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よくある、公共の場所における通知の外国語訳である。最近は、首都圏であれば、英語、ハングル、中国語の三言語で表記してある場合が多い。昔から、この手の英訳には文法とか語用の誤りが多く、英語を母国語とする人は、ネタにして、自分のブログに載せてあったりする。もちろん、東南アジアとか台湾あたりの商品にある日本語表記が怪しいのはよく知られた話である。
まあ、通じればよいじゃないかとも言えるが、やはり相手の言語に敬意を表する意味でも、ちゃんとした言葉を使って表記すべきと思う。ここにあげたのは、東京都内の地下鉄の駅のプラットフォームにあったものだが、もうちょっとコンパクトに書けばよいのに、学校の英作文のようで、誤りも散見され、あまり良い出来ではない。ただ、意味は十分わかる。しかし、見逃せない文章がひとつある。それは二段落めの最初の行である。こう書いてある。
In preparation for a fire, the subway station is equipped with an automatic fire alarm system,
an emergency public address system, a smoke control system and a fire extinguishing system.
これは、こう書いたつもりだろう。
「火事に備えて、地下鉄の駅には、自動火災警報装置システム、非常時アナウンスシステム、煙制御装置(?)と消化装置が備え付けてあります」
ただし、in preparation for a fireというイディオムの使い方が間違っており、次のような意味になってしまっている。
「火事の準備のために、地下鉄の駅には、自動火災警報装置システム、非常時アナウンスシステム、煙制御装置(?)と消化装置が備え付けてあります」
つまり、如何にも、「火事を起こすために」、諸々の装置を備え付けてあるかのように受け取られかねない文句になっているのである。こういう場合、in preparation for a fireという文句はいらないと思う。なぜなら、備え付けてある装置を見れば、それがなんのためにあるのかは明らかだからである。日本語の思考が透けて見える英文となっている。私は、外国語を使う以上は、その言語の思考様式を尊重すべきであると考えるのであえて書くのだけど。
ちなみに、「戦争に備えて武器を持つのか」、「戦争を起こすために武器を持つのか」どっちなのだと言われれば、国家というシステムによる武器の保有は、結局後者に収斂せざるを得ないし、歴史を見てもそうだと思う。って、結局締めはそれかよ、みたいな・・・。
そういえば、ビリー・ジョエルの歌に、We Didn’t Start the Fireという歌があったな・・・
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「捻じれ国会」ならぬ「捻じれ総理」の話である。人は、あんまり自分の意思を表に出すと、結構やっていけないから、匿名空間のネットじゃ言いたい放題の人でも、リアルな空間では、それ相当に妥協してやっているだろう。私は、結構、自分の考えていることと、外形的行為が一致しないと苦しいタイプだが、それでも、やっぱり抑えている部分はある。それは良く言えば、「自制」だし、悪く言えば「妥協」である。どっちの要素が強いかは、その時の状況によるけど、まあ、どっちにせよ、最近良く聞く言葉でいえば、「封印」ってことである。例えば、浅田真央なら、ここんところ封印しているのは、トリプルアクセルである。「いつでるかトリプルアクセル」みたいな。
そこで、安倍晋三だけど、彼は、現在の日本の政治家でも、かなり保守的で、自民党という政党が許容できるぎりぎりのところまで行ってる。あれ以上右に動くと、多分総理の座から降ろされる。なぜ「ぎりぎり」のところで踏みとどまっているかと言うと、彼は、御自分の歴史観を、今のところ「封印」しているからである。だから、各方面から、「いつでるか自爆史観」みたいな感じで、期待されたり、警戒されたりしているわけだ。誰が「期待」して、誰が「警戒」しているのかは、ともかく。参院選に勝ったら、「封印を解くか」みたいに言われることがあるけど、もし封印を解くことが、日本の戦争責任を否定するような行動なり発言なりということを意味するなら、恐らくそれはないと思う。河野談話ってのがあるけれど、あれを否定するってことは、彼はやらないだろうと思う。せいぜい、「未来志向」の「安倍談話」とやらで、日本の戦争責任を、「曖昧にする」くらいのことが関の山だと思う。なぜ本心を出せないかというと、そりゃ、もう日米同盟ってのがあるからである。
面倒くさいから詳しいことは省くけれど、日本と言う国の隅々まで根を張っている外国勢力と言うと、中国でも韓国でもなく、アメリカだってのは、言うまでもないことでしょうよ。なんせ、軍隊が居座っちゃってて、原子力空母の母港まである。それも昨日や今日のことじゃなく、太平洋戦争が終わって以降ずっとである。建前上、守ってくれてるってことだけど、考えようによっちゃ、抑えつけられてるとも言えるわけで。この外国の軍隊が、日本人に向かって銃を向ける可能性は、現状では、もちろん低いわけだけど、理屈から言えば、ありうるわけで、これが頭をかすめもしない人がいるってのが、私など不思議でしょうがない。アメリカってのは用意周到な、徹底したリアリズムの国で、当然、日本だって仮想敵国に入っているはずだ。
そこで、安倍さんだけれど、一応、彼の『美しい国へ』にも目を通してみて思うことは、彼を突き動かしているのは、一種の「憤り」で、それは、かなり個人的な経験に根差したものだと思う。ものすごく、簡単に言えば、「私の祖父は悪くない」。それではあるまいか。子供の頃見た、祖父の岸邸を囲むデモ隊の光景。そのデモ隊を見て、泰然としていた「大人物」の祖父に対する畏敬。戦犯なんてとんでもない。日本やアジアの為に尽くした祖父。「子孫に辱めを残すわけにはいかない」。この彼の言葉に、そういう安倍の情念を感じとることが出来ると思う。韓国の次期大統領パク・クネも、独裁者と言われ、随分と強権をふるったパク・チョンヒを父に持つが、彼女の場合は、一応、父親の施政について、「過ちも犯した」と、責任を認めている。だから、捻じれ度は、安倍より少なくてすんでいるし、もう韓国は、あの独裁的軍事政権には後戻りしないだろう。
ところが、安倍の場合、捻じれたままである。彼の情念は、幼少期に根差し、それはかなり根深い物があるが、それを出したくても出せないでいる。彼が、言わば大人の振る舞いとして、「自制」しているのなら、ある種の寝技を覚えたってことで、それはそれで、「やるじゃないか」ってことなんだけど、どうも、このままでは行かないような気がしている。彼には、期待を裏切るわけにはいかない信奉者の一群もいるし、取り巻きもいる。あの、如何にも目つきの悪い官房長官だが、男女別姓に理解を示したり、意外とリベラルな側面があり、一定のブレーキ役を果たしているようである。だが、無条件に安倍の神輿を担ぐ連中や支持者もいる。安倍と彼らの関係は、一種の供依存である。妥協もそこそこならともかく、自分のアイデンティティの核心に関わることをいつまでも表に出せないでいると、かなり頽廃してきて、精神が崩壊しかねないが、このまま最後まで行けるのか。
とにかく、日米関係は、過去半世紀以上の関係で、日本の隅々まで浸透している。それは陰謀でもなんでもなく、これだけ長い関係を維持してきたならば当然のことである。その利権構造の全貌を理解するのは難しい。もちろん、アメリカを中心として構築されてきた戦後秩序を否定し、戦前に回帰するような発言をしそうな雰囲気が色濃くなると、安倍政権は瓦解するだろう。安倍の「私憤」は、現在の世界秩序と真っ向からぶつかり合うからである。それをやると、極端な話、安倍さん、○されかねない。それと、一応、言っておくが、私は、所謂「反米」ではない。アメリカの知己はたくさんいるし、よく連絡も取り合っている。ただ、思うのは、日本は、アメリカの悪いところばかり仕入れて、いいところはスルーである。もちろん、アメリカのいいところってのは、ことごとく安倍さんの価値観に反するわけだけど。
石原慎太郎は、安倍よりもさらに強硬に右寄りで、中韓は及ばず、欧米からも「ああいう人」で良く名前が知られている。党名の英文名と言い、彼が共同代表とやらになったということは、維新もそのような政党であると、国際社会からは見られるだけである。さて、この石原も結構「私憤」で動く人だ。この人の場合、「日本が負けるはずがない」である。しかし、尖閣の時は見事にやってくれた。何をやったかは簡単だ。石原が、導火線に火をつけ、民主党が引き金を引き、実際の弾となって飛んで行ったのは、中国の若者である。で、被弾したのは、外国にある、邦人の財産である。もちろん、そこには中国人もとばっちりを食ったが、直接的に被害を被ったのは、邦人の企業や商店である。政治家がまず行なうべきことは、邦人の命や財産を危険に陥れないことであるはずなのだが、お構いなしである。相手の市民を使ってぶっ壊させる方法があったわけだが、もちろん、そこまで計算していたとは思えない。しかし、反省してないことも確かである。政治家が、私憤でぶっ飛ばすと、その被害が市民に及ぶという良い例である。安倍は、どうであろうか。捻じれを真っすぐしようとすると、当然、ひと騒動起こるわけだが。さりとて、そうしないでいられるのか・・・
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昨日、「アイデンティティの捻じれ」というタイトルで、パク・ヨンハについて書いたけど、J−POPで通用している韓国の歌手はいるぞ、と息子が言うので、これを書いている。Kという、アルファベット一文字の歌手だ。この手の話には滅茶苦茶詳しい人がいて、日韓近現代史が専門の私の師匠もビックリらしく、私のような新参者は発言を控えたほうが良いかもしれない(笑)。だいたい、日韓関係ってのは、昔は、とにかく政治の話しかなくって、それも、大抵ロクな話じゃなかった。金大中拉致事件とか、大韓航空機爆破事件とか、例のT・K生からの通信とか。韓国語の講座なんて探すのすら大変。日朝関係史も、在日コリアンや帰国事業の問題等があったから、学術というよりか、運動体のほうから派生していった。
もちろん、完璧に日本の大衆文化シーンの一部だった韓国人は過去にもいたわけだけど。私の世代なら、もう大木金太郎だろう。彼は、力道山との関係で、日本に密入国してきたわけだけど、祖父なんかは大木金太郎好きだったな。頭突きの大木金太郎。まあ、それはともかく、隔世の感とはこのこと。一昔前まで、韓国の映画なんてのは、マーケットベースにすら乗らず、公民館あたりで自主上映されていたものを、愛好家とか運動体の人が集まって見ていたに過ぎなかった。音楽なんて、それ相当に日本にも知られていた人と言えば、紅白にも出たチョ・ヨンピルくらいではなかったか。チョ・ヨンピルは私は結構好きで、CD何枚か持ってる。
で、まあ、聞くところによると、Kって歌手は本国の韓国じゃ人気がないんだそうな。日本が活動のベースだから当たり前とはいえるけど、パク・ヨンハみたいに俳優じゃないから、そのあたりは、ストレートに行けるのかもしれない。もちろん、彼に、アイデンティティ上の葛藤がないってわけじゃなくって、そりゃ、当然あると思うけど。
いずれにせよ、政治的問題は多々あれど、世界は本当に狭くなった。だいたいマーケットってのは相互浸透性があるんで、鎖国でもしない限り、相互の交流は活発になる。韓国は、一時期まで日本からの大衆文化の流入を禁止していたというが、そんなのは建前で、CDショップには日本の音楽のCDが大ぴっらに売られていた。自国の壁を越えて、異文化に身を置くってのは、要は国境を超えるってことだから、今後は、紆余曲折あれど、そういう現象は増えて行くんだろうと思う。なので、パク・ヨンハが言った「韓流ブームを越えて、普通にJ−POPシーンの一部として見られる」って現象は、これからは普通に起こるだろうし、逆に日本人が向こうに行くってケースも出てくるだろう。ただ、オーストラリア、イギリス、カナダ等、英語圏の俳優や歌手が、アメリカで活動するのと違い、日韓や日中の場合は、政治的問題もあるけれど、何より言語が違うから、そこはひとつの壁になる。でも、政治的問題も含めて、それを越えて行く強さっていうか、柔軟性ってのは、古い人より、若い人のほうがあると思う。大衆文化ってのは、どことなく底が浅いって感じがあって、それはそうかもしれないが、私は、ろくでもない政治家が10人いるよりか、歌手一人のほうがマシくらいのものだと思っている。そもそも、古賀政男からして、朝鮮半島の民謡の影響を受けていると論じる人もいるくらいだ。
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パク・ヨンハという歌手・俳優がいた。『冬のソナタ』で、ぺ・ヨンジュンの恋敵役をやって、日本でも一躍有名になって、一時期は、日本が活動拠点と言えるくらいに、日本での活動が活発になっていた。もちろん、『冬のソナタ』を去年の秋に初めて見た私は、パク・ヨンハのことなどたいして知らなかった。結果から言えば、彼は、2010年に自ら命を絶ってしまった。日本でも有名だったから、大きく取り上げられたらしいが、韓国のドラマなどに、ちっとも興味のなかった私は、そのニュースさえ知らなかった。川口市でのコンサートがあって、その後東北あたりでも公演が予定されていたのだが、全ては、追悼イベントに変わったようだ。つまり、日本での仕事の合間、韓国に一時戻った、そのわずかな間に帰らぬ人となってしまったわけで、原因につていは、事務所のトラブルとか、父親を癌で亡くしたこととか、徴兵を猶予されて、それで世間から悪口を言われたとか、当時色々言われたが、全ては憶測にすぎない。
彼のご母堂が、主に日本ファン向けに書いた手記が本になって出ている。読んでみたが、私なりに気になった部分がひとつだけある。それは、彼が、母親に、次のように語ったというくだりである。
「僕は韓国人として日本で活動しているけど、もう韓流スターとか、韓流ブームというものからは、別のところに歩んで行きたい。出来れば、自分が好きな安全地帯やTUBEのように、普通にJ−POPシーンに受け入れられる歌手になりたいと思う」
これは、かなり重大な意味を持つ発言だと思う。結論から言えば、「それは難しい」。どれほど素晴らしい日本語の発音で歌ったとしても、J−POPとして受け入れられるかどうかは、やはり別問題のように思う。別に、J−POPが、K−POPより優れているとかそういう問題じゃなくって、彼のアイデンティティの問題である。キム・デジュン以降、韓国では、日本の大衆文化が、制限付きながら流入するようになり、尾崎豊とか、安全地帯とかはかなり人気を博した。ZARDやSPEEDもそうだ。今でこそ、アイドルあたりになると、むしろK−POPのほうがクオリティが高いとさえ言える状況となっているが、パク・ヨンハが青少年時代を送ったであろう90年代、日本の大衆文化シーンは、韓国人にとっては、アメリカのそれと並んで、まさに憧れの地であった。数多くの、韓国の青年が、日本の音楽シーンから受けた影響は、やはり無視できないはずだ。
「J−POP」として受け入れられる」というのは、二重の意味で困難を生ずる。まず、日本のほうで、芸能関係者やファンが、そのようには捉えない可能性が高いということだ。どんなに曲が売れて、どれほど公演が満員になって、どれだけテレビに出ても、やはり「K−POPシンガー」という枠で括られることになるだろう、と。つまり、「J−POPとして受け入れられたい」というほどに、日本の音楽シーンからの影響を内面化している場合、韓国人であるというアイデンティティとの間に大きな葛藤を抱えることになるだろうと想像出来るのである。それと、やはり韓国での彼の立場も苦しいものにならざるを得ない。それは、韓国社会には、日本の大衆文化から影響を受けてはいても、それをおおっぴらに公言出来にくいような雰囲気が、まだ色濃くあるのである。もちろん、それには歴史的経緯があるわけで、我々日本人が、それについてどうのこうの言う資格を持たないのは言を俟たない。
特に、彼のように、兵役を免除された経験があり、そのことで非難され、あまつさえ、韓国より、日本での活動のほうが活発となると、韓国人としての彼のアイデンティティにも、どこかで亀裂が入った可能性がある。さりとて、日本にいても、日本人として認められるわけではない。人気だって、いつまでも持続するわけではないから、韓国での居場所のことも考えなくてはならない。つまり、自分のアイデンティティの置きどころが危うくなり、自己喪失してくる可能性があるのである。そういう、自己の帰属意識を巡って葛藤する人ってのは確実にいて、作家なら、鷺沢萌などがその類だろう。パク・ヨンハは、『冬のソナタ』に出たことにより、日本でも有名となり、また、彼には、圧倒的な美声と歌唱力があった。あれほどブレイクせず、日本での活動も限定的だったなら、「もしかして」と、思ってみたりする。
アメリカにいたころ、担当の教授から、「アメリカで研究者としてやりたいのなら、やはり日本人であるということをプラスに行かせる分野が良い。日米関係とか、日本文化とか」と、言われたものである。つまり、普通に、合衆国憲法成立史や南北戦争の歴史とか、そういうものを教える方向性はやはり困難だというわけだ。つまり、アメリカで仕事をするにしても、自分の「日本人性」というものは常について周って、周囲もそのように私を見るから、そこから逸脱しないほうが、仕事は探しやすいってことだ。理科系ならまた別だけれども。よく、「○○ハリウッド進出」みたいな文句があるけれど、例えば、渡辺謙だって、やっぱり、日本の俳優と認識されているだろうし、そういう扱いだと思う。そもそもアジア系だと、主役級としての役どころは、ほとんどないわけで。
こっから、安倍晋三のことに話をつなげようと言う魂胆なのだが、パク・ヨンハとなんの関係がと、ファンから怒られるかもしれない。いや、コアな韓流ファンで、自民党に投票した方もおられるだろうから、別によろしいか。でも、つながりはないわけじゃない。安倍夫人の明恵さんが、誰よりも会いたがった韓国の俳優が、パク・ヨンハだったらしいからである。安倍氏自身も、韓国とのつながりは陰に陽にある。彼も、かなりアイデンティティがねじ曲がっていて、それは彼の精神を確実に蝕んでおり、このままいくと、彼の身に、何か重大な問題が起こるのではないかと、彼には批判的な立場とは言え、ちょっと心配したりもする。精神的には、相当頽廃が進んでいると思う。別に、私がぶっ壊れても、迷惑をかける範囲は限定的だが、安倍は、日本と言う一国の総理であるから、ぶっ壊れた場合、及ぼす被害が甚大となる可能性もある。この捻じれたアイデンティティを抱えて、このままどこまで行けるのか。彼自身、自らを解放する必要があるが、もうあの年では無理だろう。では、具体的にどう捻じれているのか。そのあたりについては、次にゆずりたいと思う。
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きょうは、はてなスペース「反歴史修正主義・反排外主義」参加を呼びかけます。
はてなスペースっていうのは、「はてな」というところが運営しているもので、掲示板などのサービスを提供しているところです。このはてなスペースにD_Amonさんが「反歴史修正主義・反排外主義」のコーナーを新設されたので、参加を呼びかけます。現在30人を超えています。
下記、ご参照ください。
歴史修正主義とは、「南京事件はなかった」とか、日本軍「慰安婦」の「強制連行の証拠はない」などと言って、日露〜アジア太平洋戦争に至る一連の侵略戦争や、日本の韓国併合、ならびにそれらによってもたらされた被害を正当化したり、矮小化したり、懐疑的な見方をするような考えのことです。
同時に、日本の侵略戦争・侵略行為を正当化する人たちには、中国や韓国をはじめとするアジア諸国民に敵対的な態度をとり、日本にいるそれらの国民の方々に「出て行け」などと言ったりすることがあります。
日本と中国・韓国との間では、領土問題で意見を異にしていますが、国家間あるいは国民同士の話し合いこそ必要なのであって、相手国を蔑視したり、敵対的な態度をとって、相手国の方々を排除するような「排外主義」も、本来あってはならないことだと思います。
このような、「歴史修正主義」ならびに「排外主義」に反対される方は、ぜひ上記のはてなスペース「反歴史修正主義・反排外主義」にご参加ください(僕はanemone-osakana名で参加しています)。
ブログのエントリーで反歴史修正主義、反排外主義などのエントリを書いていなくてもOKです。趣旨に賛同する、そのお気持ちさえあれば、どなたでも参加できます。はてなIDは取得しないといけませんけどねw
多くのみなさんのご参加をお願いします^^
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多摩猫おさかなさんからの転載記事です。よろし〜く。
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