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小田原マンションスクエア

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我が家のポストに1枚のチラシが投函されました(上記写真・同チラシ)。

小田原の街の中心街、「栄町1丁目」のスクランブル交差点にできる新築マンションのチラシでした。

大和ハウス工業株式会社東京本店の事業主・売主になっています。

マンション名は「プレミスト小田原栄町」です。

近隣ですと、川崎市高津区溝の口や、湘南辻堂などに建設されています。

建設予定のマンションは、敷地面積約923㎡(約279坪)です。

RC造14階建で、総戸数は51戸、間取は3LDK基準です。

各戸の専有面積は、約68㎡〜約77㎡、駐車場は18台です。

販売価格や管理費、修繕積立金などは、すべて未定です。

来年の1月下旬に事前案内会を開催、販売開始は来年3月下旬、完成予定は2020年7月下旬です。

すべてデータは、チラシから摘出しました。

同物件のホームページのタグを貼っておきます。

 

以前から話にあがっていた新築マンションが具体的に動いてきました。

新幹線マンションの建て替えと同様に、注目を集めていました。

こちらも噂の域を超えていませんが、タカラレーベンと万葉の湯が主体となり、数年掛けて壊して建て直すという話が出ています。

販売価格は5000万円前後とか、元々の居住者(所有者)は、いくばくか割安で買えるとか…。

すべて裏を取っているわけではない話ですけどね…。

 

そして2棟の新築マンションを考える時、気になるのは「完成予定年月」です。

来年以降になるでしょう。

これが重要です。

来年5月をもって、新年号になります。

皆さんご存知の通り、今年が平成最後です。

来年以降完成した建物は「(新年号)元年」という建築年数になります。

ということは、乱暴な言い方をすれば、平成築の建物は「型落ち」になります。

「平成27年築・美麗マンション」という表現のパンチが弱くなります。

 

戸建でも同じです。

平成一桁築の中古戸建は、すでにインパクトが弱いですが、来年以降より弱くなります。

ハウスメーカーも、そのことを知っています。

マンションを建てる会社も、そのことを知っています。

だから、急いで建てることもなく、(新年号)2年の2020年築なのです。

 

さて、このページは中古マンション売買を中心にした情報サイトです。

来年以降、平成築の販売価格は、大きな波を受けます。

中古不動産市場、特に中古マンションは、全国的に大きな波を受けます。

売るにしても、買うにしても、新年号を前に、「平成」な気持ちを持って、見極めが必要です。

 

□来年になったら、平成築のマンションは「型落ち」。

 

▼小田原マンションスクエア・ホームページ

※プログの無断転用を禁止します。記載日/2018.11.15

【筆者/アイハラユウスケ】情報サイト『小田原マンションスクエア』企画者。神奈川県小田原在住の団塊ジュニア。神奈川県のミニコミ紙在勤後、東日本大震災の日に退職。以後地元で不動産業に携わる。「不動産のことを、お客様と同じ目線で考える」ことを信条に仕事に従事している。宅建主任士・住宅ローンアドバイザー・3級ファイナンシャルプランニング技術士・プロマジシャン

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不動産屋に勤めていると「羽振りがいいんだね」とか、「儲かっていいね」と言う人がいます。

私自身もそうですが、他業種から飛び込んでくる人も多いです。

私事で言えば、7年前に転職する時に、たまたま就職できたのが「不動産業」だったのです。

前会社の先輩だった元不動産業の人が、「人生最大の買物の手伝いができるって、すばらしいじゃないか」という言葉に、ころっと、いってしまったわけです。

でもこの業界に飛び込む多くの方が、「手っ取り早く大金をつかめるから」と考えているようです。

語弊のある言い方ですが、「転職して不動産屋になりたいんだけど」と相談する機会があるたびに、そういう空気感を感じます。

 

さて本題に入ります。

不動産業が儲かるか?の問いですが、私の答えは「場所による」だと思います。

切り口を変えれば「今の時代、小田原で不動産業をやっているのは大変」ということです。

私がこの業界に入ってから、多くの宅建の資格を持った営業マンが、相模川を越えて、東進していきました。

「小田原では勝負にならない」と言う言葉を残した人もいます。

会社で聞いた話ですと、小田原は10年連続で地価が下がっています。

南足柄などの近隣も、箱根や湯河原などのリゾート地も同様です。

逆に、東京や横浜の地価は上がっています。

同じ一軒のマンションの売買で、販売価格が倍違ったら、仲介手数料も、歩合も倍違います。

良くも悪くも数字で動いているのが不動産会社です。

そのあおりを受けて、小田原市を中心に、不動産業を縮小、廃業するところも増えてきています。

そのぐらい、小田原の不動産業界は疲弊しているのです。

逆に、東京や横浜の不動産業界は活況を迎えています。

転職サイトでも、多くの求人を出し、魅力ある言葉を並べます。

 

何でこんな話をしているかと、説明します。

先日、担当しているお客様から、こんな相談を受けました。

「どうやって、いい営業マンと、悪い営業マンを見分ければいいの?」。

私は「お客様の顔がお金に見えているか、いないかではないの」と話しました。

お金しか考えていない人は、売ったら終わりです。

売った後、そのお客様からはお金は産みませんし、クレームと言う余計なことを言い出す人が多いと思う営業マンはいます。

不動産の売買は、売った後=住みはじめた後が重要なはずです。

 

この営業マン、大丈夫かなぁ、と言うときに使う魔法の言葉があります。

「私がこのマンション買ったら、あなたはいくら儲かるの?」。

ちゃんと数字を答える人も射ます。

濁す人もいます。

金額を聞いて、安い、高いと感じる人もいます。

ある程度の指針にはなるでしょう。

 

□「マンション買ったら、あなたはいくら儲かるの」と聞いて見る。

 

▼小田原マンションスクエア・ホームページ

※プログの無断転用を禁止します。記載日/2018.11.11

【筆者/アイハラユウスケ】情報サイト『小田原マンションスクエア』企画者。神奈川県小田原在住の団塊ジュニア。神奈川県のミニコミ紙在勤後、東日本大震災の日に退職。以後地元で不動産業に携わる。「不動産のことを、お客様と同じ目線で考える」ことを信条に仕事に従事している。宅建主任士・住宅ローンアドバイザー・3級ファイナンシャルプランニング技術士・プロマジシャン


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小田原の不動産業界では、二つの新築マンション計画の話が一部で盛り上がっています。

一つは、小田原駅西口ロータリーに建つ新幹線マンション(正式名称・小田原駅前分譲共同ビル)の建替え。

もう一つは元モスバーガー(現ピタットハウス)やりそな銀行があるスクランブル交差点に建つ、新築マンションです。

ここからの話は噂の域と言うことを前提に記載しますが、新幹線マンションは、2年掛けて壊して建て直す構想で、主体は、万葉倶楽部が取り持つ予定。

マンションブランドは、タカラレーベンかナイスと言う話で、一部屋5000万円前後の価格帯とのこと。

後者は、10階以上の高層マンションで、1階などはテナントが入る見込み。

価格帯は新幹線マンションと同じぐらいだと思われる。

このような話が、銀行関係や建設関係から、ポロポロ聞き漏れてきています。

「あのマンションほしいと思ったのに、もう売れちゃっているじゃない!」とご立腹の方もおられるでしょう。

でもこの業界は、横入り・出来レース・順番ズルは当たり前。

何で、そんなことが許されるかは、①その人に売らないと土地とか権利とか境界とかで問題が出るから文句言われないため②お金のため、なのであります。

 

さて、枕はそのくらいにして、本題に入ります。

小田原の中古マンションを検討する方の中で「占有面積の広さ」を尺度にしているからが多くいられます。

70㎡以上とか、80㎡以上とかです。

以前プログで、「その面積の根拠は何ですか?」と言う話を、プロ野球の野村監督の話を題材に話をしました(小田原マンションスクエア・プログ・2016920日「あなたに合った部屋の広さは?」。

今住んでいる部屋より大きいですか?何畳分ですか?という、別な数字でも落とし込んでおくと、考え方がより具体的になります。

インターネットの物件サイトで、「広さ」の項目で70㎡という項目があり、それを見ていると広そうだから…というのが大半の理由だと思います。

 

でも、そのハードルが思いのほか高いと思っている方は少ないはずです。

平成30年10月7日現在、不動産業界の物件サイト「レインズ」からのデータです。

小田原市内流通の中古マンションの数=74件(重複あり)

70㎡未満の物件=40件(重複あり)

70〜80㎡=22件(重複あり)

22件は、11種のマンションで形成され、そのうち平成築のマンションは7つ。

マンションの名前を見れは、「あぁ〜昔からネットに乗っているよね…」と言う声が上がることでしょう。

中々物件がないのです。

だから、市外の人で「小田原ぐらいの緑豊かな(本音=田舎)だったら、戸建と変わらない広さの駅前のマンションが1000万円ぐらいであるでしょ」という考えの方がいます。

こういうことを平気で言う人が月1回ぐらい来ます。

 

都心などの都会と小田原では住居の捉え方が違います。

都会では50㎡でもファミリータイプとして販売します。

3帖のスペースでも納戸ではなく部屋となります。

20坪の広さの土地に3LDK3階建が建ちます。

小田原は違います。

広さを求める人は、戸建てを買います。

建売でも90㎡以上ありますから、ニーズは満たされます。

街の中心街では、中々物件が出てきません。

マンションを買う人は駅や三の丸小学校への利便性です。

 

しかし、ここで大きな問題が出てきます。

小田原のマンションを建てるのが、都会の考え方を持ち合わせた建設会社です。

だから、シングル向けの50㎡以下の部屋を作ったり、60㎡基準でファミリーサイズを作ったりします。

近年新築されたマンションは改善傾向にありますが、バブル期に建設されたマンションは、その傾向は高いといえます。

私たちが良く言う「広さ感がない」と言う物件になるわけです。

 

□大事なのは数字上の広さと、間取などの「広さ感」。

 

▼小田原マンションスクエア・ホームページ

※プログの無断転用を禁止します。記載日/2018.10.7

【筆者/アイハラユウスケ】情報サイト『小田原マンションスクエア』企画者。神奈川県小田原在住の団塊ジュニア。神奈川県のミニコミ紙在勤後、東日本大震災の日に退職。以後地元で不動産業に携わる。「不動産のことを、お客様と同じ目線で考える」ことを信条に仕事に従事している。宅建主任士・住宅ローンアドバイザー・3級ファイナンシャルプランニング技術士・プロマジシャン


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※写真は、土木図書館ホームページ「土木貴重写真コレクション」から転用いたしました。

 

前回のブログで「小田原の近代災害の歴史は、関東大震災だけではない」とお伝えしました。

読者の多くが、「関東大震災以上の地震や津波が襲ったんだろう」とお思いでしょう。

タイトルに書いておりますが、明治35年9月に「小田原大海嘯」という未曾有の大災害が起こっています。

「おだわら だいかいしょう」と読みます。

「海嘯」は高潮による高波被害を指します。

上記の写真は被災後の小田原町旧小新宿(現浜町だと推察されます)です。

津波と混合されることもありますが、別のものです。

 

では、小田原大海嘯の様子を箇条書きに記載します。

●同年9月4日午後から大波が小田原市を襲い始める。翌5日には建物半壊10戸、全壊4戸、床下床上浸水100戸、負傷者数名を出す。

●その後、9月の月末まで、大波が断続に襲う。

●最大の被害が出たのが9月28日。前日までの足尾台風が通過。午前10時ぐらいまで風雨が強かった。午前11時ごろ雨は収まったが、そのときに満潮を迎える。昼前後から、大波は堤防を越えて市内に(高さは数尺との記載)。

●大波は約2時間も続く。小田原だけで死者11名、負傷者184人、建物全壊144戸、半壊69戸、消失建物293戸、床上浸水300戸、床下浸水700戸。

●周辺も入れると死者は67名にも及ぶ。

※出典/「復刻版・小田原近代百年史」(中野敬次郎著・㈱八小堂書店)

 

近代史の中でも高波災害で、ここまで激甚な被害が出たことは稀です。

なぜここまで多くの被害が出てしまったのでしょうか?

私自身は素人だが、その一つは「堤防などの不備」であると思います。

当時の海岸線には、江戸時代の後北条が構築した城壁などが、堤防として利用していた場所が存在していたのことです。

同世代は、度重ねて高波被害に見舞われていた(明治13年の大風浪や明治32年の大浪)。

それでも大規模な護岸工事は行われていなかったのが被害を大きくした考えざるを得ません。

また、前記の「小田原近代百年史」において、中野氏は「明治以降の海側への開発、人口流出も要因」という見解を示している。

元々塩田や海岸線だったエリア(現在の南町・浜町の一部)に、町が形成されていることも、江戸時代とのデータの比較で論理に示している。

 

この大災害を受けて、当時の小田原では多額の予算をつぎ込み(年間予算の4分の1)、護岸整備を行うことになります。

その流れが、堤防と交通アクセスを両立する「西湘バイパス」の建設に繋がっていると思われます。

しかしながら小田原では今年、台風の高波で、道の駅建設予定地や、根府川の海岸線の道路で被害が出てしまっています。

津波対策と言うよりは、「海眺望の良い」場所ばかり被害にあっています。

海が見えるということは、堤防のような視界を遮るようなものがないということです。

観光客を取るか、災害対策を採るか、難しい選択かもしれません。

 

加筆すれば、「小田原大海嘯」のイメージがあるので、「小田原は関東大震災の時に、津波の被害がひどかった」と、誤って伝聞されているのです。

度重ねてで、恐縮だが、関東大震災では幸いにも津波の被害は軽微だったのです。

もちろん、江戸時代以前の大地震では津波の被害の記録も残されている。

しかし護岸工事もされていない400年前の被害記録が、すべて受け入れられるかは疑問である。

平成30年9月末に襲った台風24号の記憶も残る今、高波のことも一考すべきです。

 

□小田原は明治以降、津波の大被害はないが、高波の大被害はある。

 

▼小田原マンションスクエア・ホームページ

※プログの無断転用を禁止します。記載日/2018.10.2

【筆者/アイハラユウスケ】情報サイト『小田原マンションスクエア』企画者。神奈川県小田原在住の団塊ジュニア。神奈川県のミニコミ紙在勤後、東日本大震災の日に退職。以後地元で不動産業に携わる。「不動産のことを、お客様と同じ目線で考える」ことを信条に仕事に従事している。宅建主任士・住宅ローンアドバイザー・3級ファイナンシャルプランニング技術士・プロマジシャン

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※写真は、小田原市ホームページ「小田原デジタルアーカイブ」から転用いたしました。

 

防災の日、「9月1日」を迎えました。

テレビや新聞などのメディアでは、散発的に地震や災害関連の情報を提供しています。

前回に引き続き、小田原の地震に関して、未曾有の被害を受けた「関東大震災」を通じて掘り下げて行きたいと思います。

 

余談ですが、私のホームページのブログで、地震関連の記事がすごく読まれていることに気づきました。

「小田原 地震 津波」と調べる人が、プログを多く読まれていることがわかりました。

そのくらい、多くの人が、小田原での津波被害について、気にされていることがわかります。

ただ「小田原 マンション」で検察してくる人よりも多いことに、サイト運営者としては微妙な気持ちになりますが…。

地震や地学に関しては無知ですが、このプログの中では、「小田原の地震被害は阪神大震災型」と推察しています。

その根拠の一つを、関東大震災を被災した人の回顧録から見つけました。

 

「土地の亀裂は駅前から幸町通り小田原御用邸の濠端が最も凄く三尺以上も割れ、六尺位埋没して崖をなしているところもあった」

※出典/「写真と地図と記録で見る 関東大震災誌・神奈川編」(㈱千秋社)

 

すこし解釈すると「土地の亀裂は、小田原駅東口から横浜簡易裁判所小田原支部(旧小田原警察署)周辺、小田原城の二の丸広場の堀の端までのものが最も凄く、90センチ以上も割れ、約1メートル80センチも埋没して崖のようになったところもあった」となるだろうか。

要は、小田原の中心部に突然に亀裂ができてしまった、ということです。

ここに挟まれたり、飲み込まれたりして亡くなった方もいたのです。

読者の中で、この記述を見て、同じようなものをテレビのニュース映像で見たことがないだろうか?

これは「阪神大震災における断層」と類似していないか?と考えて思ってしまいます。

 

国土地理院が提供している「活断層マップ」と見ると、小田原市内では、全国的にも有名な「国府津・松田(神縄)断層」とその西側の高田周辺にある断層、そして久野の和留沢断層が表示されているので、単なる地割れと考えるのが妥当かもしれないです。

しかし、これだけ隆起・埋没する場所が、小田原の駅前に存在していたということは、それだけ強い揺れがあったという事例だと思われます。

 

また関東大震災の小田原の被害状況を追加で箇条書きします。

●井細田にあった小田原紡績工場が倒壊、女性作業員約600人の死傷者。内134人が建物倒壊による圧死、重傷約200人。

●早川口(旧十字二丁目・現南町)にあった地域屈指の規模だった足柄病院が、建物倒壊。直後に調理施設から出火。医師・看護士・患者とその家族などが巻き添えに遭い、33人が死亡

●開通式をしたばかりの酒匂川にかかる酒匂橋(国道1号線・箱根駅伝で渡る橋)と、酒匂川大鉄橋(東海道線架橋)が揺れで墜落・埋没

●市内の鉄道路線が寸断・破壊

●市内中心部(旧小田原町)の死者は約370人、負傷者約190人、行方不明4人、全壊家屋約1900、半壊家屋約500、全焼家屋2126、津波被害確認できず。

●根府川の山津波(土砂災害)被害は、集落約180戸と通行中の真鶴発東京行・東海道線(乗客約170人・死者7人・行方不明160人)を飲み込む、土砂は海まで達する。その際に小さいながらも津波が襲い、根府川駅・鉄道事務所・停車中の車両も海に飲み込まれる

●根府川の西側、米神地区でも山津波(土砂災害)が発生。20戸が土に埋まり、62人死亡

※出典/「復刻版・小田原近代百年史」(中野敬次郎著・㈱八小堂書店)

 

約100年前とはいえ、未曾有の都市型災害が小田原で発生していたことがわかります。

被害が小田原に比べたら軽微だった箱根では、震災後、観光客が、難民化しました。

そのため、平安時代に使われていた旧道を使って下山しようとしましたが、道幅が狭い急な道路に多くの人が押し寄せたことで混乱を呼んだ記述があります。

また、生活物資(飲料水を含む)を高値で売りつける騒動も起こり、軍隊による入山制限(関所)が静岡側・小田原側両方で行われたことも。

こういう貴重な経験を、ちゃんと活かして欲しいと思う次第です。

 

では、小田原は津波に寄る被害が想定できないのであろうか?

もちろん、答えは「×」。

小田原の近代災害の歴史は、関東大震災だけではないのです。

それは次回のブログで紹介します。

 

□阪神大震災の映像・資料を見て、災害時の身の振り方を考える。

 

▼小田原マンションスクエア・ホームページ

※プログの無断転用を禁止します。記載日/2018.9.2

【筆者/アイハラユウスケ】情報サイト『小田原マンションスクエア』企画者。神奈川県小田原在住の団塊ジュニア。神奈川県のミニコミ紙在勤後、東日本大震災の日に退職。以後地元で不動産業に携わる。「不動産のことを、お客様と同じ目線で考える」ことを信条に仕事に従事している。宅建主任士・住宅ローンアドバイザー・3級ファイナンシャルプランニング技術士・プロマジシャン


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