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無茶苦茶忙しいやんけ・・・

書評(人文、社会科学系)

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この書物は、昨年の暮れに読んだ。在特会については、私も色々なところで「遭遇」している。だいたい、予想した通りの内容だったので、読後の驚きはあまりなかったが、安田氏は、時に罵声や怒号を浴びせられ、時には無視され、時には自らも叫び返しながら、相当この組織に密着して取材を重ねている。もちろん、これで在特会の全てが分かるわけではないけれど、以前から、彼らに対して感じていたことを再確認出来た書物である。

在特会の会員は、恐らくそれを認めないだろうけれど、私は、安田氏は、彼らの数少ない理解者であると思う。安田氏をここまで突き動かしたのは何かというと、「あとがき」で御本人も認めておられるように、「共感」する部分があったからだろう。実は、私も、在特会の行動や言動自体は許せないと思っているのだが、あのメンバー個々に関しては、恐らくそれぞれ心の持ち方は異なるだろうし、職場や学校では、多分違う「自分」を見せているのだろうとも思う。自分が教えている学生みたいな若者も数多くいるし、市民的「常識」から考えれば、軽く許容範囲を超える発言・行動だが、彼らからすれば、そのような「常識」、もしくは、その「常識」の醸成に預かった諸勢力こそ、破壊されるべき「権威」に見えているのだろう。問題は、ああいう組織に入って活動する場合、ちょっとでもその活動のあり方に異議を唱えると、内部で周辺化されたり、異端視されてしまうということである。安田氏によれば、どうもそういうことが起こっているようだ。それと、行動自体が自己目的化すると、もうそれは「運動」と呼べるようなものですらなく、外部に対しても内部に対しても、過激化してくるということである。昔、左翼学生運動が辿ったような悲惨なことにならないよう祈る。他者に対しても、身内に対しても。安田氏もそう思っているはずだ。

安田氏が、エリック・フロムを引いて説明しているけれど、全体主義の背後にある民衆心理を説明する議論としては古典的なものである。シニシズムってやつだ。日本語では「冷笑主義」と訳されるが、例えば、もっともらしい議論に対する懐疑心ってやつが出てくるのである。もっともらしい議論ってのは、例えば「愛」「共感」「理解」「平等」「人権」「平和」とかそういうものである。戦後の日本は、建前上民主主義ってことになっていて、「平等」「人権」「平和」とか言うものが、教育現場では、それ相当に謳われてきたわけだし、メディアもだいたいそういう方向で情報を流す。保守的な心性を持つ人からすれば、それらは、言わば「不可侵」の領域であり、アンタッチャブルであったのだ。そういう標語の下に守られてきた面々ってのは誰かと問われれば、外国人であったり、被爆者であったりする。日本は戦争責任があるわけだから、中韓に対しても平身低頭しなきゃいかん立場ってことになるし、これも或る種の不文律として、戦後の民衆意識の中に刷りこまれてきた。もっとも、フロムは、シニシズムと権威主義の結合を、ナチズムとの関連で論じているのだが。

平たく言えば、在特会やそれを支える土壌であるネット世論は、そのような風潮自体を「権威」と見なして、反発しているということになる。その「権威」の担い手は、テレビ・新聞等のメディア、教育(学校)、公務員、各種人権団体、労組だ。在特会や彼らの背後にいる多数が、保護されていない、むき出しの個であるとすれば、これら「権威」の担い手は、保護されている「特権階級」であるとなる。そこへきて、匿名空間のネットの登場である。むき出しの個の「声なき声」の表出を可能にしたツールだ。まあ、この辺りは、ここ10年言われてきたことで、それほど目新しい議論ではないし、恐らくそういうことだと思うが、このネット言論が、実社会の生活現場の媒介を経ずに、そのまま現実空間に接続された時に、在特会という「場」が生まれる。在特会は、自らを「保守」とも「右翼」とも異なる「市民」と位置付けて行動する団体である。「右翼」や「保守」というようなものには、それなりの理念や哲学があるわけだが、在特会には、格別そういう「深淵な」ものはなく、彼らは、世の中になんとなく蔓延する「気分」を代弁する存在である。よって、安田氏は、それを「恐ろしい」と感じると同時に、彼らが、見せる忘我的カタルシスを「羨ましい」とも思うのである。確かに、天下の公道で、あれだけの罵詈雑言を思いっきり吐ければ、気持よさそうだなどと思う自分がどこかにいないわけではない。

安田氏は、在特会の行動自体には、もちろん賛意を表しているわけではなく、「許せない」と思っているわけだが、理解も示しているので、人種主義に対する批判精神が足りないとか、所謂リベラルな方々からも随分批判されたようである。実は、私は、そういう批判が出てくるところが、戦後民主主義の最大の弱点であると思っている。以前、加藤典洋の『敗戦後論』と、高橋哲哉のそれに対する反論が出た時に、よく言われたことは、「話がかみ合ってない」である。前者の議論は、平たく言えば、戦後民主主義偽物論であり、左派運動体には随分不評だった。でも、これは私の過去記事を探していただければ見つかると思うのだが、私は、どちらかと言えば、前者の議論に共感しているくちである。安田氏の本書におけるレポートは、加藤の議論を、より現象的な側面から明らかにしたものだと思う。

これは、私と長い付き合いのある方はご存知だと思うが、私は、あの宅間守という男に結構理解を示している人間である。もちろん、彼のやったことは、絶対に許しがたい。しかし、宅間守や在特会の存在には、「近代」というものを巡る重要な問いかけが含まれていると私は思う。自分たちを、宅間守と同じ地平で語られることに彼らは反発するだろうか。「俺たちを、あんな殺人鬼と一緒にするな!俺たちは、大義のために戦っているのだ」と。恐らく、そうなるだろうと思う。なぜなら、宅間守は、ネット空間では、見事に在日扱いされているからだ。もちろん、宅間と在特会の面々では、闇の深さが雲泥の差であるが、なんとなく共通項が見える。自らを、「被害者」と規定し、何かに対して怯え、復讐したがっているという点についてはよく似ている。もっとも、安田氏の言う、疑似家族という観察を考慮すれば、在特会は、暴力団なんかと同じで、彼らが、闇の底に落ちないための受け皿になっているのかもしれない。

それから、マーケットが、共同体に及ぼす作用に関しての何らかの言及があると良かったと思うけれど、それは恐らく本書の目的を超えているだろう。なぜ、彼らの攻撃の矛先が、主に「在日コリアン」「韓国」「韓国人」に向かうのかという点に関しても考察が必要だろう。「危険度」や「異質度」からいえば、中国のほうがより「高そう」だし、留学生の数だって、中国人のほうが多いはずだ。横浜や神戸には、華僑や華人の資本が形成されていて、親族が中国にいたりするではないか。にもかかわらず、中国より韓国に言及するときに、彼らのボルテージは上がるようである。この点についての、歴史社会的考察が、ちょっとでもあると議論に幅が出るように思う。

「レイシズムはいけない」というのは、一種の現象面での批判である。もちろん「いけない」のであるが、それだけでは足りないと私は思う。レイシズムに抗する側−私も含めて−が、心に留めておく必要があるのは、「人が抱える問題は、それが他者からみれば如何に小さなものに見えようとも、その人の中では『絶対』である」ということ。それから、これは、吉本隆明も、帝国陸軍兵士だった死んだ爺ちゃんも言っていたのだが、世の中が混沌としてきたときに、社会のあり方を決めるのは、議論が「正しいか」どうかではなく、「声がでかいかどうか」である。なんせ、爺ちゃんは、召集令状が来た時、「なんかもやもやしたつっかえがとれて、パッと晴れたような気分がして嬉しかった」そうだから。そもそも、在特会の急成長を可能にしたのは、その扇動的主張の分かりやすさと、敷居の低さである。左派運動体なんてのは、なにやら小難しい議論をするし、学習会なんかでも、多分、生活にはあんまり憂いのない大学の先生とかが現れて、立派な議論を展開する。そもそも、そういうものに彼らは反発しているのだ。要するに、主張の「正しさ」で、世の中を説得しようとしているのではなく、「このままでは日本は乗っ取られる」という危機意識と被害者感情が、彼らを動かす原動力である。この不健康な負のエネルギーは、かなりの求心力があるのである。

それから、本書を読み進めながら、余りにも可笑しくて、吹きだした箇所がいくつかあった。安田氏は、なかなか上手な書き手である。


















安斎育郎『福島原発事故-どうする日本の原発政策』(かもがわ出版)を読みました。この書物に書いてあることで、私たちが知っておくべきと思うことを、私になりにまとめました。直接引用ではなく、文章を多少整理していますが、概ね書物に依拠しています。(従って、責任は引用者にあります)
 
●「ヨウ素131は半減期が8日と短いのですぐに減衰する」と言うが、もともと放出された量が膨大なので、「半減期が短いから問題ない」という言い方自体が問題である
 
●セシウム137(半減期30年)のような寿命の長い放射性物質が降り積もり、ガンマ線のレベルが高くなれば、特定の地域を、長期にわたって立ち入り禁止や居住禁止区域に指定するなどの措置が必要となる。チェルノブイリで放出されたセシウム137の56%はまだ残っており、チェルノブイリの場合、半径30キロ圏内は永久居住禁止となっている。
 
●ベータ線を出す放射性物質を飲み水や食品とともに体内に取り込むと、体の中で放出されたベータ線が周囲の細胞を傷つける「内部被曝」が起こる。
 
●ウランやプルトニウムはアルファ線を放出する。空気中数センチで止まり、透過性は低いが、アルファ線を出す放射性物質が体内に入ると、局所的にダメージを受け、ガンマ線やベータ線よりも一段と危険性が高い。従って、現時点では、原発周辺地域でプルトニウムが検出されているので、作業員の被爆は絶対に避けなくてはならない。
 
●プルトニウムは自然界に存在しないものであり、原発周辺の土壌からプルトニウムが検出されたということは、何重ものバリアが崩壊し、本来外部から遮断されているべき原子炉の燃料部と外部環境が繋がってしまったことを意味する
 
●暫定基準一杯の500ベクレル/kgのセシウム137を一日200グラムずつ一年間摂取した場合の被曝量はおよそ1mSvであり、自然界から受ける被爆総量に達せず、放射線の影響を気に病むレベルではない。しかし、事故の容態が不確かで、収束見通しが立たない現時点においては(あとがきの日付は4月18日)、農業や漁業に対する影響が懸念される。
 
●ストロンチウム90は、玄米を白米にすることにより、60%除かれるとされる。セシウム137についても、精米過程で65%が除去される。野菜の場合、葉物は水洗いでかなり除染可能。ホウレン草や春菊はゆでてあくぬきするとセシウムやヨウ素が50%〜80%落ちる。魚の場合、放射線核種は主として内臓に蓄積される。よって、内臓を除去することにより、かなりの除染効果が認められる。
 
●ストロンチウム90が体内に入ると、イットリウム90が出すベータ線を浴びるが、体外にある限り、ベータ線は空中で吸収され、外部被爆にはあまり結びつかない。しかし、多量に体内に入ると、骨に集まりやすく、骨腫瘍や白血病などの原因になる。
 
●放射線障害の特徴は、他の原因による発ガンと原因が区別できない、「非特異性」にある。100〜200mSv以上の原爆被爆者集団については、臨床的に因果関係が認められるが、それ以下の場合ははっきりしていない。しかし、低い被曝領域でも低いなりの確率で影響が起こりえるというのが、放射線防護学の立場であり、その影響の目安は、「100mSvを浴びると、ガンによる死亡率が0.5%ほど上昇する」である(1mSvなら、0.05%上昇)。従って、汚染しているかも知れない食品と、そうでない食品があるとすれば、後者を選ぶことは放射線防護の原則に合致している
 
●東京電力、原子力安全委員会・保安院・政府は「隠さず、ウソをつかず、過小評価に陥らず」を原則に行うべきだが、レベル7を発表した時に、チェルノブイリの10分の1という説明をつけたのは、事故の実態すらわからず、収束の見通しすら立っていない状況下においては、市民目線に立った措置とは言えず、「過小評価」と言われても仕方がない。
 
●高汚染地域での居住や土地の再利用にはかなりの時間と対策が必要であることが予想される。
 
●出来る人(する気になっている人でもよいけれど)が、新聞投書、インターネット発信、集会、デモ行進に参加する等、様々なアイデアを実行することにより、事態が一応の収束を見るまで緊張感の醸成と維持につとめることが肝要である。
 
というわけで、この際「気分」でも、「気休め」でもなんでも良いと割り切り、私の場合は、主にインターネット発信を中心にやっておりますが、妻が子供関連の仕事をしていますので、職場や家庭では、現実に色々と手を打っております。
 
安斎さんは、一貫して日本の原発の「安全神話」を批判されてきた方で、共産党系の学者です(いちいち、こう言わなきゃならないのも妙ですが)。ご存知の通り、日本共産党は、原子力の「平和利用」に際し、その「安全神話」と「秘密主義」を批判し、政府に対策を促してきましたが、原子力発電そのものは否定しないという複雑な論理を持っていて、一歩間違えれば二重基準になりかねない危うさがあります。現在でも、1)安全対策を施す、2)自然エネルギー・低エネルギー社会へ移行する、という二段階論で、その態度には一貫性があり、矛盾はそうないとも言えます。
 
安斎先生も、この書物の最後の部分で「生き来し方を振り返って」という章を設けて、自分の半生を振り返っておられ、その中で、過去の著作にも触れられています。しかし、1974年におだしになったなった、『日本の原子力発電』(中島篤之助との共著)に言及するにあたり、出版当初の副題「安全な開発をめざして」を省いておられることについては、やや残念に思います。『日本の原子力発電』は、GHQの指導下に発足した戦後の9電力体制を、アメリカの石油メジャーの中東政策との関連で批判し、原子力発電所の設置に関して社会的に合理的な判断がなされず、電力消費地に建設出来ないがゆえ、潜在的リスクの大きい地域に建設せざるをえず、なお且つ、地方が電力を都市部に供給する非効率・不経済な電力供給システムであり、反対派への露骨な圧力や脅迫など、地域共同体の紐帯を引き裂く要因ともなっていることを的確に指摘していますし、非常用炉心冷却装置が極めてぜい弱であることにも触れており、この度の福島の問題がまさしく「人災」であったことを再確認できる貴重な文献であります。
 
しかし、一方で、「原子力発電所を本当に国民の福祉のために、安全性を尊重する立場で建設するには9電力体制」を再検討し、「総合エネルギー公社」を設置すべきと述べ、原子力発電そのものを否定しておりません。9電力体制とアメリカ依存の関連性の指摘は、日本政府が原発を推進するにあたって、アメリカのモデルを無批判に採用したことに鑑みれば適当な批判と思えます。しかし、原発行政を一元化し、正直にやれば、“より安全になる”というのは、やや短絡的とも思えますし、現実に原発が54基も建ってしまった現状を直視すれば、“原発行政批判の在り方として”妥当であったのかどうかの批判的検討もなされるべきと思います。つまり言いたいことは、なぜ日本の原発行政が「正直」でなかったのか問われれば、安斎さんご指摘の通り、技術的に未成熟で危険なものであり、よって金と権力で丸め込まざるを得なかったということになるわけでして、原発をシステムとして認める限り、結局ある種の循環論法に陥らざるを得ないのではないかということです。
 
本書においても、原子力発電を直ちに全廃することは、電力供給だけの問題に留まらず、核廃棄物処理、廃炉費用、原子力労働者の雇用問題等、考慮すべき様々なファクターがあり困難だが、脱原発の為には、「アメリカ支配」からの脱却が前提であると強調しておられます。つまり、以前は、「『安全な』原発平和利用=アメリカ支配脱却」だったのが、本書においては、「原発依存脱却=アメリカ支配脱却」とスタンスが微妙に変化しているわけですが、原発の数がまだ少なかった60年代後半から70年代前半と、原発が乱立し、日本の原発に利害を持っている国が最早アメリカだけではない現在との間の状況変化も踏まえ、これについての説明はやはりなされるべきだと思います。
 
また、安斎さんは、3月30日に原子力関連要人が政府に提出した「福島原発事故についての緊急提言」を全文引用し、評価しておられますが、さてそれはどうでしょうか。この「緊急提言」は、難局を乗り切るため、「日本原子力研究開発機構」などの組織が動くべき云々と述べているのですが、その日本原子力研究開発機構が、2日後の4月1日付けで、理事長鈴木篤之の名前で、噴飯ものの「ごあいさつ」をHPに載せていることは、既に川村湊さんが暴露し、私も以下の記事に書いた通りです。
 
 
 
と、思ったら、「ごあいさつ」が準備中になってる!おいこら!加納さんと言い、与謝野さんと言い、こんな人達がウヨウヨいるようじゃ、反対するしかないでしょ^^;。更新履歴にも、この件についての言及が見当たらない。
 
広島平和研究所の田中利幸氏の 「日本の反核運動は原発を容認してきた」というタイトルの論文も併せてご覧ください:
 
 
 
 
この書物については、この書庫の前の記事で、予告だけしておいたが、さっそく入手して読んでみた。3時間もかからず読了。博士論文執筆の息抜きに丁度よかったと言いたいところだが、「息抜き」ではすまない内容が綴られている。まず申しあげておかなければならないのは、著者は私にとって「師」の一人であり、ほとんど毎週一緒に飲んだりしている。本年度、著者は在外研究期間に相当するので、大学には事実上出講していない。2月は中国に行っていた筈だが、震災時は日本にいたのだろう。今はどうやら韓国にいるようである。
 
さて、内容であるが、率直にして明解。英語にname namesという熟語がある。要するに、「名前を上げて指弾する」というような意味だが、まさにそれをやっている。何より凄いのが、この書物は、著者がほとんど「思いつき」というか、怒り心頭に発し、地震で身動きとれず、在外研究期間で大学関連の実務や授業に出る必要がなかったという理由も加わり、手元にある断片的資料と、インターネットの公式HPのコピペを集めて構成した、ある意味「やっつけ仕事」だということである。「やっつけ」だが、内容がいい加減かというとそんなことはない。即ち、最初からこの書物は、学術書ではないし、小出裕章氏のような原子力の専門家が書いたような原子力の蘊蓄はないし、広瀬隆のように「反原発」で鳴らしてきたジャーナリストのような警醒の書的雰囲気もない。つまり、3月11日以降の事態の推移を自ら体験しながら、同時にインターネットを中心に情報をあさりまくって、リアルタイムで書きあげて行ったものである。よって、緻密な実証と言う意味では疑問符がつくし、本人自ら「素人」と認めているように、科学的な内容でもない。「原子力村」に巣食う主要人物の過去の発言と今回の事故に対する態度や発言を比較し、彼らの欺瞞性を指弾するという内容である。つまり、本書にでている情報のほとんどは、原子力関連機関や自治体のHPに行けば、只今現在、誰でもアクセスすることの出来るものである。
 
つまり、本書の目的は、この事故に至った「A級戦犯」は誰なのかをはっきりさせるということにつきる。やり玉にあがるのは、日本原子力研究開発機構の鈴木篤之、安全委員会委員長の斑目春樹らである。無論、本当の「戦犯」は既に鬼籍に入っている。内容は、推して知るべしなのだが、彼らの狡猾さやいい加減さがどれほどのものか再確認出来るという意味で、簡潔にまとめてある本書を一読する価値は多いにある。著者独特の毒舌と洒落も入っている。そもそも、日本の原子力平和利用は、核武装を前提として始まった。これが、正力松太郎や中曽根康弘らが抱える、西洋の科学技術の前に敗戦を喫したという屈辱感からくる精神的トラウマに基づくことは、有馬哲夫氏(先日はどうも^^;)らの研究でも明らかにされているが、そのことは、本書でも何度か言及される。IAEAというのは、核不拡散条約との関係で、核兵器保有の現状維持と原子力の平和利用を両輪とした、原子力発電推進国際団体だが、原子力関連機関のHPの情報を読めば、その事が良く分かる。
 
それから、本書を読んで良く分かるのは、経済産業省を頂点に数えきれないほど存在する原子力関係公益法人の数々であり、そこに群がる学者連中、企業群である。まさに、軍産複合体ならぬ、原産複合体であり、彼らが享受する既得権益は、政権がどこになろうが、総理の首が何度すげ変えられようが「聖域」であり、毛ほども傷がつかない難攻不落の城塞となっていることである。さらに、マスコミでさえ、彼らに牛耳られているので、ほぼアンタッチャブルな状況となっている。これは私の感想だが、NHKがもうすでに、原発擁護キャンペーンを7時のニュースを中心にやっている。浜岡や柏崎で「『想定外』を想定した」訓練をやったりしているニュースを福島報道の後に流し、現場の人物のインタヴューが必ず後に続く。「住民の皆様の安全に最大限配慮した運営に努力していきたいと思います」云々と。著者は、このような原子力村の牙城を切り崩す世論の形成が出来なかったマスコミを批判し、また市民もそのチェックを放棄したと書くが、「電気の恩恵を享受している国民に『も』責任がある」という論調を、「一億総懺悔」の理論として拒否する。私も同感で、その事は本ブログでも直接・間接言及した。「騙したほう」と「騙されたほう」のどちらも、それ相当に悪いが、どちらがより悪いか問われれば、前者に決まっているのである。「国民の皆様の事を考えて」とか美辞麗句を並べているだけに、余計に性質が悪い。
 
なお、本書でひとつ学んだことだが、日本の原子力発電の要であるウランの最大輸入国はオーストラリアなのだそうである。ほとんどがオーストラリアから来ている。アメリカのオバマでさえ日本に来ないのに、オーストラリアの首相がやってきて、被災地を回ったのにはそれ相当の意味があったようである。『美味しんぼ」の雁屋哲さんも、オーストラリアとの縁が浅くないようだが、今度行かれたら(今もいる?)、現地で大批判キャンペーンやっちゃって欲しいものである。
 
思うに、この本は、生え抜きの大学の先生なら書けなかった類のものだと思う。大学人というのは、どこかで学閥とか、大学の理事会とかと繋がっていて、分野が違っていても、学問のコミュニティーそのものを批判することをあまりしないからである。著者は、現在大学人ではあるが、もとは会社員であるし、在野の評論家としてキャリアをスタートさせた関係上、どちらかと言えば文壇の人間であって、そう言う意味では物の見方が自由である。なので、普通の学者なら絶対にやらないと思うような、インターネット情報コピペ本まで書いてしまえる。その是非はともかく、その行動の素早さと、情報を効率的に纏める執筆力は「さすが」と言わざるを得ない。ただ、「素早さ」を優先したので、校正はあまく、カツラの西山保安院を「平山」と誤記したりしているが、そのあたりはご愛敬である。いずれ、検証が進み、より詳細な「戦犯」の記録が他にも続々出てくることを期待している(でなきゃ、おかしいだろ)。
 
 
実証度:★★★☆☆ 明晰度:★★★★☆ 難易度:★☆☆☆☆ 有益度:★★★★☆ 総合評価:★★★☆☆
 
書名:福島原発人災記−安全神話を騙った人々
著者:川村湊
出版社:現代書館
出版年:2011年4月25日
ページ数:220
定価:1600円+税
 
この手の書物の書き手は、今後「危険」かもしれません。原子力という既得権益に集う者どもを名指しで批判する書き手を、なんだかんだと理由をつけて、政府がしょっぴく可能性も否定できない。コピーライトがかかっている情報もある。川村さんは、「俺をこんな目に遭わせた奴は誰だ」といいう私墳から、この本を書いたようで、彼らしいと言えばそれまでですが、ネット情報のみで、本丸の入り口までしっかり来ている気がします。本丸に踏み込むと、そこに誰がいて、どうなるのか・・・
うわ、最近雲隠れして、中国にでも行ってるのかと思ったら、閉じこもってこんなものを書いていたのか。4月25日緊急出版だから、まだ未刊。つまり読んでない。本人以外は。
 
出版社の宣伝には次のようにある。
 
「2011年3月11日、東日本大地震大津波、それに続く原発事故。文芸評論家の筆者は原子力に関しては全くの素人。東電・政府・関係機関・専門家の過去から今の発言の生資料を調べまくって分かった彼らのいい加減さ。これは正に人災だった。
 
ジョン・リードの『世界をゆるがした十日間』を彷彿させる、事故後15日間の記録と原発を推進した面々の無責任な言動。新しい表現方法で、素人でもわかる日本の原子力行政の破綻を徹底的に証明した。筆者ならではの読みやすい文章がいい」
 
「全くの素人」と臆面もなく言えるところが凄い。原発関係者に尾行されるようなことにならなければ良いが。
 
期待度:★★★★★  
日本における、キリスト教宣教史の通史で、最近でたものが数点ありますが、これはその一つ。この書物の特徴を挙げると、まず読みやすいこと。つまり、データ的に網羅したといいうより、要点に絞って記述した印象が強いことです。逆に言えば、分かりやすい反面、書き込みが些か手薄で、読んだ後の印象が薄いという感はありますが、それは参考文献を自分で読みながら補足していくということになるのでしょう。
 
もう一つの特徴は、カソリックとプロテスタントの宣教の両方を論じていることです。土肥昭夫氏の通史は、広く読まれていますが、プロテスタントだけ、つまり、明治以降の話ですが、これは多分に「とんでも」扱いされる、日ユ同祖論から話を起こしているところが面白いです。中村氏は、福音派の牧師ですが、学者なら、これは含めないでしょう。日ユ同祖論というのは、日本人とユダヤ人の先祖が同じだとする議論で、いくつか書物が出ています。平安時代に日本に来たネストリウス派の宣教師がユダヤ人だったなどとする説もあります。しかし、さすがにこれは、著者も実証的には疑問符がつくと論じておられます。
 
プロテスタントについては、ベッテルハイムの琉球伝道の話をしているところも注目に値します。日本基督教団の戦争責任については、著者の立場からはやはり辛辣にならざるを得ないところかと思いますし、その態度は概ね正しいと思います。教団自体、いまだに社会派と保守派に分かれているという内部事情があります。賀川豊彦の功績を認めつつも、彼の著作に反映する、被差別部落民に対する蔑視のようなものも指摘しています。もっとも、賀川が戦中天皇を賛美したことについては、あまり触れていません。しかし、このところの日本の反動的右傾化に対しては、相当の警鐘を鳴らしています。事実、戦中軍国主義に妥協しなかったということでは、主流派の教会が大崩れする中で、福音派はわりと頑張ったという実績があることはあります。
 
巻末に年表と索引がついているのは、この手の書物としては当然のことで、そのあたりは初学者には参考になるでしょうが、ちと端折りすぎかもしれません。非常に分かりやすく、日本におけるキリスト教宣教の概略を頭に入れるには良い書物です。ただ、一つ苦言を呈しておきますと、『上毛教界月報』が、『上毛教会月報』と誤記されており、全体に数か所出てきます。これはいただけません。もちろんこれは著者の責任というよりは、出版社の校正が甘いわけですが、これが普通の出版社ならいざ知らず、キリスト教関連の書物を扱う言わば専門の出版社であるだけに、ちょっと残念です。校正した人が、恐らく、我が国におけるキリスト教宣教の歴史を知悉していなかったのでしょう。普通なら、見逃すはずがない。実は、私も大昔に、同じミスをやったことがあるので、言えるのですが(笑)。
 
書名:日本キリスト教宣教史-ザビエル以前から今日まで
著者:中村敏
出版社:いのちのことば社
出版年月:2009年5月
ページ数:395ページ(索引、年表除く)
定価:3000円

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