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今朝の『朝日新聞』を開いてみたら、自民党の「原発推進派はや始動」という見出しの記事が出ていた。もちろん、とっくに動いているのだろうが、それにしても一言言わずにおれないのは、隣の「原子力の選択肢を放棄するな」とのたまう東電顧問で元参議院議員の加納時男である。別に、言論の自由だから何を言っても構わないが、言ったからには、ちと行動にあらわしていただきたい。加納氏、インタヴューに応えて曰く:
「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者もいる。説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で病気が治った。過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい、ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」
まず、この人物が体に良いと述べる「低線量」が何を意味しているのかさっぱり不明である。確かに、放射線は体の治療に使う。アイソトープのような放射性同位体を局所照射して皮膚がんの治療に使うとか、ラジウムを含む温泉は体に良いとか。しかし、現在問題になっている放射性物質は、そのようなものとは全く性格を異にする。また、この人物が言う「低線量」がどの場所を指しているのかも不分明だが、そうおっしゃるなら、あなたが率先して、福島のいわき市や福島市あたりに行って、住民を説得してみたらどうか。無論、相双地区の住民はもちろん、飯舘村や浪江町の方に対する謝罪を現地で行うのが先だと思うが。それほど体に良いとおっしゃるなら、「大丈夫です。健康にむしろ良いです」と住民を説得し、ご自分も一年ほど牛の世話でもされてみたらいかがか。
もちろん、臨界爆発はとっくに起きていて、プルトニウムは関東にも既に拡散していて、ハワイの牛乳からも規制値の何十倍もの放射線が検出されてとか、出所不明の怪しい情報が飛び交っているのは確かだが(出所が不明ということですよ。つまり、「言いだしっぺ」が誰かということ)、まともにこれを信じている人は少ないだろうし、そもそも加納氏の言う「過剰反応」が、こういうことを指しているとは思えない。彼にとっては、避難の必要性を主張することですら「過剰反応」ということだろうと思う。だったら、「現地」に言って、住民をご説得いただきたい。東電の顧問だそうだが、手下の清水あたりに謝りに行かせて、「原子力村」の大物は、こんな無責任な発言を臆面もなく繰り広げている。もちろん、この人物は、財界出身で、原子力や放射線に詳しくはないが、こんな時に「放射線は体に良い」などと言う意見を平気で言えるとは、開いた口がふさがらない。それとこれとは別であるくらいは、小学生でも知っているだろう。賞味期限切れの黴の生えたパンを食って食あたりを起こした消費者に向かって、製パン会社の顧問が、「カビはチーズにも使われているくらいだから、体に良いですよ」と言っているようなもので言語道断であろう。
あと、原発推進派がかます、「原発廃止=昭和初期二元論」が、それなりに効果があるのは、市民が心のどこかに一定の割合で抱えている、「贅沢はよくない」という心理をつっつくからだが、産業化と大企業による独占資本を批判してきたと自覚している左派もこの陥穽から逃れられない。そう言われると、自分も電気を使っているという「負い目」を意識せざるを得ず、推進派はここぞとばかりに、そういう原発反対派の心理をついて、「偽善」「無責任」を連発するのである。かくして、議論は、「利便性肯定効率主義」VS「我慢・忍耐エコ節約主義」の両極端なバトルに終始し、エネルギーのあり方に関する具体的な議論はいつまでたっても始まらず、結局、原発は増殖の一途をたどることになる。国家が市民のこういう心理を利用して、市民に対しては「贅沢は敵」を吹聴し、電力使用の権限を中央の統制下にコントロールしようとする側面があることは、頭の片隅にでも置いておいたほうが良いと思う。昔そういうことがあったと思うけど・・・
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原子力・エネルギー関連
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小佐古敏荘(こさこ・としそう)内閣官房参与(東京大大学院教授)が29日、官邸を訪ね菅直人首相宛てに辞表を提出した。小佐古氏は同日夕記者会見し、東京電力福島第1原子力発電所事故への政府の取り組みに関し「その場限りの対応で事態の収束を遅らせた」と激しく批判した。
小佐古氏は放射線安全学の専門家。首相は原発事故で外部から助言をもらうため、6人の内閣官房参与を起用した。最も早い3月16日に就任した同氏が、公然と政権批判して辞意を表明したことは、首相の原発対応の稚拙さを改めて浮き彫りにした。 27日に今後の原子力対策について報告書を提出した小佐古氏は、「提言の一部は実現したが、対策が講じられていないのもある。何を言っても無意味だというなら、参与に留まる意味がない」と述べ、不満をあらわにさせた。 なかでも福島県内の小学校や幼稚園などの利用基準で、被曝(ひばく)限度を年間20ミリシーベルトと設定していることを「とても許すことができない」と非難。特に同県内の小学校などの校庭の利用に際し、この基準を使用することを問題視し、見直しを求めた。 さらに「(小学生らに)無用な被曝をさせてはいけないと官邸に何度も言った。(このままだと)私の学者としての生命が終わる」と述べた。緊急時迅速放射能予測ネットワークシステム(SPEEDI)についても「法令の手順通り運用されておらず、結果も迅速に公表していない」と指摘した。[産経新聞]4・29・2011 政治的なことはともかく、小佐古敏荘という放射線の専門家が、太字で強調したような理由で、内閣官房参与を辞職したそうです。太字の部分については、武田邦彦さんや、小出裕章さんのような専門家も同意見なのですが、総合的に見て、真っ当な意見と私は判断しています。小佐古さんは、もちろん原発を肯定する立場でやってこられたのだと思いますし、放射線というものをよく分かっている筈です。ですが、今回の彼の発言と、過去の言論を比較してみると、彼がどういうスタンスで、この結論に至ったかが、より客観的に検証できるでしょう。以下は、国会図書館のデータベースから小佐古氏の学問的スタンスを確認できる学術論文を抽出しておきました。国会図書館は、登録さえすれば、オンラインで文献を予約し、郵送で取り寄せることが可能です。その気になった方は、お願いします。ただ、学術論文が多いので、かなり専門用語や計算式が登場するはずですが、エッセンスはくみ取れるでしょう。座談会のようなものであれば、一般人でも分かるはずです。特に、『文部科学時報』に載っている座談会が注目です。『文部科学時報』というのは、つまり省庁の出すニューズレターのごときもので、昔は『文部時報』と呼んでいた筈ですが、これは一般人でも分かる内容でしょう。
それから、内閣官房参与として、原子力問題のアドバイザーとして、田坂広志さんも加わってます。彼は、大学で原子力を専攻して、菅氏とは旧知の仲のように聞いていますが、彼の過去の文献を見てみると、以前には原子力関係の論文もあるようですが、このところ、日本の経済戦略とか、マネージメントに関することばかりです。自分なりに気になる文献は、これも太字で強調しておきました。
小佐古氏が退場したわけですが、田坂氏はまだ残っていると思います。恐らく、官邸の専門家内でも、かなり意見の相違があって、議論が紛糾しているのでしょう。「船頭多くして船山に登る」状態になっているのではないでしょうかね。別に、小佐古氏が放射線の専門家だから田坂氏より信頼できるとは思いませんが、これは、のちのち詳しく検証されなくてはならないし、それがメディアやフリーランスジャーナリストの役割でしょう。
小佐古氏文献リスト(抜粋):
ICRP新勧告--新しい放射線防護の考え方と基準(第1回)放射線防護の歴史的展開--ICRP勧告の変遷を中心として / 小佐古 敏荘 Ατομοσ. 52(4) (通号 610) [2010.4]
特集 放射線安全の考え方と関連する基準の国際動向 / 小佐古 敏荘 ; 山本 英明 ; 大越 実 他 Ατομοσ. 50(4) (通号 586) [2008.4]
座談会 これからの原子力の安全と平和利用のあり方 (特集原子力の安全と平和利用の確保) / 小佐古 敏莊 ; 佐藤 一男 ; 内藤 香 他 文部科学時報. (1571) [2007.1]
放射線障害防止法の改正とその背景 / 小佐古敏荘 放射線と産業. (110) [2006]
放射線管理コーナー 放射性物質の特性に応じた危険度の指標について / 小佐古 敏荘 保健物理. 39(4) [2004.12]
国際放射線防護委員会(ICRP)の20年間の展開 (RADIOISOTOPES 50周年記念号 アイソトープ研究と利用) / 小佐古 敏荘 ; 杉浦 紳之 Radioisotopes. 50(-) (50周年記念号) [2001]
中学生の意識調査にみるエネルギーと環境教育 / 小佐古敏荘 エネルギーレビュー. 19(9) (通号 224) [1999.09]
放射線線量の概念とその新単位 / 小佐古 敏荘 日本物理学会誌. 45(4) [1990.04]
田坂広志氏の文献(抜粋):
ソフィアバンク代表(多摩大学大学院教授) 田坂広志--世界の中での日本の立ち位置これからの100年、西洋と東洋がお互いに学びあう時代が来る。日本は世界の懸け橋に! / 田坂 広志 財界. 59(1) (通号 1471) [2011.1.4]
この人と1時間田坂広志さん 多摩大学教授/シンクタンク・ソフィアバンク代表 あなた(人事部長)の職場には『働き甲斐』という報酬はありますか? / 田坂 広志 ; 伊藤 秀範 人事マネジメント. 21(1) (通号 241) [2011.1]
なぜ、いま若者は社会起業家をめざすのか (特集 2010年に求められる経営の視点) / 田坂 広志 Suruga Institute report. (通号 109) [2010.Win.]
先見TOP interview 見えない価値を大切にする企業文化を / 田坂 広志 ; 山口 哲史 先見経済. 56(21) (通号 689) [2010.12.15]
講演録 経営者が語るべき「言霊」とは何か--組織を変える言葉の力 / 田坂 広志 りそなーれ. 8(11) [2010.11]
日本型ソーシャル・ビジネスの思想とビジョン (特集 新しい公共におけるソーシャルビジネス) / 田坂 広志 月刊自治フォーラム. (613) [2010.10]
ソフィアバンク代表 田坂広志 日本の知恵を生かした新しい資本主義を目に見えない資本が重要視される時代。徹底的な顧客中心型ビジネスモデルの構築を! / 田坂 広志 財界. 58(13) (通号 1459) [2010.6.22]
日本型資本主義を世界はめざす (総力特集 歴史の英知に学ぶ 日本の危機突破力) / 原 丈人 ; 田坂 広志 Voice. (通号 389) [2010.5]
ソフィアバンク代表 田坂広志 新しい経済運営 倫理観など目に見えない資本を大事にする日本型資本主義がこれからの世界経済をリードしていく! (集 混迷・ニッポンへの提言) / 田坂 広志 財界. 58(11) (通号 1457) [2010.5.25]
日本型へ進化する資本主義--「5つのパラダイム転換」を先駆けよ (総力特集 大不況・突破への挑戦) / 田坂 広志 Voice. (通号 377) [2009.5]
国立国会図書館検索システム:
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DASH村が、福島の浪江町にあることが、この度の事件で広く知れ渡ったわけですが、ひょっとすると、知らぬは私ばかりなりで、多くの方々にとっては既知の事柄だったのかもしれません。TOKIOは、ジャニーズだけれど、私の世代にわりと近いから、嵐なんかと較べると、余程親近感があります。あのDASH村は、田舎の家屋を再現した、まあ、セットなわけです。今は、農村に行っても、ああいう家は結構すくないです。子供の頃は、藁ぶき屋根の家なんてのはまだ結構ありましたけれど。
あそこでやっていることのほとんどは、農林業を営む母の実家でもやっています。炭火の掘り炬燵、撒き割り、田植え、炭焼き、味噌作り、等々。昔は、豆腐やしょうゆも作っていましたが、祖父が死んでからはもうやめました。まあ、言いたいことは、あのDASH村の企画は、そう悪いものではないと言う印象です。ソーラーカーや自転車で、魚をかついで、地方を走り回ったりする企画もあって、以前あれを少々批判した文章を書いたような気もしますが、考えてみれば、あの『鉄腕DASH村』という番組の基本姿勢は、「持続可能な社会」なのではないかと言う風に思います。城島が、下町のお婆さんに扮して、身の回りにある道具で、色々作ってみたり。「乾電池で電車はどこまで走れるか」とか。いずれにせよ、福島の田舎でやっていたDASH村の企画が、原発の放射能で続行不可能になったのは大変示唆に富む出来事で、あの企画の成立背景と立地選定の経緯などを調べ、メディア論とエネルギー論を複合させた、学際的論文を書けませんかね。と、なぜか、すぐ学問的な方向に物事を持って行ってしまうのは、私の病気のようなものですが・・・
さらに、あの番組に、東電がスポンサーに入っていたりしたら、ある意味自爆ですから、ますますメディア論的に興味深い結果となるのですが、ちょっと調べてみると、大塚製薬とか日立製作所とかアース製薬とかですね。
でも、日立製作所?。まあ、別に、なにが言いたいってわけでもないんですが・・・
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厚生労働省は27日、原発作業員の被ばく線量について、通常時は年間50ミリシーベルトとする上限規定を撤廃する検討を始めた。5年間で100ミリシーベルトの上限は維持する。福島第1原発の事故では、全国各地から作業員が応援派遣されているため、現行の上限規定のままでは、他の原発の点検業務に当たる作業員が確保できなくなるという懸念が産業界などから出ていた。
一方、通常時とは別に、緊急時の被ばく線量について厚労省は先月、福島第1原発の復旧作業に限り、100ミリシーベルトの上限を250ミリシーベルトに引き上げる特例措置を設けている。[毎日新聞] 4/28/2011 これは、どういうことかな?原発で働いている作業員の年間50ミリシーベルトの被曝量の上限を撤廃するが、5年間の上限値100ミリシーベルトは維持する?算数は苦手でも、思いっきり矛盾しているように聞こえるが。現在福島では、通常年間50ミリシーベルトなのが、250に引き上げられているわけだが。許容被ばく量など度外視して、バンバン働いてもらうと言う風にしか読めないのだが。放射線医学の世界で厳格に決められた、科学的見地に基づいた数値がそんなにコロコロ変わってよいのかな?この調子だと、何か起こると、数字など適当に変えることになるだろう。お役所の人や、現場に行かない、お偉いさんは結構だが、原発作業員には請負会社の末端作業員が多いことを念頭に置いておこう。良識ある科学者は、『数値改竄の社会学』というタイトルの本でも是非緊急に出していただきたい。
いくら非常事態とはいえ、さすがに人を大切にしない国、日本である。メディアも、お役所の発表そのまま垂れ流し。これについての、批判的論評が出ないようなら、もはや終わりのような気がする。先日、東電と保安院の外国人記者に対する記者会見が開かれたようだが、外国メディアは東電と保安院など信用していないので、なんと記者が一人も来ず、仕方がないので、彼らは自分たちで無人の空間に向かって喋り続けたのだそうな。
どうも、これがその情景らしい。本当に誰もいない。後ろの、日章旗がこれほど虚しく見えることもそうない。どうでもよいのだが。
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日本は戦略核兵器による被害を受けた多くの国のひとつである。「多く国のひとつ」という言い方に怪訝な思いをされる向きもあるかもしれないが、戦略核兵器というのを、主に戦争目的に開発された核兵器であると定義すれば、核実験の影響を受けた国も当然これに含めなくてはならない。戦争という実際の戦闘行為によって被爆した国は、もちろん日本だけであるが、これを核実験にまで拡大すると、米国ですらこれにあてはまる。米ソ核競争が激化していた70年代に、アメリカでもネバダ州を中心に核実験が相当回数行われており、それにより周辺住民が核の汚染に晒され、同地域住民の白血病発症率が全米平均をはるかに上回っていることから、核実験との因果関係が取りざたされている。チェルノブイリや東海村の放射汚染は、原子力発電所の放射能漏れが原因であるから、戦略核兵器による被爆と同一の文脈では語れないだろう。しかし、もしテロリストなどにより原子力発電所に何らかの危害が加えられた場合には、平和利用の原子力発電所も兵器と同様の意味を持ちうることになる。
さて、上の文章は誰のものかと問われれば、ほかならぬ「私」である。2006年8月、即ち、ブログを開設してから2カ月後に書いたものである。只今現在、親の敵のように、原発関係者をこきおろしている関係上、私自身の発言も振り返っておかねばならない。戦略核廃棄と、それに由来する被爆を扱った記事なのだが、原子力発電の事故にも触れている。もちろん、原発を擁護してはいないが、原子力発電が危険になる要素としてテロリズムに言及してはいるものの、地震のことにはまるで触れていない。日本の原発の起爆装置は、テロリズムでも戦争でもなく、地震だったわけで、少し常識をめぐらせれば、これは当たり前のことと今となれば思える。つまるところ、私も「安全神話」に乗っかっていたことになる。広瀬隆の一連の原発関連の書物は読んでいて、それ相当の危機感を覚えはしたが、なぜかあまり行動はしなかった。「まさか、壊れないだろう」と、思っていたからである。また、日本の原子力の平和利用の背後に核武装の野望が隠れていたことは、CIA関連文書などの発掘により、今ではほぼ定説となっている。従って、原子力発電と劣化ウラン弾なども含めた戦略核兵器は、別のものではなく、同一のカテゴリーで論じる必要があると、認識を改めなくてはならない。
私が、運動をするようになったのは、2000年頃のことだが、専ら戦略核兵器の事を考えており、原子力発電は批判のメインターゲットではなかった。後に、チェルノブイリ、核廃棄物、核実験等による被爆者も含む、グローバルヒバクシャの問題に接するに及び、チェルノブイリのことが意識に上ってきた。それが、2004年の事だったと記憶している。それでも、原子炉の仕組みなど構造的なことにはあまり興味を示さず、もっつぱら、内部被曝の怖さや、エネルギーシフトのことを中心に考えてきた。
今、思い出したかのように、原発や、これに関わる権力機構を批判しているのだが、これには、私も被災者になったという意識が大きく作用している。首都圏に住んでいる以上、食糧や水も含め、放射線や放射性物質の直接的被害者という認識を持って毎日を送っている。スーパーに買い物に行くと、野菜、魚、牛乳、肉類を含めて、最早、関東近辺の食品は一切買わない。ただ「国産」と書いてある場合は、量販店の本社に電話をかけて、産地の確認を要求する。牛乳は、工場が東京であっても、原乳が茨城や福島だったら話にならないし、漬物もまた同様である。従って、これも確認している。私が被害者ということは、私の家族も被害者ということに他ならない。私が、内部被曝して、10年後だかに発症しようが、まあまあ、別に良いのだが、子供のことをどうしても考えるからだ。妻の職場にも、子供が沢山いる。妻は、これまで25年子供と関わってきた人生である。子供の事を考えれば、あのような自爆装置を、今後日本に増やすわけにはいかず、是非とも減らす方向にもっていきたい。私の発言や行動など微々たる効果しかあるまいが、メディアも政府も信用できない以上、出来る範囲内で、今後もブログ上で原発関連の記事を折に触れて書くことになろうし、これまで以上に勉強を重ねたい。
日本で発行されている、英字新聞の投書欄を読んでみると、今回の原発事故を外国人がどのように見ているかが良く分かる。「“豆腐”の上に原発を次々と作らせた、奴隷根性の善人の集合体」などと日本人を評している。こんなとき、「そう言うお前は・・・」をいくらやったところでしょうがない。「豆腐」の上に原発が乗っかっているのは事実であり、それをやらせたのは市民だ。私は、実家が農家だから、首都圏の農産物に関しては、断腸の思いで購入を断念している。農家にも、漁業関係者にも、畜産農家にも恨みはない。あたりまえである。この上は、落とし前をつけるべき者どもに落とし前をつけさせるのは、市民の役割であろう。
最後に、蛇足だが、奇特倶楽部なるブログの運動仲間が初めて顔を合わせた時、ICBMさんと、吉本隆明の話をした。ICBMさんが、「吉本隆明のことで賛成できないことは何か」と訊かれたので、私は「彼が最近、原子力発電を肯定しているのが、その最もたるものだ」と答えたと記憶している。教育基本法改正の時期であったから、2006年秋のことだったかと思う。相手は強大で、原発立地住民さえコントロールしており、都合の悪い人物を排除することなどためらわない者どもだが、言いたいことを言わないのは、精神衛生上誠によろしくない。原子力発電を文化的側面からとらえ直し、解釈するというようなこともやってみたい。
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