錯乱気流

無茶苦茶忙しいやんけ・・・

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酒井直樹の論文『死産される日本語・日本人』を久方ぶりに読みなおしてみました。まあ、相変わらず、分かりにくいのですが(笑)、言ってることは極めて単純のような気もします。「被投」とか「欠如態」などの言葉が出てくることから、ハイデッガーとポストモダンを援用した、一種の日本人論なわけでしょう。国家の統合理念としての、言語や民族の概念は、常に「そこ」にはない過去のある時点に求められ、あたかもそれが統一概念であるかのように、現在に提示される。しかし、それは「そこ」にはない何かであって、常に「他者性」を排除した、純粋概念として現れる。例として酒井さんは、古事記や日本書紀にさかのぼって、雑種性を排除した純粋概念の提示を試みた18世紀の国学を例にとっておられます。つまり、あるはずのないものを概念上再構成して提示するわけですから、そのような統一概念は、「死産されるものでしかない」という議論です。
 
考えてみれば、これはどの国にもみられる現象ではないかと思います。例えば、アメリカですと、国家の統一概念として常に参照される過去と言えば、1620年のメイフラワー号なわけです。そこには、何の雑種性もない、アメリカの原初的形態がある。或いは、1776年7月4日の建国神話というのもあります。でも、50年代から60年代の公民権運動を通過したアメリカは、「純粋な」国家の原初的形態の理念をメイフラワーや建国神話には求めにくくなっているわけで(コロンブスもイマイチ)、そこで、呼び起こされるのが、連邦の分裂を回避し、その為に殉教したとみなされるエイブラハム・リンカーンでしょう。およそ、アメリカの政治家が公にぶつ大演説で、リンカーンに触れないものはないというくらい神格化された存在であるわけです。
 
翻って、日本ですと、今の人に、古事記とか日本書紀とか言っても、あんまり訴求力はないわけです。そこで、何の登場かとなると、坂本龍馬だったりして(^_^)。考えてみれば、坂本龍馬(1836−1867)とリンカーン(1809−1865)というのは同時代人ですね。いずれも、国の分裂回避の為に奔走し、そのために殉じた人物として描かれる場合が多いです(特に今回の『龍馬伝』はそうだった)。実は、坂本龍馬の書簡等を読んでみると、日本とか日本人とか言う言葉はそんなに、というかほとんど出てこない。つまり、両者とも、国家が危機的状況に陥った場合に、「そこにはない」欠如態としての統一概念を象徴する人物として喚起される存在なわけです。それが、証拠に、朝日新聞の「声」欄でも、「いまこそ龍馬の精神を思い出すべきだ」とか言う読者からの手紙が、大真面目に紹介されてます。今、ある大学で、留学生必修クラスを教えてますが、それぞれの国で、どういう人物、或いは出来事がそのような役割を担っているのか議論してもらったら、フランスの学生は、ジャンヌ・ダルクを挙げてましたけど、そうなんでしょうかね。来年は韓国、中国あたりの学生に聞いてみたいと思いますが、例えば、後者だと、なんとなく孫文が出てきそうな気がします。劉邦ってのもいるけど、ちと古いでしょう。

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