サントリー天然水工場(白州)との井戸水問題・他:白州の森

白州の森が綴る、「サントリー白州工場との井戸水問題」等の「森からの便り」

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ペルー・アンデスの旅:ワイワッシュ山群一周の旅ーその2

 
第2日目:2014/6/12 マタカンチャ〜カカナン・プンタ(峠:4690m)〜チンカナ峰(4618m)のコル〜ミツコーチャ(湖)北端の丘〜リオ・ヤンカ・キャンプサイト(ミツコーチャ・キャンプ・サイト)標高4200m弱
 
昨夜のキャンプサイトは、イスラエル人の7〜8人パーティ、ポクパから徒歩で歩いているところを私たちのワゴンが追い抜いて来たチェコスロバキヤからの若いカップルパーティ、それともう2パーティが宿泊していた。
 
ポクパの集落でこの山域に入るための入山料をギヨさんが払っていた。
 
それに、マタカンチャのキャンプサイト利用料を地元コミュニティの管理人が徴収に来ていた。チェコスロバキヤのカップルの女性は、ポクパで入山料を払ったのに何故又ここでキャンプサイト使用料を払わねばならないのかと、英語で管理人と口論をしていたが、管理人は現地語(スペイン語)でしか話さないから、ややこしい。
見かねたギヨさんが間に入って、最近この地域のキャンプサイトの管理方法が変っていることを英語で説明してやって、やっと納得して使用料を払ったようだ。
彼女達の携えて来たトレッキングの情報はちょっと前の古い情報らしく、各テントサイトで個別にサイト使用料を払うようにはなっていなかったようである。
しかも、ガイドやロバ方を付けない大型ザックを背負ったトレッカーで、食料も全行程分自分たちで背負って来ているようである。若いから出来るのだが、良くやるなぁ、と感心させられる。
 
後で、ギヨさんから聞いたところでは、このワイワッシュの山域は三つの州(
アンカッシュ、リマ、それにワヌコ)の入り組んだ山域で、それぞれのキャンプサイトが地元のコミュニティの管理下で運営されていて、従って各サイトで個別に管理人が使用料の徴収にやってくるのだと。
 
その件が、落着したので、これから先の彼らの行程を聞くと、私達と同じ工程で進むらしい。
明日は峠から、一般ルートは取らず、バリエーション・ルートを辿ってミツコーチャ・キャンプ・サイトに出る話をすると、「後を付いて行っていい?」、「Why not?」
 
イメージ 1
 
5:00起床、モーニングティ、5:15アブ、5:30朝食、6:30出発。
 
カカナン峠(プンタ:4690m)まで、イスラエル人若者パーティと前後しながら登った。
ギターを背負って軽装で登っている者や、かなりの装備を詰め込んだザックで山慣れた格好をしている屈強な若者も玉石混交のパーティのようだ。
 
峠で大休止を取っていると、チェコスロバキヤのカップル・パーティが上がって来た。
 
蛇足だが、南北に長大に連なるアンデス山脈、西は太平洋に面し、東は大河アマゾンに面してる。ここは、その分水嶺の一つ。ってことは、ここで小用をすれば、太平洋と大西洋に分かれて行くってこと・・・。
 
 
イメージ 2
 
一般道は、峠から見下ろす上の画像に見えている道まで降りて、それを辿ることになるのだが、それじゃ面白くないから、この峠から続く主脈に沿ったトラバース道を途中のちょっとしたコルを抜けて、目の前のチンカナ峰の肩を捲くようにしてミツコーチャ湖の脇に降りるようだ。
 
 
イメージ 3
 
峠からガシャ(4880m)峰に続いている岩稜。
チンカナ峰(4618m)は、この稜線の左側に独立して突き出た岩峰だった。
その間のくびれ、コルに向けてトラバースして行く。
 
 
イメージ 4
 
 
 馬を引いて先に進んでいたシリロが腰を下ろして休んでいた。
ここでランチらしい。
 
イメージ 5
 
 
ここがコルらしい。
 
イメージ 6
 
 
一面この緑のスポンジのような苔、植物が敷き詰められていた。
サンパと言う名だそうだ。
これは棘が無いので腰かけることができるが、もう一種類似たような苔(?)があって、そっちは腰かけたらえらい目に合うそうだ。掌で触ってみないと判らないぐらい似ている。
 
 
イメージ 7
 
(峠で、遊んでいる間にチェコPが上がって来た)
 
ランチを摂ってる間にチェコスロバキヤ・カップルが追いついて来た。
女性が、貝殻の形をした化石を幾つも拾ったと、嬉しそうに見せてくれた。
これに味をしめたのか、又同じ場所に引き返したのか、戻って行く姿を目にしながら、我々はミツコーチャへ下る斜面の緑の苔の上を、苔から苔に飛び移るように下って行った。
 
イメージ 11
 
眼下にミツコーチャの湖が見えて来た。
ニラシャンカ(5607m)、イリシャンカ(6094m)が見えているのだろうか、山頂に雲がまとわりついてるので、いまいち判らない。
 
 
 
 
イメージ 8
 
どこまでもサンパが続いている。 
 
 
ミツコーチャ湖は、目の下だ。
湖畔のテント・サイトは、使用禁止になって、新しいミツコーチャのテントサイトは、この湖から流れ出るリオ・ヤンカの下流にあるらしい。
 
 
たまたま子牛の死骸に出くわした。
キツネにやられたらしい、とギヨの説明である。
死後、1〜2日、母牛が傍に佇んでいた。
 
イメージ 9
 
 
 
更に山腹を左に左に捲いて、ミツコーチャから続く北端の草原に向かって降りていった。
 
イメージ 10
 
中央の双耳峰がロンドイ(5870m)かな、 右がニナシャンカ(5607m)、左がイリシャンカ(6094m)かな。ロンドイ北峰は、1961年6月に、あのワルテル・ボナッティが登った山だ。(「わが山々へ」白水社、1966年発行)当時、チクワンの町からこのミツコーチャのキャンプ・サイトまで徒歩で5日かけて入ったと書かれていた。もう半世紀も前のことだ。
 
新しいミツコーチャのキャンプサイト。
 
イメージ 12
 
14:00 ミツコーチャのテントサイト着。標高約4200m。
 
 
スペインからのパーティが先着していた。
 
我々と前後してカカナン峠に登ったイスラエルパーティは、この先のテントサイトまで進むということで、正面の丘を遅れ気味の数人が上って行くのが見えていた。この先、まだ4時間ぐらいはかかるだろうと、ギヨは言っていた。
別なイスラエルの若者パーティが到着していた。
 
3:00 頃、テータイム。
とっておきの紙パックの赤ワインを開ける。
携帯ラジオは、ブラジル対クロアチア戦。得点が入る毎に「ゴー〜〜〜ル!」の絶叫と、周囲から歓声が上がる。「Who got a goal ?」、「ネイマール」の得点とシリロがにんまり。彼らもブラジルは強いと予想してるのだ。「どこの国のレフェリー?」と聞いてみたら、しばらくして「日本のレフェリーだよ」と(後で、帰国してから調べたら、西村レフェリーがこの試合をさばいたようだ)。
 
カップ1杯のワインが効いて来た、この標高だから。
早々に、シュラフに入って昼寝。
 
18:07 霰交じりの雨になった。
雷鳴がなって、1時間以上強い雨がテントを叩いた。
風が強くなりテントをばたつかせた。
 
雨に遭わずに次のテントサイトにたどり着けただろうか、イスラエルの若者パーティは・・・。
 
イメージ 13
 
ディナー・タイム。
 
傘は持ってきてないので、レインギヤに身を固めて、篠突く雨の中をダイニング・テント(キッチン・テント)に向かった。
 
二人とも、快食、快眠、快便、いいことだ!
 
 
イメージ 14
 
残照のニナシャンカ(5607m)
 
 
イメージ 15
 
ギヨさんが各テントのペグ、張り綱を点検に回っていた。
この山塊の東側は、アマゾンに続く高原。取り立てて高い山がある訳でもないから東側の気候の影響を受け易いのだろう。
 
いかに草原の芝生の上にテントを張るような好条件の設営環境でも、あれだけ強い雨に叩かれるとテントの底の芝生の方にも水が回って来て、エアーマットの下がびっしょりだ。
強い雨は1時間半程度で過ぎ去ったから良かったが、一晩中だったらやばかったかな・・・。
直ぐに寝入っちゃったから判らないが、夜半に小用で外に出たら星も幾分見えてたから安心した。
 
(続く)

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