『エーゲ海の夕陽』

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これは、ある老人施設の上品な画家さんに聞いて書いた、ちょっと いえ、かなりハードコア的なお話です。続きを読みたい人はメルアドをどうぞ。お話を送ります

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  丘の途中にあった東屋(あずまや)で ひとやすみ。

  元気になった。

  近くにいたのに、いや、幼なじみなのに、智子がここまで燃える女だったなんて、知らなかった。

  それに、すごく知識が深い。「痴呆(ちほう)老人」のことについて、私はほとんど無知だった。

  おばあちゃんが施設に入ったというのに、一度も訪問していない。顔を、わかってもらえるうちに

  行きたいと思う。ううん、週末に行く。絶対に。

  ここは、話を聞いてみると、本当にユニークな施設だ。

  家を新築して、母親に最高の部屋をプレゼントした息子さんは、三ヵ月後、母親の叫びに

  すっかり落ち込んでいたという。だって、朝のラッシュの通りに向かって、部屋の窓から

 「助けてください! さらわれたんです!」・・・なんて言うんだもの。

  奥さんも疲れ果て、お孫さんもおばあちゃんを恐がり、とうとうこの施設に入ってきた。

  環境が新しくなって、もう叫ばなくなったかというと、当たり! 

  やっぱり、大声で日夜、叫んでいた。

  看護師さんたちが困って、どうしたらいいだろうとケア・マネ、ドクターたちと相談したが

  これといった解決策はなく、そのころ入所してきた「画家さん」が、みんなのうわさ話に

  関心を持ってくれて、ひと言院長に助言。理事たちも「目からうろこ」のアイデアに

  飛びついた・・・らしい。

  でも、本当のところ、画家さんは、かなりの資産家で、彼がその費用を三分の二、

  出してくれるというので、ゴーサインが出たようなんだけど。

  おばあちゃんの住んでた家は、一応売れたんだけど、山奥の田舎のこと、そのままだった。

  画家さんは、その家を、そっくりそのまま、この丘のふもとに運んだ。

  それが、あの「かやぶきの家」というわけ。

  自分の住んでいた田舎の家を、ばあちゃんは散歩してて見つけた。

  驚いたでしょうねぇ。喜んだでしょうねぇ〜。

  表札にはちゃんと自分の名前が書いてあって、部屋の中のあれこれも ほとんどそのままだった。

  ばあちゃんの頭の中は、いきなり半年前にワープ。いきなりフロントに現れて、大量の

  大根を注文したという。

  その大根を、丘の沢から流れてくる小川で洗い、干したり、漬物にしたり・・・。それを

  見ていたおばあちゃんたちが、私も、オレもと群がって、手伝いだしたから、さあ大変。

  話は弾む、大きな笑い声がこだまし、痛くて腰を伸ばせなかったお年寄りも、大根を

  頭の高さに持ち上げて、それはそれは、はしゃいでいたそうな。

  理事会は(これは、施設のウリになる!)と理解したようで、そんな個別化のため、

  知恵をふりしぼって、「以前に住んでいた家の部屋」を再現、移築するプロジェクトを始め、

  マスコミも取り上げて、ここは「老人施設の聖地」になったらしい。

  お年寄りだって、生きがいは大切だ。昔の恋を思い出させる小物が、そこにあるだけで、

  甘酸っぱい感傷にひたることもできる。小川があって、魚もいて、丘があり、潮風が

  わたって行く。

  それに、大きなゲートも設置していない「古民家地区」は、近隣の子供たちも自由に入れて、

  散歩の人たちや見学者には、東屋も解放されている。もちろん、見えないように、一応、

  監視カメラはあるようだ。

  またまた「画家さん」のアイデアだというが、ここの道は、右半分が「土の道」。

  左半分は「アスファルト」で、歩く人が自由に選べる。ゆるやかなスロープもあって、

  電動のエコカーで、移動も楽にできるという。

 「こわれた心」が、少し元気になる方法は、あるようだ。その謎を解く方法を、智子は

  論文にしている。

  う〜〜ん。私のテーマも、ここに転がってるのかもしんない。

  まだ、白紙状態。ワープロが・・・じゃないよ、私の頭の本棚が、真っ白け。

  アイデアさえ浮かんでいない。

  画家さんに会うと、グッドアイデアがうまれるかもよと、智子は笑った。

  う〜〜ん。画家さんは、イケメンだっていうし、さゆみもがんばってみますか。

  食べ物につられないで動くって、けっこう私の趣味じゃないんだけどね。

 

『おむすびと修羅場』



   どこでも老人施設って、広くてきれいな門があって、素敵なエントランスに

   続いているのに・・・。絶対、智子が道まちがえたと思った。

   でも、研究論文書くって、月2で通ってんだから、まちがえるわけないよね。

   ここは変わってる。門なんて、特別なくて、いきなり「古民家」、わらぶき?

   かやぶきだもんねぇ〜。おときばあちゃんの入ってる、なんとか徳養ホームとは

   ぜんぜん違う。

  「智子さ〜ん、お茶でも飲んでいかんかねぇ〜」・・・だもんね。おむすびだってもらっちゃう。

   その日、私、永末沙夕美(ながすえ・さゆみ)は、同じゼミで、幼なじみの

   弥栄智子(やさか・さとこ)と老人施設に向かった。

   四日前の飲み会でのことだ。智子が酔った勢いでテーブルなんか叩くもんだから、

   お銚子が倒れ、倒れたお銚子がころころ。

   それを、智子が、思い切り「ガシャン」! 

   お酒はこぼれるは、手は切れるは・・・恐い、恐い、酔っ払いは・・・。

   で、自業自得、聞き取り調査の記録を出来なくなった智子の右腕代わり・・・

   私が連れ出されたってわけ。週三のハンバーガーと、合コン用ドレス、イケメンの

   おじ様を紹介してもらう条件でね。

  「ねぇ・・・智子。向こうに見えるの、エントランスじゃないの?」

   坂を上って、少し見晴らしが良くなった私の視界に、色鮮やかなレジデンス風の門と

   おしゃれにそびえる、素敵な色合いの建物が、目に入ってきた。

  「そうよぉ〜、あれも玄関。滑走路並みの高級アスファルト使用の広い道路、豪華なホテル

   みたいなフロントがあるわ」

  「じゃぁさ、じゃぁさ、なんで、向こうにしなかったわけ? 近いじゃん、あっちの方が、

   絶対近いじゃん! わけわかんない!」

  「なに怒ってんの? 私はみどりおばあちゃんのおむすびがほしかったの。いつももらうから。

   それにさぁ、さゆみと約束したじゃない? 素敵なおじ様を紹介するって」

  「あ・・・そうだった。おなかいっぱいになったら、つい、怒りっぽくなって…」

  「なに、それ、普通反対じゃない?」

  「私、おなかがすいたら、怒る元気もなくなって、イライラする前に全身の力、抜けるから…

   それに、すぐ眠っちゃうし」

  「わかった、わかった。その普通じゃないとこ、神崎さんに相談してあげるよ」

  「シンザキ、さん?」

  「そう。神崎と書いて、シンザキさん。画家さんだけど、世界中を見て周ってるから、

   建築にもくわしいし、お話も面白い。超アイデアマン。この施設を知れば知るほど、

   その偉大さがわかるよ」

  「偉大さ!? 偉大さときたか・・・。なんだか、神がかってない?」

  「会うまではね、みんな、そんなもんよ。私もそうだった。でもね、そのころケア・マネが

   頭を抱えていた3件のトラブルを、たった10分で解決したの、神崎さんが。

   目の前でそんなすごさを見せれられたら…。その10分で、私、こんなおじいちゃんも

   いるんだって、天地がひっくり返ったわ」

  「トラブルって?」

  「聞きたい?」

  「もちろんよ・・・そのすごさってもんを、知りたい、私も」

  「吐くよ! ・・・話だけでも。免疫ないでしょ、さゆみは。お嬢さんだから」

  「あら、わたくしは、最初からお嬢様では、ありませんことよ。ちっちゃな地獄くらいは

   見てきてるもの! 教えなさい」

  「ひとりの暮らしだったおばあちゃん、家を新築した息子さんの大都会に、引越ししたの。

   やさしい息子さんでね。日当たり最高のきれいな部屋に、おばあちゃんを住まわせた。

   で、三ヵ月後、幸せに暮らしているはずのその人が、叫びだしたの、窓を開けて!」

  「なんて?」

  「助けてください、さらわれてきたんです・・・ってね」

  「ゲッ・・・。なんで? やさしい息子さんがいて、日当たり最高の部屋に住んで、

   何が不服なの?」

  「二人目は、元大学教授のおばあちゃん。いきなり隣の家に駆け込んで、嫁が私の宝物を

   盗るんです。あずかってくださいって叫んだ・・・」

  「また叫ぶんだ。・・・宝物って?」

  「聞いてびっくり。使い古したやかんとかなべ、キッチン用品・・・」

  「ゲゲッ! ・・・なんでそんなのが宝なの? 駆け込まれた家って、すごい迷惑」

  「三人目は、上品なおじいちゃん。いつも、真っ白のYシャツとプレスのきいたズボン、

   蝶ネクタイなんかしめて、すごく素敵なの。でも、娘さん夫婦やお孫さんがここを訪問して、

   帰った後に、必ず、必ず、それをするの。さゆみの言い方をすると、ゲゲゲゲゲゲッ!って

   ゲッの15乗くらいある、ひどいこと・・・

  「なによ〜、そこまで言っといて、隠さないでよ!」

  「吐いても知らないよ。・・・吐く用意はいい?」

   何よ・・・。話を聞いただけで「吐く」なんて話・・・そんなことってあるの?

  私は、ゴクリって、あれっ? 生つばごっくんって、人生初めてかな。

  「部屋でね、尿瓶(しびん)に顔を突っ込んで、自分のおしっこを飲み干し、

   大便を食べちゃうの」

  ・・・ ・・・ ・・・

  吐いた。本当に、話を聞いただけで、吐いた。痴呆老人のことは知っていたけど、

  月2で通っている智子の言い方は、真に迫っていた。どんな映画監督でも、一発でOKを出す

  だろう、そんな迫力のあるセリフの言い回しだった。

  私は、坂道を少し上ったところの東屋で、頭を冷やした。智子が名水を取り出し、それで

  ハンカチをぬらしてくれた。

  「どう? 気分、なおった? こんなこと、施設では、日常茶飯事なんだよ。

   看護師さんって、ホント、よくがんばってるよ」

  「・・・ねぇ・・・そんな人たちのトラブルを、神崎さんっていう、元画家さんが、

   10分で解決したって言うの?」

  「そう。家とおんなじことを、施設でもやってた。そんなおじいちゃん、おばあちゃんのために

   出してくれたアイデアで、二人のおばあちゃんは二度と叫ばなくなった。おじいちゃんは

   二度とそれをしなくなった」

  「・・・どう・・・やったの?」

  「聞きたい?」

  「いや、聞く元気ない・・・。キャンパスに帰ったら、元気出そうだから、その時聞く・・・」

  なんだか、すごい所に来てしまった。聞き取り調査をして、智子はそれを記録してるんだけど、

  修羅場の連続なんだろうね。

  あ・・・私も話、聞かなきゃいけないんだ。どうしよう? それを書くんだよ、今日は!

  助けてよぉ・・・。

  私がすご〜く焦ってるにもかかわらず、丘をわたってくる風はさわやかで、かすかに

  潮の香りがしていた。




  私たち幼なじみは、相変わらず、いちゃいちゃしながら施設の門に着いた。

  いや、着いたはずだった。

  なんと、目の前に現れたのは、明治、大正、昭和からあるような、古民家!

  ワラの分厚い屋根が軒下まであって、古ぼけた縁側、濡れ縁に、魚まで干してある。

  周囲は「土」で、どこが玄関なのか、丸い敷石が点々と続いていた。

  今にも「おばあちゃん」が出てきて、昔話なんか、こく感じだ。

  「あんれ、智子ちゃん・・・またきなさったのけ」

  「うわっ、やっぱり出た!」

  そんな必要はなかったけど、私は思わず智子の広い背中に隠れてしまった。

  「あれって、出刃包丁っていうんじゃない? 春の旅行のとき、旅館で見たよ。

   仲居さんが、(包丁入れてありますから)なんて言うんだもの。怖くて数分、

   みんなで魚をつっついてさぁ…。結局は、入ってなかったんだよね」

  「すごいねぇ、さゆみって・・・。少しの刺激で、パパッって、エピソードを

   語れるんだからね・・・」

  そう言った智子は、ツツツ・・・と前に出た。

  対決するのか? ばあちゃんと!

  「私さぁ、手首痛めちゃって・・・。だから親友、連れてきちゃった」

  「あらあらあら…。あとでキャベツ巻いて、いんや、馬肉の方がいかんべか」

  やけどじゃないっつうの! あ…どうしてそんなこと、思い出せるんだろう。

  智子はおばあちゃんに「おむすび」をもらい、「ハイ」と私にも手渡した。

  「ねぇねぇ・・・道、間違ったんじゃない? それとも、寄り道?」

  「何がよ」

  智子は手とほほに、いっぱいごはんつぶをつけながら、笑顔で聞いてきた。

  「老人施設の正面玄関を目指してたんだよね? なのに、どうして古民家なの?

   どうしたって、迷ったでしょう?」

  「別に〜ぃ。ここが正面玄関だもの」

  「いやいやいや…やっぱ、間違いでしょう。誰が見たって、美しくてすばらしい施設の

   正面玄関には見えない! きっぱり言うけど、見えない!」

  私は、胸をそらしていばった。

  「悪い〜、これが正面玄関だけど〜」

  「何よ、恋人をけなしたってわけじゃないでしょう? ふてくされていないで、

   わかるように伝えてよ。友情のあかしにさ」

  「これが、この施設のウリなの」

  「ウリ? これが?」

  「さゆみ好みの、きれいな、ハイテクを駆使した近代建築の建物は、丘の上にあるわ。

   そして、ここには古民家もある」

  「どういうこと? まだ、話が見えてこない」

  「もちろん素敵な建物にあこがれて、入所するお年よりも多いらしいわ。

   でも、それと同じくらい、自分が生れ住んでいたころの古民家がなつかしいっていう

   人も多いの。ここでは、自分が暮らす部屋の造りを、自分で選べるのよ。

   ほら、ひとり田舎に残されて、息子、娘が(一緒に暮らそう)って声をかけることって

   あるでしょう」

  「うん。ある、ある」

  このしゃべりは、何を語るのだろうと、私は智子のくちびるを見つめた。ほほや口元に

  ご飯粒をつけた顔じゃ、説得力が弱いのだけれど、何か、すごいことを語りそうな目をしてた。

  「そんなとき、思い出も、一緒に暮らした家族の出来事も、いっぱい詰まったふるさとを

   捨てなきゃならないの、みんなね」

  確かに…。

  転勤族だった私の家族は、みんな、いやというほど親しい人との別れの体験している。

  兄貴なんか、友達ができたと思ったら転校するから、もう友達なんかいらないなんて、

  オヤジに食ってかかってた。

  「だからね、この施設に入ってくる人には、住んでいたときの家の様子を、この施設内に

   完全復元して、そこに入居できるようにしてるの。すごいでしょ。

   もちろん、快適な部屋は、全員に与えられる。でも、朝起きたら、暮らしたい家や、

   お好みの建物に、出張できるのよ。

   古民家が好みの人は、そこに集まって、囲炉裏をかこんだり、かまどで料理をしたり、

   畑で野菜や花を育てたりできるの。長期滞在も可能なんだよ」

  そうか。そういうことか。だんだんと、話が見えてきた。

  入居者は、きれいでさっぱりした近代的な個室に入れられ、昔を忘れて暮らすのじゃないって

  ことだ。住む家を、自分で選べる。なければ、育った家を復元してくれて、なつかしい我が家で

  暮らすこともできるのだ。

  住む家が快適なら、暮らしだって豊かになる。年齢やからだにあわせて、畑仕事や、炊事、

  おやつ作りだってできちゃうのだ。

  新しい家や、ホテルのような部屋がお好みなら、それは、丘の上にあって、海を眺められるほど

  素敵なんだそうな。

  それにしても・・・いきなり古民家だなんて、話を聞いて圧倒されてしまった。

  なんでも、若いときに、エーゲ海の島に暮らしていた画家さんが、アイデアマンで、

  そのアイデアを全面的に取り入れて施設造りをしたとたん、ここは大人気になったそうだ。

  確かに、「衣食住」が幸せに満たされれば、こんなうれしいことは、ないのだから。

  なんだか、その画家さんに、会いたくなってしまった。




  「ねぇねぇ・・・まだ歩くのぉ〜」

  智子は「剣客」、いや、間違い、「健脚」だ。老人施設に続く坂道を

  休まずどんどん上ってく。私はもう、さっきから、ひざがプルプルしてきた。

  なんとなく腰が痛いし、第一、アスファルトの道をがんがん歩くと、そのたびに

  ひざに(500キロ?)、激しい衝撃が走るって、言ってなかったっけ? テレビで。

  あ・・・嫌いなテレビを先生にした発言、私、しちゃってる。おばさんみたい。

  「もうすぐ三時よねぇ〜。間に合うと、いっつも素敵なおやつをいただけますのよ」

  「あっ、元気が出たなぁ〜。若い力がわいてきましたよ」

  おやつと聞いてはしかたがない。それは私をやる気にさせる、二番目のアイテムなのだから。

  「ホ〜ント、お兄さんの言うとおりだ。わっかりやすいんだね、さゆみは」

  「なによ〜、兄貴のことなんか持ち出して・・・」

  「ええ〜っと・・・なになに? 小さいときから、どこででも眠る。眠ったら起きない。

   そんなときは、耳元で、(食べよっかなぁ)と言うべし。飛び起きる。

   さゆみをその気にさせたいときは、まず、食べ物の話をするべし・・・だって」

  「なによ〜、べし、べしって! その秘密の攻略本みたいな手帳は・・・。

   あっ、この間、ウチに来たとき、兄貴に聞いたな? 

   やけにベタベタしてるって思ってたら〜こいつ!」

  「ああ〜、そこ、そこ・・・感じるわぁ〜。そこ、肩こりがきつくってさぁ」

  「このこのこの! べしべしべし!」

  「ちょっとぉ〜、もうすぐ三時だよ。素敵なスィーツ、逃してもいいの?」

  「そうだった。いちゃついてる場合じゃない」

  私たちは、お互いを追いつ、抜かれつ、抜かれつ、追いつしながら、施設の大きな門に

  たどり着いたのであった。



  



  「お願い! 今日だけ一緒に行って!」

  研究レポートを書くため、老人施設に通っている智子が、キャンパスのベンチで叫んだ。

  ハンバーガーにかじりつこうとした私に、土下座までして頼み込んできた。

  まあ、右手にまいた白い包帯が、痛々しいっちゃ、痛々しいんだけど。

  「考える。せめて、ひと口、食べてからにして。

   おなかがすくと、脳みそまでカラになるの、親友なら知ってるでしょ?」

  「そうだった・・・。ひと口待つ。でも、もうすぐ、電車の時間だから・・・」

  私はそんな智子のブツクサを耳には入れず、口に広がるロコモコ味を思い切り

  想像し、それをジューシーなソースにして、パクついた。

  バーガーを食べるにはコツがある。ケチャップやマヨネーズや野菜の汁や肉汁を、

  いかにこぼさず、口からはみださず、あごやTシャツを汚さないで完食するか、

  そこに経験差と思想性の高さがうかがえるというものだ。

  確かに・・・(痛い!?)・・・私の空想、いや、食べ物に限っての妄想は、突然終わった。

  「な〜にするのよ! 大切な最初のひと口を、飲み込んじゃったじゃない!」

  「まだ7分の1はあるでしょ。急いでるのよ!」

  「親友ならわかるでしょ? 人生は惰性よ。最初のひと口が最高なの。次からは

   おいしいバーガーを食べられてうれしい・・・という記憶を手がかりに、惰性で

   食べるだけなんだから・・・」

  「さゆみ・・・うざい。私、困ってるの。右手を痛めて、記録できないの。

   ボイスレコーダーに録ってもいいけど、起こすのが大変なの」

  「じゃぁさ・・・私がベンチをけって電車に飛び乗るくらいの、交渉術を駆使しなさいよ。

   条件によっては、プライドも空腹も押さえ込んで、あなたの右腕にだって、なんだって

   なれるんだから! どう? ネゴシエーターさん?」

  「おお〜! 私が悪かった。親友という事実に甘えきっていた。

   さゆみったら、そのハンバーガー精神…うん? ハングリー精神、あいかわらずね。

   よし、キミの腕を借りたい。報酬は…週3回、ハンバーガーをおごる。

   借りたいって行ってた合コン用の服も貸す、ただで!・・・どう?」

  「もうひと声!」

  「あなた好みの素敵なおじ様を、紹介する!」

  「乗ったぁ〜! 行くよ、なにいつまでも土下座態勢なのよ。

   遅れるよ」

  とそのとき、私は、後ろからドタドタ追いかけてくる智子の言葉に、妙な期待を

  かけている自分に気がついていた。

  父を5歳の時に亡くしていた私は、ついつい年上の男性に、「恋心」よりも、

 「父性」を強く求めてしまう。

  …きっと、父にかけてあげられなかった言葉を、その人に言ってあげたくて、

   そんな疑似体験を、強く心が求めているから・・・だろう。

  もちろん、これは、心理学ゼミの教授の分析で、3回生の私の未踏の世界の分析だ。

  でも、今、そんなすてきなおじ様が目の前に現れたら、きっと「恋」しちゃうだろう。

  私はそのとき、本当にそうなるだなんて、まったく知らずにいた…んだけどね。

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