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多少時間が空いているときに、更新しないとね。と、いうわけで、この度は、久々の書評。
泣く子も黙る、親鸞の「歎異抄」である。と、言いたいところだが、これは泣く子も笑う(?)新訳である。この書物は、昨日訳者ご本人から直接いただき、少々歓談もしたが、ご本人はいたって大真面目である。なにがどう大真面目かって、この新訳、関西弁でんがな。本の帯には、「親鸞の教えをライブ感覚あふれる関西弁で!」とある。親鸞の「歎異抄」と言えば、悪人正機の説で有名なわけだが、それほど難しいことを言っているわけではない。要するに、善人が成仏できるというなら、悪人なら、尚更そうだろう、というそれにつきる。悪事を働いた人間は、それが何であれ、そこから反省の契機を得るわけであり、良くも悪しくも、「罪」の重さというものを知る。悪事を自ら働いたことがなく、自分が「善人」だと信じて疑わない人間が、成仏できるというなら、悪人なら尚更だ。まあ、そんなところである。
で、この書物こんな具合なのである。
「念仏は、それを行う者にとっては、『何にもやっとらん』であり、『善えことは何もない』や。自分で意識的にやっとることやないのやから『何もやっとらん』ちゅうことやし、自分で意識的に『善えこと』しようちゅうわけではないんやから、『善えことなし』や」
この原文は、以下のごとくである。
「念仏は行者のために非行非善なり。わがはからひにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからひにてつくる善にもあらざれば、非善といふ」
さて、いかがなものだろうか。なお、訳者は、北海道出身で大阪弁は「母語」ではない。それに、原文は、もはや日本人が使わなくなった古文である。これを現代標準語ではなく、関西弁にしたところに、一つの越境性があるのだと思う。私も、高知から、首都圏に来て25年経つが、「かたずける」は、いまだに「しのべる」と言いたくなるし、高知出身の方ならだれでもご存じの「のうがわるい」は、色々な意味に使える万能語句であり、状況によっては、どうしてもこれを使わないとしっくりこないという場合がある。
なお、この書物、光文社の古典新訳シリーズの一冊で、これまでは、ニーチェとかプリーモ・レーヴィとか、西洋のものばかりだったのだが、これが初めての日本の古典ものということだそうだ。古典というのは、日本のものだろうが、西洋のものだろうが、文学だろうが、哲学だろうが、なかなか難解な場合が多く、何でこんなもってまわった晦渋な言語になるんや、と思うことしばしばである。岩波文庫など、その筆頭である。文化人類学者の梅棹忠夫さんなんか、思想家の言ってることはさっぱりわからんから、自分で考えると、「アマチュア思想家宣言」なんてのをやったことがあるし、鶴見俊輔さんなんかは、古典だって相当読み込んでいるんだろうけれど、哲学は「ニセ学問」でなくてはならないなどと、言っている。まあ、それは、彼ら位のレベルになれば、そういう啖呵を切ることもできるだろうが、中途半端な知識人ほど、本当はよく分りもしないことを、さもわかったかのように、難しい言葉を使って、べらべら書いて、インテリ面していたりする。
さて、本邦初公開の関西弁版「歎異抄」やいかに。ちなみに、この書物、関西弁−関西弁と言っても、色々あるんだろうとは思うが−を母語とする方の、校閲は受けたよし。本願寺やら、筋金入りの宗教学者あたりから、抗議が来る可能性を考慮してか、ちゃんと原文も添えられている。個人的には、大変おもしろく読んだ。これなら、中一の長男にも、「歎異抄」のエッセンスが、理解できるというわけだ。
私も、なんか古典の土佐弁訳とかいうのをやってみるかな。そんな、時間はないだろうけれど・・・
著者:唯円・親鸞
訳者:川村湊(法政大学国際文化学部教授)
出版社:光文社
ページ数:161
出版年月:2009年9月
定価:533円
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古典じゃなくても、たとえば教育基本法とかどうですか。
2011/4/2(土) 午前 4:36
教育基本法というと、旧教育基本法ですね。今の「郷土を愛する心」を盛り込んだやつじゃなくて。だったら、12条の短いもので、書いてあることも明確なので、方言にする必要はないと思いますが、むしろ、小学生にでも分かるように平易に書き直せばよいと思います。
2011/4/2(土) 午前 9:43
てか話題になれば勝ちというか、一般の人が色々考えるきっかけになるといいなとおもうんです。土佐弁は龍馬で話題というか周知されてるし、そういう便乗もアリというか。
2011/4/2(土) 午前 10:00
なるほど、一理あります。しかし、それは改正される前に、ベテランの教員労組の人にやっていただきたかった。教育基本法が改正されたときの世論調査で、存在を知らない人がたしか7割、読んだことない人が9割近く。たった12条で読むのに5分んとかからん。いかに、日本の運動体の人が、自己撞着に陥っているかですね。それを指摘すると、「お前に何が分かる」と一蹴されます。日本の平和運動ってのも一種の宗教だと思います。反原発でも、反戦でも、そうなる傾向は非常にある。
2011/4/2(土) 午前 10:18