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その後、2010年の5月6日から、中日新聞の夕刊に「わが道」という連載文を約一ヶ月に渡って連載したようだが、その後この文章は纏められて本になったのかどうか、調べたが私には判らなかった。 この三冊の中で、山野井泰史氏自身の手によって書かれた「垂直の記憶」が一番後で読んだ事になるのだが、ドキュメンタリー作家の手になる文章は、やはり本人によって書かれた文章では無いと言う先入観があるため、一歩下がって受け止めるような感じがあるが、本人自身が書いた文章だと、思うだけで、重みが違う、と感じるのは、軽率な判断になるのだろうか。 今更ながら、兎も角、「壮絶!」・「凄い!」・「ここまで一本気になれるのか!」なのだ!!! そう、目の前に展開される広大な風景の一部に、この著者が「攀ってみたい、攀ってやろう」と思った標高差1600mのメラ西ピークに続く西壁がそそり立っていたのだから。 (説明:ヒンクーコーラを辿りながら見上げる、メラピークの西壁、一番左の切れ落ちた壁) 22歳でヨセミテのビッグ・ウオール、アルプスのドリュ西壁を攀ぼり、翌年23歳で北極圏、トール西壁を単独初登攀。24歳の冬、パタゴニアのフィッツロイに単独で挑戦するも失敗、しかし翌年、1990年、25歳でフィッツロイ冬季単独初登。そして、翌年、26歳の著者は、8000mの高度を経験するためにヒマラヤのブロードピークに、従来からの極地法で挑む。 その時、彼の視界の中にはガッシャブルム東壁があった。 この「垂直の記憶」の中で著者が書いている如く、単なるノーマル・ルートからの登頂ではなく、8000mのヒマラヤの壁を無酸素・アルパイン・スタイルの、しかもソロでやりたいと願っていた当時27歳の著者が、次のステップとしたのが、メラ・ピーク西壁の単独登攀。 (説明:もう少し進んだ場所から。一番左のえぐれたような壁がメラの西壁) (説明:更に数時間進んで) (説明:メラの西壁を背景にターナ(4248m)に向かう筆者とヤブさんの後ろ姿) (説明:ターナーの手前、洞窟寺院、ゴンバがあるところで。タルチョがはためく画面上方のピーク下の黒い壁のところで山野井氏は敗退) (説明:カーラBCまで来ると、高度が上がり、西壁は画面右になる) (説明:パノラマ画像の一番右がメラ西壁:クリックで拡大) (説明:一番右が西壁) (説明:メラ氷河の舌端に登りあがると、西壁の中心と同じ高さに。ロープを整理するチリン・ドルジェ) その後の活動は、伴侶・妙子氏と一緒に攀り、テレビで放映されたグリーンランドのオルカ(当時42歳)やキルギスのハンテングリ、チベットのカルジャンなどがあり、2000年には文化科学スポーツ功労賞、2002年には、朝日スポーツ賞・植村直己冒険賞などを受けている。 蛇足になるが、山野井御夫妻が、我々と同じような齢になったとき、どのようにクライミングを楽しまれているか、是非知りたいものだ・・・(いらぬお世話だ、と言われちゃいそうだが)。 |
山の本 読書感想
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クライマー、恐るべし。
よくもこんな壁を登ろうなどと ! !。
しかし、いい写真です。ありがとうございます。
2013/3/21(木) 午前 6:41 [ きど あるく 木戸有久 ]