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よく、ネット上で、語られている、様々な主張が、今後10年以内に実現する可能性を考えてみたい。思いつくままに、並べてみる。数字は、およその実現可能性である。
1.TPP参加はやめよ!
これは、政治的立場の如何にかかわらず出てくる。多分、実現しなさそうな雰囲気である。つまり、参加しちゃいそうである。30%
2.脱(卒?)原発!
これも、政治的立場の如何にかかわらず出てくる。あやしくなっている。今後の運動次第だろう。20%
3.中韓とは国交断絶!
すくなくとも、予見しうる将来において、こうなるとは思えん。1の可能性が低いんだからなおさらだ。普通に0%だろ。
4.在日は全員帰れ!
これも無理でんな。0%
5.米軍出ていけ!
う〜ん、少なくとも、予見しうる将来において実現するとは思えん。5%
6.竹島を取り戻せ!
どの政党もジェスチャーだけで、「取り戻す」つもりないし。「とりもろす!とりもろす!とりもろす!みなすんと、そーりょふで!」0%
7.朝日をぶっつぶせ!
これは、「保守」を自認する方から出てくるが、予見しうる将来において、倒産する可能性はなさそうである。10%
8.フジテレビをぶっつぶせ!
上に同じ。
9.電通をぶっつぶせ!
「右」にあっては、在日コリアンに乗っ取られた企業。「左」にあっては、アメリカの手先。どっちが本当かは、働いている本人たちにもわからないのではないだろうか。上に同じ。
10.戦争責任の一切合財は中韓の「でっち上げ」であることを、世界に知らしめよ!
今の内閣ならやりかねんな。やると、国際世論から叩かれるが、すると、日本を貶めようとしている勢力がいるとする「国際陰謀論」が登場するだろう。30%
11.拉致被害者を取り戻せ!
それは是非実現してもらいたいものだが、「圧力」の一辺倒では難しいだろう。安倍がアメリカを飛び越えて、自ら乗り込み、交渉し、事態を前進させるなんてことをするなら、「お!さすがは危機突破内閣だ!」と、少しはみなおすが、「危機煽り内閣」だからなあ・・・。10%
12.核武装せよ!
5の可能性がほぼない以上、無理だし、今の日本が置かれている国際環境じゃ無理だし。核実験する場所ねえし。0%
13.鎖国せよ!
この空気、なんとなく「左右」から漂ってくるんだけど、無理でしょ、普通に。北朝鮮じゃあるまいし。全員、農民になるつもりか?0%
14.憲法改正!
これは、可能性が出てきた。紆余曲折あるだろうけど。 60%
15.東京オリンピックを開いて、高度経済成長を、もう一度!
難しいですな。0%
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韓国の進歩系新聞、『ハンギョレ新聞』の風刺漫画が面白い。政権交代を受けて、こうなるぞと・・・。韓国をみていると、日本も見えるようで、まことに面白い。
「ハンギョレ」というのは、韓国語で「同胞」というような意味らしいが、70年代以降の民主化を戦った世代によって創刊された、リベラル左派の新聞である。日本で言うと、このスタンスに最も近いのは『東京新聞』あたりだろうか。しかし、これほど、皮肉の利いた、そのものズバリの漫画は、日本では稀だ、『ハンギョレ』は全国紙だが、『東京新聞』は地方紙である。隣国のリベラルの行方は、日本とも無関係ではない。これに、中国、米国も含めた、多面的外交を日本もやるべきだろう。市民層の交流は、今後も大いにやるべきだ。
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日本の社会がどういう風にならねばならないかを、教員として教壇に立つ現場感覚から述べてみたい。その前に、これだけははっきりしているので、自分の立場を明らかにしておきたい。現今、日本社会が直面している諸問題は、憲法を改正して解決するような類のものではありえない。私は、単に護憲としての政治的立場からそう申しているのではなく、実感としてそう思うのである。現今、日本社会に求められるのは、過去を繰り返すことではなく、前へ進んで行くことである。だから、「取り戻す」んじゃなくって、新しいことをやるのである。「維新の会」ってのは、英語で、Japan Restoration Party だそうだが、これは最悪のネーミングであり、はっきり言って、世界に出せるような党名ではない。確かに、明治維新のことを、Meiji Restorationと言ったりするけれど、この党名だと、もろ直訳で、ほとんど、「日本修正党」のように聞こえる。さすが、修正主義者!と洒落ている場合ではない。自ら、ボロボロですってのを認めまくる、「自虐感覚」が情けない(笑)。
で、たとえば、教育だが、安倍新政権は、またぞろ教育再生会議ってのを立ち上げるようだ。教育再生会議については、サイトがあるので、そこで過去の議事録は閲覧可能である。まあ、あんまり大した話はしていない。道徳、祖国愛とか郷土愛、学力向上とか、そんな話ばっかである。浅利慶太が、韓国の舞台芸術における発声法について述べているのが、私の個人的興味を引いたくらいである(笑)。
私が、期待するのは、教育現場の流動性を高めるってことである。どういうことかと言うと、未だに、日本の大学は、だいたいにおいて18歳人口に頼りすぎていると思う。出生率が下がっていくのは、日本のような高度資本主義社会に共通してみられる傾向で、これを逆転させる妙案ってのはない。人口は、今後漸減していくと思われる。国内で、人的資源の循環と同時に、お金も廻る流動性の良さってのが必要だ。大学のような高等教育機関は、年齢性別にかかわらず、誰もが行って勉強できるような体制を作るべきだ。特に、各都道府県の国立大学に、その役割が求められる。ここ10数年、私立大学と公立大学の授業料格差はどんどん小さくなり、後者が前者に近くなっているのだが、これはおかしい。たとえば、公立大学であれば、その大学が立地している自治体の居住者なら、授業料を相対的に安くできるような仕組みを作るべきだ。それにより、勝ち組大学が、首都圏や関西圏に偏在する弊害を軽減することができるし、18歳人口ばかりをあてにして、大学の先生が、授業を疎かにしてまで、高校廻りをするような現象も軽減できるだろう。さらには、一定の知識と経験を有した社会人が大学に来ることにより、人的交流の幅が厚くなるし、若年者と年長者がお互いに刺激し合うこともできる。また、日本の大学の先生には、学識豊かな立派な先生もいらっしゃるかと思えば、「なんであなたが!」と、思わず声をあげたくなるような、大したことのない人もいる。たとえば、社会人の中には、一定の分野に関して、大変詳しかったりする人もおられるから、そういう方々が大学に来るとなれば、先生方も安穏としていられない状態となる。
はっきり言うが、日本の大学はレベルが低い。大学院もそうだ。私は歴史学だが、アメリカの大学院と比べると、日本の大学院のゼミは、まるで遊んでいるのではないかと思えるくらい、「楽」である。アメリカの大学院のゼミで、外交史をとると、3か月に7冊くらいの本を読まなくてはならない。その各々が、最低でも300ページ、長いのになると700ページを超える大著だったりする。つまり、700ページの書物を1週間で読み、それについて書評を書き、授業の前には、他のゼミ参加者の書評にも全て目を通し、授業では、それらについて丁々発止と議論できなくてはならない。ところが、日本の大学では、せいぜい1週間に20ページの資料を読み、まとめる程度であり、授業でも、議論は全く活性化せず、喋っているのは先生だけなんてことは珍しくもない。9月入学なんてのは、ジェスチャーのみで、大した意味などない。そんなことをするのなら、厳密に単位制に移行し、単位取得に応じて、春、夏、秋のいつでも修了できるようにしたほうが良く、これも人の動きを流動化させる一方法である。とういことは、入学も、春、夏、秋のいつでも良いという風にしなくてはならない。新卒は、これまで通り春で結構だし、留学生などは、その国の事情に合わせて、いつおいでいただいてもよろしいわけである。これをやる場合、学務機構を柔軟にし、対応できるように組織変革しなくてはならず、教員はあくまで教育、研究に責任を持つという存在でなくてはならない。加えて、大学間の学生の移動も可能なようにしておいたほうが良い。つまり、転校を可能にするのである。最初の2年は、亜細亜大学に行くが、成績が一定基準を満たしていれば、3年時からは東大に転校することも可能とするわけだ。つまり、偏差値による大学の序列化を解消し、横の流動性と連動性を高めるのである。
そして、社会の在り方にも、このような高等教育現場の変化を受け止められるような柔軟性が必要となる。つまり、年功序列、終身雇用ではなく、企業間の移動や中途採用に対して柔軟にならなくてはなくてはならないわけだ。高度経済成長の企業モデルだと、会社は一生勤める場所であったわけだが、今後は、そうではなく、たとえば、一定のスキルや専門知識を身に付けた40歳の成人が、中途でも入社出来るような体制にする。その場合、新卒と中途入社の初任給に、差があまりないようにしておいたほうが良い。つまり、22歳で入社しようが、40歳で入社しようが、能力や技量が同等ならば、年収400万である。例えばの話。よって、企業は、人材募集に際して、年齢制限を設けないことが原則となる。さらに、高度経済成長期からバブル期にかけては、ひとつの企業をやめることは、会社に「ケツをまくる」のと同様であった。そういう、それこそ「ケツの穴のせまい」ことはやめにしたい。つまり、ある企業を一度退職して、別の企業に移ったとしても、お互いがお互いを必要とする限り、そこに戻れるような社会にすることが望まれる。これは、社会風土と言うより、意識の変革で容易に達成できる問題である。
それから、大学の教員だが、退職後に名ばかりの名誉教授とかになって、薄給で1コマ、2コマ教えたり、学会に表れては、「ハハハ、○○先生。もう、我々の時代も終わりだよ」なんて、愚痴を言いながら、酒かっくらう暇があるなら、高校や中学に行って、特別講座を教えることが出来るような体制を自治体が整えるべきである。大学の先生ってのは、理系でも文系でも、ひとつの分野を追及してきているだけに、知的好奇心をかき立てる授業が出来る可能性が大きく、日本の中等教育の質的向上に大きく寄与出来るはずだ。もちろん、中高生なんかを教えるのに向いている先生もいるし、そうでない先生もいるだろうから、これは公募制にすればよい。給与は、勤務条件によって大いに弾んでやればよいと思う。なにより、退職後の大学の先生のアンチエイジングに役立つし、高齢者の就労という意味でも意義あることである。
それから、学校ごとの入学試験は廃止し、センター試験のみとする。文系、理系とも、英数国の3科目で十分。生物だの、歴史だのいらん。私は歴史研究者であるが、糞の役にも立たない固有名詞を少しばかり覚えてきているよりは、「批判的なものの見方」を身につけてきてくれているほうがよほどありがたい。固有名詞など、勉学を継続すれば、後から体系的に覚えられる。これをやれば、「中韓が攻めてくるううう。安倍センセー、日本を守ってくださ〜い!」みたいなのは少しは減るだろう(笑)。理系にしても、ミトコンドリアだの、リボソームだの、固有名詞を覚えてきているよりは、「理科的ものの見方」や「数学的ものの考え方」を身につけてきてくれているほうがよほどありがたいはずである。なお、センター試験は、年に数回実施するものとして、高校3年時には、複数回受験し、ベストのスコアを提出することを認める。なお、外国語は、英語だけでなく、スペイン語、中国語、ドイツ語、朝鮮語などでの受験も可能とすればよい。要するに、入学試験を廃止し、大学入学資格試験を導入すればよいのである。
さて、以上を実行する場合、「抵抗勢力」の抵抗が予想されるのである(笑)。文科省は、塾や予備校の意義を積極的に認めてこなかったなんて言説は、本当は真っ赤なウソであり、学校教育と受験産業は、あたりまえのことながら共犯関係にある。そもそも、日本は、大学で何を学んだかが重視される「学歴社会」ではなく、大学に入るため、積極的意味を見いだせないものにどれだけ耐えてきたかが重視される「入試歴社会」であった。だから、バブル期など、大学で4年間遊んでいても、「一流大学(偏差値の高い大学)」を出ていれば、大企業に入社できたのである。そんなモデルは、とっくの昔にぶっ壊れている。大学は、独自の試験を実施しないから、受験料収入がなくなるが、そもそも受験料収入に頼ったり、単に受験回数を増やすために受験を複線化するような、せこい経営はやめよう。以上のような改革を行なえば、センター試験の受験者は増えるから、その分の収入の一部を助成金として、大学の規模に応じて振り分ければよい。受験産業はどうなるのか?大丈夫!企業体ってのは、社会の在り方に従って、その体質を変えるものである。歴史や生物の先生に対しても、それに応じた、新しいニーズが生まれるはずである。少なくとも、これにより、受験産業の現場における、早慶英語コース、青学上智英語コース、日東駒専コースとかいう、牛丼の上、並、特盛みたいな、とりあえずコースは増やしてみましたみたいな、わけのわからない細分化はなくなる。
要するに、教育を「再生」するのでもなく、「取り戻す」のでもなく、日本のおかれた現実に即して、「新しく始める」のである。若い人が結婚をしなくなり、出生率が下がっているのは、「草食系男子」が増えたからで、これを防ぐためには、父権を強化する道徳教育と、根性を入れなおす徴兵制の導入が必要だとかいうのは、言語道断のトンデモ論である。左派系リベラルにしても、「うわ〜、大学のキャンパスにマクドナルドがオープンしちゃったよ。日本の文化はどーなるんだああああ」などと嘆きつつ、吉野家はスルーだったりするから、油断がならないが、そんなことを言う暇があったら、以上のうちの一つでも現実に移せるように、足元から実行したほうが良い。日本社会に蔓延していると信じられている「荒廃」とやらを、アメリカやら、西洋合理主義のせいにするのはやめよう。少なくとも、私の知る限りでは、アメリカの教育制度より、日本のほうが教育の市場化が進んでいる。こういう、産業構造の改革と、社会の流動性の向上をやらずに、イケイケどんどんでお札を刷ったところでたかが知れている。
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マンガ家で、『はだしのゲン』で世界的にも有名な中沢啓治さんが逝去された。享年73である。改めて、まだ若かったのだなとの思いを新たにする。あと10年は元気に活躍しも不思議ではない年齢だが、肺がんが転移し、かなり難しい状況であった。福島の原発事故があった後も、原子力廃絶をテーマに、九州の大学で講演をするなど、最後の力を振り絞った。
結果として、今年の2月に電話で話したのが最後となった。広島から外には出られないので、来てくれれば、いくらでも話をするとおっしゃって下さったが、タイミングが合わず、それがかなわず残念の一言である。無理をしてでも行くべきであった。中沢さんに電話したのは、恩師のFerenc M. Szasz(2010年逝去)が、遺作となる、原爆と大衆文化に関する書籍を、ネバダ大学出版局から出したことから、その件でご連絡したのであった。
御冥福をお祈りする。
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日本政府は、パク氏が北朝鮮政策で日本に近い考え方を示していることなどから、日韓関係の改善に一定の期待が持てるとしながらも歴史認識の問題などで新政権がどのような姿勢を示すか注視していく必要があるとしています。From NHK
いやあ、面白いこと言うなあ、NHKも。こういう報道に接すると、私もついつい、マス○ミという言葉を使ってしまいたくなる(失笑)。金大中以降、相当民主化してきて、時として、日本を上回ったとさえ言われることもある韓国だが、「二度とリベラルに政権を渡してはならない」と決意しているらしい保守派がこのところ巻き返し、ついには、満州人脈の代表選手だった朴正煕の娘が大統領になった。これは、日本でいえば、安倍政権復活に匹敵する、「亡霊」のごとき政権の誕生である。しかし、それでも、投票率は高く、リベラルもそれなりに結集し、若い人も投票に足を運び、大接戦を演じた。その意味では、戦後最低レベルの投票率に加え、政党支持率20%そこそこの自民党が大勝しちゃった日本よりは相当ましである。朴正煕は、所謂「親日派」政治家として、誰もが思い浮かべる人物であり、韓国高度経済成長の最大の功労者と賞賛されたり、強圧的軍事政権の親玉と忌避されたり、見る人の立場によって完璧に評価の分かれるお方である。
細かいことはこの際良い。上に引用したNHKの記事のどこがくだらないかというと、歴史認識の問題などで、韓国の新政権がどのように出るかは、わかりきったことだからである。まず、韓国において、竹島問題は、与野党間で意見の対立する問題ではない。従って、どちらが政権を取ろうが、竹島(すなわち、独島)は、韓国の領土であると主張されるのみである。しかし、リベラル政党の大統領なら、大した説明もなく、これ見よがしに竹島に上陸するようなことはしないはずだ。なぜなら、そのような行為が、日本国内の右派を喜ばせることを知っているからである。よって、韓国内では、特にリベラルを中心に、あの李明博の竹島上陸を覚めた目で見ている人は相当多く、私の周囲の韓国人はほとんどそうである。この点、いきり立っている日本とはちと違う。
では、歴史認識はどうか。慰安婦の問題等については、これも与野党間でそれほど意見が分かれる問題ではないので、韓国の新政権も、おりに触れて強く出てくるだろう。但し、李明博と同様、最初は、あまり強く言ってこない可能性がある。問題は、同じ歴史認識でも、日本の植民地統治の件と、天皇の責任問題である。「親日的」(或いは、親米的)傾向を持つ保守政権の場合、ここに触れるのは微妙にやばいのである。ここに深入りすると、天皇の名のもとに行なわれた韓国併合と、その後の植民地支配に協力した「親日派」清算の問題に足を突っ込むことになるからである。特に、朴正煕は、満州軍官学校出身の帝国陸軍中尉として、大日本帝国の植民地政策から多くを学んだ人物であり、彼が戦後韓国で実行した経済成長政策は、大日本帝国が満州国で行なった経済開発計画のコピーである。彼は、アメリカを後ろ盾に、日本資本を韓国に引き入れることで、韓国の経済発展を軌道に乗せた。朴正煕は、国内の大規模な反対運動を弾圧してまで、日本との国交を正常化させたが、その時、日本でこれに貢献した最大の人物は、満州の経済政策に深く関与していた岸信介である。つまり、今日韓両国の政権がどういうことになっているかというと、日本では、その岸信介の孫が、政権政党首班として復活し改憲を伺い、韓国では、満州人脈の代表選手の娘が、父親の遺影をチラつかせながら登板、リベラルを牽制するという構図である。さらに言うなら、朴正煕が軍事クーデターで政権を握ったとき、彼はこれを、日本の明治維新に倣って、「維新革命」と呼んだことも想起されたい。只今、維新の会なんてのが、日本にできちゃっているのは、ご承知の通り。
だから、「どのような姿勢を示す」もなにも、安倍・朴両政権のやることは最初から予想がつく。まず、北朝鮮には、いずれも強硬な態度で臨む。「南北の平和的統一が東アジア安定の第一の条件」と考えるリベラルとはちと違う。その場合、いずれの側も、北の脅威を煽って、日韓米の軍事同盟を強化する方向に動く。慰安婦問題に関しては、安倍内閣が河野談話に手をつける等の強硬な手段に出ない限り、最初から、それほど強くは言ってこないし、その可能性は限りなくゼロだ。なぜなら、安倍は、参院選まではおとなしくしているはずだからである。歴史認識で修正主義的態度を露骨に表わせば、国際世論、なかんずく、アメリカを大いに怒らせ、それは前回で懲りているはずだし、最終目的である改憲で躓く可能性が出てくる。竹島だが、これに関しては、安倍政権のほうが強く出る可能性がある。安倍としては、国内の保守世論に配慮する必要があるので、ICJに提訴したり、島根の「竹島の日」だかなんだかの式典やらに出席する可能性がある。2月の末であるから、夏の参院選までには時間があるので、これをやるかもしれん。竹島問題は、韓国の立場からは歴史認識問題と重なるが、ダイレクトに結びつく問題ではないし、アメリカも、少々こじれたところで、外交的により深刻な尖閣問題とは異なり、「竹島の領有権問題に米国は一切関知せず、両国間で平和的に解決されるべき問題である」と、いわば傍観するであろう。いずれにせよ、竹島でのひと騒動は、どちらの政権にとっても、世論を動かす材料として使える。特に、日本において。しかし、そこは韓国とパイプがほぼゼロの民主党とは異なり、自民党には、韓国の政財界に顔のきく人材が豊富である。従って、最初に、麻生あたりが訪ねて露払いをし、最後には安倍も直々に乗り込み、問題を先送りにして、一時休戦とする(笑)。ちなみに、公明党も韓国と縁がないわけではない。韓国創価学会(KSGI)は、何と150万人近くの信者を韓国内に持っている。
とまあ、何となく、先の展開の予想がついてしまうところが、悲しいところである。もちろん、両政権の性質を考慮にいれた、変数なしの予想であるから、鵜呑みにしないでいただきたいわけだが。いずれにせよ、そのような韓国内の歴史的事情も踏まえて、どれだけ突っ込んだ報道を、日本のマスコミがするか、そのあたりも、私としては大いに注視したいと思っている。なんとなく、20年後、いや、10年後に、「あのときだったな」と、思い起こす日が来るかもしれないような、歴史の分岐点に我々は立っている気がする。日本による植民地支配を批判的に検証する態度が強い韓国にあってさえ、このような大統領が登場する事実の中に、なぜ、日本人が、米軍を日本から追い出せないのか、その理由も見えるような気がする。韓国と日本は、お互いにとって、歪んだ自画像が写る鏡である。最近、そのような存在が、かくも近くにあることを僥倖だと思うようになった。
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