おふくかげん

お立ち寄りありがとうございます〜〜〜。

児童文学・童話創作

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詩歌の書庫から児童文学を独立させました。内容的には詞華館チックかもしれません。私の基準では児童文学は児童文学なのですが、いかがでしょう?
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「おはようございます。姫君には御仕度は整われましたか?」

侍従長が恭しく礼を取った。

「お役目御苦労様でございます」

ジュエルは丁寧に礼を返した。黒髪は後ろで一つにまとめ、男装をしている。黒い瞳は慎み深く伏せられたままだ。

この瞳が伝説の通りに黄昏の空の色、紫に輝いたのを、侍従長は王の謁見室で目のあたりにしたのだった。そして、彼女の不思議な《力》も。

「それでは御案内致します」

賓客扱いに整えられた寝間を出る。夜が明けたばかりで静まり返っている王宮の廊下を、案内されるままにジュエルは付き従った。

王の信任篤い侍従長が仰々しく護衛や小姓を引き連れて現れても、彼女にはもはや驚きはない。一昨日以来、驚きの種は尽きてしまった。

「おまえを信じているよ」

共に王都を訪ねた両親は、そう言ってジュエルを抱擁し、名残惜しげに所領へと戻って行った。両親を見送ってジュエルは心もとなさを覚えたが、自らを叱咤したのだった。今からは自分の責任で判断し、決定して行かねば。誰かに頼るのはもうおしまい。

謁見室の前室に入り、ジュエルは王弟殿下のお越しを待った。国王陛下への出立のご挨拶は殿下のお役目。彼女は控えているだけで良いと申し渡されている。

ジュエルは王弟殿下とは旧知の仲、幼馴染みである。畏れ多くも殿下を「幼馴染み」とお呼びして良いものかどうか、ほんとうのところジュエルにはよく分からないが。

王弟殿下は、ほんの数刻ばかりの逢瀬のために王都から馬を飛ばしてお通い下さる。子供の頃の気安さのまま振舞われる殿下に、ジュエルの両親も、領民も、そしてジュエル自身も戸惑いを隠せない。

だが、浅黒く日焼けした肌に真っ白な歯を見せて屈託なくお笑いになるその笑顔、輝く緑の瞳、爽やかな口説、偉ぶるところのない自然な態度を前にすると、誰もが無条件に殿下のなさることをただ受け入れてしまうのだった。

ひと月前、ジュエルは何度目かの殿下からの求婚をお断り申し上げた。

ことは単純ではない。王弟殿下との結婚を望むは次の王妃となるを望むということ。普通に考えてまず到底お受け出来かねるお話である。

そのはずだった。国王陛下より『光の予見』を頂くまでは………。

「王弟殿下がおいでになられました」

先触れの小姓の声に被さってドアの開く音がして、ジュエルの物思いは中断された。






「このたびはわたくしの我儘をお聞き入れ下さり、旅のお許しをいただけましたことを深く感謝致します。陛下の御信頼には必ずやおこたえする所存でございます。」

王弟殿下が出立の挨拶を述べられるのを、ジュエルは深くこうべを垂れた姿勢で聞き入った。

(それでは、殿下が国王陛下に願い出られて?)

初耳だった。民を悩ます怪異を調べに赴かれるという趣旨、自分はその力を用いて殿下をお護りするに相応しいと神殿より推挙されたのだということ、ジュエルが知っているのはそれだけだった。

「出立にあたり、王族として自らの責任を果たし、この身、この魂、この真心をもって、王国の平和を守る為に最善を尽くすことをここにお誓い申し上げます。また、わたくしの留守中も国王陛下にはご健勝であられますようにお祈り申し上げます」

「私も旅の無事を祈ろう。ガゼル・カデシュ、愛する弟よ。心して職務を果たし、ジュエル姫とともに無事の帰還を。
そして……ジュエル姫」

王に名を呼ばれて、ジュエルはハッと身を固くした。

「図らずも、そなたの決断を待つに程よい成り行きとなった。王都を離れて旅の空の下、一日に一度は我が予見に思いを致せ。ジュエル姫、運命を枉げることは誰にも出来ぬぞ」

「国王陛下」

ジュエルは思わず頭を上げた。蜂蜜色をした陛下の目とまともに目と目が合って慌てた。

「狼狽えずとも良い、尊い姫。私が伝説の『光の王』であれば、そなたは『その助け手の影』だ」

王は太陽の光のようにまばゆい金の髪をなびかせ、闇の色の髪をした少女のもとへと歩む。そして彼女の手を取って立ち上がらせた。

二人の姿は、その場にいる誰の目にも明らかに『光の王と、その助け手の影』と映った。まるで伝説を織り出したタペストリそのままに。

「ジュエル姫、そなたは『黄昏の星』、『やがては国の母ともなる娘』、くれぐれも御身大切に。
ガゼル、我が弟よ。よく姫をお護りしてお仕え申せ。よいな?」

お護りする立場が、それでは主従さかさまである。王家の未来に関わる重大な予見を、御自ら冗談口に紛らすことでジュエルの身の上をさりげなく気遣っておられるのか、王の口調は楽しげで明るかった。






門の外に用意された馬車を見てジュエルは顔を顰めた。騎馬の旅と心得ての男装である。それがどうしてこういうことになるのか。

勿論答えは一つだ。『光の予見』は周囲の彼女に対する扱いをちぐはぐなものにしようとしている。一つを受け入れればあとは済し崩しに受け入れざるを得ないだろう。このお心遣いは御遠慮せねば。

ジュエルは断固とした態度でひとしきり係の者とやり合って、なんとか納得させることに成功した。お手間を取らせたことを殿下にお詫びして、ようやくの出立である。先が思いやられた。

目的の村までは馬で三日という距離であった。

供回りの人数は殿下の御身分を考えれば思いのほか少ない。お身の周りの世話をする従者が一名に護衛が三名。それきりである。ジュエルも荷運びのために供の者を連れていたので、一行は総勢七名である。

ジュエル一人が女人であったが、彼女が馬の扱いには長けていることをよく知っている王弟の組んだ旅程は、身も蓋も無いほど女人連れらしからぬ強行軍であった。

初日でだいぶん距離を稼いだ翌二日目、しかしジュエルの異変に最初に気付いたのも王弟であった。

一行から次第に遅れ遅れになるジュエルは、見れば額にびっしりと脂汗を浮かべ、顔色も悪い。さっきまでは青白かったのが今は赤らんで、明らかに発熱している様子である。

「ジュエル。馬を下りて休んだほうがいい」

声を掛けると、もはや意地を張る気力もないのかジュエルは大人しく頷いたので、これは重症だと王弟は判断した。

涼しい木陰を見付けて一行は馬を繋いだ。

さっそくジュエルを横にさせる。荷物を程好い高さに丸めて頭にあてがい、少し迷ったが襟元を緩めてやった。されるがままになっているのがどうにも不安だ。

お転婆ジュエル。初対面で私を池に突き落とした。誰からも乱暴な扱いを受けたことのない私は、呆然として水の中に尻餅をついたままだった。あれから十年。何度求婚して何度断られたか忘れてしまった。いつかは受けて貰えると信じていたけれど………。

「ジュエル、水を飲んで」

上体を抱え起こし、水筒を口許に差し付けると素直に飲んだ。痛々しさに王弟の胸は痛んだ。再び寝かせてやって、濡らした手布で額の汗を拭い、別の手布を絞って額から目の周りまでを覆うようにして冷やしてやる。

王都へ返すことは簡単だったが、そうしたくはなかった。一旦返してしまえば彼女自身の決断を待つまでもなく宮殿の奥へ迎えられ、そのまま兄王の庇護の下に入ってしまうのが容易に想像できた。

片道三日、たった六日間の猶予ではあったが轡を並べてこんなにも近しく旅して過ごす、王弟にとっては貴重な時間だった。

「熱さましのお薬でございます」

宿に落ち着いて、医者を呼ぼうと思っているところにジュエルの供の者が薬を持参してきた。聞けば、ジュエル自身が旅立つ前に調合したものだという。

幾分元気を取り戻したジュエルが「薬を飲む」と言うので、王弟は消化の良い軽い食事を注文した。

待つほどもなく、具の少ないスープが運ばれてくる。中にはパンが浸してあった。しっかりとした様子で食事を摂り、薬を服するジュエルを王弟は傍らで見守った。

「御迷惑をお掛けしましたが、一晩ゆっくり休めば熱も引き、殿下のお供をして旅を続けることが出来ましょう。色々とお計らいありがとうございました」

「医者を呼ばなくても良いのか」

「病では御座いませんので」

「では、何だ」

「………」

ためらう様子で視線を落とし、逡巡して、それからジュエルは王弟を掬い上げるように見た。なんとか言い逃れは出来ないものかと、その顔に書いてある。王弟は一歩もひかぬ構えで泰然と見返してやった。ジュエルが小さく溜め息をつく。どうやら観念したようだ。

「怪我から来る発熱でございます」

「怪我?」

王弟は面食らった。発熱するほどの怪我をどこで負ったというのか。ありえない。ここ一両日ずっと傍らにいたのだ。

それでは旅の前から?それを隠して無理な旅程に従ったと?

「もしや、馬車が用意されていたのは怪我のためなのか」

「あ。そうかもしれません。陛下は御存知でいらしたのですから」

たったいま気が付いたというようにあっけらかんと答えるジュエルに王弟は呆れ果てた。

「発熱する可能性を心得ていて薬も準備させ、馬車は断り、私には何ひとつ教えてはくれず……ジュエル」

王弟はジュエルの手を包み込むようにして握り締めた。咄嗟に振りほどこうとするのを許さずに力をこめる。

「あの、王弟殿下」

「もう秘密にしていることはないのか。白状しなさい。医者が要らないというのも本当なのか」

「本当です。傷の手当てはきちんとしております。発熱も、可能性として考えられなくはありませんでしたが、薬を服して馬上で眠気がさしては不都合ですし、あの、もっと軽く考えていたので。刀傷も、二日を越える旅程も、初めての経験で予測がつかず……」

「刀傷だって?」

ジュエルが両親とともに王宮に呼ばれたことは王弟も知っていたが、刀傷とは。

「……陛下が御存知でいらしたとは、御前でのことだったのか?」

「はい」

年頃の娘が両親同伴で王宮に呼ばれるのは『名を変えること』という用件に他ならない。

御護りいただく神の恵みをまず冠する第一の名。

国の人民として生を授かった個人を示す第二の名。

三番目は家柄・血統・身分を証し立てる一族の名。

生まれたときに授けられるこの三つの名を変える事由は二つ。神殿からの召しにより俗世を離れて神官(観相者)となる時、それから、宮廷からの召しにより王の寵愛を受ける身となる時である。

前者の場合は三番目の名を両親に返し、その身を神殿に捧げる。後者の場合は一番目の名を神殿に返し、神の庇護のもとから王の庇護のもとへと移される。

ジュエルがどちらの事由で王宮に召されたのか王弟は知らなかったし、そこで何が起こり、また、どのようにして兄王より予見をいただいたのかも勿論知らない。

(それにしても刀傷とは……)

王の謁見室でそのような騒ぎがあったのなら、よほどの緘口令が敷かれたはずだ。そのせいなのだろうか。自分のところに、ことの詳細が伝わってこないのは。

王弟の眉間に刻まれた皺を見て、ジュエルは御不興を買ったことに対して言い訳をせねばならないと思った。

「かすり傷なのです。すぐに止血して手当てしました。薮に引っ掛けた程度の怪我でしたから、わざわざ殿下にお知らせするほどのことではないと思ったのです」

(黙っていたことは悪かったと思うけど、それどころではなかったんだもの)

口ではしおらしく言ったものの、心の中では反抗的に呟いたジュエルだったが、それはまずもっともなことではあった。

真っ黒に塗りつぶされた心で沸き立つ怒りのままにジュエルに短剣を振り下ろしたギネビア姫。

彼女が部屋に駆け込んできたとき、黒い風が真っ直ぐにジュエルの頬を打った。殺気を持つ悪意は物理的な力で彼女をよろけさせ、結果、短剣は左の二の腕をかすめただけだった。ジュエルが咄嗟にそのまま姫を抱きしめると、姫を縛って支配していた黒い風と影は音を立てて四散した。

すべてが一瞬の出来事だった。

ギネビア姫の王族としての名誉をお守りするため、結局ジュエルは口を閉ざした。彼女の頑固さをよく知る王弟は深くは追求しなかった。二人のあいだには気まずさだけが残った。






旅は順調に進み、一行は目的の村に到着した。

宿で旅装を解くと、王弟はさっそく村長を呼び寄せて説明を聞くことにした。

「怪異は満月の夜にだけ起こります」

村長の話は、おおよそ嘆願書の通りであった。

話は五年前にさかのぼる。

当時、王弟は狩猟をしながら領土の見回りを兼ねて村々を訪ね歩いていた。この村にも先触れが王弟の来訪を告げた。たまたま年に一度の収穫祭が重なっていたので盛大な歓迎の宴が準備され、村民たちは王弟の御到着を今か今かとお待ちしていた。

しかしその夜、原因不明の火事により屋敷が一軒まるまる焼け落ち、宴に招かれていた旅芸人や役者をはじめ、多くの村民が焼死した。

王弟は急な病を得て近隣の村に留まり、この惨事を免れて無事だった。

「王弟殿下がおいでにならなくて幸いでした。あのあと焼け跡は片付けられ、手厚く埋葬もされたのですが……」

「原因の究明は?」

「犠牲者の多い事故でしたし、殿下をお招きしてあったことからも重要事件と見做され、王都から査察官が大勢来られてお調べになりましたが、失火という結論でございました」

「怪異の目撃者に会いたい。何人か呼んでもらえないだろうか」

王弟のもとに連れて来られたのは、その晩の惨事を免れた少年、犠牲者となった賄い女の遺児たち、焼け跡近くで羊を追っている老人であった。

ジュエルは王弟とともに同席し、証言者たちの話を聞いた。羊飼いの老人には魔が付いていたので払い落としてやった。酷い頭痛と倦怠感に悩まされていたという老人は、拝まんばかりに感謝して帰っていった。

「証言を総合致しますと、死者たちの霊魂がいまだ地上に残って悪い気を放っているように思われます」

目の前で『力』を使うところを目撃した一同はジュエルの言葉に真摯に聞き入った。

「明日はちょうど満月です。殿下のお許しをいただければ、わたくしが焼け跡を訪ねて力の及びます限り勤めを果たしましょう」

「一人で赴くと?」

王弟の問い返しに、ジュエルは当然とばかりに頷いたが、王弟ははっきりと宣言した。

「私も行く」

いけません、と、誰もが口々に言ってお止めしたが殿下はお聞きにならなかった。

「止めても無駄だ。私は行く。初めからそのつもりだった。人々はあの夜、私を待ち侘びて眠りにつき、惨事にあったのだ。訪ねて弔ってやりたい」

「お気持ちは分かりますが」

と言いさして、ジュエルは考えた。御身が危険という理由では、殿下が御心を翻すことはあるまい。意固地になってしまわれたら、矛を収めることはかえって難しくもなろう。

「それでは、ことの解決のために殿下のお力をお借りしてもよろしゅうございますか?」

急に手のひらを返したように進言するジュエルを見やって、王弟は嘆息した。

「……何か言いくるめようと思っているのだろう」

「言いくるめるなどと、とんでもない」

ジュエルは澄まして答えた。






翌朝、王弟とジュエルは問題の屋敷跡に赴いた。

羊飼いの老人に取り付いていた魔は、そう危険なものではなかった。この場に立ってみても、同じ確信を得た。無念というより、悲しみ。憎しみや恨みではなく、寂しさ。

一日一日を誠実に生き、よく働き、満足して生を終えていく村人たち。この地の全てが安らかに清浄に呼吸していることがその証だ。そしてこの場所だけが、少しの悲しみを湛えている。危険はないだろうとジュエルは結論を出した。

王弟を見返ると、静かにこうべを垂れて黙祷しておいでだった。

お優しい王弟殿下、これで充分ではありませんか?次代の王ともなられるお方。直接この地に足を踏み入れ、祈りを捧げるために旅してこられた。充分です。万が一の危険に御身を晒してはなりません。

「王弟殿下……」

「ジュエル」

呼びかけをさえぎって、殿下がジュエルを呼ばれた。

「あなたの考えは全部顔に書いてある」と、殿下にはよく言われる。今は、ジュエルにも殿下のお考えが読み取れる。殿下のお顔には「何も言うな」と書いてある。

「ここで亡くなった人々の魂は、影や魔と結びついて悪さを働きそうか?」

「いいえ」

「しかし村人の中には魔に憑かれた者もいた。とき経ればやがては影に取り込まれ、この地に仇なすことにもなるのだろうか?」

「それは何とも申せませんが」

「国王陛下には、私がこの地に赴くことに快くお許しを下された。神殿は護衛にはジュエルが相応しいと進言し、陛下はこれを裁可された。
その予見が一つも外れることのない『光の王』であられる国王陛下の御判断を私は少しも疑っていない。
私の考えは間違っているだろうか?」

ジュエルは首を振った。

王弟殿下の仰せの通りだ。国王陛下は、数ならぬこの身に解決を任せて下さったのだ。御信頼を裏切るわけにはいかないではないか。






満月を仰ぎながら、一行は屋敷跡を目指した。

手前の林で馬が騒ぎ出したので、ジュエルはここが限界と判断した。ときに動物たちは人間よりもずっと敏感である。

ジュエルが頷いてみせると、王弟も頷き返して馬を下りた。

「ここから先は誰も付いてきてはならない。夜明けまで皆ここで張り番だ。私とジュエルを信じて待っていて欲しい」

「宿で待つように」と言われても落ち着かず、ここまで付いて来てしまった一同であるが、彼らに出来ることは何もなかった。

腕におぼえのある護衛の騎士たちも良く心得ていた。大勢で踏み込めば、その人数すべてがジュエルの負担となり、王弟を確実にお護りする妨げとなる。

不安顔の村長や助役を宥めながら、共にこの場で祈りつつ待つほかはない。






「ここかな、入り口は」

見当をつけて、王弟は何もない空中に手をかざす。火事で焼け落ちる前にドアがあった辺りに。

いきなり背後でドンッと大きな音がして、二人は飛び上がるほど驚いた。

振り返ると夜空に花火が打ち上げられていた。続けてドンドンッと打ち上げられた花火が二人の頭上に花開いた。続けて賑やかな人声と陽気な楽の音が耳に飛び込んでくる。

そこはもう廃墟ではなかった。

軒先には色とりどりの布がぶら下げられて、風に揺れている。窓はすべて開け放たれ、灯りと料理の匂いが洩れていた。人々のざわめきは陽気で明るく、それを更に盛り上げようと吟遊詩人がリラ(竪琴)を手に歌っている。ジュエルもよく知っている収穫祭の祭り歌だ。

ダンスも始まったようだ。手拍子がジュエルの耳を打ち、足踏みの振動がジュエルの足元に伝わる。平和で明るい収穫祭の夜。王弟を待つ人々。

あまりの非現実感にくらくらと眩暈がする。これは夢?満月は皓々と明るい。

「ジュエル」

王弟に肩を抱き寄せられてジュエルはハッと正気付いた。

『光の予見』に振り回されているのはどうやら周囲だけではないらしい。こんな大事のときに集中力を欠くなんて!

「王弟殿下」

ジュエルは目で謝罪した。王弟も目元だけで微笑む。

「よし、行こう」

目の前の扉をトンッと軽く押すと、扉は苦もなく開いた。

「王弟殿下のお着きだ!」

ワッと沸き上がる歓声が二人を包んだ。

華やかな装束の女性たちが、長く細い布を手にくるくると旋回している。布は隣り合う踊り手の手にしたものと絡まり合うこともなく、見事な軌跡を描いてみせる。美しい奉納舞だった。

二人は上座に設えられた席に案内され、心からのもてなしを受けた。余興は次から次へと披露され、料理もどんどん運ばれてきた。

二人とも、さすがに食事に手は付けなかった。配膳係の村娘が悲しそうな顔をするので、王弟は「ありがとう」と声を掛けてねぎらった。娘はたちまち頬を染め、嬉しそうに破顔した。

喜びの波動が室内を行き巡り、穏やかに増幅して引いてはまた返すのを、ジュエルは海の波が寄せるようだと思いながら見守った。

今はまだ大丈夫。しかし火災が起きた刻限になったら何が起こるのか予想も出来なかった。ただ、我が身を楯に殿下をお護りするのに何のためらいもないという確信だけがあった。

(ジュエル姫、運命を枉げることは誰にも出来ぬ)

耳の奥に国王陛下の諭すような御声がこだました。

(いいえ、出来ます。陛下)

(運命に殉じることを選ぶのが自分なら、枉げる意思を持つ自分も同じ自分のはず)

運命には幾通りもの道筋があり、人は誰でも自らの意思により選び取ることができる。王の予見はもっとも良い道筋であって、従わないことは愚かな振る舞いと非難されてしかるべきである。神から授かる王の予見により王国は平和を保ち、堅く守られているのだから。

子供の頃から言い聞かせられ、身に染み付いた教えのはずだった。それなのに今、ジュエルは教えを自分の都合のいいように曲解しようとしていた。正気のはずがなかった。

(陛下の助け手として生きる私。ここで殿下の御為に死する私。どちらを選んでも自由なのです)

ジュエルは自分の考えにうっとりと酔い痴れた。夢のようなあやかしの只中で、明日を憂えることもなく、未来に何の責任もなく、解き放たれて私は今、とても自由………。

舞い踊る娘たちの手にした布が、ひときわ大きく翻る。緩やかな旋回に合わせて七色の薄布は靄のようにあたりに漂い始める。

「ジュエル」

王弟の声が遠くジュエルに届く。

「気をしっかり持って。あなたが倒れたら背負ってでも逃げる。どんなに取り憑かれたって逃げ切って、きっと助けてみせる」

王弟はジュエルの手を握り締めた。暖かい殿下の手。靄が晴れてゆく………。

ジュエルは静かに覚醒し、我に返って愕然とした。

私は今何を考えた?何を望んだ?

ジュエルは今になって足が震え出してくるのを感じた。

外からの誘惑が絶対的な力で自分を覆すわけではない。魔の誘惑は常に自分自身の内側にあって時に自分を裏切る。同調した魔は制御を奪い、最後には為す術もなく呑み込まれてしまうことになるのだ。

ジュエルは殿下の手を握り返した。

「御心配には及びません。『光の予見』は絶対です。私は決して死にません。私が必ずや殿下をお護り致します」






花火の音とともに始まった怪異は、遠目には蜃気楼のように霞んだり揺らいだりして見えていた。

林で待機する一行は、驚き怪しみながら見守った。賑やかで楽しいさんざめきが聞こえてくる。霊魂たちはあんなに大騒ぎして歓待している。なんと恐ろしいことだろう。やつらはおとなしくお二人を手放すだろうか?ともに暗黒の闇の中へと連れ込もうとするのではないだろうか?

ただじっと待つだけの時間は恐ろしく長く感じられた。






ふいに喧騒が止んだ。

屋敷の中から全ての音が絶え果て、人々の顔からは生気が抜け去った。

王弟とジュエルはゆっくりと席から立ち上がった。来るべき時が来た。二人はしっかりと手を取り合った。

目の前の何もかもが滲んで揺れている。天井も、壁も、宴の料理も、招待客も、楽師達も。

ジュエルは、その場のどんな変化も見逃すまいと意識を集中させた。目も耳も心も、体中全部の感覚を研ぎ澄ました。

ゆらゆらゆらゆら。

揺れる景色の中で、旅芸人の一団が揃って深々と頭を下げるのが分かった。ありがとうございました、とその口元が動き、段々と姿が薄れていく。

村人たちの姿が霞むように揺れている。こんなにお待ちして、とうとう今夜はこうしてお迎えできて、とても幸せですと耳鳴りのような遠い声が口々に唱えている。

彼らの寂しさがジュエルの心に染みてくる。

気も揺れていた。善意も悪意も何もない。全てが混沌として揺れ続け、それがとても恐ろしい。

きな臭い匂いがあたりを包み、見ればあちらからもこちらからも火の手が上がっている。視界いっぱいに滲んで見える炎は実に幻想的な眺めだ。深い悲しみが全身を包み、いつしかジュエルの両眼には涙が溢れていた。

火に包まれた人々が炎の柱になって微笑んでいる。既に燃え尽きた灰が新しい炎にまかれて天井高く舞い上がる。炎にあおられた人影がゴオッと大きく膨らんだ。ゆっくりと旋回しながら部屋中を舐め尽くす。

屋敷はいまや火の海だった。幾つもの炎が輪を描き、炎の柱を掻い潜りながら飛び回る。

その一つがいきなりジュエルを襲った。避ける暇もなかった。焦げ臭い匂いと衝撃。ジュエルは床に伏していた。王弟が彼女に覆い被さっている。

「ガゼル殿下!」

ジュエルは悲鳴をあげた。

「無事か、ジュエル?」

苦痛に顔を顰めながら、王弟は起き上がろうとする。右肩に火傷を負っていた。ジュエルは背後に王弟を庇いながらしっかりと立ち上がった。

たった今、ジュエルの手前で弾けた炎の玉を追い抜いて、別の玉が突進してきた。咄嗟に掌をかざして防ぐ。

それはあの配膳係りの村娘で、はにかむような笑顔が一瞬垣間見えてそれから散った。風に吹かれて翻った木の葉の裏側が、陽をはじいてキラリと光るみたいにして。善意と悪意は炎に巻かれ、あおられて、ひらひらと翻っているのかもしれなかった。

(私の心も簡単に翻った。あのとき殿下が正気付かせて下さらなければ、今頃は……)

ジュエルは王弟に肩を貸しながら、幻の廃墟と人々に背を向けて歩き出した。彼女が掌をかざすと、障害となる炎のカーテンは次々に翻って二人を通したのだった。






林に向かって歩いてくる王弟とジュエルを認めて、一同は歓声を上げた。

朝の最初の光が地上を照らし出すと、炎も人影も館も全てが掻き消えて静かな廃墟だけが残った。王弟の怪我がなければ、誰もが夢を見ていたのだと思うところだった。

丸一日、王弟は床に臥して目を覚まさなかった。そのあとも傷の治りがはかばかしくないので、王都に使いを送ることにした。

「療養致します」との王弟の手紙には、「ゆっくり療養せよ」との陛下よりのお返事が届いた。「薬師としても名高いジュエルの看護なら安心だ」と書き添えられて。

六日間の猶予のはずが、倍にも延びた。ともすれば更に伸びることだろう。二人の気持ちは複雑だった。

火傷を負った右肩の上に慎重に手をかざしながら、ジュエルは王弟の寝顔を覗き込んでいた。

(早く治りますように)

気を送り込みながら、心も注ぎ出す。

(あなたが好きです、ガゼル殿下。でも……)

彼女はあの晩、あっさりと自分自身を手放しそうになったことを深く恥じていた。

(あなたのお気持ちに応えたら、この王国に私たちの居場所は無い。あなたを叛逆者にしてまで私は自分の恋を貫こうとは思いません)

かといって、王弟に心を残して国王の側室になることは考えられない。

運命の道筋を枉げずに予見に従うには、まだひとつ道があった。





一日の政務を終え私室に戻った国王に、侍従長は念を押すように尋ねた。

「本当に、薬も医師も送らずともよろしいので?」

「二人にはかえって邪魔であろう。余計なお世話というものだ」

国王のこの答えに、侍従長は耳を疑った。

「……陛下。ジュエル姫を側室としてお迎えになるのではないのですか?」

「何を馬鹿なことを」

呆れた口調で言下に切り捨てて、王はこう付け加えた。

「私はひとこともそんなことは言っていないよ」






王弟の肩に黒々と残った火傷の痕を検分して、ジュエルは小さな溜め息をついた。

「悪い風が入らないかと心配致しましたが、もう大丈夫のようです。普通の火傷と違い、痕は残るようですが」

「……ジュエル」

「はい、殿下」

「明日には出立しよう。王都に戻る」

「はい……」

綱渡りの曲芸のようだ、とジュエルは思った。ぎりぎりの緊張の中、危うい言葉のやり取りをしている。いつ足を踏み外すかとハラハラしながら。

「ジュエル」

「はい」

「……何をどう言えばいいのか分からない。私は…」

王弟は視線を落とした。

ジュエルには何度も求婚を断られている。理由を尋ねると、「殿下のお妃様なら、次の王妃様だからです」と言われたが、理由になっていないと思った。

だが今なら分かる、と王弟は苦く考えた。あの頃、ジュエルは自分の運命を「次期王妃」と考えることが出来なかった。今はその運命が「光の王の妃」と定めてしまっている。

私がジュエルに求婚するのは運命を枉げること、予見を覆すこと、王に叛逆すること、王国の平和を乱すこと、だ。

「……ジュエル、教えて欲しい。王都へ戻ったら、陛下には何とお返事を?」

ジュエルは微笑んでお答えした。

「独身の誓いを立てたいとお願い致します。神官となって陛下をお助けするつもりです」

それを聞いて王弟の顔が曇った。

「それはだめだ。『やがては国母ともなる娘』が独身の誓いを立てるなど…」

それはジュエルも考えたが、譲れなかった。

「世継ぎの王子ならば、王妃様か三人の側室様がお産みなされましょう。四番目の側室候補のギネビア姫様もおられます。きっとどなたかが国母となられます」

無邪気なジュエルの答えに、王弟は頭を抱えた。どなたもお産みになられないので大変なのだ。

と、何かが引っ掛かった。

王弟は今更だが、『光の予見』の内容を自分は正しく知らないということに気付いた。

「ジュエル、紙に書いて私に見せてくれないか。『光の予見』を」




   『 影が光に添いて歩むが如く
     黄昏の星は輝く光の影となりて仕える
     羚羊(カモシカ)が野山を経巡り
     やがては黄昏の星を得るとき
     王国は堅く立つ
     幸いなるかな
     光の王の助け手にして
     やがては国母となる娘 』




「これで一字一句間違いはありません」

ジュエルが渡した紙を王弟は何度も読み返し、やがて深い吐息をついた。

「賢いジュエル。あなたはこれを暗誦するほど頭に入れておきながら、まったく理解していないね?」 

王弟が何を言おうとしているのか、ジュエルにはさっぱり分からなかった。

よく知られた伝説と一致する最初と最後の箇所ばかりに気を取られていたけれど、確かに全体を冷静に吟味する気持ちの余裕がなかった。陛下は「一日に一度は我が予見に思いを致せ」と仰せになられたけれど……。

「まず、あなたは選ぶも選ばないもなく既にもう『光の王の助け手』である、ということ。そして、『やがては国母となる』。でもそれは『羚羊』が『星』を娶った先の話だということなんだ。
さあ、本当に分からない?エステル・ジュエル・ドニゴール」

王弟はジュエルを三つの名で正式に呼んだ。

ジュエルがまだきょとんとしているので、王弟はとうとう笑い出した。

「エステルは『星』の意味だね。では、私の名前は?」



     『 羚羊が野山を経巡り
       やがては黄昏の星を得るとき
       王国は堅く立つ 』



ジュエルにも笑いは伝染した。私って、なんて馬鹿なんだろう!

「ガゼル(羚羊)・カデシュ・コーコラン王弟殿下。『羚羊』は殿下なのですね!」

嬉しさのあまり、ジュエルはカデシュ殿下に飛びついた。殿下はジュエルを軽々と抱えあげて振り回した。ジュエルのスカートが婚礼のダンスを思わせてふわりと広がった。

二人ともこのまま踊り出したい気分だった。






王弟の肩に残った消えない火傷の痕も不思議なことに羚羊の形をしていたのだが、二人がそのことに気付くのはまだもう少し先のようである。





(終わり)










詩歌の書庫にあらすじだけ載せて、本文はお蔵入りしていた「紫の瞳の乙女」です。
児童文学の書庫にジュエルの少女時代を描いた「モイラ」を載せたので、ついでに陽の目を見させてやることにしました。
にいがた市民文学「小説」部門に投稿、見事に落選しました。
むべなるかな。
こてこてのファンタジーで、こてこてのラブストーリーですがな。わはは。

「あらすじ」に興味のある方はどうぞこちらへ。
http://blogs.yahoo.co.jp/ofuku2004/40542396.html

めちゃワル乗りです。こりゃ、あらすじの段階で落選決定だにゃ。

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