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スイスという国を理解するには、是非目を通すべきで、良い本だ。 今までスイスの山登りに関する沢山の本を読んできた、でもこれほどスイスという国の成り立ち、風土について触れられた紀行本(?)はなかった。 もちろん山登り、クライミングやトレッキングに興味があって、それらに関係する本ばかりに目を通してきたのだから、当たり前と言えば当たり前なのかも知れないが。 著者は、当時ドイツに住んでいて、黒海地方への旅行で急性アミーバと熱病に冒されたが、そこは無医村、無薬局の地。数日間の後、ウィーンで応急処置をしてもらいドイツに戻って伝染病研究所の厄介になったが、回復は進まず、そこの医師は『高い冷たいところにいらっしゃい。一番の薬です。山の冷たさで菌を眠らせてしまうのです』。ドクターはスイスと名指したが、そのころの著者は『スイスには何の関心も呼び起こさぬよそよそしい土地であった』と。要するに著者は、スイスについて殆ど白紙の状態だったのであった。 さて、どこへ? いい場所が思い当たらない。だが、唐突に、楽しみの読書として嘗て愛した二冊の本を思い出す。一冊はアルプス文学の古典中の古典、ウィンパーの「アルプス登攀記」、そしてそのウィンパーのこの本を訳し、しかもヴェッター・ホルン初登頂の経験を持つ浦松左美太郎の「たった一人の山」。たまたま松方三郎(故人・日本山岳会の元会長。母方の親類)の手紙が数日前に届いていた。今にして思えば何かの縁。そして、スイス・ベルナーオーバーランドへ。1972年9月末。 『私は一介の旅びととして、白紙のままに、ベルナーオーバーランドに向けて出発した。山の装いの手持ちのある筈もなく、山靴もはかず、駅でもらったツーリスト向け「絵地図」だけを後生大事に手に持って、ひたすら鈍痛の元凶である菌に眠ってもらうただその目的のためだけ、出発した。』とプロローグを書き始め、『時はアルプスのもはや晩秋。天気の最も安定する季節。迫り来る雪が感じられた。私はまず、シニゲプラトに向かった。それがどんな所であるかも知らずに。「たった一人の山」が動機になっていたならば、あるいはアイガー東壁完走のそしてそこに今ものこる小屋を寄付した槇さんや、彼と共に縦横に山々をめぐり登った三郎さんを記念するならば、当然、グリンデルワルドをこそまっさきに目指すべきであったのに、シニゲはどうですかと言ってくれたインターラーケンの駅員の言葉にすなおにしたがって、私は、次のヴィルダースヴィルで乗り換え、黄色に赤の線の入る古風な「山の電車」に揺られて行ったのである。』 最後の4、5つのトンネルを抜け、初めて近々に見たベルナー・オーバーランドの名だたる三峰。 『パアっと開けた高貴にも絢なる別天地に入ったとき、私のホビーの世界は、新たな一つを加えることになったのだ。』 『すべての病がそうであるように、拾ったこの重病は、その後の私の生活とリズムを一変させた。山歩きの体力をつくるための規則正しい訓練。疲れ休めの読書はアルプスの地質学から入って、生物・植物の書物、氷河の書物。さまざまの人の書いた山の文学。』 そして10年。ベルナー・オーバーランド・アルプスからペナイン・アルプスへ、エンガディン・アルプスへ。イタリアのドロミテ、オーストリアへ。エンガディンには通算70余日。ヴァレイには130余日。 多くの村落を訪ね歩き、森に渓谷に分け入り、小川を渡り、多くの谷に奥深く入り、多くの峠に立ち、頂に立ち、ヨーロッパのほぼ中央に位置するこの小さな小国スイスの生い立ちを、風土を、雪と氷と岩にふさがれた地方が、「中立」、「スイスの平和」、「自由」そして「世界とスイスの関係(経済・金融など)」を、谷から峰を見上げ、峠・頂から谷を見下ろし、スイスの谷・水・草・貧土などつまり山の自然が歴史の諸事情と相まって、必然に生み出したものを、見つめ、それを語る「Agree to dissagree」の共同体を、国民性を、それを作り出した必然性を。 そういえば私も現役社会人時代に、輸入先のスイスの精密機械部品・センサーのメーカーのイクスポート・マネジャーが、いきなりテレックスで「来年一年間、兵役義務で居なくなるから、後はこれこれで、宜しく」と伝えられた時は、たまげたもんだった、「へぇ〜、国民皆兵制?」 永世中立国だって、こりゃ大変だなぁ〜、って感じた事あった。 [アルプスのコース・ガイドやハイキング・ガイドや関連書籍] ゲーゲデ著 松方三郎著 ティンダル著 中野 融著 近藤 等著 近藤 等著 ウィンパー著 近藤 等著 池田光雅著 小川清美著 辻村伊助著 新井 満著 |
山の本 読書感想
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