リマ国立博物館(MUSEO DE LA NACION)にてペルー滞在最後の1日をリマ国立博物館 National Museum (Museo de la Nacion)を是非訪れたいと、事前に予定を組み、幾らかは理解可能な英語で案内の出来る市内観光ガイド氏を依頼してあった。
プレインカ、インカの貴重な遺産・展示物を自分の目で観たかった。
プレインカ時代から始まって、インカ時代、スペイン侵攻後の所謂植民地時代、近代・現代へと階を上がって行って観賞した後、一旦ロビーに戻り、次にエレベーターで、着いたのが6階常設展「YUYANAPAQ」であった。
「YUYANAPAQ」?
展示場の入り口で、入場者名簿に記帳する仕組みになっていた。
「何故、ここだけ記帳?」
「YUYANAPAQ」(ユヤナパック)と聞いても、観光について事前に調べてもいない我々に判る筈もなかった。
ケチュア語で「追憶のために」と言う意味だ、とガイド氏から説明されても、ピンと来ていない二人だった。
もちろん、展示内容は全てスペイン語表記だったし、我々に文字の読めよう筈がない。
しかし写真画像は、雄弁に語りかけて来た。
最初の画像を観て「がっ、がぁ〜ん!」
ガイド氏の言葉は、私達にも馴染みのある言葉「テロ」、「ペルーのテロの時代だったのです」
ほぉ〜、ペルーにもそんな時代があったのだ。
日本大使館がテロ集団に占拠されて、時の大統領の名「フジモリ」が知れ渡った、その事件のことは記憶にあるが・・・。
そうか、日本だって左翼過激派の赤軍派迦葉山事件や浅間山荘事件があったから。
しかし、その年代・時代を聞いて、また「がっ、がぁ〜ん!!」
「えっ、えっ、えぇ〜、そんな最近だったの・・・!!!」
陳腐な形容であるが、しばらく開いた口が塞がらなかった。
まさに目から鱗の「がっ、がぁ〜ん!!」なのである。
1970年代から、ことに1980年から1992年までの間の、テロや軍(軍事政権時代も)による暴力の応酬の歴史。
それが、東京で言えば、上野の博物館の中で常設展示されているようなものだ。
それって、日本が右肩上がりの経済成長を続けた、バブル経済の時代じゃないか!
1970年って、えぇーと、<解く風呂敷から昭和が出>だから、昭和44年か、45年!
大学を卒業して、親の事業を手伝いながら電気の事を学ぶために夜学に通い、結婚して、長女が誕生、その年だ。
1980年って、昭和55年だから、その時代にペルーでは左翼ゲリラ組織が容赦のない無差別暴力テロを繰り返していたんだって!
私たちは、己の無知さを思い知った!
日本のバブル時代じゃないか、朝、ぎゅう詰めの電車に乗り込んで、夜、終電の駅に駆け込む日々の。その地球の裏側のペルーで、こんな惨たらしい日々が続いていたなんて。
案内氏は、「我々のテロの時代」を繰り返し使った。
決して「コミュニスト集団が」と、決めつけはしなかった。
が、これでもか、と言う位に惨たらしい数多くのモノクロの写真の中に、見慣れたチェ・ゲバラの顔写真が小さめに掲げられていた。二人とも、カストロと袂を分かった医者であったチェ・ゲバラがボリビアで処刑されたことは知っていた。
「我々のテロの時代」の殆どが、毛沢東主義を信奉する極左ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」(ペルーの輝ける道)の惨たらしい無差別暴力テロと軍の応酬、暴力の繰り返しの歴史であった、と後から知った。
「鎌と槌」のお馴染のマルクス・レーニン主義を象徴するマークもあった。
そんな時代があった、ついこの間のことを”忘れまい!”。
その誓いの「追憶のために」(YUYANAPAQ)、だった、と。
最も政治的に脆弱な時代で、付け入る隙を与えた時代であった、と。
その責任は皆にある、それを忘れないために、と。
☆ ☆ ☆
博物館の表に出て、階段を下りながら、二人が交わした会話は;
日本にゃ「三日坊主」って言葉も、「人の噂も75日」って諺があって、忘れっぽくて、しかもずっと長いこと総無責任時代がまかり通っていた、いると進行形?
3.11の後のあの原発の悲劇を、あの安全神話への怒りを忘れ、憲法問題・集団的自衛権、憲法9条の是非、靖国の合祀問題、東京裁判と戦争責任問題、終戦直前の沖縄戦の軍の命令有無の問題、インパール作戦の責任問題、226や511や盧溝橋や、ノモンハンの責任所在、等々、皆々、曖昧に・・・。
それにしてもプレインカのあの遺産、文化の高さを証明する遺物の素晴らしさ、縄文文化・弥生文化の比じゃないねぇ。
BC何百年のあの時代に、日本でやっていた絞り染の技術と同じような技術を持っていたとは、驚いたね。
日本じゃインカ、インカって、アンデスは全てインカで一括りにしちゃう傾向があるけど、プレインカの方が遥かに長く、その文化度の高さは目を見張るよね。
それにしても、そんな高度の生活文化を備えた文明社会が、その先何百年とそれほど進化せず、スペインのピサロが大航海時代にパナマから攻め込んで来た時、西洋の銃に対抗する武器としてパチンコの親玉のような投石器やこん棒の様な武器しか無かったとはねぇ、びっくりだねぇ。
何で、そんな長い期間、争いの道具としての武器開発が停滞していたのかねぇ?
☆ ☆ ☆
人口数十万のワラスから車で数時間、ガタピシャに揺られながら辿り着くことになるアルパマヨ登山の登山口、カシャパンパの集落に着くまでの道中でも、そしてワイワッシュ山群トレッキングの終着点ポクパからワラスに戻るための数時間、大きめの集落や、町の中で、垣間見たお揃いの制服を着た小学生・中学生の清楚さ、仕草の礼儀正しさ。
都会から遠く離れた山岳地帯、山間部の谷あいに育つ子供達への教育の確かさを感じた。
☆ ☆ ☆
アルパマヨ・アタック・キャンプ(標高約5000m弱)への4泊5日のトレッキングで高度順応を終えた二人は、6月11日からワイワッシュ山群トレッキング+ディアブロ・ムド峰(5350m)登頂を目指す10日間の山旅に出た。
ワールドカップ・サッカー・ブラジル大会は、この旅に出てからスタートを切った。
一緒に行っていたケチュアの血を引くような顔だちの馬方(ロバ使い)のアジェも、キッチン方のシリロも、
ブラジルが勝って大喜び。<ネイマールだってよぉ、寿司食いねぇ、酒飲みねぇ、江戸っ子だってねぇ、そうだってねぇ・・・>
メヒコが勝って大喜び。<ドスサントスだってよぉ、寿司食いねぇ、酒飲みねぇ、江戸っ子だってねぇ、そうだってねぇ・・・>
チリが勝って大喜び。<サンチェスだってよぉ、寿司食いねぇ、酒飲みねぇ、江戸っ子だってねぇ、そうだってねぇ・・・>
だが、強豪スペインが大差で負けたら、おどけて大喜び。
そうか、ピサロの敵討ちか!
(注:<>は、初代・広沢虎造の十八番、森の石松・金毘羅代参・三十石船より)
(続く)
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