全体表示

[ リスト ]

国語教育の大切さ

5月9日(日)
 「国際社会はオーケストラのごときものである。オーケストラに「チェロとビオラとバイオリンを混ぜた音を出す楽器で参加したい」と言っても、拒否されるだけである。オーケストラはそのような音を必要としていない。
 バイオリンがバイオリンのように鳴って、はじめてオーケストラに融和する。国際社会では、日本人としてのルーツをしっかり備えている日本人が輝き、歓迎されるのである。根無し草はだめである。」
  藤原正彦「祖国とは国語」より
 
 ルーツをしっかり備えている日本人になるために、藤原氏は国語教育の充実を掲げている。
 「祖国とは国語である」という言葉がある。
 これはもともとフランスのシオランという人の言葉らしい。確かに祖国とは血でない。どの民族も混じりあっていて、純粋な血などというものは存在しない。祖国とは国土でもない。ユーラシア大陸の国々は、日本とは異なり、有史以来戦争ばかりしていて、そのたびに占領されたりしている。にもかかわらずドイツもフランスもポーランドもなくならない。祖国とは国語である。ユダヤ民族は二千年以上も流浪しながら、ユダヤ教とともに、ヘブライ語やイディッシュ語を失わなかったから、二十世紀になって再び建国することができた。
 祖国とは国語であるのは、国語の中に祖国を祖国たらしめる文化、伝統、情緒などの大部分が包含されているからである。血でも国土でもないとしたら、これ以外に祖国の最終的アイデンティティーとなるものがない。
 
 フランスのドーデーという作家の「最後の授業」の中に次のようなシーンがある。
 普仏戦争でドイツに占領されたアルザス地方の、小さな村の小学校の話である。
 占領軍の命令でフランス語による授業が打ち切られることとなり、最後の授業が行われた。
 老先生の教室には、子供たちのほか、かつての教え子である村人たちもやってくる。授業の最後に、先生は、悲痛な表情で「国は占領されても君たちがフランス語を忘れない限り国は滅びない」と言う。
 そして黒板に大きく、「フランス万歳」と書き、黒板に向かったまま「さあみなさん家に帰りなさい」と言う。
 この短編の中で、ドーデーもまた、祖国とは国語だ!と叫んだのである。
 
 聖書でもこういっている。
「はじめに ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
 このことばは、はじめに神とともにあった。
 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち一つとしてこれによらないものはなかった。
 このことばに命があった。」 聖書「ヨハネによる福音書・第一章」より
 
 「国際人の育成」を掲げる今こそ、戦前に比べ、三分の一になった小学校の国語の授業数を見直す必要がある。

閉じる コメント(1)

顔アイコン

小田島さん、こんばんは!
世界に出て諸外国と関わると、それぞれ育ってきた背景が違うから一筋縄で行かないことを最近もお年寄りの方が教えてくれました。よその国の良い点も沢山あるでしょうが、日本人として不当な扱いを受けることもしばしばあると思います。その時の武器は日本人としての根拠ある誇りを持つことだと改めて思いました。

2010/5/13(木) 午前 1:09 [ ぽこみ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事