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書評(人文、社会科学系)

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小6になる長男が学校で使っている社会の教科書を開いて読んでみた。「日本の負の歴史を教えていると、若者が国を愛せなくなる」と言う方もいらっしゃるけれど、そういう若者がいたとしても、それは学校でちゃんと勉強する優等生の話で、私のように学校などさぼってばかりで、中高を通じても、下から数えたほうが確実に早かったような筋金入りの落ちこぼれにはあまり関係のない話である。それに、子どもに「愛国心」−何が「愛国心」だかはともかく−を叩き込んでも、そのまま順調に「愛国者」−何が「愛国者」だかはともかく−に成長するかどうかは予断を許さない。逆もまたしかりである。いずれにせよ、社会科目が、所謂「暗記科目」であり続けている以上、「負」だろうが「正」だろうが、いくら学んでも、結局右から左へ抜けていくのがオチである。

さて、わが自治体で採用されている社会の教科書は、東京書籍の「新編新しい社会」である。私が子どもの頃使った教科書と一見して違うのは、まずサイズである。70年代を通して、教科書と言えば大抵B5サイズだったと思うのだが、これはA4サイズである。全編グラビアで紙の質も光沢のある立派なものである。そして、何より絵や写真が多く、文章は極端に少ない。小学校の教科書だから、そうでもしないと、子どもの興味を惹くのは中々難しいのだろう。近現代史の部分に関して言えば、まあ、この段階だと、世に言う「自虐」も「自尊」もあまりないのだが、一応、韓国併合については「(朝鮮の人々)が、民族の誇りを大きく傷つけられた」という記述は見える。所謂南京事件についても「首都ナンキン(南京)を占領したとき、武器をすてた兵士や、女性や子どもを含む多くの中国人が殺害された」と、一応書いてある。もっとも、誰が殺害したのか、主体はぼやかされてはいるが、文脈からすれば「明らか」である。

自国の被害についても、先ごろの指導要領の改訂では原爆や沖縄戦を学ばせる方向性が打ち出されたということだが、そういうこともこの教科書には一応記載されている。「ひめゆり隊員」の手記ということで、「岩をよじ登って逃げる人々を米軍の兵士がガムをかみながら、撃ち落していきました」と、アメリカ兵の残虐さに触れる一方、「当時の教育では、投降することは非国民だと決め付けられていた」と、戦中の教育の偏狭性にも言及している。まあ、小学生の教科書だから、こんなところが落としどころなのだろう。しかし、メインイベントは112ページから113ページにかけての大きな見開き写真である。左側に、学徒出陣式を写した白黒写真。右側は、日本選手団が行進する、東京オリンピック開会式のカラー写真である。これは、中々秀逸で、いまこの二枚の写真を並べて見せて、ピンとくる若者は、大学生ですら少ないのではないだろうか。

ほかでもない、この学徒出陣と東京オリンピックの開会式は、同じ場所で行なわれたのである。前者が1943年、後者は1964年であり、その間僅か20年である。今、国立競技場の外側には、学徒出陣の碑が建っているから、ご覧になった方も多いだろう。当時、日本でのオリンピック熱は相当なもので、まさに国を挙げての一代イヴェントであった。高速道路の整備や新幹線の開通などもオリンピックの開催に刺激された国民的経済運動であった。東京都は、首都を外国人に如何に美しく見せるかに腐心し、1961年から、3年にわたる「首都美化運動」を推進、厚生省は、「国土浄化運動」と「国民保険体操運動」という、戦時中と見紛うかの如きプロジェクトを立ち上げた。メディアは、このオリンピック熱をを戦後の「聖戦」と呼んだ。事実、新幹線敷設は、203名の作業員の命を犠牲にしてまで進められたのである。まさに、経済ナショナリズムという名の戦争を日本は戦っていた(五十嵐恵邦「敗戦の記憶−身体・文化・物語」中央公論新社、P.241〜251)。

東京オリンピックの開会式に居合わせた作家の杉本苑子は次のように述懐している。

「二十年前のやはり十月、同じ競技場に私はいた。女子学生のひとりであった。出征してゆく学徒兵たちを秋雨のグランドに立って見送ったのである。場内のもようはまったく変わらないが、トラックの大きさは変わらない。位置も二十年前と同じだという。オリンピック開会式の進行とダブって、出陣学徒壮行会の日の記憶が、いやおうなくよみがえってくるのを、私は押えることができなかった。天皇、皇后がご臨席になったロイヤルボックスのあたりには、東条英機首相が立って、敵米英を撃滅せよと、学徒兵たちを激励した」(杉本苑子「明日への祈念」講談社、P.30〜31)

勿論、長男の教科書には、杉本の回顧も、新幹線敷設で200名を超える作業員が犠牲になったことも記載されてはいない。学徒出陣とオリンピックの写真は、日本の復興を象徴するものとしてしか載せられていない。今、私の脳裏には、小学校時代(70年代)、低学年時に担任だった老教師が口癖のように語った言葉が甦っている。

「戦後、ドイツの経済復興は、世界中で『驚異』と呼ばれた。しかし、日本の復興は『奇跡』と呼ばれているのです」

そう言う時の、先生の誇らしげな表情が、今でも脳裏に焼きついている。今、隣国中国では、自治区の反乱や四川の大地震に見舞われながらも、オリンピックを間近に控え、国内のナショナリズムは最高潮に達している。45年前日本が通過した地点を、韓国も通過し、また中国も通過しようとしている。現在という地点に立って、長男の担任は、学徒出陣壮行式とオリンピック開会式二枚の写真を、果たしてどういう言葉で子ども達に伝えるのであろうか。

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