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もう語りつくされている作品だが、今頃全て見たので一応私なりの批評を。この作品は、登場人物が極めて限定されていて、錯綜したプロットのようなものはない。実にシンプルである。制作スタッフとキャストは以下の通り。
監督:ユン・ソクホ
脚本:ユン・ウンギュ、キム・ウニ
キャスト:
カン・ジュンサン/イ・ミニョン−ペ・ヨンジュン
チョン・ユジン−チェ・ジウ
キム・サンヒョク−パク・ヨンハ
オ・チェリン−パク・ソルミ
コン・ジンスク−イ・へウン
クォン・ヨングク−リュ・スンス
キム次長−クォン・ヘヒョ
イ・ジョンア−パク・ヒョンスク
キム・ジヌ−チョン・ドンファン
イ・ヒョチュン−パク・チヨン
カン・ミヒ−ソン・オクスク
キム・ヘスク−イ・ギョンヒ
以上の12名が主要キャラで、大体最後まで登場する。それぞれが、振り分けられた役柄を非常に上手く演じており、キャラクター造形がしっかりしている。以前、この作品のことに言及した時、日本の「赤いシリーズ」との類似点を意識して観はじめたが、テイストは異なると書いた。確かに、雰囲気はかなり違っていて、モダンで垢ぬけがしている。しかし、プロット自体は、『赤い疑惑』に良く似ている。山口百恵と三浦友和が主演したあれだ。まず、異母兄弟の恋愛を巡る禁忌があり、彼らの一方が重大な疾病にかかるというのが良く似ている。それから、ぺ・ヨンジュン演ずる主人公の実の母親はピアニストだが、『赤い疑惑』では、ヒロインの実の母親は蘭の栽培で名声のある華道家である。さらに、主人公の実の父親は、この作品では大学で数学を教える教授だが、『赤い疑惑』では、医科大学の教授である。
『赤い疑惑』と『冬のソナタ』のどこが違うかというと、前者の場合、医療現場における権力闘争や、家族間のドロドロした人間関係がかなり濃密に描かれていて、主人公とヒロインは大人のエゴの犠牲者という点が強調されており、さらに放射線医療による被曝と白血病という現代科学と医学の共犯関係を指弾するような社会政治的な視点が含まれていたのに対し、『冬のソナタ』においては、家族はあくまで話しを廻すためのアクセントに過ぎず、ぺ・ヨンジュン演ずる主人公と、チェ・ジウ演ずるヒロインの関係のみに焦点があてられる。そこに、主人公の恋敵として最後まで重要な役割を果たすパク・ヨンハ演ずるキム・サンヒョクが加わり、三角関係が形成される。しかし、結局のところサンヒョクも、主人公とヒロインの引き立て役というほかなく、それは他の出演者も同じである。
この作品からは、人間社会の汚さやエゴのようなものはすっかり排除されており、ただただ、主人公とヒロインの対幻想が語られるのみである。即ち、悪人は一切登場せず、全員が清廉潔白な善人である。主人公とヒロインは、親達が行った行為の結果の犠牲者ということに一応はなっているが、そこはそれほど強調されず、漂白剤で汚れを落としたような架空の清潔感が全編に漂う。70年代〜80年代にかけて、日本の少女漫画にあったような、絵に描いたような純愛物語である。
この作品では、主人公とヒロインやその他主要キャラの高校時代から話しが始まる。主演のぺ・ヨンジュンとヒロインのチェ・ジウは、ここではやや老けて見えるのだが、それは彼らの実年齢が、高校生をやるにはちょっと高過ぎだから無理があったわけである。特にチェ・ジウはそうだ。しかし、そこから十年後に話しが飛んで、再会する二人は、年齢相応の風貌となっており違和感がない。特に、髪の毛を金色に染めたペ・ヨンジュン演ずる建築家のイ・ミニョンは、これはもう、かつての日本の少女漫画から飛び出して来たようなスマート且つ清潔な風貌となっており、40代以上の日本の女性が夢中になったのは良く分かる。男臭さはゼロのフェミニンな魅力にあふれている。このようなタイプは、現代の女性には却って受けないように思う。チェ・ジウは、ショートヘアーが大変よく似合う。
さて、冷静に考えれば、チェ・ジウ演ずるユジンは、婚約していた幼馴染のサンヒョクとの婚約式をすっぽかしたり、サンヒョクとイ・ミニョンの間をゆらゆら揺れて、俗に言う「かまととぶる」という感じがしないでもないが、全員が「ユジンを泣かせるな」とか、「もう、ユジンを苦しめるな」とか、ユジンを気遣う台詞を連発し、ユジンには結局清廉潔白な無謬性が付与されるのである。ユジンの無謬性は、結局、初恋の人であるカン・ジュンサンが交通事故により死んでしまい、自分のもとを去って行ったというその一点に依存している。であるから、その初恋の人が、実は生きていて、記憶を喪失した「別人」のイ・ミニョンとして自分の前に現れた時、ユジンが、幼馴染のサンヒョクと婚約をしていながら、ミニョンに惹かれてしまっても、その穢れなき「初恋」によって全て正当化されてしまうのである。しかも、一度異母兄妹であることが判明し、二人が結ばれることはついぞないのかと思いきや、最後で実は異母兄妹ではなかったという、どんでん返しのおまけまでついている。それと、サンヒョクの母親は、息子の結婚相手としてのユジンをあまり好んでいないような感じなのだが、その理由がわからない。自分の夫が、他の女性(つまり、カン・ミヒ)との間に子供を作っていたことを知っていて、そういう錯綜した人間関係から、息子の結婚に抵抗感を持っているのかと言うと、そんな様子は全くない。
以上のように書くと、如何にも批判しているかのように聞こえるかもしれないが、誰も死なないし、愛は、結婚という形では完結しないが、結局成就された事を示唆する終わり方だし、少女マンガ風の穢れなき純愛物語としては、これ以上望むべくもない作品であると思う。俳優全員が、自らのキャラクターを大変上手く演じているし、カン・ジュンサンを好いていながら、ユジンに、ある意味奪われてしまう役どころの、パク・ソルミ演ずるオ・チェリンも、最後まで悪女に徹することはなく、徹頭徹尾善人である。
さて、最後に二つのことを。まず、演技だが、これは全員が素晴らしい。パク・ソルミは、これまた少女マンガから抜け出してきたような容姿であるが、日本人風の顔をしており大変魅力的だ。実際、彼女は、日本のオスカープロモーションにも所属していた時期があり、日本人に受ける雰囲気を持っている。彼女がもっと日本語を流ちょうに話すことが出来れば、日本の芸能シーンで有る程度定着できたと思うが、インタビューに答える程度で良い歌手やアイドルならともかく、俳優活動をするとなると、日本語を母語並みに使用できないと役柄が限定されるので、やはり難しい。その点、オーストラリアやカナダの俳優が、ハリウッドに行って、違和感なく演技をするようなわけにはいかない。それから、ぺ・ヨンジュンの演技だが、この人は、風貌に似合わず、かなり落ち着いた低い声を出す人で、それが良い。それと、ドラマの終盤で、交通事故の後遺症で気を失い、倒れるシーンがあるが、あの倒れ方はまさに完璧である。ひょっとすると、あのシーンだけ、スタントマンだろうか。いや、そんなことはないだろう。見ている方が、「あ、危ない!」と思えるくらいに、重力の抵抗を受けないような倒れ方だが、良く見ると、下半身のところで上手く受け身をとっていて、衝撃を吸収している。カメラも、視聴者に「あ、危ない!」と思わせるような、撮り方をしており感心した。それと、最後の場面で、彼は、失明した主人公を演じるが、これが本当に失明しているかのようである。右眼にコンタクトを入れているだろうか、眼の焦点が定まらないようなところまで、表現して見せている。日本の、そこいらの俳優なら、この部分はこれ見よがしの演技になるところだ。要するに、彼は人気だけではないということだ。
サンヒョクを見事に演じたパク・ヨンハは、この作品の後、日本での活動を活発化させ、歌手として日本で5年間活動したが、2010年6月川口での公演を終えて、一時帰国した直後に、惜しくも自殺という非業の死を遂げている。理由は明らかになっておらず、衝動的な自殺のようである。全く残念なことだ。
最後に、気付いたことを。ぺ・ヨンジュン演ずる建築家のイ・ミニョンは、建築事務所のオーナーである。そこに、彼の部下がいるのだが、ミニョンは、彼の事をひたすら「先輩」と呼び、その「先輩」も、自分の上司に向かって何やら偉そうにふるまう。日本的な感覚だと、彼らは、仕事場においては上下関係があるけれど、おそらくどこかで出会っていて、旧知の仲なのだろうと思いたくなるのだが、どうやらそうではなく、韓国では、部下であっても、その人が自分より年上の場合は、「先輩」と呼んで、一定の敬意を払うのが習慣のようである。もちろん、その場合、「先輩」は、「先輩」と呼ばれるに値する行動をとるという前提があるらしいのだが、儒教的な伝統の強い韓国ならではのことで面白いと思う。
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