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昨日10月20日東京赤坂のサントリーホールにて開かれた、読売日本交響楽団の第453回定期公演に足を運んだ。いつものP席である(読響の場合2000円、何度も書くけど)。今回のような曲目の場合は、多少音響上の不利を我慢してもP席のほうが良い。矢代秋雄没後30周年記念プログラムと題された公演である。
プログラムは以下の通り:
ヤニス・クセナキス
ホロス(1986年サントリーホール国際作曲委嘱作品)
矢代秋雄
チェロ協奏曲 (1960年)
ピアノ協奏曲 (1967年)
望月京
メテオリット[隕石群](2002年読売日響委嘱作品)
演奏者は以下の通り:
堤剛、チェロ
中村紘子、ピアノ
ゲルト・アルブレヒト、指揮
読売日本交響楽団
お目当ては、勿論矢代秋雄の2作品。いずれも、各々のジャンルにおける、日本を代表する作品である。否、世界中どの国のプログラムに出しても、拍手喝さい間違いなしの傑作である。矢代秋雄は1929年の生まれで、1930年生まれの武満徹と一歳しか違わない。しかし、掛け値なしに、我が国を代表する作曲家であり、その実力は武満と較べてなんら遜色ない。しかし、彼は残念にも、1976年46歳という若さで忽然と世を去ってしまった。まさに、日本の、否世界の音楽界にとって一大痛恨事であった。武満の65歳での死も早かった。私は、武満の死をアメリカ滞在中に知ったが、残念でしょうがなく、それが数日尾を引いて勉学に差しさわりがあったほどであるが、46歳というのはそれにもまして早く、当時関係者が受けたショックは想像するに余りある。
昨日の演奏会では、各々の曲の初演者、堤剛、中村紘子の両氏が登場、押しも押されぬベテランの風格を遺憾なく発揮した。両名とも多忙な日々を過ごしているとは思うが、テクニックにいささかの衰えもなく、渾身の演奏を繰り広げた。まさに千両役者、プロ中のプロである。矢代作品は、最近脚光を浴びているが、ピアノ協奏曲は以前から国際的な評価が高く、最近はNAXOSという国際レーベルがCDを出して、かなり世界的にも認知度が高くなった。あるイギリスの批評家は「矢代はバルトークのゲームをバルトークのレベルでやっている」と、絶賛している。この批評家の言にもあるように、バルトークの影響をかなり感じさせるが、やはり楽曲の背後には相当に日本的なイディオムもある。
今日の演奏は、実に見事であった。チェロ協奏曲は、チェロのモノローグで開始され、これが拡大しカデンツアとなるが、ここを堤が見事な集中力で弾ききる。聴く者は、矢代独特のほの暗い音世界に引き込まれる。オーケストラも、アルブレヒトの棒の下に息の合った合奏を見せる。こういうレパートリーは、団員もそう何度も演奏する機会に恵まれないのだろうが、そこはプロである。この曲は、概して晦渋だが、奥深い精神性のようなものに貫かれた見事な作品で、演奏者にも、聴衆にも一種の集中力を要求する。
ピアノ協奏曲は、もっとオーケストレーションが派手で、ピアノも技巧的な見せ場が多く、より判りやすい。それにしても、初演者中村紘子はさすがである。彼女を見るのは随分久しぶりだが、舞台上での華やかさは以前と変わりなく、積極的なピア二ズムが、さすがにこの曲を手中に収めていると思わせる。ところどころ、分散和音がラフマ二ノフのように聞こえるのは、八代の筆致と言うよりも、ロシア音楽に通じ、ラフマニノフも弾き込んでいる中村のピア二ズムによるところが大きいだろうと思う。矢代の作品から、意外な魅力を引き出してくれた、というべきか。指揮者もオケも間然するところなく、見事な演奏であった。しかし、この曲は、日本を代表するピアノ協奏曲というばかりではなく、20世紀後半に書かれたもっとも優れた作品のひとつとして、もっと世界的に演奏されてしかるべきだと思う。
矢代の二作品の前後に演奏されたのは、クセナキスの「ホロス」、そして望月京の「メテオリット」である。クセナキスはギリシアの作曲家で2001年に世を去っている。この作品には初めて接したが、まあ、バリバリの現代音楽で、メロディーと言えるようなものはあまりない。プログラムには、
「オーケストラ全体としてブロック状になった音群が、複雑に重なり合ったり交代したりする様は、どこか幾何学的な世界を想像させます。この音群処理をはじめ、モアレ(干渉縞)のようになった揺らぐメロディラインなど、ここには独自の理論や法則に基づいて常に新しい音響を追い求めたクセナキスならではの世界を垣間見ることが出来ます」
とある。そういう作品である。
望月京は日本の若手作曲家。彼女の噂は音楽雑誌などで聞いていたのだが、作品に接するのは初めてである。大変面白く聞かせてもらった。最初のクセナキス作品よりも判りやすく、様々な打楽器が活躍、ほとんど打楽器協奏曲のようにも聞こえる。私の前に座っていた打楽器奏者など、マラカス、鉄筋、小太鼓、銅鑼、シンバル、二種類のチャイム、なにやら笛のようなもの、鼓の類などに囲まれ、三種類のパート譜をめくりながら、右へ左への大忙しであった。「メテオリット」は、プログラムでは以下のように解説されている。
「粒上音響と下降グリッサンド音型が、自己増殖を繰り返しながら多くの楽器へ伝達されてゆく・・・粒上の音響が次第に音質や粒の大きさの違った音響に移行していく過程、下降グリッサンド音型の拡大など、時間軸とともに展開されるさまざまなパラメーターの変遷・・・」
どうだろう?本日は、作曲者ご本人もお見えになっており、舞台上で挨拶された。しきりに、楽団員に「ありがとうございました」を連発していたが、自分の作品を演奏してもらったのだから、作曲家にとってこれほどありがたいことはない。私も、彼女の前途を祝福しながら、手が痛くなるほど拍手させてもらった(私も頑張らねば)。
このようなプログラムの演奏会は出来るだけ足を運んでおかないと、次にいつ演奏されるかわかったものではない。ベートーヴェンの第九なら、毎年末にやっているし、ブラームスの交響曲やマーラーの交響曲も大抵どこかの楽団が毎年やるが、矢代作品はプログラムに乗った時がチャンスである。その意味では幸せな一夜であった。
尚、ロビーで、作曲家の池辺晋一郎さんをお見かけした。矢代秋雄とは親交もあったろうから、その縁で、お見えになっていたのだと思う。
*写真は在りし日の矢代秋雄
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