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「平和=反戦」関連
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「平和=反戦」関連
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「平和=反戦」関連
「カラヤン」という名の現象
音楽徒然草
日本でも、戦時中は、体制に反抗した芸術家ってのは皆無だったのですよね。小説家も、映画人も、皆体制迎合的作品を書いていました。作曲家の古関裕而とかは、典型的な体制作曲派でしたが、戦後は、変わり身が早く、「長崎の鐘」なんて曲は象徴的です。それほど、社会的な圧力とか上からの圧力ってのは抗しがたいものがある。だから、芸術家がみんな多喜二のようでなくてはならないかというとそんなことはないですど、彼は命を落としたわけですから。韓国の金芝河なんてのも、やっぱり、反体制派のシンボルに祭り上げられたようなところはあったと思います。彼を責める運動体の人がいますが、そんなことをする権利が彼らにはあるのだろうかと思うこともあります。もちろん、カラヤンはナチズムにかなり入れ込んでいましたから、その意味では無罪ではないですね。、
「カラヤン」という名の現象
音楽徒然草
2013/2/24(日) 午前 8:00
芸術家が「そのときどきの政権や権力に迎合する」という生き方の便宜主義、は許せないと思います。ましてや、自ら進んでナチス党員になったというのですから、いわんや・・・であると思います。ジャンルは違うけれど、作家の小林多喜二の姿勢に比べたら、あまりにも情けないと言えるでしょう。百歩譲って「芸術や言語・・・など表現活動はイデオロギーではない」と認めたとしても、表現者が権力や体制に擦り寄る生き方や人間性そのものが問題ではないのかと申し上げておきます。日本のメディアや新聞などが、権力や体制を的確に批判していない、ジャーナリズムとしてはその存在性を問われると言われて久しいのですが、似ている感じがこの問題にもします。その意味で「音楽でも、その他の芸術分野でも、上手で優れていればOk!!という」考え方には同意しません。
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