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書評コーナー第一弾は、吉見俊哉著の「親米と反米−戦後日本の政治的無意識」(岩波新書)である。
吉見俊哉は、ヨーロッパ発のカルチュラル・スタディーズの、わが国における先駆者の一人である。カルチュラル・スタディーズ(もしくはインターカルチュラル・スタディーズ)は学際的な分野だが、所謂マルティカルチュラル・スタディーズとは、重なる点はあるが、必ずしも同じではない。後者は、ある共同体内に存在する多様な文化のあり方とそれらの共存関係に着目するが、文化をやや静的なものとして捉える傾向がある。しかし、前者は、文化を、流動性のある動的なものと措定する。従って、インターカルチュラル・スタディーズは、固有の文化を持つ共同体どうしが接触する場面において、お互いをいかに理解し、尊重するかというスタンスを取る、異文化間コミュニケーションとも本質的に異なる。
本書は、アメリカ文化の日本に対する影響を、インターカルチュラルな枠組みで簡潔に論じたもので、アメリカという存在を、境界線の外に存在する「他者」として認識した明治期から、アメリカ文化の先進性を日本社会の中にたって受容するという大正デモクラシー期、その反動たる、大戦期のアメリカ文化排斥期を経て、アメリカ文化が狭義の消費文化に包摂され日本社会に内面化される戦後までの過程を簡潔に辿っている。
一般の認識とは異なり、占領期にマッカーサーは必ずしも、日本の一般大衆の前に姿を現してはおらず、「国辱」として後々語られることになる、裕仁とのツーショット写真も、アメリカ支配の優越性を誇示するものというよりは、むしろ、アメリカが裕仁を前面に立て、共同で戦後の日本社会を作り上げる象徴的な意味合いのほうが強かった。吉見は、そうしたアメリカのスタンスを象徴するものが、天皇裕仁の行幸であったのであり、日本政府とGHQの思惑が一致した政治的行為としてとらえるべき事象であると論ずる。事実、GHQは、日本を統治するに当たって、なるべく「アメリカ」の痕跡を表に出さないように配慮していたのであり、人間裕仁が象徴として日本人の意識に浸透してゆくプロセスは、日本とGHQ共同の演出であったとする。多くの日本人にとって、日本の敗戦と占領を直接印象付けたのは、マッカーサーではなく、むしろ路上や米軍基地の周辺をたむろするパンパンガールの存在であり、彼女らが米兵と腕を組んで街を闊歩する姿は、日本が「犯されている」とする当時の言説の数々と相まって、日本の敗戦を表象する屈辱事として、日本人の深層に深い傷を与えた。
また、本書は、米軍基地と戦前戦中の日本軍基地の連続性にも触れている。戦後、アメリカは、日本の軍事施設をそのまま接収することにより、米軍基地に転用していった。また、六本木や原宿など、アメリカナイズされた若者文化の街は、戦前は陸軍関係の兵舎や駐屯地などが密集していた場所であり、それらがアメリカにより軍施設として転用されるに従い、米兵の街としての性格を強くした。冷戦期にアメリカが在日米軍を再編するにあたり、空軍主体に切り替えることにより、沖縄を除き、本土の基地を縮小し、その過程で暴力装置としての象徴たる米軍は日本人一般の意識から遠景に退き、六本木や原宿は、幾分バタ臭い若者文化の街へと変容し、結果暴力的存在としてのアメリカ基地は、日本人一般の意識に顕在化することなく、その残滓たる文化が、六本木や原宿などを通じて日本人の意識に内面化されていった。六本木や原宿を、戦前の日本軍施設、戦後の米軍施設、米軍の街、アメリカ文化の内面化作用の、連続性の中に位置づける視点は大変面白く、刺激に富むものと思う。
また、戦後の日本経済を占領との関係で論じている箇所も面白い。アメリカ軍家族用のディペンデントハウス(DH)の需要にあわせる形で、日本の住宅産業が成長のきっかけを掴んだこと。また、ブロンディなどの漫画、多くのアメリカ製TVドラマなどが、便利で自由なアメリカのライフスタイルを一般大衆に伝え、特に家具や家電が「民主性」と結び付けられて宣伝された経緯にも触れているが、それが愛国意識の衣を纏いつつも、あくまでアメリカンなライフスタイルへの憧憬として日本人一般に内面化されていった相互のダイナミズムを強調している点も本書の特徴と思う。日本の高度経済成長が、朝鮮戦争をきっかけとする「いざなぎ景気」「神武景気」など、建国神話に結び付けられて論じられる一方、象徴天皇制とパラレルな形で、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫には「三種の神器」なる名称が与えられ、その担い手であったのが、家電業大手の松下電器−即ち、ナショナル(国家)−であったが、その一方、それらを受容する日本人の意識にはアメリカの生活文化に対する憧憬が内面化されていたと、本書は論ずる。特に1959年に、松下電器が出した電化製品の新聞広告は、「日本の憲法第25条には『国民は健康で文化的な生活を営む権利がある』とうたわれています」と、「最低限の」の文言を省略した、憲法第25条の条文が、自社製品の宣伝コピーとして引用されているなど、興味深い例が取り上げられている。
日本の戦後政治・経済を、アメリカと日本の合作であったとするのは、ジョン・ダワーが「敗北に抱かれて」の中で既に論じていることで、そう目新しいことではないが、文化の連続性と内面化に関しては、大衆文化に着目してより深い考察が必要と思われ、その意味で、本書はその為の入り口として十分なきっかけを与えてくれると思う。
著者:吉見俊哉(1957年生まれ)
現職:東京大学大学院情報学環教授
出版年月:2007年4月
出版社:岩波書店
定価:780円
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