを開けたときに

  見つけたのでしょう。

  まだ、そんな運動神経レベルなんだ・・・。一段上がるたびに、ドン、

  もひとつ上がって、ドンと両足をそろえてる。

  いいぞ、わたし。まだ娘のスローな動きを笑顔で見つめる余裕、

  持ってる。

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  「ほんとだっ! 雲の赤ちゃんが、どんどん空に上ってく!」

  これが北国の凍る海なら、海霧はもっと見事よね。

  「よく見つけたわね。ごほうびに、質問を受けよう」、

  腰をかがめて娘の鼻先をチョコンとさわる。

  この子、どうしてこうなんだろ。ごほうびに欲しいものはねだらないで、

  質問したがる。自分から産まれてるけど、すごく「ふしぎちゃん」。

  キッチンに行ってわたしはコーヒー、娘に100%のリンゴジュース。

  カップを持ってベッドにもどる。

  「で、お嬢さま。何を知りたいのかな?」

  「くもさんは、どうしておそらに、のぼってくの?」

  それが、昨日の物語の始まりだった。

  オゾンを海に届けるため・・・と答えると

  「おしごと、してるの?」

  わたしは(オゾン?)とオーム返しに聞いてきたエリカの声の

  きれいさに、感動してた。

  もうすぐ3歳になる女の子の、澄みきった独特のメロディ・・・。

  うっかり次の質問を聞きのがすとこだった。

  「そう。お仕事よ。お届け物で〜すってね」

  「じゃあ、ゆきさんは?」

  「ゆき、さん?」

  わたしがすぐに「雪」だと気がついてあげなかったから、

  娘は立ち上がった。

  両手の指をふるわせ、降ってくる様子を見せてから、からだを

  小さくしてふるえてる。

  この子、すごい表現力を持ってるんだ。

  わたしの笑顔を見て、再び聞いてきた。

  「おしごとするまえに、とけちゃうよ?」

  わたしは西部の男のように、チチチと舌を鳴らして、

  顔の前で人さし指を動かした。

  エリカの両目が、二倍の大きさになった。

  きっとエリカは一日中、舌打ちの練習をすることでしょう。

  親に隠れて、金魚相手に。

  「だんなさん、それは違いやすぜ。雪は、こどもの雨。

  降ってくるとき、寒いので変身。ゆっくりひらひら落ちてくるのさ。

  変身には意味ってやつがあるね。海に届いてからが仕事だよ、

  さあお立会い。冷たいからね、波はささ〜っとわきによけて、

 とけた冷たい雪を通してくれる・・・」

  「おぞんが、いっぱいのゆき!」

  わたしは、こんな賢い子を知らない。もちろん、留学中は

  研究のため、何人かと会った。

  でも、うちの子の十分の一もかわいくなかった。

  あ・・・これが「親ばか」ってやつか。

  「うみの、ずっとずっとしたのほうのおさかなさんにも、

  おとどけするのね」

  娘は驚きっぱなしのわたしを残し、やっぱり金魚鉢のそばにいった。

  わたしが見ていないことを確認し、人さし指を左右に動かし始めた。

  しかも、左手を腰にあて、見事にそのふんいきを作って。

  このころからわたしは、エリカのふしぎな力のことを、意識した。

  おませ・・・と片付けるには、片付けられない何かがあった。

  その力の開発が、わたしの命を縮めるとも知らずに・・・。


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