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おばあちゃんが亡くなって、
随分日がたったような気がしています。
6月13日のなくなった日から、通夜、告別式、
四十九日、新盆と、
普段、関わりの無かった仏教行事が続きました。
私は、まだ、ホームに行くと、
おばあちゃんが居るような気がしています。
昨日、私は、いつもどおりの通院日でした。
外科の待合室に座っていると、
車椅子に乗ったおばあさんが、来ました。
何だか見たことがあるお顔。
おばあちゃんの居たホームで、お隣のお部屋の
おばあちゃんに違いない。
でも、ここに来たということは、
何か、外科的な病気できたのでしょう。
たぶん、60代の息子さん夫婦に付き添われて、
おばあちゃんは、所在なさそうに座っています。
もう、ぜったい、ホームで一緒だったおばあちゃんだ、
と、確信した私は、
思い切って、話しかけました。
息子さん夫婦は、驚いた様子でしたが、
やっぱり、あのおばあちゃんでした。
明るいおばあちゃんでしたが、認知症がすすんでいるので
すぐ、お腹が空いてしまい、
「何か、食べたいよう」と、職員さんにいうと、
「そうだね、あと、少しで夕飯だからね」と、
まだ、他の人がお昼を頂いているときでも
そんな会話がありました。
車椅子だけれど、ソファへの移動はご自分で
できて、食事が終わると(ご自分で、お箸で食べる)
よいしょ、と、掛け声かけながら、ソファに
腰かけ、きがつくと、眠っている・・・。
積極的におしゃべりではなかったけど、
職員さんと会話ができていた・・・。
ほんとうに、懐かしいお顔。
昨日、病院で話しかけたとき、
思わず、そのおばあちゃんの手をとり、
なでながら話しかける私自身にも驚き。
認知症なんですよ、という息子夫婦。
家もそうでしたよ、でも、こちらのおばあちゃんは
ご自分でご飯もたべらるのですもの、
ねぇ、おばさま、げんきでいらしてね、と言ったら、
おばあちゃんは、涙を流しました。
分るのかなぁ、と、息子さんがおっしゃいました。
認知でも、感情はあるのよね。
介護しているときは、本当に、こちらのほうも
別の感情でいっぱいいっぱいになってしまったけれど。
だから、息子さん夫婦のお気持ちも、よ〜くわかります。
長生きすることが、いいことのはずなのに、
そう思えないこともある。
私も、自分の命と向き合って、
今まで見えなかったことも観ることができた。
あのおばあちゃんが、何か、悪い病気ではないことを
祈ります。
また、通院されるなら、曜日が同じだから、
また、あえるかな、なんて、不謹慎なことも
思いついて。
家のおばあちゃんも、天国に旅立ってから、
もう二ヵ月半、まだ二ヵ月半。
おばあちゃんを見送ったのだから、
今度は、貴女の体を大事にしてね、と、
たくさんの方から励まされましたが、
なかなか、そうは、簡単にはいかないものだわ。
通院することが、ず〜っと続くことは
経済的にも精神的にもつらいけれど、
こうして、懐かしいお顔に合えたことも感謝しましょう。
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