七月のかすみ草

あの日から6年が経ちました。「思い出」と言うにはあまりにも辛く重いものですが、いつまでも胸の中に。。。

父を送る

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本年も今日が最後となってしまいました。
記事を書こうと思いつつ、なかなか時間が取れないままナント大晦日!
もうこうなったら大掃除をストライキして意地で書いています(笑)
 
自分の記事は書いていなくても、他の人の記事を読んでコメントしたり、
ブロ友のゲスブで毎日の挨拶をしたり、何らかの形でブログと関わる毎日でしたが、
今年の11月に実生活のほうが大変になり、しばらくブログから離れていました。
 
親父のもろもろの相続や引継ぎ手続きに加え、喪中ハガキの準備もしなくてはならず、更に内職まがいで仕入れた品物の相場が値崩れし、大急ぎでサバかないと(売らないと)大損害という事態に…。
とてもじゃないがブログに関わっている時間は無い!と、ゲスブで話していたブロ友たちに一方的に休眠宣言をしました。
 
まずは喪中ハガキを早めに出さなければならず、裏に印刷するイラストのテンプレ探しから始めました。
親父は漁師だったので海をモチーフにしたものがないか必死に探しましたが、全く見つからず、やむなく水面に葉っぱが浮いている画像で妥協することにしました。
宛名の入力も終わり、いざ印刷を始めようというときに、やはり妥協したものでなく、親父のために納得したものを、無いなら自分で作ることにしました。

長年親父が乗ってきた船の写真を使おうと決めましたが、入院してからはずっと陸にあげたままだったので、海に浮かんでいる昔の写真を探す時間は無く、
漁師の廃業を決めて船が業者に引き取られていく時の(ドックのある港へ業者が自分で船を操縦していきました)写真を使うことに。
そして偶然パソコンに入っていたハガキ印刷ソフトを見つけ、試行錯誤をしながらどうにか作りました☆彡
 
イメージ 1

親父が永遠の海へ船出していくイメージになればと。。。

この喪中ハガキで親父の訃報を知った人たちから驚きの電話やお悔やみを送って頂き、御礼と共に、却って申し訳ないことをしてしまった気持ちにもなりました…。
ブログを休眠中も次から次と用事が湧いて、結局まともに片付いたのはこの喪中ハガキくらいで、ほとんどが未解決のまま、またブログへ戻ることにしました。
一週間程度の予定がひと月近く経っての復帰となりました。
 
ブログを離れている間も毎日思い浮かぶのは、ブロ友たちからもらった言葉と、
一方的につながりを断ったことの申し訳ないという気持ちでした。
 
 
親父の死後間もなく遺産の整理が始まると、かなりまとまった額の貯金や生命保険をかけていたことが分かり、
実際、親父は船の新造を我慢し(漁船の新造には家一軒建てる以上のお金が必要)30年以上も同じ船に乗り続けていました。
親父のそんな苦労あっての蓄えでしたが、それを知った時、嬉しいというより悔しいという気持ちで一杯になりました。
 
入院中、親父はよく家に帰りたいとこぼしていました。
でも自力で寝返りも出来ない体で家に来ても、却って辛いことになる。
痩せ細ってはいても大柄な親父を僕一人で動かすことも難しい。
「もっと元気になってから」などとごまかしたり、聞き流していました。
 
でも、もしそれだけの蓄えがあるのを知っていたら、家をバリアフリーに改築し、
24時間介護の人も雇ってやれた。
親父の好きな風呂にいつでも入れてやれただろうし、ベッドから「自分の海」を毎日眺めさせてやれた。
そんな環境の中でなら、親父の最期はどれほど幸せなものになったろう…
口惜しくて涙がこぼれました…
 
そう悔やむ僕をブロ友たちは慰めてくれました。
家族のためを思って必死に残したお金を、自分のために使っても親父は喜ばなかっただろうと。
その言葉にどれほど救われたことか。。。
 
約ひと月ぶりに自分のブログを開けると、ゲスブには僕自身が忘れていた誕生日を祝ってくれるコメントが入っていました。
 
此処には何よりも大切なものがある、そう感じた瞬間でした。
 
  
喪中ハガキとブログへの感謝・終

娘として


 
告別式でのことに触れておきます。
式も終わりの頃、親父の柩に参列者が花をくべてゆく場面で、姉の嗚咽が斎場に響き渡りました。
 
親父が亡くなって以降、親類や友人への連絡、葬儀の細かな打ち合わせに明け暮れ、お通夜の席でも時折鼻をすする程度で気丈に振舞ってきた姉ですが、
親父との本当に最後の別れが近づき、ついに耐え切れなくなったようでした。
上の叔父に「それじゃ兄貴が逝けないだろうがっ」と諌められても、
姉の絞り出すような泣き声は止むことはありませんでした…。 
 
 
姉はいわゆる、典型的な「お父さん子」でした。
僕は子供の頃から親父とは少し距離を置く関係でしたが、姉は親父のことが大好きで、加えて海も船も魚も好きで、男ならば間違いなく親父の跡を継いで漁師になったことでしょう。
親父も姉には甘く、時には馬鹿を言い合ったり友達のようでもありました。
それは大人になってからも変わることはなく、姉が結婚して家を出てからも
毎年の父の日には贈り物を寄こし、帰省すれば子供の頃のままに親父と親しげに話していました。
 
そんな姉ですから、親父の末期のすい臓がんのことはしばらくの間伏せておくつもりでしたが、年明けの腸のガンの摘出手術後、たまたま僕が席を外している時に、主治医から姉に末期がんのことを伝えられてしまいました。
以来、姉は約7カ月に渡る親父の入院期間中、嫁ぎ先の他県から200㎞以上の道のりを毎週のように車で通うようになりました。
(嫁ぎ先といっても姉夫婦と子供だけの生活です)
 
金曜か土曜の明け方に家を出て、そのまま親父の病院へ直行し、
実家(僕の家)は荷物が山積し、犬猫たちがいることもあり実家には泊らず、
隣町の高校時代からの友人宅に泊まり、日曜の午前中に親父の顔を見てから
自分の家に帰る、ということを繰り返しました。
僕も見舞いをしているのだから、そんな無茶は止めろと姉に言っても聞く耳を持ちませんでした。 
 
運転の身体への負担もそうですが、一度の見舞いの度にかかるガソリン代、高速代など一万円近くの経費も、姉は自分で捻出していました。
もともと給料の管理は旦那がしていて、姉の毎週の里帰りに良い顔をせず、交通費も出してくれなくなったそうです。
その為、姉は週の前半を介護のバイトで稼ぎ、それを全て見舞いの経費につぎ込んでいました。
もしもっと近くに住んでいれば、姉のことだから毎日のように親父を見舞ったと思われ、毎週末の見舞いが本当に彼女の限界だったのだと思います。
 
僕はというと、近くに住んでいるにもかかわらず(片道1時間弱かかりますが)見舞いは一日おき、というのが決まりのようになっていました。
見舞いに行っても親父と大して話すことも無く、デジカメで撮った犬猫たちや近所の風景の写真をテレビに映して見せるくらいのものでした。
 
もともと漁と畑くらいしか楽しみの無かった親父ですから、病院ではベッドの上で
テレビ番組を虚ろに見て過ごすだけで、
日に日に体は動かなくなり、食もほんのわずかとなり、そんな親父を見るのが辛かった、正直、一日おきの見舞いさえ負担に思っていたのも事実です。
 
それでも僕が見舞いに行かなかった日は、看護婦さんに「今日は来ないのか?」と尋ねることも度々だったと。
僕にしてみれば、前日に行ったばかりだし無理を言うな、と言い訳をしていました。
親父が亡くなった当初も、自分は出来るだけのことを精一杯してあげられた、という自負がありました。
 
しかし今は数えきれないくらいの後悔が、連日胸を締め付けるようになっています。
もっともっと、してやれることはあった、と…。
ベッドの上で無為に過ごす親父にとって、唯一の楽しみは家族の顔を見ること、
そんなこと分かっているつもりだったのに、実は分かっていませんでした。 
何故もっと見舞ってやらなかったのか、病室で何もすることはなくても、
ただ顔を出すだけで良かったはずだ、と。
 
姉が限界まで無茶をしてきたのは、親父を楽しませることより、何より自分がそうせずにはいられない、という気持ちのほうが強かったのだと思います。
後になって後悔をしたくないという自分の想いと共に、無意識のうちに親父の気持ちに気付いていたのかもしれません。
 
僕は息子としてそれに気付けず、姉は娘としてそれに気付いていた。
 
親父の娘として限界まで尽くした姉。
告別式の時も、もし親父との最後の別れの場面で泣くのを堪えれば後悔が残る、
だから子供のように泣きじゃくったのかもしれません。
「お父さん、お父さん」と親父にじゃれついていた、子供の頃のままに…。
 
そして、ただひとつ確かだったのは
親父の死を世界中で一番悲しんだのは、間違いなく姉ということでした。
 
 
娘として・終
 
 
 
(後記)
親父の葬儀にまつわる記事は二つで総括するつもりだったのですが、
思いのほか長くなってしまい、分けて、分けて、の倍になってしまいました。
長らくお読み頂いた方々には申し訳ありませんでした。
 
現在はとりあえず落ち着いたものの、親父名義の各種機関の変更、遺産相続の手続き、今まで親父が漁の合間にしていた庭や畑の手入れもこなさなければならず、
まだしばらくは忙しさが続きそうです。
あと、親父の入院中の出来事も、これから時折書いてゆく予定です。
そして、何より本来の?猫ブログに戻りますので^^
 
親父に代わりまして、これまで沢山の暖かいお言葉をどうもありがとうございました。
 
 

  
深夜まで続いたお通夜で仮眠程度しか取れていませんでしたが、気分はむしろ良いくらいで、いつも通りにジュンの散歩や猫たちの朝ご飯を済ませ、告別式の斎場に向かいました。
告別式は家族葬という形で、親類とごく親しい友人だけを招きました。
 
式が始まると、普通ならご住職一人でのお経ですが、(戒名とお布施の額から?)
二人のサポート(お坊さん)が加わった三人編成となりました。
センターはご住職の木魚、左にトライアングルのようなもの、右にシンバルのようなものを持つお坊さんがいて、木魚のリズムに連動してチーン!ガッシャン!ガッシャン!と賑やかなものに。
これは祖母の葬儀の時と同じ編成で(お寺の住職さんは当時とは別の人ですが)、
祖母の時は家の中だったので、轟音で耳が痛くなったのを覚えています。
 
告別式は粛々と進み最後にある出来事がありましたが、それは次の記事に書かせてもらいます。
火葬場へ親父を乗せて行く霊柩車は、かなりお金をふんぱつして派手なものを頼んだのに写真を取り忘れたのは残念でした(泣)。
火葬場は隣町なので僕も自分の車に客人を乗せるため、霊柩車に遺影を持って乗る役はお袋に任せました。
 
右が親父の炉で、左には別の人の火葬の準備が始まっていました。
イメージ 1
  
焼きの始まりがちょうどお昼の時間のため、昼食の会場もここに用意されていて、
昼食が終る頃に焼き終わり知らせが届きました。
 
まだ熱い炉から親父のお骨を二人一組で拾い骨壺へ納める儀式の最中、
お酒が入ったこともあり下の叔父は大声で泣き、上の叔父に諌められる場面もありました。
「俺は兄貴が大好きだったんだ!」と力説する叔父の肩を、僕は力いっぱい叩いて感謝を伝えました。
 
火葬の後、お墓への納骨は日を改めることもありますが、また人に集まってもらうのは大変なので、その日のうちにお墓への納骨式も済ませました。
 
僕の家のお墓になります。
境内に入ってすぐの中央というかなり良い立地なのは、おそらく先祖代々このお寺の檀家だったためなのでしょう。
イメージ 2
 
中には祖母の骨壺しかなく、親父の骨壺と二つ仲良く並んで納められました。
強い西日の当たる夕方のお寺で散会となり、長かった儀式は全て終わりました。。。

上のお墓とは別に、少し離れた場所にご先祖様たちのお墓があります。
ちょうどその真ん中に咲いた百合の花が、彩りを添えてくれていました✿
イメージ 3
 
 
全て終わりました。。。・終
 
 
 
本日は大変お忙しいところ、父の通夜にご参列下さいまして・・・(中略)

この度の父の訃報をお伝えすると、沢山の方が悼み惜しんで下さいました。
その声を聞くうちに一年ほど前に父と交わした何気ない会話と、
10年近く前に読んだ宮沢賢治の短編童話のある一節が思い出されました。
 
父との会話というのは実にたわいのないものでした。
一緒にテレビを観ていた時、ニュース番組で何かの芸術に貢献した人が表彰される、という場面になり、それを見ていた父は
「こういうふうに表彰されるのは頭を使う人ばっかりで、
俺たちみたいな体を使う人間が表彰されることはまず無いなー」
とポツリと言いました。
僕は「そう言えばそうだね」くらいの答えしかしませんでした。
 
そしてもうひとつ思い出されたのは、宮沢賢治の「マリヴロンと少女」という短編童話の中の一節で
「正しく清く働く人は 一つの大きな芸術を 時間のうしろに作るのです」
というものでした。
この本を読んでいた当時も、この言葉の意味を深く考えることはありませんでした。
 
父は子供の頃から祖父の船に乗って漁を手伝い、病に伏せる直前まで漁師一筋で働き続けました。
この度の父の死を伝えると、誰もが「いい漁師だった」「名人だった」と、
「本当に気持ちの良い人だった」と口々に言って下さいました。
港で一番と言われるほどだったその漁師の腕、そしてその人柄への暖かい言葉、
それらこそが父の作り上げた芸術なのだと気づきました。

「正しく清く働く人は、一つの大きな芸術を時間のうしろに作るのです」

たとえ表彰状は無くとも、沢山の人が父の人生を讃えてくれている。
父の作った芸術は「頭を使う人」の作った芸術に決して劣るものではない、
そう証明してくれているように思えてなりませんでした。

長い時間ご清聴下さりどうもありがとうございました。
それでは、ささやかではございますが隣の席に簡単なお食事を用意してありますので・・・(後略)
 
 
お通夜での挨拶(改訂版)・終
 

お通夜での風景


 
お通夜の前日、親父が帰宅し柩の周りを整えて一段落すると、葬儀屋さんと遺影の最終打ち合わせがありました。
姉が選んだのは10年以上前のお祭りの最中に撮られた親父の写真。
一番丸々と太っていた時期で、赤いハチマキに白のダボシャツ姿の笑顔の親父でした。
 
4年前に心臓を患って以来すっかり痩せたままの親父に見慣れてしまった僕としては違和感アリアリだったのですが、
帰省した時にだけ親父を見てきた姉としては、子供の頃から長い間ずっと見慣れていた太っていた親父こそが、そのイメージらしいです。
葬儀屋さんの話では当初はハチマキもダボシャツも修正する方向でしたが、
親父が大のお祭り好きだったことを話すと、それならば、とそのまま遺影にすることとなりました。(↓)
イメージ 1
 
僕は地元のお祭りに直接参加することはなかったのですが、同級生に言わせると
神輿を担ぎながら唄う親父の「木遣り」はとても上手だったそうです。
僕は酔いつぶれた親父を拾いに行くことが多かったので、あまり良い思い出はありませんけど(笑)
 
今回の葬儀の祭壇の全景になります。
中央の画面に親父の遺影と、思い出の写真たちが交互に映し出されています。
イメージ 2
 
住職のお経の後、アナウンスの解説と共に親父の思い出をつづったスライドショーが行われ、そのいくつかの写真を挙げておきます。
僕が生まれて間もない頃、隣りは姉です。
イメージ 3

親父と一緒に寝ているのはシャム子さんと初代シルバー(現在は3代目が襲名)。
イメージ 4
シルバーは行方不明という辛い別れだったため、以来写真を見ることもなく、
約10年間ぶりにの再会でした。。。
 
食後の親父と若かりし日のジュン君。15年間、ほぼ毎日ずっとこんな調子でした^^
イメージ 5

(お通夜で撮り忘れたので後日フレームに入れて撮影)
親父の釣った巨大カジキと、隣の小さい女の子は姪っ子です❤
イメージ 6
特大クラスのカジキを親父が釣り上げ、普段は魚の仲卸業者が落札するのですが、地元のイベント用に特別に町が買い上げ、その当日に披露されました。

親父と共に天に昇る副葬品たち。右端にあるのは漁に使っていた仕掛けです。
イメージ 7

お通夜の最後に喪主の挨拶が予定されていて、数日前からぼんやりと話すことを考えていましたが、前日に葬儀のタイムスケジュール表のようなものを渡され、
その中に挨拶のお手本もあり、それを読み上げれてば良いとのことでした。
僕が考えていたものは通夜にふさわしくない内容かもしれないので止めにしました。
 
でも住職のご挨拶はかなりくだかれたものでしたし、親父のこと、そして親父の死を悼んでくれた人たちのこと伝えておきたい、と思えてきて、
直前まで迷いましたが、お手本の挨拶を途中まで読んだ所で、自分で考えていた挨拶を話し始めました。
書面にしていないのでまとまりの無い内容になることをあらかじめお詫びしておいたものの、案の定、最後のほうは支離滅裂で、かなり強引に言葉を結ぶ情けない挨拶となってしまいました…。
 
こんなことならもっときちんと考えを練っておけばよかったと悔いが残りましたが、
幸か不幸か、その際のマイクの調子が悪く(僕もボソボソしゃべっていたので)
参列者のほとんどが聞き取れなかったとのこと…(−_−)
担当の葬儀屋さんだけが「感動しました!」と言ってくれましたけど…。

あまりに無念でもありますし親父にも申し訳ないので、別記事に改訂版という形で
喪主挨拶のリベンジ記事を書かせて頂きます。
 
挨拶の失敗に落ち込む暇もなく食事の席が始まり(お通夜の会場のすぐ隣の部屋が食事の席)とても楽しく賑やかなものとなりました。
出されたもの以外の飲食の持ち込みも可能とのことで、焼酎やら氷やらを外の店に買いに走ったり、
数人が泊まれる部屋もあるので、早々に眠たいというお袋をその部屋に寝かし、
備え付けの掛布団では寒いというので家から掛布団を持って来たり(ついでに犬猫の世話も)
僕はつまみ食いをしながら(笑)せわしく飛び回っていました。
やがて参列してくれたご近所の人たち、近くに住む親類も自分の家に帰り始め、9時頃にその会場は一旦お開きとなりました。
でも寝室の隣りの八畳間くらいの部屋でごく近親者だけでさらに「宴会」の続きが。
 
親父の兄弟は戦争や病気亡くなったりして、現在残っているのは弟二人だけで、
親父は温和で口数の少ない人間でしたが、弟二人は若い頃からかなりのヤンチャだったらしく、下の叔父は昔ヤクザをやってた時期もありました。
 
結局その叔父二人だけは最後まで飲み続け、僕がその相手をしないわけにもいかず、
「この家を背負う以上は(どんな相手にも)絶対に負けるな!」と、何百回、あるいはそれ以上の単位で聞かされ続けました…。
でもそれは説教というより、親父の加護が無くなった僕へのエールのように思えていました。。。
 
酔っ払いたちがやっと寝る気になってくれたのは日付が変わった頃でした。
寝室に連れて行き、下着だけにして寝かすと、もうただのおじいちゃん達ですが、
下の叔父の背中の「模様」は相変わらずで、それが無ければ昔そのスジにいたとは
誰も信用しないことでしょう。
 
深夜1時を回る頃に一旦家に帰って仮眠を取り、翌日の告別式に備えました。。。
 
 
お通夜での風景・終
 

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