錯乱気流

無茶苦茶忙しいやんけ・・・

音楽徒然草

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東京赤坂のサントリーホールで行われた、読売日本交響楽団の定期演奏会に足を運んだ。プログラムと演奏者は以下の通り。

バルトーク
ピアノ協奏曲第3番

ショスタコーヴィチ
交響曲第11番「1905年」

指揮:ヒュー・ウルフ
ピアノ:アンティ・シ−フラ
管弦楽:読売日本交響楽団

80年代から90年代にかけて世界的にマーラーブームがあり、「ポストマーラーは誰か?」などという問いかけが音楽メディアでささやかれ始めた頃、盛んに名前が挙がったのが、旧ソビエトの作曲家ディミトリ・ショスタコーヴィチ(1906−1975)であった。さすがに、ショスタコーヴィチはマーラーほどのブームとはならなかった。無調性的傾向を強めていたヨーロッパ音楽界にあって、後期ロマン派の作風を持ちながら、楽想の複雑な「晦渋」さと、彼の音楽が本質的に持つ「暗さ」とそれは無関係ではないかもしれない。「私の交響曲は全て墓標である」などと言い残した人物の作品が、そう簡単に人口に膾炙するとは思えないからだ。しかし、ここ数年ショスタコーヴィチの作品が取り上げられる機会が非常に増えているような気がする。これは世界的な傾向なのだろうか。以前ショスタコーヴィチの交響曲と言えば、明けても暮れても「5番」であって、実際の演奏会で耳にするのも、「5番」がほとんどであった。もちろん、プラウダの批判に対する「回答」として書かれた「5番」は今でも人気があるが、最近では「8番」「11番」「12番」などが取り上げられる機会が増えてきているような気がする。特に「11番」は、ここ数年プログラムに上る回数が多い。勿論、「演奏効果」が絶大−即ち、フルオーケストラの大音響−ということもあるが、ショスタコーヴィチ特有のほの暗い抒情性にも欠けておらず、曲自体魅力的である。

この作品は一種の標題音楽と考えてよいと思う。1905年1月9日にロシアの首都サンクトペテルブルグでおこった「血の日曜日」事件を主題としているからである。「血の日曜日事件」は、ロシア帝政末期に、民衆が、ロシア正教会の司祭ガポンを先頭に、ニコライ二世に生活苦を訴えるデモ行進を行ったところ、皇帝の軍隊が民衆に一斉射撃を行い、多数の犠牲者を出した、1917年の革命へと至る大きなきっかけとなった事件で、歴史の教科書などにも載っていると思う。ショスタコーヴィチの交響曲第11番は、この事件の顛末を描写した音楽であり、「宮殿前広場」「1月9日」「永遠の記憶」「警鐘」と各々副題がつけられた4楽章構成の作品である。特に、「惨劇」を表現した、第2楽章のフルオーケストラの爆発的な咆哮は、まさに「阿鼻叫喚」と呼んで差し支えなく、大抵の聴衆はこの部分で鳴り響く音響の嵐に圧倒される。しかし、第3楽章では、革命歌「君は英雄的にたおれた」が弦楽器により葬送行進曲風に奏され、これはなかなか感動的である。第4楽章は、革命歌「圧制者らよ」「ワルシャワ労働歌」などをちりばめた快速な曲調で、最後は鐘や銅鑼が鳴り響くフォルティシモの大音響で全曲が閉じられる。しかし、その直前音楽に一瞬の静粛が訪れ、闇夜からの誘いのように哀歌「帽子をぬごう」がイングリッシュ・ホルンで奏でられる部分がこの曲の頂点であると私は勝手に思っている。とにかく、作曲家ショスタコーヴィチを論ずる際「革命」「第二次世界大戦」「スターリニズム」を抜きには語れない。ショスタコーヴィチ自身が述べる如く、この曲もやはり権力という暴力にたおれた声無き民衆の「墓標」なのだと思う。

ベーラ・バルトーク(1881−1945)−ハンガリーは日本と同じく「姓名」で名前を表記するので、バルトーク・ベーラと呼ぶべきか−は、以前書いたヒンデミットやコルンゴルドと同じく、ナチズムの台頭によりヨーロッパを逃れ、アメリカに渡った作曲家だが、アメリカでの彼は概して不遇であり、晩年は白血病に冒され、終戦直後の1945年9月26日にニューヨークで没した。彼は、病苦にあえぐ晩年にクーセヴィツキー財団や盟友フリッツ・ライナーらの援助もあり、幾つかの代表作を書き上げているが、ピアノ協奏曲第3番もそのひとつである。これは、文字通りバルトークの「絶筆」であり、彼はこの曲を完成させることなく、最後の17小節を残して世を去った。バルトークの没後ティボール・シェルイによって、未完成部分が補筆完成され、1946年2月8日に初演されている。即ち、作曲家のバルトーク自身、この曲の実演を耳にすることなく世を去ったことになる。この作品の白眉は、アダージョ・レリジオーソの指定がある第2楽章で、まさに「達観」「静謐」「祈り」などの言葉が相応しい、透き通るように美しい楽章である。モーツアルトの音楽を評して言った「永遠の戸口に立っている」という言葉があるが、これはまさにこの楽章にこそ相応しいと思う。第3楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェは、一転して速い快活な楽章であり、この楽章に充溢する生命力は、とても間も無く世を去る人間の書くものとは思われない。ショスタコーヴィチの交響曲が圧制や戦禍の犠牲となった民衆への「墓標」であったとすれば、このピアノ協奏曲第3番は、自由を求めて渡ったアメリカで、決して幸せとは言えない生活を送ったバルトークが残した、自らの「墓標」だったのかもしれない。

さて、演奏だが、ショスタコーヴィチを振ったのは、アメリカの中堅指揮者ヒュー・ウルフである。彼は、セントポール室内管弦楽団など、小規模なオケを振ったり、モーツアルトやベートーヴェンをピリオド奏法で演奏したり、なにやら「こじんまり」とした印象があるのだが、さすがにショスタコーヴィチの11番を「こじんまり」とやるわけにはいかないわけで、比較的早目のテンポで歌うべきところは十分に歌わせ、複雑な曲想を持つこの曲をかなり手堅く纏めたと思う。わりと「明るめ」のショスタコーヴィチという印象を持ったが、豪快な部分はエネルギー全快で、総じて力強くオケを引っ張っていたと思う。この曲を実演で聴くのは、エリアフ・インバル・東京都交響楽団のコンビによるもの以来、ほぼ一年ぶりだったが、甲乙付け難いという印象である。

バルトーク作品を弾いたのは、フィンランドの新鋭アンディ・シーフラである。現代のコンクールを勝ち抜いてきたピアニストに技術的問題点などあるはずも無いが、初顔合わせということもあってか、終楽章などやや大人しく、今ひとつの「切迫感」というか「推進力」というか、そういうものが欠如した嫌いがあり、オーケストラ共々無難に纏めたという印象であるが、第2楽章の繊細な響きなどはかなりよかったと思う。

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閉じる コメント(2)

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私も行きました。拙ブログの記事にもコメントくださり、ありがとうございます。七海さんの周到な曲目解説、参考になります。
「11番」については最近、一柳富美子さんの唱えている「ハンガリー事件」への批判という説に共感を覚えています。

2008/1/18(金) 午前 4:04 [ dsch1963 ]

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dsch1963さん、11番が作曲された時期のことを考えるとハンガリー動乱との関連性はあるのでしょうね。一柳説、私も目を通しておきたいと思います。

2008/1/18(金) 午後 8:12 och**obor*maru


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