錯乱気流

無茶苦茶忙しいやんけ・・・

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これ全部見るのに半年以上かかった。全部で165話である。なぜこれほど時間がかかったかと言うと、あまり面白くなかったからである(笑)。ところが、つまらないかと言うとそうでもなく、そこそこなので、やめるにやめられず、結局最後まで見たわけだ。しかし、これを見た一番の動機は、やはりイ・スンヨンが主演だからだ。彼女は、韓国軍事政権下に起こった光州民衆抗争を扱った『砂時計』に出演して、一躍人気者となったが、それ以前にも、高度経済成長下の韓国を背景にした、名ドラマ『初恋』にも出ていて、名女優の一人と言える。光州民衆抗争に関しては、全羅道の道庁政府ビルに、実際武装してたてこもり、韓国軍と対峙した経験者の一人から、以前、話を聞いたことがある。まさに、現場は阿鼻叫喚の様相を呈していたようだ。韓国市民は、徴兵を経験しているので、ああいう限定的な市街戦になると、結構強いらしい(笑)。笑いごとじゃないが・・・。いずれにせよ、韓国の民主化闘争に興味がある方は、是非『砂時計』をご覧いただきたい。あれは、私がこれまで見たドラマ作品でも、確実にベスト10に入るものだ。

で、この『スカーレットレター』だけど、典型的な韓国ドラマで、男女の愛憎劇である。しかし、盛り上がりに欠け、最初の50話など、似たような話が延々と続き、今の日本だと確実に途中打ち切りとなる類のものだ。韓国の場合、視聴者の感想などに従って、筋を変えたりすることがあるようだが、この作品は、まさにそうであった可能性が高い。冒頭で、主要登場人物の、女優チャ・ヘラン(キム・ヨンジュ)と、同棲相手の脚本家チャン・ジェヨン(キム・ヨンホ)が、前者の妊娠・堕胎を巡って、別れるシーンが示され、そこに、後者の元カノであったハン・ギョンソがジェヨンと寄りを戻すこととなるが、ヘランはジェヨンを諦めておらず、ジェヨンを巡って、二人の女性の闘争が始まるというわけだ。そこに、ドラマ監督のイ・ドンジュ(チョ・ヨヌ)が絡み、三角関係ならぬ、四角関係となる。韓国ドラマに多い、家族や子供の問題も登場し、それなりに面白いが、やはり起伏がなく、全体に平坦なのと、脚本が甘いのが痛い。演技も、ちとわざとらしかったりする。セットと外部ロケの併用だが、撮影角度も限定的で、これまた起伏がない。

ただ、韓国のドラマを見ていて面白いのは、息子や娘が世間的に申し訳の立たない行動をしたりすると、親(特に母親)が、「なんて子なのあたなは。私と一緒に死にましょう!」と、いきなり、話が「心中」までぶっ飛ぶことである。ところが、あれは、お決まりのセリフで、別に本当に死ぬわけじゃない。要は、子供の不忠は家族の問題と言うわけだ。それから、非がある登場人物には、だいたいそれ相応の罰が最後に用意されているのも面白い。

これは、ドラマの作成現場が背景になっているので、或る意味劇中劇の体裁だけど、しかし、よく165話も引っ張ったなと思う。しかし、長いということには、それなりの利点もある。見ているうちに、登場人物にだんだんと親近感がわいてきて、最後のほうになると、なんとなく去りがたいような気分がしてくるからだ。これだけ長いと、子役が、作品を通じて成長しているのまでわかる。身長も伸びてるし。南伸介似のベテラン俳優ペク・イルソプが出てくる。日韓共作ドラマの話も、背景として同時進行していて、日本マーケットを意識した部分もある。作中、ある俳優が、日本の女性との間に隠し子を作っていたということが発覚し、マスコミの餌食になるなんて話まで出てくる。それから、韓国の愛憎劇では、妊娠、堕胎等が重要な役割を果たす。妊娠してしまえば、女の勝ちみたいな・・・。この作品も例外じゃない。

あと演技で気になったのは、チャ・ヘランを演じるキム・ヨンジュだが、この方、セリフを言うときに、ややリップノイズが多すぎると思う。特に、口をあけるときに「ネチャネチャ」と音が出る。これは、放送の世界では、わりと一般的なのだが、アナウンサーでも、俳優でも、女性のほうがリップノイズが出やすいと言われている。理由はわからない。しかし、これもその日の調子とかによって違ったりするので一概に言えない。ドラマ制作会社の社長役をやるノ・ヨングクは、大変低い安定した声を維持出来る人で、舞台経験なども豊富に違いない。それから、病気とかがある場合、「アメリカに行けば直せる」とか言うセリフが出てくるし、韓国に居場所がなくなった人物の行先は、大抵、アメリカ、イギリス、フランスあたりである。

韓国のドラマは、90年代のものが、独特のノワールな雰囲気があって良いと思う。最近は、なんだかラブコメが多くなって、『砂時計』並の重厚かつシリアスな作品は少なくなったように思う。

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今度の春の選抜高校野球に、出身地の高知からは二校でる。高知高校に土佐高校だ。いつもの明徳義塾じゃなくて、ちょっと喜んでいる。明徳の関係者には悪いが。高知高校は、私も、思い入れの深い学校だが、何より、驚いたのは、「なんとか枠」で土佐高校が出ていることである。一時期、野球部の存続すら危ぶまれたようだが、健在だったのはなによりだ。

土佐高校ってのは、高校野球ではかつての名門で、純白のユニフォームに全力疾走がトレードマークである。私は、どうも、甲子園についてまわる全力疾走とか「爽やか」とかいう標語が好きではないのだが、まあ、それはいいや。土佐高校というと、高知を代表する進学校で、私など逆立ちしても入れなかったレベルだ。と、言っても、首都圏の水準から言えば、たしいたことはないけど。それと、ジブリのアニメ映画に『海がきこえる』ってのがあるけど、あれのモデルとなった学校だ。もっとも、アニメに出てくる校舎は、より見栄えの良い、県立追手前高校のそれだったわけだが、原作者の氷室冴子は、土佐高校を念頭に置いていたようだ。

土佐高校というと、私の世代だと、甲子園でサイクルヒットを打った、玉川寿を思い出す。それと、やっぱり籠尾監督。もう故人となられたが。高知高校の監督は、今は岡本道雄さんだったか。私が、小学部にいた時も、彼が高知高校の監督だった。勝ち負けはどうでもいいけど、色々と、楽しみだ。

こんな、他愛もないことが楽しみだ、なんて人生が一番よさそうだぞ。

それだけ。
相当ひどい労働環境である。いや、なに、日揮のことだ。別に、日揮に限らず、海外で開発に従事している労働者の住環境はかなりひどいいらしい。先程、ニュースで見ていたが、あれが居住区なのだそうである。誤解を恐れずに言えば、震災地の仮設住宅以下である。アメリカあたりのアンダークラスが住むトレーラーハウスにすら及ばない。中は、簡単なベッドにトイレと簡易給湯施設のみ。敷地内は、フェンスで囲まれているのだろうが、刑務所のようなものである。

もちろん、彼らの金銭的待遇は悪くない。立場にもよるだろうが、平均年収一千万円は超えるらしい。派遣労働者は、そこまで行かないかもしれないが。その意味では、国家的犯罪に等しい原発事故のしりぬぐいをしている、発電所現場の末端労働者よりはましかもしれない(もっとも、日揮は核燃料関連の事業もしているらしいが)。しかし、それを勘案したとしても、他にチョイスがないか、その土地に執着があるとかなら別だが、あれでは割に合わず、任期を全うして、帰国する労働者は、刑期を終えて娑婆に出てくる囚人のような心持なのではないか。土地に執着もなにも、木一本見えない砂漠である。外出も概ね禁止なのだから、土地の人とのふれあいなんてのも、皆無に等しいだろう。そもそも、どこに何者がいるかわからないような場所だ。

一日のうちで、楽しみは、飯を食う時ぐらいってのを、以前東南アジアで似たような業務に従事していた人から聞いたことがあるが、肉体労働者が多く、それも各々言葉がことなる多国籍集団で、酔っぱらうとトラブルが起こるので、酒も飲めない。ご家族は、こういう心境だろう。「会社の命令なんだから、しょうがない。なんとか任期を終えて、無事に帰ってきて欲しい」。農業で食えなくなったアメリカ人が、高給だってんで、バクダッドあたりに赴任して命を落としたりしたが、あれに近い。

私はアメリカに3年住んだ。心配性の祖母は、その間、撃たれるようなこともなく、無事に帰ってきて欲しいと思っていたそうである。撃たれはしなかったが、車にはねられて死にかけた。しかし、心配をかけたくなかったので、それを祖父母に伝えたのは、帰国してからだった。3年教えなかったのである。それと、メインストリートの南側の、低所得者が住む、治安の悪い地域に住んでいたが、それも教えなかった。大学が運営する既婚学生用のアパートだが、周囲は、5メートルを超える高さの金網で囲まれ、入口にはセキュリティスタッフが24時間常駐している。そんな場所だった。夜、外を歩き回るなんてことは出来ない。それでも、敷地内は広く、緑もあり、動物園並に環境は良かった(笑)。

日揮のあの居住区の建物は、もうはっきり言って、ヨドコウの物置レベルである。福利厚生の常識からいっても、もう少しまともな住環境にすべきじゃないのか、というようなことを言いたいわけじゃない。御本人達も、そこは百も承知で赴任しているのだろうから。企業なんてのは、システム論的に言えば、軍隊とそう変わらない。辞令を断れば、出世も出来ない。要するに、言いたいことは、あれでは、外からの襲撃に対する耐性がものすごく低そうだということだ。銃撃が始まった時、部屋に閉じこもっていて、難を逃れた人ってのがいたそうだが、そりゃあんな独房みたいなのが、100も並んでいるのである。通気口に毛の生えたような窓しかない。その中に隠れていたほうが見つかる可能性は低いってこともあるだろう。

テロ攻撃ってのが、許せない所業であるのは明らかだが、亡くなった方の中には、アルジェリア政府の「救出作戦」の犠牲になった方もおられるはずだ。「テロリストには妥協しない」の一言で正当化されてはたまらない。そう言いたい遺族の方もおられるだろうが、それすら言えない雰囲気だろう。そもそも、マスコミは取材を抑制するようであるし、直接的な死因も公表されない。確かに、こういう場合、日本のマスコミは、プライバシーもへったくれもない、無茶苦茶な取材をする場合が多いのではあるが、それにしても、これはかなり異常な雰囲気だ。

ところで、ビシッと背広を着た、会社のお偉いさんが、記者会見で喋っていたが、あんまり会社を擁護する気にはなれない。政府は、自衛隊を送りたくてたまらないわけで、今夜のNHKの報道番組にも、かなり露骨にそれをヨイショする外務省出身の方が出演されていたが、そんなことをしても、双方の死者が増えるだけである。やるべきは、超危険な地域には進出を控えるか、さもなければ、建設業者を送って、周囲に堅牢な壁を築くことだろう。しかる後、アウシュビッツ並に、施設の要所に監視塔を配置し、「有資格の」現地武装警官だか軍人だかを配置する。この度は内通者がいたらしいから、監視塔の銃器は施設の外側と内側の両方を向いていたほうがいいだろう。緊急時の地下シェルターもあったほうが良い。外部と連絡が取れるようにして、少なくとも、一か月は過ごせる食料も備蓄しておくと安心だ。







「怒り」について

テロや事故等で人が命を落とすたびに、「怒り」の声を耳にする。「テロリストは許せない。根絶やしにしろ」とか。「罪もない善良な日本人を殺しやがって」とか。「怒り」は、別に人間だけに固有の感情じゃなくって、犬や猫にだってある。子供の頃、繋がれていた犬に、面白がって石ころを投げつけたことがある。一個だけじゃない。多分、数個だ。もちろん、大けがするようなでかい石じゃなかったと思うけど、そんなことは関係ない。3つ目あたりを投げた時に、犬が、私に向かって「ヴ〜」と唸り始めた。その時、犬の感情がむき出しになって、自分の肌身に突き刺さってくるような気持ちがして、なんだか、自分が憐れになっような気がした。相手は、鎖に繋がれて、動く範囲が限定されている動物だ。安全な位置から石を投げていた自分が憐れになった。

武装集団と呼ぼうが、テロリストと呼ぼうが、武装していない民間人である企業人を、彼らが襲う時に持つ感情は、その大部分が「怒り」に違いない。襲われるほうの感情は、「恐怖」以外の何物でもない。もちろん、武装グループの面々とて、「怒りの塊」として生まれるわけではない。置かれた社会文化的な環境に、自分たちの在り方は、陰に陽に影響を受けるものだ。「怒りを」ぶつけて、相手を傷つけた時、相手の「痛み」は、確実に自分たちに跳ね返ってきて、精神を蝕む。「怒り」とはそのようなものだと思う。これは、自分の経験を振り返ってみるとわかるのではないか。誰かに対して「怒り」をぶつけるとき、それと同等に、自分も頽廃してゆく。武装勢力を「殲滅」したアルジェリア軍は、恐らく、武装集団以上の重武装であったろう。人質の中には、アルジェリア軍の砲弾によって命を落としたものもいただろう。アルジェリア軍は、上からの命令で、作戦を遂行したが、参加した兵士の感情を支配していたものも、やはり「怒り」、そして「恐怖」であったろう。人を殺す原動力となる「怒り」と、武装勢力に自分も殺されるかもしれないという「恐怖」。こんな時、勇気満々の人などそうはいない。

武装集団が、何に対して怒り、悲しんでいるのかはひとまずおこう。しかし、残虐な武装集団を「根絶やしにしろ」というのは、これまた「怒り」である。もうこれは「怒りの塊」だ。しかし、この「怒り」は、自分たちはそこには行かないということが前提の「怒り」である。実際に行って根絶やし作戦を行なうのは、自衛隊とかであろう。もちろん、それは、現実的には、政府の命令という形をとる。しかし、それを許容するということは、我々国民も、その「怒り」を、自衛隊員に託し、それを武装集団にぶつけることを命じる立場となるのである。自衛隊員が、誰かを殺し、誰かに殺されるたびに、我々も傷つくのだ。相手を、「怒り」をぶつける対象としてしか見ないということは、それは相手を人間としてみていないということだ。何も、軍事的なことだけではない。人生に倦んだ男が、酒の勢いで、無抵抗の妻を殴るとき、それは相手を人間としてみていないからだ。自分は傷ついている、だからお前にそれをぶつける。だが、お前が持つ「怒り」や「悲しみ」を自分に対して見せるのは許さない。それは、相手を、単に、自分に都合のよい人形や機械のようにしか見ていないからだ。

武装集団には、日本人が、「罪もない」存在には見えていないかもしれない。そもそも、誰であれ、自分に「罪がない」と断言できる人間が存在するのであろうか。カンボジアでも、中国や欧米の企業が大規模な金採掘をやり、手彫り作業で生き延びていた地元住人に、十分な話し合いも補償もないまま立ち退きを要求する例があるという。開発のために土地を奪われ、追い立てられて行く地元住民。そんなことは歴史上何度も繰り返されてきた。邦人保護を言う前に、開発とグローバル経済が、何を地域にもたらしているのか、それを我々はもっと知らなくてはならないだろう。日本の民が、「怒り」を、自衛隊員に託し、その怒りが、武装勢力であれ、一般市民であれ、現地の人間に及んだ時、いよいよ、「罪もない善良な」などという形容詞は、「日本人」から外さなくてはならないだろう。何人であろうが、様々な物事の連鎖の中に絡めとられて動いているのだ。

「怒り」を持つ人間の「怒り」や「悲しみ」は、受け止めなくてはならない。相手の「怒り」や「悲しみ」は拒否して、自分たちの「怒り」や「悲しみ」を、軍隊というシステムに託して、相手にぶつけるならば、それは相手を、鎖に繋がれた犬か、単なる機械としかみていないということだ。夫婦関係でも、親子関係でも同じことだ。「怒り」は、いずれ自分に跳ね返り、最早、怒りすらも感じぬほどになるほど慣れてしまえば、その時、我々の精神の頽廃は完了する。「テロリストは許せない。根絶やしにしろ」と言うとき、人は、テロリストをはるかにしのぐ「怒り」に身を託しているのである。その「怒り」は、本来、自分の中で処理すべき問題であるかもしれないのだ。政治権力というものは、このような人の素朴な「怒り」や「感情」に訴えることに長けている。

自分は「怒り」、それを相手にぶつけるが、それは「罪もない」自分が他人から傷つけられているからであると主張するなら、それは、自分の「怒り」には正当性があるが、他人の「怒り」には正当性がないと言っているのと同じであり、他人を人間とは思ってないからである。そういう考え方になった人間だけが、人を殴り、殺せるのである。殺す対象を、「怒り」も「悲しみ」もある人間だと思っていたら、殺せないからだ。軍事システムというのは、そのような感情を兵士に植え付ける。日本人は、徴兵制など、軍事文化を持っている国の人々の痛みを知ることだ。それは、彼らと同じことをすることではなく、彼らの軍事文化が寄って立つところの、歴史社会的事情に思いを馳せることである。

人殺しが悪いことならば、テロリズムはもっと悪い。テロリズムが悪いなら、戦争はもっと悪い。吉本隆明の、この言葉が身に沁みる。






多くの人命が失われ、残念なことである。安倍総理は、「人命優先で対応する」と発言したと記憶している。であるから、私も前の記事で、「初期対応として間違っていない」と書いたのである。しかし、結果がこうでは、やはり、日本政府としても、欧米の政府が何を言おうが、アルジェリア政府に対しても、国民に対しても「遺憾の意」を表するべきだろう。もちろん、現地の治安維持は、現地政府の責任であるから、日本政府の出来ることには限りがある。まだ、事件と作戦の全貌が明らかになっていないが、このような場合は、やはりまず、人質を「無事に救出するために」八方尽くすということが前提である。しかし、今回は、どうも、あまり作戦を練った気配が感じられない。いろいろと、政治的背景が取りざたされているが、こういう問題は、マッチョ一本やりで行くと、だいたいこうなる。マッチョで行けば、相手がひれ伏したり、国際世論から尊敬されるかというと、そんなことはない。

政府レベルではともかく、欧米では、市民レベルでは、こうしたアプローチには限界があるという意見が多くなっている。はっきり言うと、テロを根絶するなんてのは無理である。別の、方法を考えたほうがよい。それでなくても、日本の政府や外務省は、この手のことで後手後手に回るケースが多い。アフリカでなくてもそうだ。情報収集力の強化と、軍事以外の、NPO、市民団体等のネットワークなども使い、救出にあたるべきだ。一人でも多くの人質を助けるために最善をつくす。それが原則だ。石破は、昨日、「現時点では、事態の全容が不明であり、軽々しく是非を論じられない」と語ったが、その一方で、「邦人救出のための自衛隊派遣のための法改正」が必要などと発言している。現地が混とんとしている状況を知っていながら、「自衛隊派遣」などの話が飛び出してくるわけだが、長期的には、集団的自衛権を意識した発言であることが見え見えである。これはいささか無責任で、「煽り」と呼ばれても仕方あるまい。相手が独裁政権であり、軍が関わっているから、情報公開には限界があるかもしれないが、まず、原因、経過、経緯の全容究明が先にこなくてはならない。

起こりうることを予見して言うならば、21世紀に入ってからは、欧米(ユダヤ、キリスト)対イスラムの争いが激化していて、日本は、これらに歴史的に直接的には関与してこなかったが、そこに、隊でも軍でも送って、テロ撲滅戦等に加担することに、私は明確に反対であるし、日本にとっても、世界にとっても、良いことだとは思われない。軍事力を送ってみたところで、現地軍との連携等、却って、事態が悪化することもありうるだろうし、場合によっては、一般市民を殺傷する可能性さえ出てくる。

どうしてもやると言うなら、武装勢力が生まれる背景についての考察も十分にし、そのうえで、自衛隊なりを送る場合の、プラスもマイナスも白日の下に議論し、そのうえで、その結果起こる、結果責任も道義的責任も、日本国民が、主権者として背っおっていくという覚悟があるなら、それも結構である。その場合、戦いについては、行くも退くも、日本(すなわち、国民)が自ら判断するということが前提条件だ。それがないままのいかなる派遣を承諾しかねる。もちろん、それを国民が選んだとしても、私はあくまで断固反対し続ける。日本国内で、市民がターゲットになる可能性もある。そんなことが起こった場合、国内に住む、留学生をはじめとする、イスラム系住民が阻害されたり差別されたししないように、政府も国民も、出来る限りの努力をせねばならない。私の学生には、中韓台に加え、インドネシア、マレーシア辺りからのイスラム教徒もいるのである。そういう教育もなされなくてはならない。グローバル展開するということは、そういうことであると私は心得ている。

しかし、結論として繰り返すなら、私は、そのようなことには、断固反対であり、あくまで、専守防衛を維持すべきであると主張するし、今後もそうである。





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