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本書は、岩波書店から15冊発行されている「双書『哲学塾』」のうちの一冊である。岩波には「思考のフロンティア」という同傾向のシリーズもあるが、後者が大学生以上をターゲットにしているのに比べ、前者は概ね「ですます調」を駆使し、10代の読者も考慮に入れた書き方となっている。しかし、内容的に程度が低いのかというとそんなことは決してなく、本書も、考えてみれば当たり前でありながら、普段は意識に余り上ることの無い重要な事柄を分かりやすく論じている。本書は、「講義」という体裁をとっており、150頁ほどの小著でありながら、全体が11日の「講義」に分かれており、学校の授業の副読本としても十分使える構成である。 内容は、ズバリタイトルそのもので、昨今、規制緩和と構造改革の名の下に推進されている、「新自由主義」のどこが間違っているのかを、理論的に解説したものである。本書で、著者が強調しているのは「市場の外部」という言葉である。言うまでも無く、資本主義は、社会の全域にマーケットの影響が及ぶ社会体制である。しかし、マーケットは、市場の外部を収奪かつ侵食することにより自己増殖するが、そもそも市場は、外部をマーケットの侵食から保護することにより、初めて健全に機能できるものと著者は論ずる。 市場は、商品が貨幣を媒介にして取引される空間であり、そこでは「物」だけでなく、情報や人間の能力、労働・労働力までもが、商品として売買される。しかし、世の中の全ての物事をマーケットの作用に任せればうまく行くというのは「強者の論理」であり、これを推し進めると共同体の紐帯は弛緩し、社会を維持するコストは最終的に高くつく。マーケットの構成員は消費する個に分解され、人心は脆弱となる為に、新自由主義は、結果として国家の統制力を高め、民主主義を後退させる。その上で、著者は、「自由」という概念の歴史的由来に遡り、「自己所有・自己責任」の虚偽性を暴いてゆく。 いうまでもなく、自由という概念と民主主義は相互補完的であり、著者はこれらが地域的偏狭性を打破していく上で果たした役割に一定の評価を与えつつも、ハイエクやノージックらが唱える新自由主義は、アダム・スミスやJ.S.ミルらの論じた自由の概念をはるかに超えて、遺伝的特質や能力すら取引の対象とする意味で、優生学思想に繋がるものであり、ここ10年間、我が国で導入されてきた、社会保障政策はまさにそうした方向に社会を押しやるものと論ずる。 著者は、自己所有物と錯覚されることの多い、個人の能力でさえ、共同性から遊離して存在することは出来ず、それらは「他者」とのつながりの中において初めて意味を持ちうるものと言う。保守派なら、このあたりは道徳論を持ち出し「役割関係」を強調した議論を展開するだろうが、著者は、政府が政策として市場の外部を保護すべきであり、そのような文化を育むことこそ民主主義の公正なあり方であると主張する。即ち、個人の能力を市場の作用に完全に委ねてしまうと、個人間の能力差は、点数で色分けされ、これが優劣を決定する唯一のメルクマールとなるが、そこで無視されるのは、市場で商品化されることのない、個人の存在根拠そのものである。例えば、点数に還元できない、個人の性格的特性や情緒のようなものはマーケットの評価基準から外れてしまい疎外化が進行する。このあたりは、廣松渉が「共同主観性」という言葉で論じた議論に繋がるところがあろう。要するに、私的所有権は、市場の外部に適用される社会権の裏付がなければ、社会を不安定にするのである。当たり前の話だが、この「当たり前」が、「当たり前」と思えないほどに、現今マーケットと私的所有権が人心に与える影響は大きく、自己の身体や能力さえもが、自己所有物に還元され、よって、これをどう扱おうが個人の勝手という、身体性の喪失すら現前しているのが昨今である。 また、著者は、視覚・聴力の欠如などは、自己所有の欠如と言えはするが、それ自体が「良い生」を生きるために決定的なマイナスであるかどうかは、視覚・聴覚障害者を取り巻く、当該社会の「あり方」に多くを依存すると主張する。例えば、障害を持っていても、社会が、学校、施設等、あらゆる場所で、ハード・ソフトの両面から、障害者を支える体制をを持っていれば、それは決定的な障害とはならず、共生が可能である。そして、その共生を可能にするのが、そうしたことが最終的に社会の為に、或いは国家の為になるのだと考える「文化」である。そして、そのような「共生」を志向する文化や「心の在り方」は、市場の「外部」に存在するものであり、新自由主義を推し進めると、かかる「外部」は破壊され、社会的「弱者」は排除され、「自由」の名目とは逆に、社会のあらゆる場面で国家統制が強化される。それどころか、市場の作用で脆弱化した個は、自ら進んで統制されることを望みさえもする。半世紀以上も前に、エリック・フロムがナチズムとの関連で論じた、権威主義と服従者の関係に見られるマゾヒズム・サディズムの心理的機制が、ここにもかなりの程度当てはまるであろう。 著者は、教育の市場化についてあまり紙数をさいておらず、この部分に関しては、私自身若干異論があるのだが、所謂規制緩和が、雇用の流動化の名のもとに、現今労働現場に齎している様々な弊害を鑑みれば、新自由主義を理論的かつ簡潔に批判したものとして、本書が極めて有用な書物であることに変わりはない。平易に書かれており、150頁程度であるから、一日で読める。 著者:竹内章郎(岐阜大学教授、1954年生まれ)
出版社:岩波書店 出版年:2007年12月(初版) 頁数:158 定価:1300円 |
書評(人文、社会科学系)
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