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「お陰で私は、取りあえずという程度の気持ちで、この仕事に就けました。初めは戸惑いも多かった
のですが、気軽さが手伝ってくれたのか、日を追うごとに順応できました。今では、人って、前向き
な気持ちさえあれば、どんなことにも対応できる力があるのだと確信しています。前田さんと知り合
い、あなたの考えをいろいろ聞いてきましたが、あなたは私以上に、そんな力をお持ちになっておら
れます。どうか、命に終止符を打つ方法ではなく、新たな人生を開拓する方向に目を向けてください。
そして私のような、サラリーマンの枠から出られない人生ではなく、自由で幅の広い楽しい生き方を
見つけてください」
サラリーマンの枠を越えて・・・。銀行からの戻り道、渡辺氏が発した最後の言葉が、耳の奥で、 指揮官の横でたなびく幟旗となった。それには、彼が未だに得られない、望んでいて果たせない
でいるジレンマが染め込まれ、嫌でも眼にとめろとばかりに翻っていた。そして、その満たされない
心理が語彙の圧力となって、飽くなき本能とそれを維持しようとする活力を生み出し、抵抗力のな
い耳管を激しく震わせるのだった。
いつもの渡辺氏なら、相手を諭すような話題や言い回しが中心になる。しかし、今日の彼は、コ ンピューターが故障を起こしたのではないかと思うほど、これまでとは違った。感想で表現すれば、
本音を明かさないのが銀行マンの資格だと言われるが・・と、会話の中でしばしば思いを巡らすほ
どの2時間だったのだ。彼から離れたことで、ホッとした感情を覚えたのも初めてのことである。
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