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「お前も張り込みだったのか? 社会部二年目のペイペイが」
おかしな姿勢で車の中にいたせいか、首筋が痛い。そんなことより、まずメシだ。
洋介は口の悪い父親には答えず、食卓についた。
母が病気で亡くなって もう十年になる。家のことは 妹の秋穂(あきほ)が仕切っている。
「ごめんな…少しも手伝えなくて」
「気にしない、気にしない。同情するなら、おこずかい 増やして!」
「ああ〜、わたしも おこずかい アップしてほしい!」
「まゆみ! 小学生のお前が なんでそんなに 金がほしいんだ? 男か?」
「そう! アピール競争が激しくて こっちを向かせるのが 大変なの」
「わかったよ。少しで良いならな」
「洋介! お前 女に 甘すぎるぞぉ〜。ガツンと言ってこその男だろうが」
「清美さん・・・オレは無骨で 教養のない男ですが、あなたのためなら男をやめます。
あなたはそれだけの価値のある女性・・・」
秋穂はときどき、そんな手に出る。父親が横暴になると、すぐ これだ。父親は
急におとなしくなって、新聞に逃げる。
「おねえちゃん? ママの名前って、魔法の言葉なの?」
六年生になった妹のまゆみが、本当のところを知りたくて、質問をする。秋穂は決まって、
父のお弁当を整えながら、ニコッと笑う。それだけ。笑ってすませる。
父が 亡くなった母に ラブレターを書いたとは聞いていない。秋穂の創作でもなさそうだ。
いや、そんな詮索(せんさく)はどうでもいい。15歳でも もう 大人の女。男を
黙らせるセリフのひとつやふたつ、知っていても当然だろう。
「あっ、ごちそうさま! さやか様が登校するから、わたし、行く!」
開け放した窓から、隣家の玄関が見える。本当にまゆみと同じ六年生なのか、すらっと
背の高い ポニーテールの少女が、ドアに鍵をかけて 出かけるのが見えた。
少女の姿を見て 飛び出したのに、まゆみはその後ろ 4、5mを 離れてついて行く。
「あんだよ…まゆみのやつ、なに考えてるんだ?
隣なんだから、並んで歩けばいいじゃないか」
父親には十年かかってもわかない・・・という顔で、秋穂は弁当箱のふたを閉めた。
ハンカチで包み、それを弁当袋に入れる。細かなところに気を配り、気を抜かない性格だ。
洋介は 長い間 母親役をしてきた秋穂を、もう開放してやらないと と思う。しかし、
六年生のまゆみには、まったく任せられないのが現実だ。
「あの さやかって女の子、明るく育ったな・・・ウチとおんなじでさ、母親が死んだのによ。
ウチには、洋介も 秋穂も まゆみもいるけど、隣は 父ひとり 娘ひとりなんだからな」
「ううん。さやかちゃんには 王子様がついていたの。幼稚園から 四年生になるまでね。
だから お姫様って呼ばれるほど かわいいレディーに成長したのよね?」
確かに秋穂は 男を黙らせる情報を、いくつも知っている。洋介は 少し 恐いと思った。
「洋介は 新聞社に勤めるまで、あの子の足長おじさんだったからな」
父は 新聞をがさがささせながら、それでも目線は新聞に向けたまま つぶやいた。
「おとうさん・・・それは ちょっと 違うよ。足長おじさんは 長い間 正体が
わからないの。おにいちゃんとさやかちゃんは、兄妹みたいに仲良かったんだもの」
あの火事から 9年がたっていた。結局のところ、出火原因は つかめなかったという。
しかし、幼いさやかがいた ソファーの クッションが燃えていたという洋介の証言を
警察は重要視した。少女の将来を重視し 発表はなかったが、「こどもの火遊び」・・・。
見よう見まねでマッチをすり、誕生日のケーキのロウソクに 点火しようとしたさやかの
ミス・・・。炎に驚き 火のついたマッチを投げ捨てた。それが クッションの上に落ちた。
だが、洋介は 見ていた。クッションの火が ソファーを焦がして天井で炎となっていたとき、
幼いさやかは 両手にマッチ箱と 火のついていないマッチを一本、持っていたのだ。
理屈に合わない。
炎に驚いて マッチを捨てたなら、どうしてさらに マッチを持っていたのか。
それ以上に、彼女の母親が、必死に叫んだ、あの言葉・・・。
「さやかのせいじゃないから!」
洋介の差し出した桜の若木をつかみ、必死に訴えていた叫びは、何を意味していたのか。
その時も、9年たった今も、原因はつかめなかった。
しかし、自分の火遊びで母親が焼死したことは、たとえ事実でも、少女には教えられない。
ご近所は そのことをそれぞれの胸にしまい込み、口をつぐんで今日まできた。
だが、それは、深い湖に張った「薄氷」を歩くようなもの。いつ 少女に届くか
わからない 恐怖を秘めた 「謎」だったのである。
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