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大阪センチュリー交響楽団への補助金全廃を打ち出した大阪府の改革プロジェクトチーム(PT)の財政再建案が、在阪のほかの楽団にも打撃を与えている。大阪フィルハーモニー交響楽団をはじめ、関西フィルや大阪シンフォニカー響への支援も軒並み廃止を提示。「うちも存亡の危機」と危機感を強める楽団もある
以上は朝日新聞の報道からの一部抜粋である。橋下緊縮財政案の一貫として振り上げられた大鉈だが、クラシック音楽ファンの私としては看過できない問題である。オーケストラは、資金回収効率の悪いユニットである。人気のあるポップアーティストなら、1人で武道館を満杯にすることもできるが、クラシックの演奏会が満員になることは稀であり、オーケストラともなれば、100人ばかりの大所帯である。日本のオーケストラはどこも資金繰りが大変で、企業や個人などから寄付金や賛同金を取り付けてなんとかもっている。財政基盤が比較的安定しているオーケストラと言えば、読売新聞の傘下にある読売日本交響楽団かNHKの傘下にあるNHK交響楽団であろう。しかし、N響もも昨今持ち上がったNHKの経営を巡る諸問題の影響をもろに受けて最近は余裕がない。東京都交響楽団なども、石原都政の大鉈で、助成金を削られ、さらには現場を知らない人間が考えたとしか思えないような、おかしな「成果主義」を押し付けられ、前音楽監督の故ガリー・ベルティー二は抗議の意味も込めて楽団を去った。 先ごろ日本フィルハーモニー交響楽団の音楽監督を退任した小林研一郎氏は、音楽監督就任後、企業や団体周りに忙殺された。高度経済成長期からバブル期にかけて人気の絶頂にあった、ヘルベルト・フォン・カラヤン、カール・ベーム、レナード・バーンスタインなどは、1人でNHKホールでも東京文化会館でも満員にする動員力を持っていたが、今のクラシック界にそんなカリスマはもういない。あえて言えば、2001年に93歳で天寿を全うした朝比奈隆だけが、晩年彼らに匹敵する聴衆動員力を発揮していた。しかし、その朝比奈が創設し、手塩にかけて育てた大阪フィルも毎年の赤字経営で、危機に瀕している。これは由々しき問題だ。そもそも、クラシック音楽のような演奏芸術活動は、入場料収入だけではとてもやっていけず、「公」の援助が不可欠である。 他の所で泣く泣く援助を削っているのに、オーケストラだけ優遇するわけにはいかない、という理屈も分かるし、クラシック音楽は結局「外来」だから、そんなものにお金をつぎ込むのなら、クラシック以上に大衆から縁遠い邦楽団体の援助金でも増やせという意見もあろう。しかし、日本のクラシック音楽受容は100年ほどの歴史があるし、今では、世界中で日本の演奏家が活躍する時代となった。だいたい、マーラーの交響曲第4番を、1930年に世界で始めてレコードに吹き込んだのは、近衛秀麿と新交響楽団(現NHK交響楽団)であるし、マーラーので助手であったクラウス・プリングスハイムが東京音楽学校(現東京藝術大学)の学長を勤めたこともある。日本のオーケストラの演奏能力もここ10年著しく向上し、音色も多彩になり、表現力も増した。場合によっては、欧米の一流オケに遜色ない演奏を繰り広げることだってある。日本のオケの海外ツアーは、一種の親善大使の役割を果たし、演奏に対する評価も高い。 数年前、新星日本交響楽団が「発展的解消」と銘打ち解散し、東京フィルハーモニー交響楽団と合併したが、もしかすると、大阪センチュリー交響楽団や大阪シンフォニカーのような比較的小規模な楽団は合併して生き残る道を探るかもしれない。一時期風前の灯火となっていた関西フィルハーモニーはさらに深刻だろう。オーケストラの楽員は、幼少の頃から楽器を手にし、音大に進み、海外の音楽大学で研鑽を積み、中には輝かしいコンクール歴を持つ人もいる。しかし、オーケストラが解散して、ソリストとしてやっていける人はほんの僅かだ。彼らの中には、費やしてきた努力と年月には不釣合いなほどの薄給で、ようやく生計を維持しているような人もいる。オーケストラがなくなったら、彼らは職場を失うのだ。 アメリカの地方オケも同様の事情を抱えている。私が住んでいたニューメキシコ州アルバカーキ市にあるニューメキシコ交響楽団も、一時存続の危機に見舞われ、楽員に対する給与支払いが滞ったことがある。その時、楽員は窮状を訴える腕章をして舞台に上ったものだが、地元のオーケストラを潰したくないという市民の意思と地元企業の協力で、何とかしのぎ、現在も演奏活動を行っている。ハワイのホノルル交響楽団も一時解散したが、これまた地元住民の熱心な働きかけで復活した。オーケストラのような団体を支えるためには、企業も含めた市民のソフトパワーと自治体の協力が欠かせない。それをやるには、私にも公にも、精神的な「余裕」がなければ無理だ。ソフトな文化を潰さないで存続させることの出来る共同体は、結局強い共同体なのだと思うが、ここ10数年来の行政改革の影響で、自治体でさえ破産する状況が現出している日本の状況では、見通しは決して楽観的とは言えない。 かつて、オランダはアムステルダムの名門、ロイヤル・コンセルヘボウ管弦楽団のフランチャイズホール、コンセルトヘボウが老朽化で大幅改修を余儀なくされたとき、世界中から寄付金が集まった。日本では、故岩城宏之氏が寄付を呼びかけた。東京都交響楽団は、都の助成金を削られてから、団結力が高まったのか、ここ数年充実した演奏を繰り広げている。そんなことを書くと、必ず「助成金なんかに頼っているから、日々向上の努力を怠るのだ」という、お決まりの声が聞えてきそうであるが、金がなくなって、演奏能力が上がるなどということがあるわけがない。日本のオーケストラの演奏能力が上がったのは、欧米のオーケストラメンバーとして活躍したり、海外の修羅場で経験を積んだ演奏者が増えたり、教育水準の平均的向上に、その原因が何より求められるべきであり、もともと潜在能力はあったのである。それに彼らは、別働隊を組んで学校に出かけて教育活動をやったり、地域社会に溶け込もうと、相当の努力をしている。しかし、それも限界があると言うものだ。東京交響楽団の音楽監督ユベール・スダーンは「日本のオーケストラは忙しすぎて、レパートリーにじっくり取り組む時間がない」と、指摘している。国からの予算は全く増えないのに、不可解な雑務に忙殺された挙句、やれ努力不足だ、やれ「甘え」だ、などと言いたい放題言われる学校教師のようなことにならないよう祈るばかりである。 私のような、自分の生活すらようやく成り立っているような貧乏人にはどうすることも出来ずに残念であるが、一音楽ファンとして、年に何度かは演奏会に足を運び、彼らの努力と音楽にかける情熱に、万感の拍手を持って応えるしかないと思っている。 *最近のニュースでは、ホノルル交響楽団は、またもや楽員の給与支払いが滞っているようである。尚、ホノルル交響楽団の今シーズン前期フィナーレは、大友直人の指揮による、サン・サーンスプログラムである。
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オーケストラに「成果主義」とは笑い話ですね。個々の楽団員の「成果」なんて、誰がどうやって測るのか。
2008/4/28(月) 午後 1:02
Jinneさん、今大学なんかも酷い。「3年で結果出せ」とか、文科省が「研究」というものを分かってない成果主義を押し付けてきます。やはり、世の中に余裕がなくなっちゃったんでしょうね。
2008/4/28(月) 午後 10:22
はじめまして。
私の地元にもアマオケ含めいくつかの楽団があります。一流のオケのような集客力はありませんが、地元の演奏家達の団結力で活動しています。地方であるがこそ、このようなオケは絶対に必要なのです。
クラシックファンとしても頑張って貰いたいし、私も微力ながら演奏会には積極的に出掛けたいと思っています。
2008/5/6(火) 午後 9:38
まなべえさん、ご訪問、コメントありがとうございます。私の地元にもアマオケはいくつかあります。日本のオケの実力は、私が学生だったころの80年代と較べても、長足の進歩です。何より、音色が非常に豊かになったと思います。私も、頑張って欲しいと思います。
2008/5/7(水) 午後 11:28
内緒さん、コメントありがとうございます。コメントの内容そのものより、語尾の「しらょうか」が気になってしょうがありません(^_^)。この綴りを出すのは、容易ではないと思いますが。ともかく、個々の能力の高いオケは確かに優れてますが、ただ高いだけでは、アンサンブルとして機能しない場合もまたありますね。スポーツチームも、野球で、4番ばかり揃えても勝てないのと同じで。
2009/2/16(月) 午後 0:43