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「この間は、枝から2mほど下の幹にしがみついていたのですが、今日は違いますね」
「その時も、初めは今と同じだったのでしょう。枝の上から獲物を発見し、そろそろと幹を伝って、ちょう どいい高さまで降りていたのだと思いますよ。ほら、キョロッとしながら首を回しては止めているでしょう。
あれは、獲物を探す鳥の行為そのものです」
「あっ、降り始めました」 嘴で細枝を噛み、其処を支点にして、体を下方へくるりと回転させると、松の幹にしがみつく姿勢に なった。次に、反り返りながら、踵を後ろに向けて下を見ている。それからしばらくはジッとしていた。
目だけがキョロッ、キョロッと動く。その眼光の鋭さは、1年前とは違い、磨き抜かれた勝負師の目だ。
彼の動きには前兆がない。全くの突然だった。幹に腹をこするようにしてじわりじわりと下がり出し た。
「すごい。あんな技術は、他のカラスにはありません」 老人の声が、上滑りしている。それでも、シャッターを切ることは忘れていなかった。穏やかに感じ ていた一挙手一投足が、いつの間にか格闘家の激しさに変わっている。ベストを掴んでいなければ、
チョコマカの視界へ飛び出しそうだ。
「谷口さん、落ち着いて下さい。気付かれてしまいます」 説得が耳に入らないのか、体勢がいっそう前のめりになっていく。それを支える力がより必要になる 度にシャッター音がするので、その音もまた気がかりの一つになった。
「もう、1mは降りましたよね。あっ、爪先が幹の鱗に食い込んでいる。それで、あの姿勢が保てるん だ。驚くべき能力の持ち主だなあ」
老人は、ただただチョコマカに夢中だった。 「もう少し降りると、飛びますからね。あと、3〜40cmです。カメラをしっかり構えていて下さい」 さすが野鳥の会の会員である。どんなに夢中になっても、絶対声にはならない。耳元で囁く相棒 への応答は、判っているらしい頷きだけである。気持ちの高ぶりを押さえ込む習性が身についてい
るのだ。こちらから見れば、老人だって冷静にして沈着、忍耐があって敏捷と、その心理的能力は
並外れている。チョコマカから目が離れて、老人を観察してしまう自分などには及びも付かない。
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