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羽田空港展望デッキにて・・・・ |
人を育てる
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中国新聞より |
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若者の理科離れが進んでいると言われている。 |
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「戦争を知らずにぃ〜♪僕らは育ぁったぁ〜♪・・・・・・」そんな歌があったな・・・・ 1945年8月6日午前8時15分・・・・・・・・・・広島に最初の原子爆弾が投下・・・・・7万人以上の人が即死・・・・・・・・・・・・・ その3日後の8月9日・・・・・長崎に二発目の原子爆弾が投下された・・・・・・・死者4万人近くが即死・・・・・・・・・・・・・・ 神風特攻隊・・・・・・「剣(つるぎ)」と言う特攻機、片道燃料しかつめず、車輪も離陸と同時に切り離し、戻ることも出来ない悲しい飛行機・・・・10代の若者たちの多くがこの犠牲者となった・・・・・・・・ 人間魚雷に「咬竜(こうりゅう)」と言う、魚雷を二本積み、発射後そのまま突っ込む潜水艇もあった・・・・・・・・・ 「震洋(しんよう)」と言う、モーターボートのような船。ベニヤ製で、船首に火薬を詰め、夜、敵艦に突撃して行った・・・・・・・・・・・ 陸軍でも、人間が戦車用地雷を抱いて、戦車の下に潜り込み爆発させた、自爆行為・・・・・・・ そして・・・・・・・・・・・・・8月15日・・・・・・・・戦争は終わった・・・・・・・・・・・・・・・・ 多くの犠牲者を生んだ戦争・・・・・ 私の祖父は戦争でシベリアで捕まり、中国の延吉(えんきち)と呼ばれるところに収容され、冬になると氷点下になる、その延吉で、毛布一枚もなく、寒さに震えながら死んでいったと・・・・・・・・・・・・・・ 32歳で戦死した・・・・・・・・・・・ 祖母のお腹の中には父の弟が入っていた・・・・・・・・・・ 当時父は5歳・・・・・・・・・・・ そんな中、祖母は無事に帰還した祖父の友人から、戦死したことを告げられた・・・・・・・・ あれから、55年の歳月が流れ・・・・・・・・・・・・・ 父と、父の姉・・・・・・・そして、当時お腹にいて、自分の父にすら会えなかった弟の三人で中国の延吉へ足を運んだ・・・・・・・・・・・ 今尚、中国の延吉のその収容所は立ち入ることが難しい・・・・・・・・・・・・・ 多くの遺体が未だにきちんと埋葬されていない・・・・・・・・・・・・・・ 紙くずのように遺体が重なり合って、穴の中に放り込まれているだけ・・・・・・・・ その現場を父たちは幸いに?見ることができた・・・・・・・・・ 姉はその現場に入るなり、崩れるように号泣した・・・・・ 父は呆然と立ち尽くし・・・・・・・・・弟も、その後ろで泣いていた・・・・・・・・ 多くの悲しみを残す戦争・・・・・・・・・・ そこからは何も「幸」は生まれなかった・・・・・・・・・・・ それでも、今尚 世界の各地で戦争をしている・・・・・・・・・・・ そこから、一体何が生まれるのか・・・・・・・・・・ 多くの人が思っている・・・・・・・・・・ もう二度としてはならない・・・・・・・・ もうすぐ終戦62年目を向かえる今・・・・・・・・・・ 今度は、見えない戦いに終止符を打たなければならない・・・・・・・ 今度の相手は自分自身・・・・・・・・・・・・・・ 見えないがゆえに打ち勝つのは難しい・・・・・・・・ もう、先延ばしにはできない・・・・・・・・・・・「 地 球 」のために・・・・・・・・・・
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