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★ケラーはRyoを抱き上げ、キッチンのシンクのイスに立たせた。

    「さあ、開けて、飲んでみろ」
  『知らない』
   「知らなくてもいい。やってみろ。動かしているうちに水が出る」

  そんなに強く言ったつもりはなかったが、Ryoはおびえながら蛇口に手を伸ばし 
  た。 片手では開かないらしい。

 (そうか、朝来たときにあふれるように出ていたから…)

 自分がきつく閉めたのだった。しかし、Ryoはそのくらいではあきらめなかった。
  両手を蛇口にのばし、シンクの中に立って、からだをひねるように蛇口を回した。

 思い切り回したのだろう。朝のように、すごい勢いで水がほとばしり出た。
  たちまちRyoのパジャマが胸とすそから濡れていく。Ryoは悲鳴を上げて
  逃げ出そうとした。
 
  ケラーに抱きついてくる。怖いのだろう、またからだが小刻みに震えている。
 ケラーはぐいとRyoのからだを蛇口に向けて、叫んだ。

 「良く見るんだ! 知らなくてもいい。逃げないで、回してみろ!」
 『No! Never! パパに叱られる! ママに叩かれる! お姉ちゃんに刺される!
  怖いよう…』

 「ここにはパパもママもお姉さんもいない。おじさんはキミを叱らない、
   叩かない、針でなんか刺すものか!」

 『本当に? でも、ボクは悪い子でしょう? LoaKolohe だよ? 
    …やっぱりできないよ〜』

 「こんなことに負けてどうする! キミは悪い子じゃない! 
   賢くて、強い子じゃないか!」

 『だって、だって…涙で何も見えないんだもん…できないよぉ』
 「やるんだ! しっかり結果がでるまでは、泣きながらでもやるんだ!」
 『泣いててもやっていいの?』
 「ああ、いいさ。できなくてもいいんだ。やってみることが大事なんだ」

 Ryoは顔を引きつらせながら両手を蛇口に伸ばした。シンクをうならせている
  だけではない。あまりの水量とその激しさに、蛇口はのけぞるように揺れていた。

 回してみる。思い切り開かれた蛇口は、右に回しても左に回しても、
  ほとばしるのをやめなかった。

 『できないよ! やっぱりできないよ! 怖いよ〜!』
 「男の子ならNOを言うな。止めるという気持ちを最後まで持つんだ。
    持ち続けるんだ!  思い続けてチャレンジすれば、きっとキミの思った通りに
    なる。…自分を信じろ。気持ちを強く持って、とまるまであきらめるな!」
 
 Ryoはただ、(とまるまで回してみよう)と思った。
 
  袖口がぐっしょりになり、ぼとぼとと水が落ちていた。
 
 (とまるまで・・・とまるまで)
 
 Ryoは呪文のようにそれを繰り返しながら、蛇口を回し続けた。

 右に回しきったところで、蛇口が動かなくなった。

 (じゃあ、反対・・・)

 Ryoの中で、今初めて(反対)という言葉が明確に意識されていた。そして、
 やっと水はとまった。シンクはうなるのをやめ、キッチンは静まり返った。
 
 ぬれるところが残っていないほどにパジャマをぬらし、Ryoは呆然と蛇口を
 つかんだままでいた。ケラーは小さなその肩に手を置いて、軽くトンと叩いた。
 その手をなめるようにほほをすりよせ、Ryoはケラーの胸にたおれこんだ。

 しがみつきたいと思っていたのかもしれないが、力を出し切った両手は、
 しびれたように動かなかった。

 「よくやったな…。キミはいい子だよ。あきらめないでひとりでがんばった。
  泣きながらでもいいんだ。男の子はそうやって、大人になっていくんだ」

 ケラーは、自分の中からどんどん(父親)が出てきて、しがみつくその子を
 (いおとしい・・・)と思うようになっていた。
 

『虐待の中の光』



★ 時間をかけて階段を下りたRyoは、ドンドンと大きな音で下りてきたケラーを、
    目を見開いて見上げていた。そして、さきほどの「腕」のとき同様、寄ってきて
    ごついブーツをさわってきた。

   かがみこみ、こぶしでコンコンとノックしている。その音が楽しかったのか、
    Ryoは何度かそれを繰り返していた。

   (そんなことぐらい、いくらでもしてあげるのに…これがわが子なら!)

   ケラーは目の前の小さな子が、たまらなく不憫(ふびん)に思えた。

   廊下の真ん中を歩いていたRyoが、キッチンのところで、そこを避けるように
    遠回りをし、急に反対側の壁にからだをつけてうずくまった。

   呼吸が荒い。泣きじゃくるように顔を上下し、そのうち呼吸がおかしくなった。
  息を吸うだけで、吐くことができなくなったようだ。落ち着かせるために後ろから   両腕をまわし、輪を作ってから下腹をグッと強くしめた。

   呼吸の荒さはそれでおさまったが、キッチンを見ないようにしてRyoは
    逃げていく。ケラーの頭の中で、シンクをうならせて蛇口からほとばしる、
    水の光景が浮かんだ。
 
    Ryoのくちびるが乾いて血がにじんでいたのは、食べ物はもちろん、
    水さえまともに与えられなかったせいだろう。

   自分の手やからだを動かすことを禁じられ、蛇口を触ることさえとめられて
    いたとしたなら、閉められずに 朝までそのままになっていたのも理由がつく。
    しかし、男の子だろう。蛇口くらい、自分で開閉できることを、今覚えるんだ!

   ケラーはRyoをキッチンに連れて行き、「開けてみろ」と言った。
   丸いイスを近づけると、Ryoは簡単に上がった。飲み込みも、身のこなしもいい。
 
   (さすが、男の子!) と 妙な感心の仕方をした。

  ケラーも男の子がほしいと思っている。ルイカの次は絶対男の子だと、
   自分に言い聞かせていた。

   「ボク、知らない」 と Ryoが言う。
    「知らないって、じゃあ、どうやって水を飲んでたんだ?」。

   Ryoはシンクの横のカーテンを指差した。
 
   開けてみる。
 
   なんてことだ。汚れた洗濯物が、山のように積み上げられている。
   その奥の方に、銀色の蛇口が見えた。洗濯物をつかみ、次々と廊下に
   放り出す。

  下から、モップを洗うシンクが出てきた。ひねってみる。キッチンより
   貧弱な蛇口から、普通に水が出た。Ryoがきて、床にそのまま据えられている
   シンクのフチに上がり、蛇口をつかんだ。

   そのまま口をつけて飲むのか…小さな子が首をかたむけて直接飲むには、
   ちょうどいい高さだった。

  (それにしても、そこだって、蛇口はひねるだろう)と思い、ケラーは腕を組んで
   後ろから見ていた。

  そのとき、ケラーはRyoの異常さというのではない、観察眼の鋭さと賢さのような
   ものを感じた。

   Ryoは、水の出てくる口の少し上を、軽く指で、トンと叩いた。それが合図の
   衝撃になったのだろう。水が、ちょろちょろと、(ひと口分)流れ出た。
 
   こうして飲んでいたと言うように、Ryoは振り返ってケラーを見上げた。
   明るい、いい表情だった。

  この子は、こうして誰かが使ったこの蛇口から…水を飲んでいたのか。
   それも、おそらくは、家族の目を恐れ、家にひとり残されたとき、
  寝静まったと きなど,静かに階段を下りてきたのだ。

   ドアの前にライティングデスクを置かれても、砂糖とコースターで移動させ、
   気づかれないような、こんな水の出し方を見つけた。冷蔵庫にはカギが
   かけられて、この子が開けられないようになっていた。

  そんなキッチンで、水を飲む以外、どうやって空腹を満たしていたのか…。
   ケラーは切ないものがこみ上げてきて、Ryoを見下ろしていた。
 

『虐待の家』



★  朝食の時間がかなり過ぎているのに、冷蔵庫を開けたわけでもない。
   (おなかがすいた)とも言わず、黙ってこの階段室にこの子は来た。
 
    なぜだ。水が飲みたければそう言うだろう。おなかがすいたなら、
  おなかがすいたと言うだろう。

   ルイカはそう言う。うるさいくらいに言うこともある。この子も、話せなくても、
  ほしい表情くらいはするだろう。それなのに、どうして(ほしい)と言わない? 
     もっとも、ケラーが調べた限りでは、冷蔵庫にあったのは、少しの野菜と、
     空になりかけたケチャップのビンだけだったのだが。

   ケラーは軽くほほえんで、(Mornin')と言ってみた。
     (Good morning, Mr...) 返事があった。
    
にごりのないクイーンズイングリッシュだった。

   「Aloha...O wai kou inoa?」  ときいてみる。
       『O LoaKolohe ko‘u inoa.』。
       (Loa Kolohe!)  うそだろう。そんな名前をつける親はいない。
        自分でつけられる年齢でもないから、そう呼ばれていたのか。
       『たちの悪いクソガキ』と…。

     Ryoを抱き上げたままでは、ドアのスペースは通れない。
 
         ケラーはRyoを下ろし、出るようにうながした。引きちぎられたドアに驚き、
      振り返ってケラーを見上げた。そのまま近寄ってきて、腕にさわってきた。

     2、3回さすりながら、にっこりとほほえんだ。かわいい笑顔だった。
      ブルーの瞳に、ケラーがくっきりと映るほど、それは鮮やかな色だった。

     Ryoがそっと階段を下りている。1段下りて座り、音を立てないように
      また下りる。2歳の子に、そんな下り方を習慣にさせてしまうほど、この家は
      厳しかったのか。ケラーは複雑な思いで小さな背中を見守っていた。
 
 


★  ケラーが引きちぎった 階段室の小さなドアの向こうで、2歳のRyoが ひざをかかえるように
 
   眠っていた。

   (まだ、眠たかった…ということなのか…。キッチンから上がってきて 5分もたっていないのに、
    軽い寝息を立てている。けっこう大きな音で ドアを壊したのに、目を覚まさないのは
 
    どういうことなんだ?)

    近寄ると、Ryoが敷いているのは古いダンボールだった。いつも、ひざをかかえて眠っていたのか、
   Ryoの小さなからだの通りに、ダンボールがくぼんでいた。

  (娘の…ルイカと同じくらいだ・・・)

    しかし、その体重は、彼女の半分くらいしかないことを、ケラーは知っていた。かがんで
 
   その寝顔をのぞき込む。左の親指をしゃぶりながら、Ryoは寝ていた。
 
    からだがかすかに震えている。
 
  怖い夢でも見ているのか、ときおり まゆが悲しそうにゆがんだ。そのとき、ケラーの胸の奥から
 
   (守ってやる!オレが守ってやる!)

  という思いが突きあがってきた。それは、自分でも驚くほどに 熱い衝撃だった。
 
  いきなり抱き上げたせいか、Ryoは驚いて目を開けた。まっすぐにケラーを見ている。
  寝ぼけた様子はない。最初から目覚めていたように しっかりとしたまなざしだった。

   (男の子…だからなのか?)

  ケラーは父親の顔になっていた。

  ルイカはいつも目覚めはぐずる。定まらない視点を 天井や窓にさまよわせて、座っていたベッドから
 
 転げ落ちることもあった。転げ落ちたままのかっこうで  「アロハ…」を言う顔がかわいくて、

  (それがおまえの目覚ましか)

  と笑ってしまうのだったが…。

  (しかし、この子はルイカと違う)

  という当たり前のことを ケラーに教えたのは、Ryoの表情だった。驚いた顔で 自分を見ていたのに、
 笑顔で (だいじょうぶか?)と聞くと、笑顔になった。
 
 それは…驚くことじゃない。しかし、どうだ。 腕の中に抱きかかえてみると、くちびるが
 
 かさかさに乾燥し、いくつもの ひび割れがあるのを発見した。だが、ケラーがふしぎに思ったのは
 
 Ryoの表情だった。

 (どういうことだ?)と 怪訝(けげん)な顔を 自分はしたのだろう。すぐRyoも、そんな表情をした。

  試しにほほえんでみる。やはり、すぐにほほえんだ。怒った顔をする。Ryoはすぐに それを
 
  コピーした。

  (なぜだ? この子は、オレの1秒前の顔を マネている…)。

  ケラーはそれが何を意味するのか、わからなくて とまどった。

 意識してか、無意識なのか、Ryoはみごとに ケラーと同じ表情で 自分を見つめていた。
  




   「お前も張り込みだったのか? 社会部二年目のペイペイが」

   おかしな姿勢で車の中にいたせいか、首筋が痛い。そんなことより、まずメシだ。

   洋介は口の悪い父親には答えず、食卓についた。

   母が病気で亡くなって もう十年になる。家のことは 妹の秋穂(あきほ)が仕切っている。

   「ごめんな…少しも手伝えなくて」

   「気にしない、気にしない。同情するなら、おこずかい 増やして!」

   「ああ〜、わたしも おこずかい アップしてほしい!」

   「まゆみ! 小学生のお前が なんでそんなに 金がほしいんだ? 男か?」

   「そう! アピール競争が激しくて こっちを向かせるのが 大変なの」

   「わかったよ。少しで良いならな」

   「洋介! お前 女に 甘すぎるぞぉ〜。ガツンと言ってこその男だろうが」

   「清美さん・・・オレは無骨で 教養のない男ですが、あなたのためなら男をやめます。

    あなたはそれだけの価値のある女性・・・」

   秋穂はときどき、そんな手に出る。父親が横暴になると、すぐ これだ。父親は

   急におとなしくなって、新聞に逃げる。

   「おねえちゃん? ママの名前って、魔法の言葉なの?」

   六年生になった妹のまゆみが、本当のところを知りたくて、質問をする。秋穂は決まって、

   父のお弁当を整えながら、ニコッと笑う。それだけ。笑ってすませる。

   父が 亡くなった母に ラブレターを書いたとは聞いていない。秋穂の創作でもなさそうだ。

   いや、そんな詮索(せんさく)はどうでもいい。15歳でも もう 大人の女。男を

   黙らせるセリフのひとつやふたつ、知っていても当然だろう。

   「あっ、ごちそうさま! さやか様が登校するから、わたし、行く!」

   開け放した窓から、隣家の玄関が見える。本当にまゆみと同じ六年生なのか、すらっと

   背の高い ポニーテールの少女が、ドアに鍵をかけて 出かけるのが見えた。

   少女の姿を見て 飛び出したのに、まゆみはその後ろ 4、5mを 離れてついて行く。

   「あんだよ…まゆみのやつ、なに考えてるんだ? 

    隣なんだから、並んで歩けばいいじゃないか」

   父親には十年かかってもわかない・・・という顔で、秋穂は弁当箱のふたを閉めた。

   ハンカチで包み、それを弁当袋に入れる。細かなところに気を配り、気を抜かない性格だ。

   洋介は 長い間 母親役をしてきた秋穂を、もう開放してやらないと と思う。しかし、

   六年生のまゆみには、まったく任せられないのが現実だ。

   「あの さやかって女の子、明るく育ったな・・・ウチとおんなじでさ、母親が死んだのによ。

    ウチには、洋介も 秋穂も まゆみもいるけど、隣は 父ひとり 娘ひとりなんだからな」

   「ううん。さやかちゃんには 王子様がついていたの。幼稚園から 四年生になるまでね。

    だから お姫様って呼ばれるほど かわいいレディーに成長したのよね?」

   確かに秋穂は 男を黙らせる情報を、いくつも知っている。洋介は 少し 恐いと思った。

   「洋介は 新聞社に勤めるまで、あの子の足長おじさんだったからな」

   父は 新聞をがさがささせながら、それでも目線は新聞に向けたまま つぶやいた。

   「おとうさん・・・それは ちょっと 違うよ。足長おじさんは 長い間 正体が

    わからないの。おにいちゃんとさやかちゃんは、兄妹みたいに仲良かったんだもの」

   あの火事から 9年がたっていた。結局のところ、出火原因は つかめなかったという。

   しかし、幼いさやかがいた ソファーの クッションが燃えていたという洋介の証言を

   警察は重要視した。少女の将来を重視し 発表はなかったが、「こどもの火遊び」・・・。

   見よう見まねでマッチをすり、誕生日のケーキのロウソクに 点火しようとしたさやかの

   ミス・・・。炎に驚き 火のついたマッチを投げ捨てた。それが クッションの上に落ちた。

   だが、洋介は 見ていた。クッションの火が ソファーを焦がして天井で炎となっていたとき、

   幼いさやかは 両手にマッチ箱と 火のついていないマッチを一本、持っていたのだ。

   理屈に合わない。

   炎に驚いて マッチを捨てたなら、どうしてさらに マッチを持っていたのか。

   それ以上に、彼女の母親が、必死に叫んだ、あの言葉・・・。

   「さやかのせいじゃないから!」

   洋介の差し出した桜の若木をつかみ、必死に訴えていた叫びは、何を意味していたのか。

   その時も、9年たった今も、原因はつかめなかった。

   しかし、自分の火遊びで母親が焼死したことは、たとえ事実でも、少女には教えられない。

   ご近所は そのことをそれぞれの胸にしまい込み、口をつぐんで今日まできた。

   だが、それは、深い湖に張った「薄氷」を歩くようなもの。いつ 少女に届くか

   わからない 恐怖を秘めた 「謎」だったのである。

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