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「いつでも泣いていいんだよ、泣きたい時にはね」
わたしは、ちこっとこづかれただけで、(びぇ〜)と泣き出す、
いじめたくなる女の子の典型だった。
「泣くな! めそめそするな! くちびるかんで声を出すな」。そう言われ続けた。
ついには母親もわたしを見捨て、
(もう知らない。いつまでも泣いてなさい)と、深いため息をついた。
同じ屋根の下に居て、家族から見捨てられるほど、悲しいことはない。
3人の姉たちは、9歳以上離れていたから、わたしは半分ペットだったのだろう。
小さいうちはかわいがってくれたけど、小学生になると、友達と出かけてばかりいて そのうち、わたしのそばから消えた。
ふしぎなものだ。「泣くなっ!」と大声を出されると、もっと泣きたくなった。
「夜中、ひとりでトイレに行けないんだから、寝る前に3回してきなさい」と、
いつも言われていた。
(ふとんにしちゃダメ!)と言われるのに、いつもシーツをぬらしてた。
どうして? こんなにがんばっているのに、どうして変えられないの?
その謎解きをしてくれたのは、大好きな園長先生だった。
「一番に聞こえたのは、(泣くなっ)(ふとんにしちゃダメ)・・・だよね?
でも、小さいこどもの耳には、初めに(泣けっ)(ふとんにしなさい)って聞こえるん だよ、初めはね。
それから(それはダメ)って命令を変えるんだけど、
最初に(泣けっ!)(ふとんにしなさい!)
って命令されてるから、変えられないんだ。
それに、日名子ちゃん、(泣いちゃダメ!)(おふとんにしちゃダメ!)って、
自分に命令してるでしょう?
でも、耳には(泣け)(ふとんにしなさい)って最初に聞こえてるから、
からだは、きちんとそれを守るんだよ」
わたしは6歳。なのに、園長先生は、大人の人に話すようになんでも話してくれる。
いくら否定形で話しても、小さな子供の脳は、まず「肯定形」で聴くから、
(泣け)(ふとんにしなさい)と聞こえる。
でも、不安や恐怖で、否定形に翻訳(ほんやく)できない。
そして、ビ〜ビ〜泣く。ふとんをぬらす。朝まで3回も。
「簡単だよ、変えるのは。
(笑いなさい)(トイレでしなさい)って自分に言えばいいんだから。
それに、泣きたい時にはいつでも泣いていいんだよ。
シーツがぬれたら、自分で洗濯するといいんだから」
目からウロコの助言だった。ぬれたら洗濯をすればいいなんて、
これは、目の前の現実を後にして、先に進ませてくれる言葉だった。
先生は、(明日があるじゃないか)とさとしてくれたのだ。
小さなこどもにとって、
(いつまでも反省してなくていい。明日があるよ)と教えてくれること。
それにまさる福音(Good News)はないのだから。
わたしはますます園長先生にチョコをあげたくなった。
4歳のときから、みんなのまねをして、チョコをあげた。
みんなが帰った後だったから、先生は(パリン)と半分に割って、
わたしの口に入れてくれた。
(男の人が、口に、食べ物を入れてくれる・・・わたしは手を動かしてない!)
今なら、(超セクシー!)な場面。
すごくドキドキしてたのを、昨日のことのように記憶している。
そして、泣きつかれて眠った夜は特に、わたしは夢の中で、
やさしく手を握られていた。
その手はきっと(園長先生)だと思っていたけど、先生の手は握れなかった。
ためらっている間に、中学生になり高校生になって、絶対に(無理!)になった。
大学の卒業をひかえ、就職面接の指導を先生にお頼みしたとき、キャンパスまで
わざわざ来てくれた。
記念撮影のとき、そっと、腕は組めたけれど、手は・・・やっぱり無理だった。
先生は、きっと、わたしの初恋で、いまだに好きだったのだと思う。
空港で別れるとき、「すぐにまた来てください」と言ってしまった。
わたしは、そんな自分の言葉に驚きながら、なんと、さびしくて
泣いていたのだった。
泣きたい時に泣く。声を出してもいい・・・そんな助言を思い出していた。
6歳の助言は、わたしの心の片すみに、小さな灯(あかり)をともした。
そして、肯定形で自分に命令して、泣くのもふとんをぬらすのもとまった。
自分でトイレに行けるし、洗濯までするのだから、家族は仰天してた。
『いつでも泣いていいんだ!』
その言葉は、小さな胸を貫いて、わたしのたましいに届いたのだろう。
そして、心の片すみに「灯」をともした。赤々と、消えない小さな「火」を。
その小さな灯があるから、すぐ泣かないで、
できるだけ強く、生きてみよう。自分の行動で、現実を変えながら・・・。
そう思えたのだった。
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高校生の育児日記(5)
大きな目を見開いたまま、エリカはぽろぽろと涙を落としていた。
しばらくまばたきをしていない。口だって軽く開いたまま。
大粒の涙は、たちまちじゅうたんにシミを作った。
『おっぱいさわったの?』
「そう・・・。さわらせてあげたの」
『そしたらわかったの?』
「きっとね。だって、涙がいっぱいこぼれたもの」
エリカは手を伸ばして、わたしの胸をさわってきた。
そして、目を閉じてから、わんわんと声を上げて泣き出した。
わたしは・・・娘はこんなふうに育ってほしいと願っていた。
お話を聴いただけで、登場人物に涙を流せる・・・。
でも複雑だった。うれしい反面、嫉妬していた。
娘の驚くべき感性に、豊かな感情表現に。
夕食の準備が終わったときだった。廊下続きのクリニックから、
「お〜い。あと10分で行くぞ〜」という、夫の声が聞こえた。
テーブルは整え終わった。食器もそろえた。
スープパンはレンジにある。いつでも温かくできる。
そんなふんいきを見てとって、エリカがソファーのわたしの足元に座った。
「ねえ、どうして?」と、一日中質問ばかりしていたのに、3歳を過ぎると
娘は、よく「お話」をせがむようになった。
どんなに短くてもうれしいらしい。ちょっとからかわれて、からかわれることを
喜ぶようにもなっていた。
「その日は、朝から(夜)でした!」
話し始めると、はじめはきょとんとしてたのに、すぐに気がついて、大笑いしてた。
わたしも調子にのって、
「音もなく雨が、ざあざあと降り・・・」
などとバカ話を続けたが、エリカはじゅうたんの上を、
右や左に転げ回って笑っていた。
うん。上手に聴いてくれる人がひとりいたら、楽しく会話は盛り上がるのだ。
ぽろぽろ大粒の涙を流しながら、おっぱいをさわっているエリカ。
黙ってにぎらせているわたし・・・。
いきなりシャッター音が響いた。
「どうしたんだよ・・・。変な絵だけど、どことなくきれいで、つい撮ってしもた」
「ママ・・・わたし、かお、あらってくる」
エリカは父親に照れているふうでもなく、ひとつ、ため息をついてから、
ニッと笑いかけてバスルームに消えた。
直後、うわ〜んというエリカの大声が、ダイニングにまで響いてきた。
親子って、見えない糸で引き合ってるみたい。
わたしたちは、はじかれたように走っていた。
エリカは・・・、踏み台にのって、両手をシンクのふちに置き、
鏡を見ながら大泣きしてた。・・・転んで頭を打った様子は・・・ない。
わたしたちを振り返りながら、エリカは言った。
「かお、あらうまえに、もう1っかい、ないてみようって、おもったの」
これは・・・笑う場面なのか。エリカのパフォーマンスは、
ユーモアのセンスの現れだったのか?
「なあ、何があったんだよ、すご〜く気になる」
夫はバスルームを出てすぐ、きいてきた。両手を何度もわたしに突き出しながら。
「戦争で、目が見えなくなって、耳もダメ、口も聞けなくなった兵隊さんのお話。
・・・戦友が必死に日本まで連れてきて、ふるさとに着いたんだけど、
何もわからない。傷ついた子犬のように、震えているだけ。
手を握っても、びくついて振り払うの」
「三重苦の上に、精神的に壊れたのか。聴いたことがあるぞ、確か、実話だ」
「みんなは同情して泣いたけど、どうすることもできないのよ。
ふるさとに帰ってきたことや、お母さんが出迎えてることを、何とか知らせて
安心させてあげようとしたの。でも、誰一人できなかった」
「それはそうだ。聴こえない、見えない・・・言葉や身振り、手振りが通じないなら、
もう、お手上げだよ。
視覚・聴覚を失った人に、伝えるすべなんて、何もない」
「エリカもお話を聴きながら、すごく困った顔をするの。
あの子の感性って、悔しいぐらい鋭いのよ。
・・・でもね、兵士のお母さんは、黙って息子の前に進み出た。
そして、いきなり着物の胸元を開いた。そして、みんなの見つめる中で、
息子に胸を握らせたのよ・・・」
「うっ!」
夫は息をのんだ。誰だって、予想なんかできない。
視覚・聴覚をなくした人への、最高のパフォーマンス。
息子を思い、不安でいっぱいの心の暗闇に、なんとかひとすじの灯を
ともしたいと願う母親にしか思いつかない、究極の愛情。
エリカはそれを悟ったのだろう。
母親の、恥を捨てての行動に、激しく感動したのだ。
バスルームから出て来たエリカは、晴れ晴れとした顔をしていた。
そして、言ったものだ。
「パパは、ママのおっぱい、もうさわった? よるにさわってみたらいいよ。
いっただきま〜す」
わたしは「この子」に会いたくて、育児日記を書き始めたのだ。
遊んでいるだけじゃ、母親になれない。
結婚するだけじゃ、わたしが大好きなこどもには、絶対に会えない。
そう思った。
高校生なのに「育児日記」だなんて、みんなは笑ったり、バカにしたりしたけど、
かまわない。
わたしは、わたしが大好きな子と、ず〜っと楽しく過ごしたいんだもの。
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