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中山国土交通相が、「単一民族」「成田闘争」「日教組」などについて、所謂「失言」を放った。と、思ったら、昨日同氏が、日教組について、日本の教育の「ガン」であるから、ぶっ壊す為に火の玉になって働く、と発言したのをテレビのニュースで知った。「ガン」「火の玉」は確信犯で、最早辞任が避けられなくなったから最後っ屁を放ったというところだろう。辞任したが、一連の発言を大いに反省して辞めたのではなく、国会運営上支障を来たすから辞めたということである。勿論「ゴネ得」「単一民族」についても、考えを改めたわけではあるまい。 この場合の確信犯というのは、わざと物議を醸し出すようなことを言って、世論の動向を見るという、政治家がよく使う手のことである。彼等が、日本の核武装を口にしてみたりするのもそれで、批判があるのは承知で言っているのである。批判があれば、戦後民主主義の理念を逆手に取って「言論の自由がある」と、切り返す。この日教組発言もそれに近い。批判されれば、「タブーなのか」「言論弾圧だ」とやるのである。子どものような理屈だが、議論の習慣が希薄で、民主主義が未成熟な日本では、こんな発言を閣僚が平気でやるのである。うまく行けば、御用メディアやその取り巻きが勝手に援護射撃をやってくれるし、かつてのイデオロギー闘争期の言動やら行動やらを取り出し、日教組を「悪の帝國」であるかのように語っている出版物など数多出ている。そうでなくとも、昨今、政治家が、行政の責任は棚に挙げて、労組や官公庁に責任転嫁する事例は数多く、教組など叩けば、巷間に漫然と漂う「公務員憎し」の空気に、それとなく訴えもする。もちろん、今回の場合、所管外の「ご乱心」に、大臣が顔をプルプルさせながら、一労組を「ぶっ壊す」というデリカシーゼロの煽動発言で、さすがに眉をひそめる有権者も多いとは思うが、さりとて、日教組の理解者が増えるわけでもあるまい。 いずれにせよ、村社会日本の政治家は、こういうことをよくやる。自分の発言の矛盾をつかれても、「忘れました」などとかまして、それが罷り通る有難い社会である。日教組の組織率と成績の相関関係は、立証出来ないわけだが、そんなことはどうでも良いのである。なんとなく日教組が問題であるということを多少なりとも印象付けることが出来れば目的は達成されるからだ。日本の財界や保守政党にとって、労働組合は、自らの勢力伸張にとって邪魔な存在であるし、日教組潰しは保守派の宿願みたいなものだ。私は、労組で活動したことがないが、経験のある方は、彼等が様々な分断工作をしかけてくるのは経験済みで、さほど驚くほどのことでもないのだと思う。 その労組だって、腐敗と無縁なクリーンな存在というわけではないだろう。日教組のように、規模が大きく、歴史の長い労組なら、やはり多少なりとも叩けば埃が出る可能性はあるはずだ。もちろん、本当のところは知らないが、これは、どこの組織でもそうだから、当然予測されることである。私の所属する大学だって、歴史は浅いのに、二派に分かれていて、私はその一方に立って戦う羽目になったりもするわけがだが、いろいろと「えげつない事」が起って、人間様も困ったもんだな、と思うことしばしばだ。日教組も、体制派と反体制派に分裂しているから、その気になれば、政治権力の付け入る隙はいくらでもあるだろう。 労組は、労働条件の改善を主たる目的に団体交渉を行なう存在だが、だいたい、日教組は、教員の労働条件改善の為にどれだけの貢献をしたのだろうか。長男が通う小学校にも日教組の教員が数名いるが、彼等は土曜も、日曜もない生活をしている。平日だって、夜の10時頃学校の近くを通っても、職員室には煌々と明かりが灯っている。もちろん、夏休みもありはしない。教員=聖職観念が根強いこの国において、彼等は行政から責任転嫁され、何か不祥事があれば鬼の首とったかのように報道され、保護者からは無理難題突きつけられる。 中山氏は、選挙対策上辞任ということだが、ほうっておくと、また誰かが同じようなことを言い出すだろう。日教組とか成田闘争とか、殆どの市民は興味がないし、どうせほどなく解散総選挙だから、この件は与党にとってそれほどのダメージでもないと私は思う。それより、中山氏は「壊す」と言っているのだから、日教組の側でも、これを機に、彼を公開討論の場に引き出すとか、積極的反撃に転じたらどうだろうか。或いは、日教組や全教が、今後、教員研修や研究会などを通じて蓄積してきた成果を目に見えるような形で世間一般に訴えて行くことだって考えられる。 守りに入っていると、政治権力に持っていかれるのは、教育基本法で実証済みである。先日、某党の護憲派議員に会った時、憲法に関して「ある提案」をしてみた。彼は否定的だったが、場合によっては、そういうことも必要だと私は考えている。「ある提案」の中身はともかく、私が護憲であるのは、何も「9条」の文言のみを守る為にやっているのではなく、具体的な平和構築を視野に入れて、戦争が起りにくい世の中を作るためにはどうすれば良いか、ということを、微力ながらも、一応は考えてのことである。教育基本法でも同じである。私の運動仲間には、教育基本法改正に関して、ひたすら保守勢力を非難する方々もおられるが、如何なる文言といえども、その理念を生きられなければ、やはり最後は消え去る運命にある、と私は思っている。今回の顛末を受けて、今後、やるべきことは多いとの意を新たにした。 最後に中山氏の件に戻るが、ハッキリさせておくべきは、彼は国土交通相に任命されたという事実である。その人物が、就任直後に畑違いの教育問題で私怨紛いの放言をし、最後は居直って、仕事の「し」の字もせずにおさらばしてしまった。学力と日教組の関係にしても、有意差を含む客観的証明は当然できないし、学テの導入根拠も無茶苦茶である。一般社会常識から考えても無責任極まる言動且つ行動だが、有権者も嘗められたものである。この人に激励のメールなど送る方々がいるようだが、相当に純情なる正義感に突き動かされてのことであろう。それはそれで、「聞くも涙、語るも涙」である。その意味でも、中山氏の責任は誠に重い。ちなみに、麻生氏や中川氏が中山氏を批判しているのは、立場上仕方なくそうしているのであり、喉から出かかる言葉を押さえるのに苦労しているのか、少々顔が引きつって見える。
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2008年09月28日
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